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Valkyrie Panzer‐守りたい笑顔‐  作者: 雪代 真希奈
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第5章『前夜の咆哮、狼の目覚め』

「鶴城さん、ちょっといいかしら。」

 俺がフィアナさんに声をかけられたのは、俺がクリスの告白に応え、恋人となったあの日から一月ほど経ったときのことだった。

「フィアナさん、こんにちは。…あ、また何か生徒会で手伝ってほしい、とかでしょうか?」

 俺はこう答えたが、フィアナさんの目を見て、そんなことではないことをなんとなく察する。

 …あの目は、珀亜さんが俺のことをからかってくるのと同じ目だ。何だろう。俺、何かしたのかな…。 

「いいえ、そんなことじゃないわ。まあ、単刀直入に聞いてしまうのだけれど…誠さん、クリスティナとお付き合いを始めたでしょう?」

「…え。」

 いきなり突っ込まれた内容に、俺は固まる。

 なぜなら、俺もクリスもそのことは誰にも話していないからだ。そのことを察したのか、フィアナさんはにこにこしながら言う。

「見ていればわかるわ。一緒にいる時の鶴城さんとクリスティナ、最近すごく嬉しそうなのだもの。あれから距離もかなり縮まったみたいだったから、もしかして、と思ったのだけれど…どうやら大当たりみたいね。」

 …どうやら、相当にわかりやすかったらしい。

「…ええと…はい、その通りです…。」

 俺は観念して言った。ついでに、俺はもうひとつ聞いてみる。

「…あの、今更な気もするんですけど…もしかして、フィアナさんは俺とクリスが付き合うこと、反対だったりします…?」 

 フィアナさんはクリスのお姉さんのような存在だ。ここまで来て、「手を出さないで!」とか、そんなことになったら目も当てられない…。

 しかし、フィアナさんは微笑みを崩さないで言う。

「そんなことはないわ。言ったでしょう?あの子があなたと一緒にいるときの笑顔は、本当に嬉しそうなの。お隣さんである私でも、あの子のあれほど嬉しそうな顔は見たことがなかったくらい。そういう意味では少し妬けてしまうところもあるけれど…でも、あなたはあの子が選んだ男の子だもの。だから、私はクリスティナの意志を尊重するだけ。もちろん、泣かせることがあったりしたらどうしようかしら、くらいは思っているけれど。」

「…泣かせてしまったとしたら、その倍…いや、百倍笑顔にしようと思います。」

 俺の言葉を受けて、フィアナさんが目を丸くして言う。

「絶対に泣かせません、じゃないのね。」

「何て言うんでしょう…クリスは、人の痛みがわかりすぎますから。泣かせようと思わなくとも、その誰かを見ただけで、悲しそうだ、辛そうだ、って涙を流してしまうのは、フィアナさんも知ってるところですよね。だから、人の痛みを自分の痛みとしてしまう彼女は、涙を流すことはきっと避けられない…その時、俺ができることは、彼女の側にいて、笑顔を取り戻すためにできることをすることだけだと思うんです。」 

 これは、事実でもあり、同時に俺の本心でもあった。

 この事実がある以上、絶対に泣かせないなんて安易な約束をするわけにはいかない。

 …確かに、フィアナさんはこの答えに満足することはないだろうし、俺も彼女の望むであろう答えを用意するべきなのだろう。だが、フィアナさんはクリスが慕う存在だ。そんな彼女に、俺は絶対に嘘はつきたくなかったし、なおかつ、彼女が涙を流したときは、いつも側にいて、笑顔を取り戻すためにできることをする、これは、人の心を理解し、人のために涙を流すことのできる、そんなクリスを愛し、そしてクリスに愛された俺自身に対する、一種の誓いのようなものでもあった。

 それを聞いたフィアナさんは、また少し考えて続ける。

「…そう。やっぱりあなたは誠実ね。あの子は、本当にいい男の子を選んだのね。少し羨ましいかもしれないわ。…でもね、私が応援したとしても、アンネマリーはどうでしょうね。」 

「…アンネ…ですか?」

「ええ。以前、あなたにはお話ししたことがあったわね。あの姉妹の境遇のこと…。」

 …もちろん、覚えている。

 両親に振り回され、それにずっと従ってきたクリスとアンネ。両親に捨てられたに等しい形になってもなお、それは自分の責任だと自分を責め続けたクリスと、それを見続けて、他人は信用ならない、ならば自分がクリスの唯一の理解者として彼女を守らねばと、自分の心を閉ざしてまで努力し続けたアンネ。

 忘れられるはずがない。

 俺がそう考えていると、フィアナさんが俺に話しかけてくる。

「社島に来てから、アンネマリーは本当に血の滲む努力をしたわ。クリスティナを苦しめる、彼女の持つ最上位ヴァルキリーという類稀な才能を憎んだ…というわけではないのだろうけれど、クリスティナの才能に見惚れたと思えば、クリスティナの本心を知って離れていく、期待するだけ期待して、希望を持たせるだけ持たせて、いざとなったら簡単に手のひらを返す…そんな、自分のご両親と同じ反応を見せるかもしれない周りの人間を恨んだ…と言えばいいかしら。そして、クリスティナのことを周りが理解しようとしないならば、理解するのは自分だけでいい、姉のように才能がなくとも、自分が姉が持たされた期待を背負わなくては…そうすれば、クリスティナは苦しまなくて済む。嫌なことから目を背けることができる…。大好きなお姉さんは、幸せになることができる…これが、アンネマリーが今のように強くなるきっかけになったこと…。鶴城さんには、もうお話ししているわよね。」

 フィアナさんはそう言って、困った顔をして続ける。

「…私から見てのお話ではあるけれど、アンネマリーが努力をすることで、クリスティナとアンネマリーの溝はさらに深くなってしまったと考えるのが自然だわ。

 クリスティナは、自分がアンネマリーの側にいることで、アンネマリーの邪魔になるのではないかと思い込んでしまっている。逆にアンネマリーは、守らなければと思っているクリスティナに避けられていることで、クリスティナに何かの理由で嫌われているのではと思い込んでしまっているところがあると思うの。

 そこに、クリスティナが恋人として慕うあなたが出てきてしまったとしたら…アンネマリーはどう思うかしら。

 …嫌な言い方になってしまうけれど…アンネマリーは、自分が守ってきたと思ってきたクリスティナを奪おうとするあなたを、どういう目で見ることになるのかしら。

 

 鶴城さん。クリスティナと添い遂げるならば、まずはクリスティナの心と、そしてアンネマリーの心としっかり向き合わなくてはならないわ。彼女たち姉妹が背負っているものはとても重い。それを背負わなくてはならなくなったとき、あなたは逃げずに踏みとどまれるかしら。それとも…愛という強い力を利用して、無理矢理にでもクリスティナと一緒になることだけを選ぶ?」


 …フィアナさんの問いかけが、俺の心に深く突き刺さってくる。

 この問いは、特別なものだ。

 それは、覚悟。

 ふたつにひとつと言いながら、俺に与えられた選択肢はひとつだけ。

 そこに、自分で増やすことのできる選択肢…諦めや逃げというそれを選ぶことを、自分は認めない。許さない。

 なぜか?それは、俺がクリスに選ばれた者だから。クリスに惹かれた者だから。俺は、クリスの背負う暗い過去を、共に背負いたいと願う、辛いかもしれない覚悟をしなくてはならない者だから。

 彼女は、暗にそれを自覚しているかを俺に問うているのだ。


 ------言われなくとも、俺の答えは、ひとつ。


「フィアナさん------」 

 俺は、フィアナさんに向き直り、強い言葉で言った。


「俺がここに来たばかりの頃…あの時、クリスとアンネのことを教えてくださって、ありがとうございました。

 確かに、フィアナさんのいう通り…俺には、二人の心を受け止められるかはわかりません。もしかしたら、それを背負うことで、三人とも共倒れになることだって否定できません。

 でも…クリスと一緒にいたいなら…俺はクリスだけじゃない、アンネのこともきちんと見てあげなくちゃならない…それもまた、フィアナさんの言う通りだと思うんです。辛い思いをしたのは二人とも一緒で、すれ違いはあれど大切な家族のはずです。俺が自分の幸せを求めたとして、それで強引に二人を引き離したりなんかしたら、誰よりもクリスがきっと悲しみます。だからそんなことしても意味がないし、そもそもそれは俺の幸せにすらなりません。

 俺はクリスの全部が好きですけど…その中でも、笑顔の彼女が何よりも好きなんです。さっきも言いましたけど、彼女を泣かせてしまう場面が多すぎるこの世界で、泣かせないなんて安易な約束はできません。だから…泣く必要のないところで彼女が泣かないように、彼女に泣かせないように努力するのもまた、俺の役目だとも思うんです。

 そのためには…きちんとアンネにも伝えなくちゃならないと思います。クリスが俺を選んでくれたこと…俺が、一緒にいるのはクリスじゃなくちゃだめだということ…。それを彼女に認めてもらえなくては、意味がないんです。

 だから…俺は認めてもらえるまで、何度でもアンネに頭を下げます。それが、きっと必要なことですから。」


 …言ってしまった。

 もう、後戻りはできない。

 でも、後戻りする気はない。

 俺は、クリスがどうしようもなく好きだ。 

 彼女のいない生活は考えたくないし、何より考えられない。

 そして…クリスと幸せに添い遂げるならば、アンネの許しは絶対に必要不可欠だ。

 だからこそ、俺は決めた。

 今まで黙ってきたけれど…アンネには、クリスと一緒に、本当のことを打ち明けよう。

 それを聞いたフィアナさんは、ふっ、と真剣な顔を解き、いつものやわらかな笑みを浮かべた。  

「…そう。鶴城さん…お願いね、クリスティナを解放してあげて。アンネマリーの笑顔を取り戻させてあげて。約束よ。」 

「…はい。」

 俺はフィアナさんのブラウンの瞳をしっかりと見据えて、強い意志を以て答えた。

 

「…ところで。」

 フィアナさんが、また口を開いた。

 「鶴城さん、クリスティナのお誕生日…もうすぐなのだけれど、いつなのか知っているかしら?」

「え、そうなんですか…?」

 …まずい、まったく知らなかった。それを見て、フィアナさんが口を開く。

「あの子のお誕生日は12月25日…クリスマスの日よ。」

「こ…今月ですか…って、クリスマス!?明後日じゃないですか!!こうしちゃいられない…フィアナさん、すみません、ちょっと行ってきます!!」

 なんてこった…明日は学園のクリスマスパーティーをクリスと回る約束になっている。それなのに、そもそもクリスマスプレゼントも用意していないし…アホなのか…アホなのか俺は!?浮かれすぎだろ!!…と、とりあえずモールに行こう。俺のセンスがどこまでクリスに刺さるかはわからないが…ええい、やるしかない…!!

「ふふっ…頑張ってね、男の子の見せ所よ?必ずクリスティナの喜ぶプレゼントを選んであげてね。」

 フィアナさんの声を聞きながら、俺はショッピングモールへの道をひた走る。慌ててはいても、その足どりはとても軽い。


 ------きっと、アンネにも俺とクリスの関係を認めてもらえる。そのために、俺ができる最善のことをしよう。


 走りながら、俺は改めて、心に誓うように呟いた。



「------ふえぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?」

 翌日、12月24日。クリスマスパーティー当日。

 俺はクリスに、昨日決めたこと…俺たちの関係を、今日、アンネに報告したいという旨を話してみた。ついでに昨日の夜のうちに学園に行って、話があるから、今日のクリスマスパーティーが終わる今日の夕方のタイミングで屋上に来てほしいという内容の手紙をアンネの下駄箱に忍ばせてきたことも。

 …まあ、そりゃ叫ぶよな、クリスの性格上。

「…ええと、そんなに変わったことなのかな…。もしかして、ドイツだと家族に交際の報告とかしない…?」

「そ…そそそそそそんなことない…と思います…多分。で…でででも…その…あぅ…。」

 恥ずかしいのか、顔を真っ赤にするクリス。…いや、俺だって恥ずかしいけれども。

 ただ------

「クリス。」

「ふ、ふぁい!!」

 声を盛大に裏返らせながら反応したクリスに、俺はしっかりと向き合って言う。

「クリスは、アンネに祝福されるのは…嫌かな?」

「え…。」

 目を丸くするクリス。

「あぁ、ごめん…ちょっと意地悪な言い方だったよね。確かにいきなりだし、クリスが慌てるのも仕方ないかもしれないとは思ってたんだけど…でも、こういうところはちゃんとしておきたくて…俺も、クリスとの関係…ちゃんとアンネに祝福してほしいから。…まあ、俺のわがままかもしれないけど…。」

「い…いえ!そんなことないです…!!アンネはわたしの大切な妹で…だから…祝福してほしいのは、わたしの本心で…で、でも…。」

 どんどん声を萎ませていくクリス。

 当然のことだろう。最初に思いっきり平手をくらったこともあり、そもそも俺はアンネに嫌われているのは確定的に明らかで、それを知りながら俺がしたことというのは、自分から地雷を踏み抜きに行こうとしているのと同じことだ。それに、昨日フィアナさんも言っていたこと…クリスはアンネに対して、自分が近くにいてはいけないと思い込んでしまっている。もしもそれが本当ならば、俺の決断はクリスにも辛い思いをさせかねないことのはずなのだ。

 でも------

 

「クリス、聞いて。」


 俺はもう一度、クリスの澄んだエメラルドの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「…アンネはクリスの妹で、誰よりもクリスのことを大切に思っているはずだよ。確かに、俺はアンネに嫌われてるみたいだし、何を言われるかはわからないけど…でも、今伝えられなかったら、それこそ俺は誰も幸せにはできないとも思うんだ。

 伝えないまま、ただ俺たちが勝手にアンネから離れて行ったとしたら、きっとアンネは悲しむと思う。俺を選んでくれたクリスだって、きっと悲しい気持ちになる。そうなっちゃったとしたら、俺だって辛い…。クリスのことも、アンネのことも…ましてや自分のことすら幸せな気持ちにできない道を選ぶことになっちゃうと思ったんだ。なら…今怖くても、そうならないために努力することのできる道を選びたいんだ。…わがままを言う俺たちなんだから、それをしっかり認めてもらわなくちゃ、本当に行きたいところには行けない…そう思うから。」


 俺は、昨日フィアナさんに言われたことと、その時俺が言ったことを心にしっかりと刻み込むように言った。

 俺は、クリスを愛した者として。

 クリスは、俺を愛してくれた者として。

 俺たちは、この試練から何としても逃げるわけにはいかない。

 クリスもそれをわかっているのか、不安そうにしていた目をふっと真剣なものにして、俺に向き直って口を開いた。


「…わたしも、誠さんと一緒にいたいです。わたしの気持ちはそれだけで------そのためにアンネに認めてもらわなくちゃいけないのなら、わたしも誠さんと一緒に、アンネと向き合いたいです。確かに怖いけれど…どうなるかはわからないけれど…でも、あなたがいてくれたら、きっと大丈夫…そうも思うんです。だから------」


 自分で言っていることが途中から恥ずかしくなってきたのか、頬を真っ赤にするクリス。

 でも、いつもなら言葉にならないはずのその声色は、本当にしっかりしている。

「------ありがとう、クリス。…一緒に頑張ろう。」

 俺はそう言って、クリスを抱き寄せる。クリスも、俺にすべてを委ねるように、ぎゅっと俺を抱きしめ返してくれる。

 

「…あんたたち、天下の往来で一体全体何してんのよ…。」


 …え?

 聞き覚えのある声のした方を見ると、それぞれ箒とちりとりを持ったシャーリーとヴィクトリカが丸い目をして俺たちを見ている。

 …げ、しまった。

 一応人目につきにくい寮の裏手を選んだつもりだったのだが…そういえばここには寮の周りを掃除するための掃除道具置き場があることをすっかり忘れていた。しかもこの二人、今週の掃除当番だったのか。

「------ふ」

「…ふ?」

「ふにゃあああああああああああ!!」

 どがっ、とものすごい音がして、俺の体が宙を舞う。胸の中にいたはずのクリスが俺を思いっきりぶっ飛ばしたことに気がついた時には、目の前に地面が近づいてきていた。

 べしっ、と顔面から墜落する俺。

「ひゃあああ!!ま、誠さん、ごめんなさい、ごめんなさい~!!」

 クリスが駆け寄ってきて、土のついた俺の顔をハンカチで擦ってくれる。

「…えーと、とりあえずあたしたち、なんかかなりお邪魔虫だったみたいね。とりあえず今のは見なかったことにしとくわ。ほらヴィクトリカ、いつまで突っ立ってんのよ、早く行くわよ。」

「な、何!?シャーリー、お前はこの二人が何をしていたのか気にならないと言うのか!?クリスに誠よ、とにかく話してみよ!朝から一体何をしていたのか!?」

「い・い・か・ら、早く来なさい、この空気読めないポンコツ貴族娘!!」

「にゃ!?はーなーせー!!二人とも、後できっちりと説明してもらうぞ、覚えておれ------!!」

 わめきながらシャーリーに引きずられていくヴィクトリカ。

 …あの調子じゃ、確実に寮の中や学園でもわめき散らされるんだろうな。変な噂にならなきゃいいんだが…。

「…あぅ。」

 あぁ、クリスがまた顔を真っ赤にしてる。

「…ええと、とりあえず、今日のクリスマスパーティーだ。まずは思い切り楽しもう。話はそれからだ。」

 そう、今日のクリスマスパーティー。

 数日前から、俺とクリスは二人で回ろうと話し合って決めていた。事前に聞いたところによれば、パンツァーαの面々や重樹たちは、各々別行動になるらしい。

それに、クリスと俺には、クラスの出し物の手伝いは割り振られていない。…一応喫茶店をすることになっているうちのクラスなのだが、俺は準備段階で雑用やらお針子部隊長やら料理指導やら、とにかくいろいろやったということで、クリスは準備はともかくとして、接客やら何やらはやらせたら確実に大変なことになるからということで、それぞれの理由で暇を出されている。

「…ええと…はい、楽しいパーティーになったらいいな、と思います。」

 そう言ったクリスの顔はまだ赤いままだったけれど。

 …でも、俺に向けてくれるエメラルドの瞳は、俺との時間を本当に楽しみにしてくれていて。

 …よし、頑張ろう。

 今日一日、クリスと一緒に楽しむことができるように。

 クリスと一緒に、アンネに認めてもらえるように。

 クリスと一緒に、いつまでも幸せな時間を過ごしていけるように。


 俺はそう心の中で呟いて、隣に寄り添ってきたクリスの左手をしっかりと握りしめて、学園に向けて歩き出す。

 その足取りは、本当に軽くて。

 きっとどんな困難も乗り越えられる、そんな気がするものだった------


 クリスマスパーティーは、喧騒の中で始まった。

 …案の定、シャーリーとヴィクトリカが…というか朝の様子を見ると十中八九騒いだのは主にヴィクトリカだろうが、とにかくあの二人が朝の俺達を見たことを吹聴しまくったらしく、俺とクリスの関係は思いっきり学園全体に伝わってしまっていた。クラスでもクリス絡みなのにとんでもない大騒ぎだったし…まあ、そんな中俺は爆笑しながら背中をばしばしひっ叩いてくる重樹を除くクラスの野郎共に思いっきり睨まれることになったのだが。ええい、見世物じゃないぞ、俺とクリスは。

「…クリス、本当に大丈夫?」

 俺は隣にいて、右手で俺の左手をしっかり握るクリスに声をかけてみる。

 クリスはさっきまで、隣の席で顔を真っ赤にして机に突っ伏していた。今は多少は落ち着いていたが、その顔はまだかなり赤い。

 だが------

「…だ、大丈夫…です。…本当は大丈夫じゃないですけど…でも、それでも…わたしは誠さんと一緒にいたいです…。

 恥ずかしいって言い続けていたら…誠さんといつも一緒にいることはできなくなっちゃいます。それだけは…嫌ですから。それに…恥ずかしいけれど、手を繋いでいると、すぐ近くに誠さんがいるのを感じられて…安心できるんです。」

 ぷるぷる震えながら、そう言ってこちらを向くクリス。しかし、その目には確かに、自分の意思を込めた光があった。

 彼女にここまで頑張らせている以上、俺がすることはひとつ。

「…クリス、ちょっとごめんね。」

 俺は一度クリスの手を優しくほどき、今度はこちらから、互いの指が交差するように握り直す。

「ふぇっ…。」

 またまたびっくりするクリスに、俺はこちらもまた火照った顔で言った。

「…ほ、ほら、どうせ俺たち、もう学園中に知られちゃってるっぽいし…もう、関係を隠す必要なんてない…だろ?」

 …恋人繋ぎなんて恥ずかしいことを自分からした俺が緊張してどうするんだ。

「ええと…はい、そう…ですね。…恥ずかしいけれど…でも、嬉しいです…。」

 俺の左手を握るクリスは、恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、繋いだ手は決して離そうとはせず、そう言って微笑む。

 …よかった。

「ありがとう、クリス。そろそろ行こうか。」

「…はい。」

 俺たちは、頷きあって歩き出す。 

 …さて、まずはどこに行こうか。 

「クリス、どこか行きたいところはある?」

 俺が聞くと、クリスはこくんと頷いて言った。

「ええと…手芸部の部室…行きたいです。リゼットちゃんが、ぜひ来てほしいと言っていたので。」

「了解。行こう。」

 俺はそう言って、クリスの手を引いて、手芸部の部室に向かう。着いたときには、入り口前にはリゼットが待っていた。

「あ、クリスちゃん!鶴城君も来てくださったんですね。」

「お疲れ様、リゼット。調子はどう?」

 俺が聞いてみると、リゼットはにこりとして言う。

「今のところ、お二人が最初ですね。あ、せっかくなので、中にどうぞ。」

 そんなわけで、俺たちは遠慮なく、手芸部の部室に足を踏み入れた。

「うわぁ…これはまた…。」

 部室の中には、たくさんのぬいぐるみや編みぐるみ、それから洋服がところ狭しと並んでいる。

「こ、これ…全部手芸部で作ったの、リゼットちゃん?」

 クリスが驚いた顔をしてリゼットに聞くと、リゼットは「そうですよ。」と言ってから、はっとした顔をして続ける。

「そうです、忘れるところでした。クリスちゃん、ちょっとこっちに来てください。」

「ふぇ…?」

 クリスは言われるがままに、リゼットに手を引かれて、カーテンが引かれた奥へと消えていく。

「やっぱり。すごく似合っていますよ。」

「あ…かわいい…。」

「本当?よかったです。じゃあ、これを着たまま、鶴城君の前に出てみましょう。」

「ふぇ…!?り…リゼットちゃん…!お、お、押さないで…!」

 そんなやり取りの後、カーテンの向こうから出てきたクリスは------

 

 「…は…はぅぅ…。」

 

 見事な女の子サンタに変身していた。

 俺の周りにある様々な衣装は、肌の露出がそれなりにあるのであろうものも多い。だが、クリスの今着ているサンタ服は、服と同じ赤いケープを羽織ったり長めのスカートだったりという、露出を極力抑えたものだ。おそらく恥ずかしがりやのクリスに着せることを前提にリゼットが作ったのだろうが、それがクリスの魅力をしっかりと引き出すものになっていることを、俺はしっかりと理解できていた。

「クリス…本当に似合ってる。それに…すごく、綺麗で…。」

 俺はそんなことしか言えない。それほどまでに、クリスのサンタ姿は、可愛らしくて、綺麗で…そして、美しかった。

「…あ…ありがとう、ございます…。とても…嬉しいです。」

 クリスが、もじもじしながら言う。それを見て、リゼットが口を開いた。

「うふふ、鶴城君、彼氏冥利に尽きますね。」

 …リゼットまで。

 しかし、嫌な思いはない。…これが惚気というものなのだろうか。

 それから、リゼットも何やら妙なスイッチが入ったらしく、周りからいろんな衣装を持ち出して、わたわたするクリスをカーテンの向こうに押し込めては嬉々として着せ替え始める。

 そして、かわいいものセンサーが反応した、とかわけのわからないことを言って峰風先輩が突撃してくるまで、クリスのファッションショーは続いたのだった。

 


 制服に着替えて、文芸部の部室を出た後。

「そろそろお昼だね。クリス、お腹空いたりしてない?」

 俺は、隣で白いうさぎのぬいぐるみを抱いて頬を弛めているクリスに声をかけてみる。そのぬいぐるみは、先ほど文芸部の部室を出る前、リゼットがクリスにプレゼントしたものだ。一日早い誕生日プレゼントとして、前々から作っていたものらしい。…さすがはリゼット、抜かりはないようだ。

「あ…はい、ちょっとだけ空きました…。」

「OK。じゃあお昼にしよう。何か食べたいものはある?」

 俺はそう言って、クリスマスパーティーの栞を開く。…しかし、食べ物屋だけでも本当に多種多様というか。おにぎりやサンドイッチという簡単なものから、定番の焼きそばやたこ焼き、それに、うちのクラスの喫茶店みたいに意味のわからないくらい何でもありなところもある。それこそ、世界中の食べ物がチャンポンになっていると言って差し支えないレベルだ。…まあ、そりゃそうか、ヴァルキリーやオーディンがそれこそ世界中から集まってるのが、この社島なわけだし。

「あ…わたしは誠さんにお任せです。」

「そっか、うーん、どうしようかな…。」

 クリスは大丈夫と言ってくれるが、さすがに少し迷うな…。

 …だが、とりあえず海の軟体動物系はアウトだ。手芸部の部室に行く前、たこ焼きの出店の脇を通りかかった時、クリスが「タコさん…。」と小さく呟いてぷるぷる震えながら、通りすぎるまで俺の影に隠れていたのを、俺は見逃していなかったからだ。日本生まれの日本育ちである俺にとってなんともないものでも、ドイツ生まれのクリスにとっては、タコやイカなどはやはり食べるものではない…というか、そもそも食べられるものであるという認識はないのだろう。 

「…ドイツの食べ物がいいかも。」

 俺はクリスにそう言ってみる。

「ドイツの食べ物…ですか?」

 きょとんとするクリス。俺はそれを見て続ける。

 うん。そりゃまあ、クリスからすれば食べ慣れたものかもしれないし、クオリティだって学園祭程度のものだろうけど…でもさ、いつだったか、クリスが俺の故郷に興味を持ってくれたみたいに、俺もクリスが見てきたものを見てみたいから。その一歩として、というか。」

 俺が言い終わった瞬間。

「はいはいお二人さん、デート中のお昼をお探しで?」

 聞き覚えのある声に振り向くと、エプロンをしたシャーリーが俺たちを見て、やれやれという顔を向けてきていた。

「はぁ…あたしとヴィクトリカが今朝あんたたちがイチャイチャしてるところに居合わせちゃったことだとか、学園中にヴィクトリカがその時のあんたたちの様子を思いっきりばらしまくったのは申し訳ないとは思ったけど、むしろ開き直られるとはねぇ…。」

 シャーリーが言うと、クリスはまたぽふっ、と顔を赤くする。

「こらこらクリス、照れないの。誠がいいやつなのはあたしだってわかってるし、あんたたち、何だかんだでお似合いじゃない。おめでとうくらい言わせてよね。」

 …やっぱり、シャーリーはいいやつだ。

 彼女は、何だかんだ言いつつも、クリスのことをしっかり見てくれている人間の一人。

 クリスもそれをわかっているようで、

「…ありがとう、シャーリーちゃん。」

 もじもじしつつも、しっかりと笑顔で返すクリス。それを聞いて、シャーリーが口を開いた。

「…さて、今聞いた感じだと、お腹空いてるのよね?んで、そこの彼氏さんはドイツの食べ物をご所望と。じゃあ二人とも、今からうちのクラスにいらっしゃいな。うちはあんたたちのクラスほどではないけど、それなりに世界の軽食は集まってるし、ドイツの食べ物ならジャーマンポテトやカリーヴルストならあるわ。一応事前にアニヤに味見してもらって太鼓判をもらったから、再現度は高いはずよ。」

 …そういえば、準備の時にアニヤがなぜか他のクラスに行くことがかなり多かったな。あれって味見役ってことだったのか。

「シュペックカルトッフェルンに、カリーヴルスト…シャーリーちゃん、本当…?」

「クリス、その、シュペ…何だって…?」

 一応、自分でいろいろ作ることもあり、それなりに料理は知っているつもりだが、カリーヴルストに関しては聞いたことはあるが、シュペックカルトッフェルンなるものは聞いたことがない。目を輝かせるクリスに俺が聞くと。

「あ…はい、ええと、ドイツでは、ジャーマンポテトとは呼ばずに、シュペックカルトッフェルン、って言うんです。社島に来る前…ベルリンにいたころ、フィアお姉ちゃんやアンネとよく街中のお店で食べていて…懐かしいです…。」

 そう言って、目を細めるクリス。なるほど、ドイツ語ではジャーマンポテトとは言わないのか。

 しかし------


 (------ベルリンにいたころ。)


 …となると、フィアナさんから聞いている、中等進学校にいたころの話だろう。その時、クリスは親御さんからの難題に向き合い、辛い時期であったはずだ。

 ------目の前のクリスは、笑顔を絶やさない。

 さっき彼女は、「懐かしい」と言った。辛いことを経験してきた時期であるはずの思い出を、「懐かしい」と。

 きっと------当時のクリスにとって、フィアナさんやアンネと楽しく過ごすことのできる、そういった何気ない日常こそが幸せだったのだろう。

 …その中に、俺も加わりたい。

 クリスが幸せに思った、そんな何気ない日常を、俺も感じてみたい。

 俺は、クリスに言う。

「…クリス、シャーリーのクラス、行ってみようか。」

「…あ…は、はい!」

 嬉しそうなクリスを見て、俺はまた、よかった、と思う。

「よし、じゃあシャーリー、お願いしてもいいかな?」

「はいはい、毎度ありがとうございます、ってね。じゃ、二人ともついてらっしゃい。」

 そう言って、くるっと踵を返すシャーリー。それについていくように、俺たちは歩き出す。シャーリーたちのクラスに着いたとき、俺たちに気づいたらしいヴィクトリカが、こちらに向かって走ってきた。

「おお!二人とも、よく来たな。」

「やあ、ヴィクトリカ。頑張ってるみたいだね。」

「ふふん、貴族たる者、如何なる場面においても妥協など許されぬからな。」

 俺の言葉を受けて胸を張るヴィクトリカに、

「はぁ、よく言うわこの子は…準備の時はあれだけやりたくないだの他に任せるだの言って逃げ回ろうとしたくせに…。」

 シャーリーが、やれやれというように肩をすくめる。

「なっ…!?そ、それは断じて違うぞ!ただ私は他の者たちの仕事を取らぬためにだな…。」

「それを逃げてるって言うんでしょうが!むしろあんたが逃げ回るおかげで大変だったんだからね?クラスのみんなにはもう少しちゃんとあんたのこと見ておけって白い目で言われるし、あんたを追いかけ回すだけでも疲れるし、それより何より終わってない仕事はかなりの部分をあたしが持つことになるし!」

「ええと…あの…二人とも喧嘩しないで…。」

「あ…そ、そう!ヴィクトリカ、さっきシャーリーから、ドイツの食べ物もお客さんに出してるって聞いたんだけど…。」

 クリスと俺が二人の言い合いに割り込むと、シャーリーがはっとしてこちらに向き直る。

「あぁ…そうだったわ。悪かったわね。とりあえず、ちょっと待ってなさい。」

 そう言って、教室の中に消えていくシャーリー。彼女が戻ってきた時には、その手にはビニール袋がふたつ握られていた。

「はい、待たせたわね。ジャーマンポテトとカリーヴルストひとつずつ。さすがにその辺で歩きながら食べるものではないから、どこか座るところを見つけて食べなさい。あぁ、お代は心配しなくていいわよ。朝の迷惑料金と、それから二人へのおめでとうの気持ちと思ってもらえればいいわ。」

「…え、いいの?」

 俺はシャーリーに聞き返した。クリスも同じことを思っているらしく、驚いた顔でシャーリーを見る。

「もう、何度も言わせないの。それともあたしの気持ちは受け取れない?」

「あ…そ、そんなことないの…!あの…ありがとう、シャーリーちゃん。」

 シャーリーはクリスの言葉を聞いて、ふわっと笑顔を浮かべて言う。

「…はいはい、お熱いバカップルはもう行った行った。このまま目の前で『はい、あーん』とか始めるんじゃないわよ?暑苦しくてありゃしないんだから。」

「む、二人とも、もう行くのか?ではな。私も頑張らねば!」

「うん。じゃあ二人とも、またね。」

「ええと…シャーリーちゃん、ヴィクトリカちゃん…本当にありがとう。じゃあ、またね。」

 俺たちは二人にお礼を言って、シャーリーから袋を受け取り、その場を後にする。

 …さて、どこで食べようか。そう思ってクリスを見ると------

「………。」

 何やらまたもじもじしている。

「…クリス?」

「ひゃぅ…!あ…ええと…。」

 声がまたどんどん萎んでいくクリス。

「大丈夫?気分とか悪い…?」

「ええと、ええと…そうじゃなくて…。」

 クリスは、わたわたと両手を振り回しながら言う。

「…さっき、シャーリーちゃんが言ってたこと…ずっと気にしていて…その…やっぱり、恋人って、あーん、とか、するものなんですよね…?」

…なるほど。さっき、おそらくシャーリーは「目の前であーん、なんてするな」なんて言っていた。あれはシャーリーからすれば軽い気持ちで言ったんだろう。まさかここまで素直に深読みされるとはさすがに思ってもいるまい。だが、このままでは少なくともクリスは、とてもじゃないがお昼どころではなくなってしまうだろう。

 …よし。

「…クリス、俺の部屋、行こうか。」

「ふぇっ…!?」

 俺の言葉に、思いっきり固まるクリス。

「いや…まあ、変な意味じゃなくてね?ただ…みんなの前で食べるのも恥ずかしいっていうことなら、回りから茶々が入らないところで食べたらいいんじゃないかな、って。一応、寮ってそんなに遠くないし、クリスマスパーティー中に戻ったりしちゃいけないって言われてないし…だめかな?」

「あ…。」

 クリスも、俺の意図に気がついたみたいだった。

「…はい。わたし、誠さんと二人で、ご飯、食べたいです…。」

 俺の制服の袖をつまんで、小さな声で言うクリス。

 …よし、決まりだな。

 俺はクリスの手を取って、部屋に戻る道を歩いていく。鍵を開けてクリスを迎え入れると、

「………。」

 きょろきょろと、クリスが周りを見回す。

「ええと…いつも通りの部屋だと思うんだけど…。」

 …まずい、不安になってきた。クリスが俺の部屋を訪れたことははじめてではない。むしろ付き合いはじめてからは、何度もクリスは俺の部屋を訪れているのだが、ここまでいろんなところをきょろきょろするクリスははじめてだった。…何か汚れでもあったのかな…?

「…あ、ごめんなさい、そうじゃなくて…いつも、思うんです。わたし、誠さんの彼女さんになれたんだな、って。学園を一緒に抜け出せるのも、お部屋に入れてもらえるのも、わたしが彼女さんだからで…わたしみたいな子が、誠さんの特別な女の子になれたんだな、って…。」

 …そうか。

 俺は袋をテーブルに置いて、それからクリスをぎゅっと抱き寄せる。

「…クリスだから、特別なんだよ。」

 俺は、クリスの柔らかな体を、決して放すまいと抱きしめたまま言う。

「クリスの代わりなんて、どこにもいない…いるもんか。俺は、クリスだから好きになったんだ。特別だと思うんだ。みたいな、じゃない。クリスはクリスだ。」

「…はい。わかってます。わたしも…誠さんじゃなきゃ嫌です…。ずっと…一緒にいたいです…。」

 そう言って、俺の背中に両手を回して抱きしめ返してくるクリス。

 …本当に、俺は幸せだ。

 好きになった女の子に、ここまで思ってもらえるなんて。

「…とりあえず、食べようか。」  

「…はい。」

 俺たちはそれから多少時間をかけて、おいしいお昼ご飯を堪能した。

 …結局、シャーリーの思惑通りだったのかそうでないのか、双方恥ずかしがりながら食べさせあいっこまでしたのは、言うまでもない。


「…うーん、緊張するな…。」

「あ…あぅ、はい…。」

 クリスマスパーティーの場に戻った俺とクリスは、今度は飛鳥とエレーナのクラスにいた。

 二人のクラスの出し物は「占いの館」だそうで、何やら俺たちを見つけた飛鳥が、

「…マコトとクリス、見つけた。こっち来て。…来ないと、痛いよ?」

 …と、いつものように懐から何か銀色の鈍い光沢を放つ先が尖った物体を取り出さんとしているのを諌める傍ら、おとなしく言うことを聞いて教室に入った、というのが、事の顛末だった。…さすがに、懐に仕込んでいるであろうものを人前で取り出させるわけにはいかなかったからな。

「…そういえば、飛鳥、エレーナはどうしたの?」

 俺たちの目の前…魔法使いのような格好で、一人で黙々と水晶玉に向かう飛鳥に、俺は聞いてみる。

「…エレは、今いないよ。どこかに行っちゃった。…話し合いの時、占いでもやれば、って言って、この服を作ってくれたの、エレだったのに。」

 そう言って、飛鳥は少し寂しそうに俯くが、すぐに表情を柔らかく変えて続けた。

「…でもね。ちょっと寂しいけど、でもエレは、わたしのためにこの服を作ってくれた。だから---わたし、頑張るって決めたの。エレに『頑張ったね、偉いよ』って言ってもらえるように、頑張りたいって思ったの。」

「…なるほど。」

 俺が気づいたのは、飛鳥とエレーナは相変わらずだな、ということばかりでなく、二人とも最初と比べて、本当に印象が変わったな、ということだった。

 俺が社島に来たばかりの時は、何だかんだと世話焼きではあるが、基本的にはいつも一人でいて、自分の動きたいように動く。それが最初にエレーナに持った感想だったはずだ。飛鳥もそうだ。パンツァーαのメンバー…特にエレーナに甘えに甘えるばかりでなく、意見が通りそうにない時には明らかに危ない発想を持って自分の意見を通そうとしていた、そんな風に感じていたと思う。

 …確かに、二人ともその気質が完全に抜けてはいないことは確かだけれど。

 でも------ずっとαのメンバーと過ごしてきた感想として、エレーナは、飛鳥以外の誰かとも何かを一緒にするための術を模索することは多かったし、明らかに自分が間違った言動をしてしまったと判断すれば素直に謝る潔さもある。そして飛鳥も、エレーナがいない時に寂しがることはあれど、エレーナや俺たちを雁字搦めに拘束してまで一緒にいてほしいと言うなんてことはそれほど多くないし、もしもそれがあったとしても、そこにはどんなものであれきちんと理由があるために、迷惑なんて感じたことは一度もない。そして、意見が通りそうにない時も、まず話を聞いて相手の言い分が正しいと思った時にはそれに賛同することも少しずつ身につけていっている。

 …飛鳥がこの場に俺とクリスを連れてきたのにも、しっかりとした理由があるんだろう。さっき言っていたように…エレーナに、そして俺たちに、自分が頑張っている姿をたくさん見てほしい、そんな意志の表れなんだ。

「そうだ。飛鳥は頑張ってる。偉いよ。ね、クリス。」

「はい、わたしもそう思います。」

 俺とクリスが笑顔でそう言うと、飛鳥は心からの笑顔を俺たちに向けてくれる。

「…占いの結果、出た。」

 飛鳥が笑顔のまま、俺たちに告げた。


 ------マコト、クリス。二人は、きっと幸せになれるよ、と。

  


 それからまた数時間、俺とクリスはクリスマスパーティー回りに戻り、本当に楽しい時間を過ごして。

「…そろそろ、夕方だな。」

 クリスと一緒に屋上に来た俺は、スマホの時計を確認して呟く。

 …楽しい時間は、過ぎるのは早い。

 これから、他の学生たちは、後夜祭のために体育館に集まったり、寮に戻ったりと、各々の時間を過ごすことになるのだろう。

 …そんな中、俺たちはしなくてはならないことがある。

 俺たちは、今からアンネと向き合わなくてはならない。

 俺たちの関係を伝えるために。認めてもらうために。

「…っ…------。」

 隣にいるクリスは、俺の右手を左手でぎゅっと握り、深呼吸を繰り返している。無理もない。クリスはアンネと社島で再会して以来、アンネのことを尊重しすぎるあまり、普段はほとんど言葉を交わすことはなかったのだろうから。

「…クリス、大丈夫?」

 俺が声をかけると、クリスは一瞬びくっ、としたものの、こちらをしっかり見据えて、強い意思のこもった言葉で言う。

「…大丈夫です。…本当はすごく怖いけど…でも、今は一人じゃなくて…誠さんが一緒ですから。」

「そうか…。アンネ、来てくれるといいね。」

「はい。」

 俺たちは、またお互いの手をしっかりと握り合う。

 ------来てくれますように。

 そう祈ったとき。

 

 がちゃり、と、ドアが開く音がした。

 入ってきたのは、クリスと同じ金色の髪をサイドテールにした、落ち着いた雰囲気の一人の女の子---間違いない、アンネだ。


「アンネ------」

 

 クリスが、俺よりも先に口を開いた。

 こちらに気づいたらしいアンネは、「姉さん------」と、一瞬だけふわりと笑顔を見せ------しかし、隣にいる俺に気づくと、途端に表情を冷たいものに戻し、表情を変えることなく、俺たちの方に歩いてくる。

「------姉さん、この人と付き合い始めたって噂、本当だったのね。」

 …やっぱり、ヴィクトリカの撒き散らしてくれた噂…まあ、噂じゃなく単なる事実だけど、そのことはアンネにもしっかり浸透していたようだった。

「実は------」

「私は姉さんに聞いてるの。あなたには聞いてない。」

 間に入ろうとした俺の声を思い切りぶった切って、アンネはクリスに向き直る。

「…この人がどうして私にあんな置き手紙をしたのか、なんとなくわかったわ。察するに、私にその報告をしたかったから、ってこと?あれだけ噂になっておいて?」

「あ…アンネ、違うの。噂が飛び始めちゃったのは、誠さんがアンネにお手紙を出した後で------」

「それで開き直って、クリスマスパーティーを二人で回ってたのね。学園の中じゃだいぶ噂になっていたけど。」

「…開き直って、って…。」

 …やっぱり、だいぶ曲解した考えを持ってしまっているようだ。

 アンネは今度は俺の方に向き直り、俺を睨み付けて言った。

「…姉さんに何をするつもり?」

「え…。」

 ストレートな質問…いや、詰問に、俺は一瞬たじろいでしまう。

「何をするつもりなのか、って聞いているのよ。姉さんは素直だし、優しいし、それでいて騙されやすいんだから。」

「…うん、それは知ってるよ。」

 俺は一度一息ついて落ち着いてから、アンネに向き直って言う。

「クリスは------本当に優しいよね。そして、何か裏があって、その優しさに俺がつけこもうとしているんじゃないか、って君が邪推しちゃう気持ちも、よくわかる。

 でも…俺はそれでも言いたい。

 何のつもりか------それは、俺がクリスのことが本当に好きで、だからこそ、君に話さなきゃならないって思ったからなんだ、って。」

「…どういうことよ。」

 今度は、アンネが俺の言葉に反応する番だった。 

 俺は続ける。

「…いつだったか、フィアナさんから、君たちがドイツでどんな経験をしてきたのか、社島に来てからどんなことをしてきたのか…おおよそのことを教えてもらったんだ。…君たちがずっと辛い目に遭ってきて、君がクリスを守らなきゃ、って、強くなろうと頑張ってきたんだ、ってこと。」

「フィア姉さん…余計なことを。」

 俺の言葉を受けて、アンネはそう言って目をそらす。

「詮索するような真似をしてごめん、でも、それは俺が知るべきこと…いや、知らなくちゃいけないことだったんだ、って思ったんだ。君たちがどんな重石を背負ってきて、何が君たちをそうしてしまったのか、それに向き合うことができなければ、前には進めない…俺はクリスと一緒に生きることはできない…そう思ったから。」

「…聞いたから、向き合えていると思っているの?」

「それはわからない。俺がフィアナさんから聞いた話は本当に一部なんだろうし…それに、話を聞いたことで、君の考えはさらに頑なになっちゃったかもしれない…。でも、だからこそ、俺とクリスは君に向き合わなきゃならない…クリスの…俺の心から愛する人の唯一の家族に、しっかり関係を許してもらわなきゃならないんだ。」

 俺はそう言って、アンネに深く頭を下げる。

「…アンネ、クリスとの…君の姉さんとのお付き合いを…どうか認めてください。お願いします---」


「日本人って、そうすれば許してもらえると思ってるんだものね。」


 アンネが頭を下げる俺に対して、心にぐさりと突き刺さる言葉を投げかけてきた。

「許し?そんなことするわけがないじゃない。あなたじゃ姉さんを幸せになんかできない。私にはわかるもの。」

「え------」

 正直、ここまで断言されるとは思っていなかった俺は、呆然と立ち尽くすしかできない。

 アンネの言葉は続く。

「そもそも、あなたは姉さんのチームのオーディン、姉さんはあなたのチームのヴァルキリーなのよ。あなた------そのことを忘れてるんじゃない?

 考えてみたらどう?私たちヴァルキリーが戦っている裏で、あなたたちオーディンは何をしているのよ?ビフレストを繋いで力を与えてあげている?じゃあ、私たちが傷を負ったときの痛みは?実際に戦うことになったとしたら、敵のグングニルから飛んでくるのはここでのお遊びのような模擬戦で飛び交ってるゴム弾やペイント弾なんかじゃない。当たれば多少なりとも衝撃はあるし、普通の攻撃では破壊されないスヴェルが、格上のヴァルキリーによって破壊されることだってあるし、そして…あなたたちが後方でそうやって呑気にしている裏で、私たちヴァルキリーはそんな恐ろしい場所に身を晒すことになるのよ。ヴァルキリーとオーディンである以上、有事の時にそうなってしまうのは明らかでしょう?しかも姉さんはランク1のヴァルキリー…評判はともかく、才能は一級品以上なんだから、自分から攻撃はできないかもしれないけど、少なくとも普通のヴァルキリーの攻撃でスヴェルが破壊されることはないし、体へのダメージだって最小限で済む。なら------姉さんをただの盾として使おうとする人だっているんじゃないの?

 そのとき、あなたはどうするのよ?戦わせない、なんて選択肢は取れない。なぜなら、そこであなたが向き合わなくちゃならないのは、姉さんや私じゃない…姉さんを使い捨てようとする国や軍のお偉いさんや、利用価値があると考える連中なの。そして、あなたはビフレストを繋ぐオーディンとしての役目以外に、何の力も持っていない。そんなやつらにあなたは逆らえず、逆らえば力ずくで排除される…あなたは愛があればなんでもできると思っているみたいだけれど…そんなことばかり言って、現実をまったく見られていないじゃない。」

「それは------」

 俺は、言い返す言葉が思いつかない。

 アンネは------俺以上に、現実をしっかり見据えている。いや、現実だけではない。すべての可能性を見据えている。…いや、見据えすぎている。

 実際、アンネの言葉は、今もかなり深読みをし過ぎている部分はある。そのため、その通りになる保証はない。だが、その有事なるものが、絶対に起こらないという保証もない。

 そして、俺にオーディンとしての力以外に、何の力もないこともまた事実で。

 …アンネは、血のにじむ努力の末、何とかクリスを多少なりとも守れる力を手に入れたのだ。それゆえに、俺の考えなんてものは、やはりただの世迷言でしかない、ということなのだろう。

 …だが、俺だって、ここで退くわけにはいかない。

 ここで退けば、ずっとクリスを守ってきたアンネを、俺を愛してくれたクリスを、そして、クリスをずっと守り続けたいと思った自分自身を裏切ることになる。

「…なら、君たちの背負ってきたものを、俺にも、少しでも分けてほしい。二人でやっと持っていたものも、三人なら------」

「私たちの背負ってきたものを、他人が背負えるはずがないでしょう?」

 アンネが、食い下がろうとした俺の言葉に心底イライラしているとでも言うかのように、またもや話をぶった切った。

「何なのよあなた、認めないって言ってるんだから、素直に手を引けばいいのに。そこまでして姉さんが欲しいの?それとも、退くに退けない理由でもあるの?例えば------姉さんのお腹に、もうあなたの子供がいる、とか?」

「なっ…。」

「…へぇ、すぐ答えられないんだ。じゃあ、図星ってことでいい?」

 俺は、怒っていいのか、呆れていいのか、それとも弁解するべきなのか、その判断がつきかねていた。

 アンネの言葉は、本気でそう思っているのだとするならば、明らかに思い込みが激しすぎる。

 確かに、付き合うようになってから、部屋に呼んだり呼ばれたり、二人で一緒に遊びに行ったり、クリスが参加している島内のボランティアに一緒に参加したことはある。…しかし、さすがにまだそこまでのことは二人とも…というよりも、少なくとも俺は考えてはいないし、俺が行動を起こしたことも、クリスからそういった話や行動を起こされたこともない。

 …そりゃ、付き合い始めた以上、いつかクリスと家庭を持ちたい、と思ったことはあるし、その時に子供がいたら楽しいだろう、と妄想を膨らませたことが多少なりともないわけじゃない。それは認めるが…そもそも、今の俺たちはまだ学生、つまり育てられるべき側だ。まだまだなんでも自分で責任を取ることができるわけではない。

 確かに、社島にいる時の俺たちにかかる諸経費の多く------それこそ俺の場合は、本土の実家からお小遣いとして仕送りがあること以外は、学費だけでなく学食を使うときの食費や光熱費、その他社島で暮らせる程度の金額は国連が出してくれているわけだから、積極的に買い物をしたり遊びに行ったりしなければ、基本的に預金に手をつけることはほとんどない。ゆえにお小遣いの仕送りがなかったとしても大体のことはなんとかできるし、もしも急にお小遣いが必要になったとしても、島の中ではショッピングモールや各種施設などでアルバイトをすることもできるので、社会勉強ついでに臨時収入を得るくらいはできないわけではない。とはいえ、俺たちは学生であり、ましてやその費用の多くを国連に負担してもらっている以上、学園にはきちんと通わなくてはならない。学園に通いながら子育てをするなど到底不可能なのは、それこそ子供でもわかる理屈だ。

「…どうして、そんなことを言うんだ?君に俺がよく思ってもらえていないことは認めるよ…でも、挑発にしては冗談が過ぎるような気がするけど。」

 俺はできるだけ冷静にアンネに問う。アンネは冷ややかな顔を崩さずに、俺の問いに対して口を開く。

「挑発?そんなものだと思うの?私は大真面目に聞いているつもりなんだけど。何か後ろめたいことがあるから、あなたはそう思うしかなくて、それを隠したいから、私にそんな言葉しか返せないんでしょう?したならした、してないならしてない、はっきりそう言えばいいのに。」

「…なら、仮に君のいう通りに、したならした、してないならしてないと言ったとしたら?」

「したなら最低、してないなら嘘つきって言うだけだけど?」

 …ようやくわかった。

 アンネは、俺とクリスの交際を許す気は、どう答えたとしてもさらさらない。

「…じゃあ、どうして君は俺とクリスが恋人になることを許したくないのか教えてほしい。俺に何か至らない点があるなら、頑張って直せるように努力する。クリスを絶対一人にしないって約束する。だから------」


「------うるさい…!!」

 

 アンネが、少なくとも俺が聞いたこともない低い声で、吐き捨てるように言った。

「…さっきも言ったでしょ、何回も言わせないでよ。あなたじゃ姉さんを守れない。守る力もない。結局、いつか姉さんを一人にするしかない。それこそがあなたの至らない点なんだって、なんでわからないのよ!?」


「じゃあ------君なら絶対にクリスを守れるっていうの?一人ぼっちにしないって言えるの?」


 俺自身が、いつの間にかそんな言葉を口走っていたことに、俺はまったく気づいていなかった。

 俺の口から、俺の意思に関係なく、アンネに対する言葉が、少しずつ紡ぎだされていく。

「なら、どうしてクリスは今まで苦しい思いをしてきたの?君がクリスを守るために強くなろうと頑張っている裏で、クリスは君の影に隠れて、才能だけしか持ってないっていじめられて…もしかしたら、君との比較だって何度もされたのかもしれない…でも、自分が出ていったら君が苦しむだろうからって、頑張っている君の前にできる限り立たないようにして------君のお姉さんは、そんな苦しい思いをしてきたんだよ?

 …君だって、クリスを一人ぼっちにした人の一人じゃないか…!!」 


 ------もう、耐えられなかった。

 誰かの役に立ちたいと思ったのに、愛する女の子のために…そして、彼女が愛する家族のために頑張りたいと思ったのに、お前は役立たずだからやめろ、と言われることは、これほどまでに辛いことで。

 そして、それを言ってくる人間が、俺のことを信じたくないと言ってきて…信じてもらえないのが、悔しくて。

 そしてその人に、ただただ、人のことを言える立場か、と言いたくて仕方がなくて。

 最初は絞り出すようだった声が叫びに変わった時、俺は何も考えられないまま、いつだったか、クリスがいじめられているのはアンネの自作自演ではないのか、と一瞬でも疑おうとしてしまった時のように、アンネに対して自分の感情を止めることなく、ぶちまけていた。

「ま…誠さん…落ち着いてください…わたしは、大丈夫ですから…。アンネも、落ち着いて…喧嘩しちゃ、だめ…。」

 今まで黙っていたクリスが、おろおろとしながら俺とアンネの間に入ってくる。

「…何よ。」

 アンネのサファイアの瞳が、クリスを睨み付けて呟く。


「…結局、姉さんは私なんてどうでもいいんだ。その人の方が大切なんだ。

 いつもいつも、自分だけ他人にいい顔をしようとして、何を言われてもいつもへらへらしてて、先に行ったと思ったら、今度は空気を読んで目立たないようにして、実は隠れたところで恋人なんか作って、隠れてたと思ったら突然人前でイチャイチャし出して、そして今こうして私に二人で関係を認めろなんて言ってくる。姉さんは私がどんな思いだったのかも知らないで、いつもいつもいつもいつも、勝手にその状況を自分で作って勝手に喜んだり悲しんだりしていただけじゃない…!!」


 アンネの悲痛な声が、屋上に響き渡る。

「あ…アンネ、ごめんなさい…ごめんなさい…わたし、そんなつもりじゃなかったの…!!

 わたし、アンネが頑張ってるの、ずっと見てた…わたしのために頑張ってくれてるんだって、ずっと思ってたの…。でも、でも…わたしがいたら、ポンコツなわたしが側にいたら…きっとアンネの邪魔になるから、って------」

「言い訳なんて聞きたくない!!さっさとそこの男と一緒に私の前から消えてよ!!それで私みたいな鬱陶しい妹から解放されて、物語の主人公みたいに、王子様といつまでもいつまでも二人で幸せに暮らせばいいでしょ!?姉さんの馬鹿!!」

 泣きながらそう叫ぶと、アンネはくるっ、と踵を返し、屋上のドアを半ば体当たりして突き破るかのように開けて、一目散に階段を駆け下りていく。

「アンネ…!!」

 クリスはそう叫ぶと俺に向き直り、ぽろぽろと涙を流し始める。

「ま…誠…さん、ごめんなさい…わたしが、ちゃんとあの子とお話をしてたらーーーあの子の気持ち…嬉しいって、ずっと前からちゃんと伝えられていたら…ごめんなさい…誠さん、アンネ…ごめんなさい…ごめんなさい…。」

 とめどなく涙を流しながら、子供のように泣きじゃくるクリス。

「…クリスのせいじゃない。ごめん…元はといえば、俺のせいだ…。」

 涙を流すクリスに、多少落ち着いた俺は暗い顔で謝ることしかできない。

 俺は、クリスのことを、そしてアンネのことを、わかっている気になっていた…いや、わかろうと努力する気はあると言っておきながら、まったくわかろうとしていなかっただけだったのだろう。だからこそ、クリスとの関係を認めてもらえない悔しさを、そのまま声に出してしまった。それでアンネが…誰よりもクリスが悲しむとも知らずに。

 ------クリスを笑顔にするために努力する。そう言って、フィアナさんに約束したばかりだったのに。

「…謝らなきゃ。」

 クリスが、ぽつりと呟く。

「アンネに…きちんと謝らなきゃ…。許してもらえるかはわからないけど…でも、それでも、許してもらえるまで…謝り続けなきゃ…。」

 …クリスは、やっぱり優しくて、そして強い。

 あれだけのことを言われて、自分が傷ついていることは明らかなのに、それでも、自分の非をしっかりと認め、アンネと真正面から向き合おうとしているのだ。

「…クリス、俺も一緒に行く。」

 俺は、クリスに向き直って言う。

「でも、誠さん------」

 「いいんだ------」

 俺は、クリスのエメラルドの瞳をしっかり見据える。

 「クリスだけに、辛い思いはこれ以上させたくない。俺はクリスの恋人で、クリスは俺を好きと言ってくれて…

 俺がさっきアンネに言ったこと…クリスが背負っているものを、少しでも背負いたい、背負えるようになりたい、そのためにクリスと一緒にいたい…その言葉を、絶対に嘘にはしたくないんだ。」

 これもまた、俺の覚悟。

 アンネに認めてもらうために、俺がしなくてはならないこと。

 それは、アンネから信頼を勝ち取ること。

 そのためには、彼女に目の前で俺が言ったことを、俺から反故にするわけにはいかない。


「…わかりました。誠さん…わたしと一緒に、アンネにしっかりごめんなさいを言いに行きましょう。」


 クリスと俺は、どちらともなく手を繋ぎ合う。

 俺は、クリスのために。

 クリスは、俺のために。

 そして、俺たち二人は、俺たち二人の未来と、アンネのために。

 俺たちが繋いだその手が、俺たちの未来そのものになるように。

 俺たちはどちらともなくそう誓い合い、階段に向かって一直線に駆け出した------


※※※


(another view“Annemary”)


(------気に入らない…気に入らない…気に入らない!)

 階段を駆け下りながら、私は心の中でそう吐き捨て続けていた。

 あの鶴城 誠とかいう人の手紙に気づいたのは、今日の朝。

 下駄箱を開けたときに手紙を見つけたとき、私は正直「またか」と思った。

 ヴァルホルに来てから、かなりの頻度で手紙…というか、俗に言うラブレターが下駄箱に入っていたことがあるが、愛の告白がなぜ手紙でなくてはならないのか、面と向かって言えない人間に興味などないし、そもそもそんな時間もない。そう思う私は、そういった手紙は片端から読まずに廃棄していた。

 しかし、今回は今までの手紙とは違った。

 今までの手紙は、かわいい封筒に入れられたり、シールなどで封をされているものがほとんどだった。だが今回は、ただのノートの切れ端のようなもの。今までのものと比べても質素で、本当に読んでもらう気があるのかわからないような、そんな適当にもほどがあるもの。

 …しかし、私はなぜか、それを開いていた。

 今まで、手紙なんて捨てていたのに。見る気などなかったはずなのに。

 その決め手となったのは、その二つ折りにされたノートの切れ端に書いてあった文字。


「From Makoto Kakujyo to Annemary」


 今まで、手紙…しかも目につきやすいところに名前を自分で書くような人はいなかった。「下駄箱に入れている時点で明らかにラブレターなのだから読んでもらえるだろう、指定した場所に来てもらえるだろう」ということが前提のように、名前など書いていなかったのだ。

 しかし、この手紙には、きちんと名前が書いてある。それも…私が以前、思い切り横っ面を張り飛ばした人の名前。

 ------何の、つもりなの。

 そう思ったのも束の間、気がつけば、私はその手紙を開いていた。中には、英語でこんなことが書いてある。


「急にごめん。話したいことがあるから、学園祭の後夜祭の時、校舎の屋上に来てほしいんだ。

 どうして直接来ないんだ、って言われても仕方ないよね…でも、俺が直接君のところに行ったところで、君は多分相手にしてくれないだろうから。最初に会ったときも、思いっきり平手打ち食らっちゃったしね…。

 でも、俺はそれでも君と話したい。…というより、話さなきゃならない。

 話したいのは、クリス…君のお姉さんにも関係することだから、来てもらわなきゃすごく困るんだ。

 …じゃあ、また後で。待ってるから。


 鶴城 誠」

 

 姉さんのことですって…?

 その一言に、私は顔をしかめる。

 …まさかこの人は、姉さんの名前を利用して私を呼び出そうというのか。

 ------この卑怯者。

 そんな根性なら、私の取るべき行動はひとつだ。

 どんな目的かは知らないが、そんな挑発には乗らない。乗ってなどやるものか。

 そう思いながら教室に入ったとき。

 

「------ねぇねぇ、あの噂聞いた?誠先輩とクリス先輩が、寮の裏で抱き合ってた、って。」

「え、何それ何それ、本当!?」

「あ、あたしも聞いた!というか、寮でヴィクトリカ先輩が叫んでたのよねー。…もしかして、恋人同士、とか?」

「まあ、ローレライ先輩はルックスは神がかってるしね、鶴城先輩もかっこいいし、優しくて面倒見もいいみたいだし、案外お似合いかも?」

「「「「きゃ~♪」」」」

 

 ------え?

 クラスの女の子たちの声を聞いて、耳を疑った。

 私はすぐにその子たちを捕まえて、どういうことなのかを問い詰めた。どうやら、向こうは私から話しかけられるとは思っていなかったらしく(私から話しかけることなどほとんどないから仕方がないが)、途中途中しどろもどろになりながらも、知っている情報を教えてくれた。

 姉さんが、私に手紙を寄越した張本人と付き合い始めたのではないか、という噂のこと。

 姉さんのチーム…パンツァーαのメンバーの一人がそれを大声で拡散していたこともあり、信憑性が極めて高い情報であるらしいということ。

 …そして、時間が進むにつれ、その情報の信憑性とやらはどんどん高まっていった。


『二人が手芸部の部室に入っていった』

『二人が寮の方に向かった』

『二人が』『二人が』『二人が』


 …今日だけで、一体、何度『二人が』を聞いたことだろう。

 姉さんは本当に美人でなおかつ可愛らしいために、他の視線を一人占めしてしまうのはよくわかる。男の子たちに色目を使われたりもするし、姉さんの容姿に嫉妬する女の子たちも、姉さんがランク1ヴァルキリーの力を上手く扱えていないことを馬鹿にする輩からの視線もある。

 とにかく、そういった姉さんへの目線に多少腹は立つものの、それはある程度姉さんの際立った容姿や優しすぎる性格、そして嫉妬されても仕方がない才能に免じて大目に見ることができていた。

 …だが。

 今話題に上がっているのは、姉さんだけではない。

 鶴城 誠。

 姉さんのチーム------パンツァーαのオーディン。

 姉さんを------私の大好きな姉さんを、私の前から奪おうとする者。

 あの人は姉さんに対して、ろくな考えを抱いていない。

 姉さんは美人で、ランク1のヴァルキリーで------きっと、あの人はただ、姉さんのそのステータスが欲しいだけなのだ。そして、いざとなったときには、どうせ私たちの両親のように、姉さんをいじめる周りの人間たちのように、姉さんをゴミのように放り捨てようとするに決まっているのだ。

 ならば------あの男に、自分の傲慢さをわからせなくては。

 いいだろう。この挑発に乗ってやる。

 そう思った私は、言われた通りに屋上に向かった。

 屋上で彼から聞いた言葉は、姉さんとの交際を認めろだの、私たちの背負ってきたものを背負いたいだの、当然、夢物語にも綺麗事にもほどがあるものだった。その上、何を言っても諦める兆しがないから困る。本音なのか無自覚なのか、それともただ頭のネジが飛んでいるだけなのかは知らないが、とにかく、私にとっては本当に、話を聞いているだけで鬱陶しくて仕方がなかった。

 だからこそ、最後の最後で彼と私が言い合ったとき、姉さんがあの人と私の間に入ってきたのを見て、彼を姉さんが庇っているように見えた私は、姉さんに対してあんなことを言ってしまったのだ。姉さんは私なんてどうでもよくて、あの人の方が大切なのだろう、ならば勝手に幸せになればいい、などということを。

 そんなことはない、姉さんは誰よりも私のことを考えてくれる------わかっているはずなのに。

 思えば、あの時、姉さんは私だけに言ったわけではなかった。隣にいたあの人にも、落ち着いて、喧嘩はいけない、と言っていたはずだ。

 姉さんは誰にでも優しいけれど、甘い人じゃない。その場での善悪はしっかり理解し、判断できる人だ。私たちに向かってこぼした言葉は…妹である私と、恋人であるというあの人がぶつかってほしくない、その純粋な心から出たのであろうことは容易に想像がつく。

 …それゆえに、私はその場から逃げ出すしかなかった。

 姉さんが私を思っていてくれていること、私が姉さんを思っていること…それらをすべて、姉さんの手によって、そして私の手によって、ただの嘘にしてしまいたかったから。

 姉さんには私のことだけを理解してほしいのに、私たちの間に土足で踏み込み、いつの間にか姉さんの大切な人になっていたあの人を、許したくなかったから。

 先ほど、あの人から言われた言葉。それが、私の心に、ずっと楔として打ち込まれている。

 

『君だって、クリスを一人ぼっちにした人の一人じゃないか』

 

 ------仕方ないじゃない。

 姉さんは、自分で自分を守ろうなんてことはしない------底抜けに優しくて、自分を守ることで他人が傷つくことを------それこそ、自分を傷つけようとした人すらも傷つくことをよしとしない、そんな人なのだから。

 だから、私は力を求めたのだ。

 優しい姉さんを少しでも守れるように。弱いように見えて、実は誰よりも強い姉さんが、少しでも笑顔でいられるように。

 私は何も怖くない。他人が傷つくことも、自分が傷つくことも。

 …それなのにあの人は、私の努力を『姉さんを一人ぼっちにした原因』と言った。一生懸命にやってきた私の心を、そんな一言で切り捨てたのだ。

 …じゃあ、どうすればよかったのよ。

 それしかない私は、どうすればよかったのよ。

 

「------どうすれば、姉さんを幸せにできたっていうのよ…!?

 何もわかっていないくせに…赤の他人のくせに…勝手なこと言わないでよ!!」


 いつの間にか、パンツァーの学舎------その裏手にいた私は、頬を伝う涙をこらえることもできずに、そう叫んでいた。

 ------無力感が、私の心を埋めていく。

 あの人は、何かをしようともせず------いや、何かをしなくとも、姉さんを幸せにしようとしている。できると思っている。

 そんなことは、夢物語。

 そう、できるはずがないのだ------

 

 

「------あぁ、誰が泣きべそかいてるのかと思えば、ローレライ妹じゃないかい。」

 

 ずっと心がぐちゃぐちゃになっていた私は、それまで、後ろに立っていた人影に気づかなかった。

 ------ヴァネッサ・ゴルトライヒ。

 パンツァーΩのサブリーダーで、パンツァーの学舎にいるヴァルキリーの中でも一、二を争うと言われる戦闘狂。

「------。」

 私が睨み付けると、彼女はふん、と鼻を鳴らして私に言った。

「なんだい、その目は。あたしがあんたみたいな雑魚に声をかけてやるなんて、滅多にないことなんだ。もっと立場を考えるんだね。」 

「…別に、声をかけてほしいなんて言ってない。」

「はっ、相変わらず威勢だけはいっちょまえだね。どうせ、あんたの姉が男に引っかけられたとかいう噂で落ち込んでるんだろうが。」

 ------この人も、やっぱり知っていたのか。

「…あなたには、関係ないでしょ?」  

「そうだね、あたしには関係ない。ま、才能だけの腰抜けとあんたのような雑魚なんざ、端から眼中にはないけどさ。あたしとしちゃ、腰抜けは腰抜けらしく、雑魚は雑魚らしくしてりゃいいのさね。」

「…姉さんに対して、そんなこと言わないでよ。」

 私が低い声で言うと------彼女は一瞬きょとんとした後、さもおかしそうにお腹を抱えて笑いながら言う。

「何だって?姉さんにそんなこと言うな?笑わせるんじゃないよ!あたしは事実を言っただけだ。そもそも、ヴァルキリーの力は戦うための力だろう?それを使いたくないなんていう寝言を言っている時点で、あんたの姉は腰抜けなのさ!それなのに、いっちょまえに男なんかひっかけやがってねぇ。オーディンといちゃついたとしたって、自分が腰抜けであることには変わりないくせに。」  

「…っ------言うなって言ったでしょう!?」

 私の口が、解放のルーンを紡ぎ出す。


『Den Eid erfüllen』


 ルーンを唱えた瞬間、私の体を覆ったのは、私の力であるティーガーⅡのスヴェル------第二次大戦時代の旧ドイツ軍の軍服と、各所を守る厚い装甲、そして、姉さんとは逆------左腕を覆うガントレットのような装甲の上に取り付けられた、特徴的な曲線を描く砲塔と、そこに取りつけられたグングニル、アハト・アハト。

 私は、左腕の砲塔を、目の前にいる女傑へと向ける。

 本来なら、許可なしにスヴェルを纏うことは、規則で禁止されている。だが、姉さんを馬鹿にする目の前の彼女が許せない私は、そんなことはもはやどうでもよかった。

 私を見て、彼女がまたにやりと笑う。

「ふん、やる気かい?「誓いを果たす」ね…相変わらず、雑魚らしいルーンだ。そんなものは無駄だってこと、教えてやらなきゃならないようだねぇ!!」

「------黙れぇぇぇぇっ!!」

 私の怒りに応えるように、アハト・アハトが、轟音を響かせて火を噴いた------


※※※

 

「------!今の音は…!?」

 突然空気を重苦しく震わせた轟音に、俺とクリスは咄嗟に立ち止まる。

 …今の音は、明らかにグングニルの発砲音だ。だが、どうして?そもそも、ヴァルキリーがみだりにスヴェルを纏うのも、グングニルを発砲するのも、オーディンがビフレストを繋ぐことも許可されてはいない。だが、先ほど聞いた音は、いつかクリスが鞄を盗られた時、俺たちに向けられたものに似たもの…常識などどこかに置き忘れてこいとでもいうような、そんな現実を俺たちに突きつけるものだった。

「…まさか…まさか、今の音って…。」

 クリスが、震える唇から今にも消えそうな声を発する。

「…?クリス、どういうこと?」 

 俺が聞くと、クリスはこちらに向き直り、青ざめた表情をして呟いた。

「…今の音…聞き覚えがあって…多分、間違いないと思うんです。わたしと同じ、アハト・アハトの音…まさかアンネの…ティーガーⅡのグングニルじゃ…!!」

 ------何だって!?まさか、俺たちがあんなことを伝えたから、自暴自棄になってしまったとでもいうのか…!?

 俺が声を出せずにいると、クリスが一目散に、先ほど聞こえた音の方へと駆け出した。

「クリス!!」

 慌てて俺は後を追う。走るクリスの瞳からはまた涙が溢れ、口からは懺悔の言葉がとめどなく流れ出していく。

「アンネ…やめて…やめて…私がいけなかったの…あなたの気持ち…察してあげられなかったの…。でも…私には誠さんも大切で…大好きで------だから------だから!!」

 …とにかく、今はアンネの元に向かうのが先決だ。

 彼女が何をしているのかは、俺には想像がつかない。だが、言えることはひとつだけある。

 このままでは、俺はおろか、クリスも、彼女のかけがえのない妹であるアンネも、誰一人として幸せにはなれない。

 …そんなことは、俺は許さない。たとえ自分の引き起こしたことであったとしても、それを許してなるものか。

 そう思いながら、俺たちが音の聞こえた方向------学舎の裏手にたどり着いた時。


「------っ!!」


 クリスが、先ほどと比べてもさらに青ざめた表情をして、声にならない声を上げる。

 俺も、一瞬何が起こっているのかわからなかった。

 一人の女子生徒が、別の女子生徒を持ち上げている…いや、右手を高く掲げ、首を締めつけながらぶら下げている、と言ったほうが正しいだろう。

 そして------ぶら下がっているのは、さっきまで俺たちと話していた女子生徒の姿------アンネ。だが------その身に纏ったスヴェルは所々が大きく破れ、装甲が欠け、彼女の体から流れ出したであろう血によって真っ赤に染まっている。

「ーーーアンネ!!」

 クリスがそちらに向かって駆け出すと、アンネをぶら下げていた女子生徒------ヴァネッサ・ゴルトライヒ先輩が、俺たちに気づいたというようにこちらを向いた。

「------ん?あぁ、なるほどねぇ。喜びなよ雑魚が、あんたの尊敬するポンコツ姉さんが、助けに来てくれたみたいだ、よ!!」

 そう言って、ゴルトライヒ先輩はアンネの体をこちらに放り捨ててくる。どしゃっ、という嫌な音を立てて、アンネの体が固い土の地面に叩きつけられた。

「------ぐ、うっ…。」

 土の上でアンネが呻く。辛うじて息はあるようだが------しかし、ゴルトライヒ先輩は今、スヴェルを纏っているわけじゃない。まさか、俺たちがここに来る間という、そんな短時間で、スヴェルを纏ったアンネを文字通り力で圧倒したというのだろうか。

 いつだったか、フィアナさんがルイーゼとグラディスの二人を…格上を含めて手玉に取ったことがあったが、第二位ヴァルキリーであるゴルトライヒ先輩と、第五位ヴァルキリーであるアンネでは、本来ここまでの力の差が…スヴェルを纏わず、グングニルを撃たなくとも、これほどの違いが出てくるということなのか。確かに、ヴァルキリーはスヴェルを纏わない状態でも普通の人よりも高い身体能力を発揮する人はいるが…それでも、アンネとゴルトライヒ先輩のランクの違いや体格、基礎体力の違いだけでは到底想像できそうにないことを、今、目の前で見せられている。そんな考えが、俺の頭に浮かんできた。

「------アンネ…アンネ、しっかりして!!」

 クリスが泣きながら、ぐったりしたアンネの体を抱き起こす。

「------ぅ、ぐ…。」

 アンネが、クリスの声に対して、絞り出すような声を上げる。

「------ゴルトライヒ先輩、これは一体どういうことなんですか…!?」

 俺は目の前のゴルトライヒ先輩に向かって問いを投げかける。彼女はふん、と鼻を鳴らして話し出した。

「どういうこと、だって?先に武器を向けてきたのはどっちだと思ってるんだい?ローレライ姉、あたしは元はあんたに用があったわけなんだけれどね、その途中でちょうどあんたのその妹が遊んでほしそうだったから遊んでやった、それだけさね。まあ、スヴェルを纏わなくたって、最初の一撃を避けられりゃ、ざっとこんなもんだね。ティーガーⅠにティーガーⅡ…姉妹揃ってそんな力を宿しながら、才能のある姉はやる気なし、才能のない妹はただの雑魚…。どれだけあんたたちは名戦車の名を汚せば気が済むんだか。」

「遊んだ、って…そんな理由でここまでひどいことをする必要はないでしょう!?才能云々だって…。」

「負け犬の遠吠えほどうるさいものはない、って言ってるのさ。まったく、弱いくせしてキャンキャンと…いっそのこと、本当に黙らせちまおうかね?」

「や、やめて…やめて…ください…!」

 クリスが、震える全身でアンネを庇うようにしながら、涙が頬を伝っている顔だけをゴルトライヒ先輩に向ける。

「…ふん、ならローレライ、あんたがその雑魚を守りゃいいだろ?ほら、さっさとスヴェルを纏いなよ、砲に実弾を込めなよ、あたしを殺しなよ…あんたにゃそれだけの力があるんだろうが!」

 ゴルトライヒ先輩がクリスににやりとすると、クリスは激しく首を左右に振って言った。

「え…だ、だめ…!だって、わたしが実弾を使って戦ったら…そんなことしたら、もしかしたらヴァネッサさんが痛い思いを------」

 …そうだ。

 クリスのランクは最上位ヴァルキリー。そして、スヴェルの硬度やグングニルの威力は、個人差はあれどランクに比例するように大きくなっていき、自分より上位のヴァルキリーのスヴェルを破壊し、傷を負わせることは基本的にできない。できるとするなら、オーディンとのビフレスト接続によって、一時的に同じレベル以上までヴァルキリーのランクを引き上げることができたときや、格上でも通用する武装を使った時だけ。それは、ゴルトライヒ先輩だってわかっているはずだ。彼女の言葉が挑発で、クリスを本気にさせることを考えているとしたら、あまりにも無謀なこと。 

 しかし------


「------そういういい子ちゃんだから、あんたはムカつくって言ってんだよ!」


 ゴルトライヒ先輩が、クリスの言葉が心底気に入らないというように吐き捨てた。

「いいかい、あんたらに教えてやるよ。ヴァルキリーの力は兵器の力。兵器の力とは戦い、奪い、勝利するための力なんだよ。」

 ゴルトライヒ先輩は、今度は俺に向き直って言う。

「そこのオーディン…鶴城、って言ったかい?ロンメルから聞いたよ。あんたはヴァルキリーの力は守るための力にすればいいとか無理に戦う必要はないとか何とか、そんな寝ぼけたことをそのポンコツに吹き込んだらしいじゃないか。はっ、そんなものは今じゃアメリカの世話にならなきゃ国もまともに守れないような連中の偽善だよ。ったく、こんなやつのいる国とうちの国はかつて同盟を結んでたなんてね。」

「…だとしたら、何だって言うんですか。」

 俺が低い声で言うと、ゴルトライヒ先輩はまた挑発的に鼻を鳴らして続ける。

「守りたいなら、犠牲が必要なんだよ。戦わなきゃ守れるものも守れない。戦っても力がなければ守れない。見なよ、あんたの腕の中で伸びてるそいつだって、ただ単にあたしが強くてそいつが弱かったからこうなっただけ。摂理に乗っ取った結果なんだ。そしてね、人はこう気づくんだよ。力がある者は、戦って奪い取る方がよっぽど簡単で、力のない者は虐げられながら影に隠れて生きることが最も賢い生き方なんだってね。」

「------また…言ったわね…?」

 クリスの腕の中のアンネが、激痛をこらえながらゴルトライヒ先輩を睨み付ける。しかし、ゴルトライヒ先輩はそのアンネの姿を見て言った。

「だから、何度も言ってるだろ?

 ------雑魚を雑魚と言って、ポンコツをポンコツと言って、一体何が悪いんだ?ってね。

 ほら、ローレライ姉------本当に守りたいとか寝言を言うなら、その雑魚を守りたいなら…あんたの方があたしより強いってんなら、早くスヴェルを纏え------あたしと戦いな!!」

「------っ!!」

 アンネが声にならない叫びを上げた瞬間ーーーどこにそんな力が残っていたのか、それともクリスを思う気持ち故の意地なのか------アンネはクリスの腕を振りほどき、高みから見下ろすゴルトライヒ先輩の正面に立ちはだかった。

「------姉さんに…人は傷つけさせない…。」

 最後の力を振り絞るようにしながら、左腕の砲口をゴルトライヒ先輩に向けて持ち上げる。

 「…姉さんは、優しいままでいい…。傷つくのは…誰かを傷つけるのは…私だけでいい…!

 優しい姉さんを…私は守る------それが私の------私の役目なんだから------!!」

 その砲口から轟音が迸る刹那。


『Der Frieden wird nur vom Schwert bewacht』


 ゴルトライヒ先輩の口が、何かの言葉を紡いだとき。


「--------!!」


 聞いたこともない凄まじい轟音と、同時に起こった凄まじい衝撃。それらが轟いた瞬間、アンネが纏っていたスヴェルの装甲が、今度こそ粉々に砕け散る。吹き飛ばされたアンネは受け身も取ることができず、そのまま再び地面へと叩きつけられた。

「------あ…ぁ…う、ぁ------」

 何が起こったのかわからないと言うような声を上げて、痙攣を繰り返すアンネ。その体がさっきまで立っていたはずの場所は、クレーターのように、見たこともない規模で地面が抉り取られている。

 ゴルトライヒ先輩の右肩に、地面に届きそうな長さの巨大な砲身が見える。あの轟音と衝撃は、一瞬でスヴェルを纏ったゴルトライヒ先輩が、アンネが発砲しようとする刹那、あの巨大な砲身を片手で支え、ゴム弾でもペイント弾でもない、本物の砲弾を撃ち出したことによって起こったものなのだということは容易に想像がつくものだった。

「ゴルトライヒ先輩------あなたは…。」

 驚きを隠せず、俺はゴルトライヒ先輩に問う。すると、隣にいたクリスが、震える声で呟いた。

 

「------これが…これが、ヴァネッサさんのヴァルキリーとしての力…超重戦車『マウス』の…!!」

 

 …軍隊や兵器に疎い俺も、その名前は聞いたことのあるものだった。

 Ⅷ号戦車------通称『マウス』。

 ナチス・ドイツが、独ソ戦における決戦兵器として開発したという、巨大な試作超重戦車。

 この人は------ただでさえ第二位ヴァルキリーという強大な力の持ち主であるというのに、そんな化け物じみた戦車の力を宿していたというのか…!?

 虚ろな視線を虚空に漂わせるアンネを、いつの間にかその傍らに立ったゴルトライヒ先輩が、まるで虫けらのように踏みつける。

「…ふん、わかったかい?威勢だけじゃ何もできないってことをさ。」

「----------。」

 何度も何度も、ゴルトライヒ先輩の踵が、虚ろな瞳をしてぐったりと倒れたアンネの鳩尾へと叩き込まれる。しかし、倒れたアンネはそれを防ぐことも避けることもできない。唸りを上げて踵が突き刺さる度、どこかのタイミングで口の中が傷ついたか、あるいは肺腑から逆流したのであろう血を口の端から流しながら、二度、三度と痙攣を繰り返すだけ。

「ヴァネッサさん…やめて…やめて…!アンネが…これ以上したら…本当に死んじゃう…!!」

 クリスがゴルトライヒ先輩の前に跪き、泣きながら彼女に乞う。しかし--------

「さっきも言っただろう、あんたの力で、こいつを助け出せ、ってさ。あんたが戦わないから、こいつがこれだけやられてるんだ、ってことに、さっさと気づきなよ。」

「違うの…私は誰も傷ついてほしくないの…アンネも…あなたも…誰一人として傷ついてほしくない…傷つけたくないの…!!」

 クリスの叫びに、またゴルトライヒ先輩が眉間に皺を寄せる。

「--------なら、あんたが消えな。最上位ヴァルキリーだろうが、スヴェルを着てなきゃ怪我くらいはするだろう。それで姉妹仲良くあの世に行きゃ、それこそ幸せだろうよ!」

 そう言って、ゴルトライヒ先輩はあの砲口を、今度はクリスの方に向ける---まずい、クリスが…!


 「-------クリスーーーーーーーーーーーーーー!!」


 砲口から、再び轟音が轟いた瞬間。

 俺はとっさに、クリスの華奢な体を思い切り突き飛ばしていた。

 直後に、足元で起こった大爆発。

 爆風に吹き飛ばされたことに気づいたとき…俺の意識は、暗い闇の底へと落ちていった------


※※※


(another view “Christina”)

 

 ------一瞬、わたしには何が起こったのかわからなかった。

 目の前で爆風に吹き飛ばされた、わたしの恋人------誠さん。

 どうやら直撃は避けていたようだが、彼はぴくりとも動かない。地面へと叩きつけられた彼を見て、わたしはへたりこむしかなかった。

 ------傷ついてしまった。

 アンネが。

 誠さんが。

 わたしが戦わなかったから。 

 わたしが戦うことを怖れたから。

 そうだ。ヴァネッサさんの言う通りだ。

 ------わたしの、せいだ。

 わたしのせいで、また誰かが傷ついた。

 わたしのせいで------わたしのせいで!!

 

 「------っ、ぅ…!!」

 

 瞬間、頭を何か固いもので横殴りにされたような、凄まじい激痛がわたしを襲う。

 

 『------そう。あなたが戦わなかったから、大切な人が傷ついたの。』


 頭の中から、声が聞こえる。

 ------わたしにそっくりな声。

 私が、何かを知っている。

 何を? 

 その声が、また語りかけてくる。

 

『------教えてあげる。あなたの汚点を。あなたの力不足を。

 

 あなたの、覚えていないはずの記憶を。』


 脳内に、何かの映像が映し出される。


『------総統閣下、こちらが設計、試作されたⅥ号、通称『ティーガー』であります。右側の一両のみ、試験的に設計図そのものの砲塔を採用しておりますが、左側の車両においては、それを独自に改良しております。』

『------おお、素晴らしい戦車だ。これさえあれば、フランスやソ連、イギリス、そしてアメリカであれども我がドイツを止めることはできん。そうだな?』

『はっ、その通りであります。必ずや、我らがドイツに仇なす連中を見事に打ち破ってご覧に入れましょう。』

『よし。すぐにⅥ号の量産体制に入れ。我らが電撃作戦における要となるものだ。よろしく頼むぞ。』

『はっ、総統閣下!!』


 ------わたしは、この光景を知っている。

 なぜなら、「わたしは、この光景を見ていたから」。

 わたし------先ほど「試験的車両」と言われた戦車の目の前に立った、二人の男。

 一人は技術者のような出で立ち。そして、もう一人。総統閣下と呼ばれていた男------アドルフ・ヒトラー。

 脳内の映像が切り替わる。

 

『ーーー諸君、我が軍の破竹の勢い足るや、まさに電撃の如くである。

 西はフランス、パリを陥れた。次は東------そう、ソ連、モスクワである。モスクワを陥れれば、この戦いは勝利に大きく近づくものである。

 兵士たちよ、その力を以て、如何なる敵も蹴散らせ!!それが戦いに勝利する、大いなる一歩である!!

 

 ベルリンにおわす総統閣下に、敬礼!Hile Hitlar!』


『------Hile Hitler!!!!!』

 

 …この光景も見覚えがある。

 これは------わたしに力を与えている戦車------ティーガーの記憶。

 独ソ戦-----その中でドイツが実施した、ソビエト連邦への侵攻作戦。その出撃前の、部隊司令官の兵士たちへの激励だ。

 -----ドイツがソ連と結んでいたはずの不可侵条約。それを一方的に破棄することになったこの作戦が、シベリアの大寒波に敗れ去る片道切符の作戦であると、一体この時は誰が思ったことだろう。


 また、画面が切り替わる。

 ------すべてが、白い。

 足元を見ると。

『------寒い…。』 

『腕が…体が…動か…ない…。』

『腹が減った…食べ物…食べ物は…何でもいい、缶詰めでも、パンの欠片でも…何か…何か…。』

『嫌だ…まだ…まだ死にたくない…父さん…母さん…。』

 わたしは、目を疑う。

 食料も冬服も満足に持たず、ソ連軍の焦土作戦によって補給線は延びきり、そして冬将軍が引き起こした極寒によって体の各所に凍傷を起こし、モスクワを目前にして苦しみもがいて倒れていく、ドイツ軍の兵士たち。寒さと空腹を少しでも和らげようと、倒れた戦友の屍から追い剥ぎをし始める者もいる。

 ------地獄とは、目の前の光景のようなものなのだろうか。


『------すまない…約束を…果たせず…すまない…。私も…もう…。』


 わたしの中から聞こえるのは、一人の男の人の声。

 …この人も覚えがある。車長として、わたしを操縦していた人や、砲塔に砲弾を装填していた人に指示を出し続けていた将校だったはずだ。

 彼は、約束を果たせないと言った。

 約束。それは何?

 それを聞く前に、わたしの中から音が消える。

 最後まで残っていた彼すらも力尽き、吹雪の中で立ち尽くしていたわたしの側に、ソ連軍の軍服を着た数人…一人は将校のようだった------が立っている。

『…見つけました、ドイツ軍の戦車…イギリスから情報が流れてきたものです。しかも、他のものとは違って、まだ動くようですよ!』

『よし、この戦車を鹵獲するぞ。』

『了解------しかし、ドイツ軍は、恐ろしい戦車を作ったものですね…。』

『まったくだな。イギリスから流されてきたカタログスペックは確認したが、おそらく今の段階では、我が国にこいつに匹敵する戦車はほぼないだろう。

 …だが、使いようはある。

 ドイツに侵攻した暁には------鹵獲したこいつを使ってドイツを火の海にしてやろうではないか。』

 

 ------!!

 ドイツが。

 わたしの生まれ故郷が。 

 他の誰でもない、わたしによって、焼かれてしまうということなのか。

 そして------

 

『ソ連軍の侵攻だ!!早く、早く逃げるんだ!!』

『おい…あれ見ろ…!ドイツの戦車じゃないか…!なんでソ連軍と一緒に侵攻してくるんだよ!?』

『つべこべ言ってる場合じゃない、逃げろ、逃げるんだ!早く!』


 ------そう。

 ソ連軍に回収された後、わたしは------わたしに力を与えているティーガーIは、あろうことか、独ソ戦の最終局面------ベルリンへの侵攻作戦に参加させられたのだ。

 男の人を砲弾で弾き飛ばさせられた。

 女の人をはね飛ばさせられた。

 子供たちを踏み潰させられた。

 わたしの意思に関係なく。

 次々にわたしが殺めた人たちの血が飛び散り、その一部がわたしの体…ティーガーの装甲をどす黒い赤に染める。

 やめて。

 わたしに------わたしに、わたしの愛するドイツを、そこに住む罪のない人々を殺させないで…!!

 そう思って目をつぶるわたし。だが、わたしを操縦するソ連軍の兵士たちには、そんな声など届くはずもない。

 また、わたしの砲が火を噴いた。唸りを上げて煉瓦造りの建物に突き刺さった砲弾は、ドイツ軍の兵士数人と、彼らが避難させようとしていたのであろう民間人十数人を一度に巻き込んで爆発する。

 ------そこは、わたしの知っている場所。

 どこかの軍需工場で作られ、眠り続けていたわたしがはじめて、誰かの声を聞いた場所。

 瓦礫の中から命からがら飛び出してきた男------ヒトラーにわたしをプレゼンしていたあの技術士官に、今度は機銃掃射が襲いかかる。わたしに取り付けられた機関銃から立て続けに撃ち出された銃弾によって蜂の巣にされた彼は、声を上げることも抵抗することもできず、全身から血を吹き出して事切れた。

 ------嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!!

 どうしてこんなことをするの?

 どうしてわたしに人を傷つけさせるの!?

 もう、何も考えたくない。

 そう思うわたしを嘲笑うかのように、わたしの中で砲手を務めているソ連兵が、ひきつった顔を浮かべて、大きく声を上げた。

 

『今まで、散々俺たちの国を好き勝手にしやがって…死んだ家族の痛み…友人たちの痛み…お前らの兵器で思い知れぇぇっ!!』


 -----------!!

 わたしは悟った。

 わたしは------わたしの力の源…ティーガーIは、戦いに勝つこと、ただそのために作られ、そしてわたしたちもまた、今わたしを操縦して祖国を蹂躙している彼らのように、人を傷つけて回っていたのだということを。


「----------ヒトラーが死んだ、魔王ヒトラーが…ヒトラーが死んだぞ!!」


 ------白旗が上がり、ソ連兵たちの歓喜の声と共に、ハーケンクロイツが破り捨てられ、紅蓮の炎に包まれていく。

 ----------守れなかった。

 わたしは、過去においても、何も守ることはできなかった。

 それどころか---------わたしは終始、誰かから奪い取ることしかできなかった。

 この地獄を作り出した者、わたしは確かに、その一人になってしまっていたのだ------

 

『ね、わかったでしょう?』

 再び、わたしにそっくりな声が語りかけてくる。

『あなたは、戦わなくては守れないことを知っている。力がなければ守れないことも知っている。それは、あなたが兵器として生まれたから。力ある者として生まれたから。なのに、あなたは今、戦う力を使うことを躊躇した。だから誰かが傷ついた。あの時と同じように、あなたが傷つけたのよ?』

 --------違う。

 わたしは、誰かが傷つくのは嫌で。

 だから、力を使いたくなくて。

 わたしは悪くない------わたしのせいじゃない!!

『現実を見た方がいいわ。あなたは兵器。傷つけることしかできない兵器。傷つけたくないなんて、そんな綺麗事はそもそも言えない、言ってはいけないものなのだから。』

 ------わたしは、どうすればいいの。

 その疑問に、わたしそっくりの声が答えた。


『------簡単よ。ぜーんぶ、食べちゃえばいいの。』

 

 ------食べる?

 何を。

 どうして。 

 困惑するわたしに、また声が語りかけてくる。

『あなたは兵器。そして兵器の力は人を殺す力。どこかの誰かを殺し、どこかの国を滅ぼすことで、祖国を生き長らえさせる力。…ね、食べることで命を繋ぐ、それとまったく同じ。

 ------わかったら、その本能のままに喰らいなさい。ほら…喰らいなさいってば…喰らえ…喰らえ!!』

 喰らえ、という言葉と共に、わたしの心の中に、どす黒い感情が沸き出してくる。

 何かが------目覚める。

 嫌だ。

 起きてこないで。

 やめて------やめて!!


 ------タベタイ------

 ------オナカスイタ------

 ワタシハ------タベタイ。

 オーディン------タベタイヨ。


「------あ…あぁ…あああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 咄嗟に叫んだわたしの意志が、黒に塗りつぶされていく。

 助けて。

 誰か、助けて。

 誰か、誰か、誰か------


 (「誠…さん------」)


 わたしはもがくことも声を出すこともできないまま、漆黒の中へと沈んでいくしかなかった------

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