第1章『戦乙女の住まう島』
「…もうすぐ、か。」
海風に髪や服を揺らし、スマホの時計を確認しながら、俺------鶴城 誠は呟いていた。
ここは本州と目的地を結ぶ連絡船の甲板。四方には太平洋が広がり、水平線の先には、海と同じ色をした空が、壁のようにそびえ立っている。ただ、その壁は閉鎖的なものではなく、むしろ解放感を与えてくれるものだ。
かなり厳しい審査や本人確認を経て、連絡船に乗り込んでからおよそ半日。
「まさか、DNA鑑定までするとは思わなかったもんなぁ…。」
言って、俺は苦笑する。
しかし、そりゃ当然だと思う俺もいた。
------ここにいる以上、どこかの別人を間違って連れてきてしまった、などということがあれば目も当てられないのだろうから。
目の前には、ひとつの島が、だんだん近づいてきている。
伊豆諸島の島々から、さらに本土から離れたところに作られた人工島------社島。
ここに来ることが、俺がここにいる理由なのだから。
『------ご案内いたします。間もなく、社島に到着いたします。ドックへの進入の際、少々揺れることがございますので、ご了承いただけますよう、お願いいたします。』
アナウンスが流れる。
俺は甲板から中に戻るべく踵を返し、心の中で呟く。
いよいよ、俺の新しい生活がはじまるのだ、と。
「あ、いたいた!マコ、こっちだよ!」
船から降りた直後、聞き覚えのある声を聞いた俺は、声のした方向へと振り向く。
ドックで待っていてくれると言っていた親戚のお姉さん…白鷺 珀亜さんが、こちらにおいでおいで、と手を振ってきているのを見て、俺はそちらへと足を向けた。
「珀亜さん、お久しぶりです…あ、もしかして、ここじゃ白鷺先生、って言った方がいいですかね…?それとも、白鷺一等陸佐、の方が…?」
珀亜さんはそれを聞いて、いつものように笑顔を向けてきて言う。
「あぁ、今はやめといて。先生呼ばわりや階級呼ばわりは学園や自衛隊の中だけで充分さ。まあ、あたしもあんたのことは親戚だーって触れ回ってるんだけどね。」
「…俺、そんないろんな噂が立ちそうなとこにこれから行くんですか…?」
「安心しなよ、さすがにあんたの黒歴史のこととかは話してないから。なんだったかな、幼稚園くらいのときの将来の夢は------」
「だめーーーーーーーっ!!言っちゃだめですってば!!何しれっとやばいことカミングアウトしようとしてるんですか!?てかその言い方だと他のことはばっちり喋ってるんですよね!?」
俺の叫びに、珀亜さんはからからと笑う。
…とりあえず、珀亜さんが俺の知ってる人のままで安心したような気がする。社島にある学園施設---これから俺も通うことになる学舎の先生を、本職の自衛官との二足のわらじで努めることになったと聞いた時、俺は、一体珀亜さんはこれからどう変わっていくんだろう、と思ったものだった。もちろん、普通に電話とかで話してはいたし、それで何が変わっていったわけでもなかったから、さすがにその考えは杞憂だったわけなのだが。
「…さてと、まあ、ここで立ち話もなんだ。まずは寮まで行くことからだね。ついておいで。」
言って、珀亜さんは俺の荷物のひとつを軽々と抱えあげた。
「あ…そんな、珀亜さんに荷物をもってもらうなんて…一応先生と生徒になるわけですし…。」
心配になる俺に、珀亜さんはまたにこっと笑って言う。
「だから、今のあんたはあたしにとってはただの親戚の弟分だって言ったろ?長旅疲れたろうしね。このくらいさせておくれよ。それに、『ヴァルキリー』であることを差し引いたって、今のあたしの腕力はあんたより上さ。伊達に学園の先生と自衛隊とを兼務して鍛えてるわけじゃないんだよ?」
「…わかりました、じゃ、すみません、お願いします。」
「素直でよろしい。じゃあ行くよ。」
珀亜さんはそう言って歩き出す。その後を追って、俺は前へと踏み出した。
「はい、到着。ここがあんたの部屋さ。」
鍵を渡され、扉をくぐった瞬間、俺は驚きに声を上げた。
「こ、これ、ほんとに個室なんですか!?」
話は聞いてはいたものの、真新しい白い壁に囲まれたその部屋は、まずとにかく広い。お風呂もお手洗いも別な上に、簡易ではあるがキッチンもある。その上かなり大きな冷蔵庫やらコンロやらの調理器具一式だけでなく、テレビなんかも普通に備え付けで置いてある。ベッドも新品、かつこれまた大きい。普通のアパート暮らしどころか、下手をすればその辺の一般家庭すらも超越した部屋になってるんじゃないか、これ?
「まあ、いろんなニーズに配慮した結果さ。お風呂なんかは大浴場も一応男女別にあるけど、やっぱり備え付けのものがあった方がいいだろうってね。キッチンなんかは、マコは自分でも料理はするだろう?基本的に朝昼夜と食堂は開いてるから使うときは限られるとは思うけど、開いてない時間に小腹が空いたり何か自分で食べたいと思ったときに使うといいさ。」
「…さすが、国連がバックにいる学園ですね…。」
あっけらかんと言う珀亜さんに、俺はなんとかそう返す。
俺がこれから通うことになる学舎、『ヴァルホル国際平和学園』は、国連安保理の主導の元で作られた教育機関だ。国連が平和を学ぶ若者のために創設した教育機関は今となっては世界中にあるけれど、ヴァルホルの本質はそれらとは大きく異なる。
この学園は、平和を学ぶだけでなく、ある特殊な資質を持った者たちのための学園なのだ。
特殊な資質を持った者たち…古今東西の強力な兵器の力をその身に宿した女性------通称『ヴァルキリー』と、彼女たちに力を与えることのできる遺伝子を持つ男性------通称『オーディン』、それらの保護及び教育というのが、ヴァルホル国際平和学園の主なミッションだという。ヴァルキリーとオーディンは、単純に軍に組み込まれればそれだけで軍事力の強化を推し進められるものの、人であることは変わらないために、当然、人権は尊重されなくてはならない。なおかつ強力な力を持つがゆえに、国連加盟国間においては過度な軍事利用を禁じられ、戦力として組み込むとすれば専守防衛に限った予備戦力として組み込まれることが国際法で決まっているが、国際法に縛られる必要のない国連加盟国でない国やテロリストにその力が悪用されないとは限らない。そこで、彼らの存在を逐一把握し、人権を保護し、力をよりよく使うための術を学ばせる、という理念の元で、憲法第9条で平和主義を掲げる日本の国土の中にこの学園が創設されたのだそうだ。社島そのものも、この学園を作る際にわざわざ新しく伊豆諸島近海に作られた人工島であるために、改めてその規模の大きさがわかる気がする。
…そう、俺が社島に呼ばれた理由とは、俺がオーディンの資質を持つ証…『グレイプニル遺伝子』と呼ばれる、特殊な塩基配列を持つ遺伝子を持つものであるためだった。
「あ、一応防音設備もしっかりしてるから、ヴァルキリーの子と仲良くなったら連れ込んで朝までイチャコラしても全然大丈夫だからね。」
「ぶふっ!?」
強烈なボディブロー的発言をぶちこまれた俺は、思わず吹き出してしまう。
「いや、何言ってるんですか教員のくせに!?」
「いやぁ、学園の方針は知らないけどね、あたし個人は若人たちの恋路を邪魔するほど野暮じゃないってことさ。あんたもオーディンになるんだからね。…うん、あんたに任せることになるヴァルキリーの子達は…まあ癖が強いというか、いろいろと変わり者揃いではあるけど、いい子達ばかりだからね。あたしが言うのもなんだけどね、仲良くしてやってよ。」
そう言って、少し遠くを見る珀亜さん。
「…って、もう俺がどのヴァルキリーのオーディンになるか、決まってるんですか?」
いきなりそんなことを言われた俺は、少し面食らう。それを見て、珀亜さんは言った。
「ああ、決まってるよ。あたしが見てる、『パンツァー』の一チームだね。」
ヴァルキリーは、宿している兵器の種類によって、その呼ばれかたが変わる。
陸上兵器…主に戦車や砲台などの力を宿す『ヴァルキリーパンツァー』。
航空兵器…戦闘機やヘリなどの力を宿す『ヴァルキリーエール』。
海上兵器…戦艦や空母、潜水艦などの力を宿す『ヴァルキリーオーシャン』。
…まあ、珀亜さんが戦車…それも日本の陸上自衛隊の誇る10式戦車の力を宿しているヴァルキリーなわけだから、そりゃパンツァーのところに入れられることはなんとなくわかっていたけれど…でも、いきなりチームのオーディンになれ、と言われても、どうすればいいのかわからない。
そんな俺の気持ちに気づいたんだろう。珀亜さんが、俺の肩をぽんと叩いて言う。
「なぁに、マコなら大丈夫。さっきも言ったけど、あの子達はいい子達だ。それに、マコがどんなやつなのか、それはあたしが一番知ってるからね。あんたたちなら、きっとすぐ仲良くなれるさ。」
「…珀亜さんと、秀真さんみたいに、ですか。」
今日、仕事の関係で来られなかったらしい、俺にとっては優しいお兄さんのような存在である人のことを考えながら、俺は聞く。
ヴァルキリーにオーディンがどうして必要なのか。それは、オーディンの持つ『グレイプニル遺伝子』が、『ビフレスト』と呼ばれるヴァルキリーとオーディンとのバイパスを介してヴァルキリーの力を増幅させる力があることが知られているからだ。それもあり、社島に着いたヴァルキリーとオーディンの中では、この学園で出逢い、卒業後に専属のヴァルキリーとオーディンになって各国の軍に入るものや、そのまま伴侶となる者たちも少なくない。
珀亜さんと、珀亜さんの旦那さん…白鷺 秀真さんも、その中の一組だった。
「…まったく、なんであたしと秀のことを引き合いに出すかねぇ、あんたは…。」
今度は珀亜さんが、やられたという顔をして頬をかく。
「そりゃあ、親戚ですし…それに珀亜さん、『最上位ヴァルキリー』ですし、今となっては二人とも自衛隊じゃ偉いさんですし…むちゃくちゃ世界的に有名になったじゃないですか…。」
俺はそう言い返す。
ヴァルキリーには、物語に出てくるワルキューレの名前を冠した9段階のランクが存在し、資質に目覚めた時に利き手に現れる『ニーベルングの環』と呼ばれる印の形でどのランクに位置するかがわかる。ランクの数字が小さくなるにつれてランクが上になっていくのだが、珀亜さんは、世界に両手の指で数えられるほどしかいないといわれるランク1のヴァルキリー…通称『ブリュンヒルデ』であり、学生だった頃に知り合い、恋人になっていた珀亜さんと秀真さんが、卒業と同時に婚約した上に揃って自衛隊に進むと決めた時は、世界中が本気でひっくり返るレベルの騒ぎになった。うちの両親も、珀亜さんの実家のおじさんおばさんも大騒ぎだったことを覚えている。
「…まあね。あたしも秀も、出逢ってからいろいろあったからねぇ。喧嘩だってしたこともある。…でもね…それでもあたしたちはやっぱり一緒にいたかったんだよ。離ればなれになるのは嫌だった。それにね…あたしたちは同じ夢を持っていたからね。あたしたちのヴァルキリーやオーディンの力…それを使って、大切なものを守るんだ…それらを失わずに済む世界を作るんだ、ってね。そして、あたしの大切なものは秀の大切なもの、秀の大切なものはあたしの大切なもの…二人ともそれをわかってるからさ。」
珀亜さんはそこまで言って、にこっと笑って続けた。
「---------だから、あんたもここで、同じ夢を持つことのできるヴァルキリーと逢えるといいね。
…ううん、絶対に逢える。あたしが言うんだ、間違いないよ。」
…断言されてしまった。
俺がどう反応すればいいのかわからずに目を泳がせていると。
「…お?初々しい反応だねぇ。やっぱりたまには真面目にからかってみるもんだねぇ。」
「やっぱりそうだったんですかーーーーー!!!!!」
俺が叫ぶのを見て、お腹を抱えて大爆笑する珀亜さん。
しかし、俺は叫びながらも、珀亜さんの言葉を心の中で反芻していた。
珀亜さんと秀真さんのように、お互いに心を通わせられるヴァルキリーとオーディン。
俺も、そんなヴァルキリーに出会うことができるのだろうか、と------
「…おっと、もうこんな時間かい。」
ひとしきり爆笑し終わった珀亜さんが、部屋の時計を確認して、しまったという顔で言う。
「ごめんよマコ、学園の案内までしようかと思ってたとこだけど、あたしも忙しいもんでね…。」
「あ…いえ、そんなことはないです。学園に実際に行くときに楽しみにしておきますよ。」
俺はそう返すが、珀亜さんは指を振って言う。
「甘い…甘いよマコ。一応言っとくが、社島は広いわいろいろ複雑だわ、とてもじゃないが事前の説明なしで回れるとこじゃないよ?教室に行くのだって一苦労だ。地図を確認しても行けるかどうかは怪しいよ?」
「…マジですか。」
俺も珀亜さんも別に方向音痴というわけではない。それゆえに、珀亜さんがそう言うということは、それだけヤバい複雑さだということはなんとなくわかった。
「あぁ、安心しな。そんなこともあろうかと、あたしの教えてる生徒に助っ人を頼んどいたからさ。」
「助っ人ですか?」
「そうだよ。この部屋のすぐ隣の部屋の子さ。今日は部屋にいてほしい、って事前に言ってあってね。大丈夫、あんたならすぐ仲良くなれるさ。」
珀亜さんはそう言って俺と一緒に部屋から出て、左隣の部屋に向かう。
表札を見ると、『三都 重樹』…「みと しげき」と読めた。
「重樹君、そろそろ出番なんだけど、起きてるかい?」
ドアをとんとんノックしながら、珀亜さんが住人に声をかける。すると。
「…んぁ…白鷺先生……?あぁ…そうだった…。すんません、今起きました…。」
ドアを開けて眠そうな目を擦りながら出てきたのは、俺より背の高い…何だろう、見た目としては…不良?ヤンキー?所々染めてある短髪のツンツンヘアーやら、盛大に着崩れを起こしているジャージやら…そんな格好の男子生徒だった。
珀亜さんが彼に声をかける。
「休みの日なのに悪いね。初瀬ちゃんと約束とかあったろうに。」
「いや、大丈夫っすよ。あいつに話したら、たまには昼寝ばっかしてないで真面目なとこ見せろ、って言われちまいましたし。…ああ、その隣のやつが、先生の親戚っすか?」
彼の目がこちらを向くと、珀亜さんが俺の肩にぽんと肩を置いて言う。
「そうそう。部屋も隣だし、仲良くしてやって。」
「もちろんっす。よろしくな、編入生。」
彼はそう言って、俺ににかっと笑う。
「あ…うん、よろしく。ええと…三都君、でいいのかな?」
「そんなに固くなるなって。俺のことは重樹でいいぜ。」
「…じゃあ、俺も誠で。鶴城 誠。」
「おう、よろしくな、誠。」
…見た目に反して、割と話しやすい。俺がそう思っていると。
「仲良くなれそうで何よりだね。…さてと、じゃあ、あたしは戻らないといけないからさ、重樹君、案内の方頼んだよ。じゃあマコ、また学園でね。」
「はい、これからよろしくお願いします、珀亜さん。」
そんなやり取りの後、珀亜さんが背を向けて去っていく。
「よし、じゃあ誠、案内ってことなんだが…はっきり言って、今日中に全部の箇所を回るのは無理だ。まあ、白鷺先生からはお前もパンツァーの学舎に通うって聞いてるし、さすがに別の学舎や大学部に行くことはたまにしかないだろうからそっちは置いとくとして…一先ずは必ずここを知っとけば困らねぇってとこを案内しとく。着替えてくるんで、ちょっと待ってな。」
そう言って、また部屋の中に戻っていった重樹は、ほどなくして制服に着替えて戻ってきた。…腕捲りやら、ボタンを開けてるやら、やっぱり制服も着崩すんだな。
「待たせちまって悪いな。じゃ、行くぜ。」
「うん、よろしく。」
そう言って、俺たちは学園に向かう。寮が目と鼻の先に隣接しているので、校門まではそれほど時間はかからない。しかし------
「うわ…これまたすごいな…。」
重樹と一緒に守衛さんに挨拶をして校門を潜った俺は、思わず言葉を失う。
外側の塀でなんとなくわかってはいたし、高等部、大学部とあるだけあって、とにかく広い。…そりゃ、珀亜さんがあれだけ念を推すのも理解できる。その上、早くに力に目覚めたヴァルキリーやオーディンの子供たちを、社島に来る義務がないとされる義務教育終了までの間、可能な限り親元に近い場所で存在を把握し保護するため、世界中に付属の幼稚園、小学校、中学校まで持っており、なおかつ世界中の学校組織や各国家の省庁にまでネットワークを張り巡らせているというのだから、これだけでヴァルホルがどれだけの巨大な組織なのかというのがよくわかる気がしてくる。
「この塀の中のうち、海側のあの建物がオーシャンの学舎、塀の外にあって、オーシャンの学舎と向かい合う向こうの離れ小島、あそこにあるのがエールの学舎な。ちなみに俺たちパンツァーの学舎は塀の中でも奥にあるあの建物だ。ちなみにさっき言った大学部はその隣、パンツァーの学舎からもっと奥のとこにある。まあ、教室は後から行くからいいとして、他のところに行ってみるか。あぁそうだ、大講堂やら体育館やらはオーシャンの学舎の近くのあの建物だ。パンツァーの学舎からはだいぶ遠いから気をつけろ。今のうちに近くて混みにくいとこを教えとく。」
そう言って、道順まで教えてくれる重樹。
「あぁ、それからこの順路の空き教室だと、普段見回りもまったく来ねぇ。それから屋上はドアは中から開けられる上に、これまた見回りは皆無だ。どっちも授業を抜け出してサボる時に最適だぜ。」
「…ええと、多分サボらないとは思うけどね…。一応、珀亜さん…白鷺先生の親戚で通ってるみたいだし、迷惑かけちゃまずいから…。」
「ははっ、それもそうか。お前、話に聞いてた通りだな、誠。白鷺先生言ってたぜ?自慢の弟分だってよ。」
…珀亜さん、ほんとに恥ずかしいことを言ってくれてるみたいだ。
「…さてと、とりあえず学園の中はこんなもんか…。時間も時間だし、食堂でも行くか。編入祝いだ、俺の奢りでいいぜ。」
「え…そんな、悪いよ。俺も仕送りはあるし…。」
「気にすんなって、俺ら、もうダチじゃねぇか。…ま、正直言うとな、お前って、親戚だからなのか何なのか、何だかんだ白鷺先生と同じような感じがするんだよ。俺ってこんなやつだろ?一応ダチは他にもいるけどよ、大抵は似たようなやつ以外は離れてっちまうし、教師連中なんて特に見た目しか見やしねぇ。…まあ、それでも一緒にいたいって言ってくれるやつもいるし、白鷺先生みたいな、個性を大事にしてくれるのもいるからよ、だからこうして暮らせてるんだけどな。」
そう言って、重樹は目を細める。
「…重樹にも、大切な人、いるんだね。」
俺は、そう言葉に出していた。
珀亜さんと部屋で話したとき。あのときに珀亜さんが見せたのと同じような目を、重樹もしていたから。
「あぁ、俺らとはクラスは違うが、俺がいるチームのヴァルキリーだから、顔を合わせるのは早いだろ。まあそれはいい、とりあえず飯食いに行こうぜ。」
そう言って、重樹は俺の先頭にたって歩き出す。
(…いい友達ができたな。)
俺はそう思いながら、頬をかきながら前を行く重樹を追って、足をそちらに向けて歩き出したのだった。
30分後、俺と重樹は食堂にいた。
重樹はカレーライス特盛、俺はラーメンの食券を持っている。重樹曰くもっと高いものでもよかったらしいけれど、元々好物であることと、さすがにあまり厚意に甘えすぎるのもよくないと思った結果だった。…というか、これでも学生の食堂とは思えないくらいの、街中のお店で出てくるようなボリュームのものが出てきた上、俺が編入生ということを一目で見抜いたらしい配膳のおばさんに分厚いチャーシュー1枚おまけしてもらったりして、目が点になったんだけど…。
配膳してもらったものをお盆に乗せて席につく。
「っしゃ、食え食え!ここの飯はうまいぜ。」
言うなり、スプーンでカレーライスの山を崩し始める重樹。
さて、俺も伸びる前に食べるか…。そう思って箸を取ったとき。
「…あ、そういえば、重樹もどこかのチームのオーディンなんだよね?」
さっきちょろっと話に出てきてなんとなく疑問に思ったことを、俺は聞いてみる。すると、重樹は一度カレーライスの山を崩すのをやめて言った。
「あぁ、そうだぜ。パンツァーのチームβだ。一応、それなりに自慢できるレベルのヴァルキリーが揃ってる。まあ、普通はくじ引きだから当たり外れはあるはずなんだが、俺は割といいくじを引けたってことだ。ヴァルキリーとしての力って意味でも、人間的な意味でもな。」
「そうか…そういえば、俺が入ることになるチームのこと、何か聞いてたりするのかな?珀亜さん…じゃない、白鷺先生からはもう決まってる、みんないい子だから仲良くしてやって、ってことは言われたんだけど、どんなヴァルキリーがいるのかは教えてもらってなくて。重樹なら何か知ってるんじゃないかな、って思ったんだけど…。」
「あぁ…そのことか…。」
重樹は、何やらばつが悪そうな顔をして続ける。
「…まあ、俺も詳しくは知らねぇんだが…一応言えることはふたつだ。まず、この学園のパンツァーのチームには、まだ正式なオーディンがいないチームがふたつある。そんでもうひとつはだな…そのふたつの面倒を見るってことは、どちらにせよ、いろんな意味でものすごく大変だ、ってことだ。」
「…え…。」
俺はそれを聞いて固まってしまう。
「ああ、悪い…脅かすつもりはなかったんだけどよ…。まあ、一言で言えば、片方は才能も実力も満点の超絶エリート、片方は才能だけは揃ってるあぶれ組…って言えばいいかと思うんだけどな…。」
「…俺、そんなところに入れられるの…?」
俺は珀亜さんの言葉を思い出す。…癖が強いってのは、そういうことだったか。
「まあ、どちらにせよ苦労することは間違いねぇだろうが…この二択なら多分後者だろうな。少なくとも、使えないから捨てる、なんていうことはしねぇだろうし。」
「捨てる、って…。」
「とりあえず、今は何とも言えねぇ。俺から言えるのは、どちらになっても覚悟だけはしとけってことだけだな。…なに、大丈夫だよ。どちらにせよ、気に入られればいいだけだ。見たところ、お前は何だかんだで人付き合いは上手そうだし、どっちに入れられてもなんとかなるだろ。一応言っとくが、個人の性格やチームの気質はともかく、その二チームのヴァルキリーはどっちも美人やらかわいいやら、そんなやつらのオンパレードだ。気に入られたとしたら選り取りみどりだぜ?」
にやりとして、またスプーンを握る重樹。
…俺、どうなっちゃうんだろう。
…いや、そんなことを気にしていても仕方ない。
社島に来たからには、俺はもうオーディンなんだ。とにかく、どのチームに入れられるにしても、ヴァルキリーに嫌われないようにしなくては…。
俺は箸で麺を持ち上げながら、心の中で呟く。
決意と共に啜ったラーメンは、本当においしくて。
それは、不安に思う俺に、「頑張れ」と言ってくれているような気がした。
「重樹、今日はありがとう。」
「おう。どうせ行くからってことで今日案内はしなかったが、教室までも覚えるまではかなり面倒だ。ちょうどいい、明日は一緒に行こうぜ。…まあ、普段はギリギリまで寝ていくんだけどな、どうせ学園でも寝るんだから一緒だ。」
「あはは…なるほど。うん、助かるよ。じゃあ、また明日かな。」
寮に戻り、そう言って重樹と別れようとした時。
「あぁ、そうだ。大風呂のこと教えるの忘れてたな。一応男女別れてて24時間使えるが、部屋に個別に風呂があることがあって、使うやつはほとんどいない。特に夜11時から朝の5時までは使ってるやつは見たことがねぇ。でかい風呂を一人占めしたいってことならおすすめだな。」
「ありがとう、覚えておくよ。」
「おう、じゃ、また明日な。」
そう言い合って、俺は部屋に戻る。
社島に来てから、まだ半日ほど。
不安はあったけれど、珀亜さんがいて、重樹のような友達もすぐにできて。
…まあ、不穏なことを聞いたりもしたけれど。
「------オーディン、か。」
ベッドに座り、俺はぽつりと呟く。
今日、ずっと考えていたこと。
俺が社島に来たのは、オーディンの資質を持つため。
自分の力が、誰かの役に立つ。それは本当に嬉しい。嬉しくないはずがない。
ただ、頑張ろう、と決意したとはいえ、不安が拭えたわけではない。
俺の力は、本当にヴァルキリーの役に立つのだろうか。
そもそも、ヴァルキリーとオーディンの立場で、もしも戦いの場に立つことになったとして、矢面に立たなくてはならないのは、ヴァルキリーとしての力を宿した者たち…すなわち、女の子たちだ。
オーディンになったとして、俺は彼女たちをどう支えればいいんだろう。
体や心が傷ついた時、何をしてあげられるんだろう。
そもそも、ヴァルキリーたちが俺のことを受け入れてくれる保証はない。
珀亜さんも重樹も、俺なら大丈夫と言ってくれたけれど。
考えれば考えるほど、頭の中にある不安がどんどん大きくなっていく。
「…あ、しまった、こんな時間か。」
どのくらいそうして考え続けていただろう。ふと時計を見ると、針は11時30分過ぎを指している。…まずい、明日から登校なのに、夜更かしして寝坊なんかした暁には、初日から珀亜さんに迷惑をかけることになってしまう。
「…寝る前に、大風呂、行ってみようかな。」
ちょうどいい、場所の確認がてら行ってみることにしよう。さっき重樹に「この時間は穴場だ」って教えてもらったばかりだ。その大きなお風呂とやらを貸し切り同然に使えるというのは、やはり少し興味が湧いていた。
着替えとタオルを持って浴場へと向かい、男湯の暖簾をくぐる。脱衣場からしてこれまたどこぞの温泉施設じゃないかっていうような驚きを隠せなかったが、それより何より、本当に人はいない。服を備え付けのカゴに放り込んで、扉を開けて浴場に入ってみても誰もいないので、重樹にはいいことを聞いたと思いながら、俺は頭を洗い体を流し、湯船に入ってみる。…やっぱり、何だかんだで疲れが溜まっていたのか、温かなお湯に包まれていると、瞼がだんだん重くなってきた。…まずい、寝たらこのまま沈没するんじゃないかと思うのも束の間、俺の意識は暗闇へと吸い込まれていき------
「------ふぇ…?」
------鈴の鳴るような声に、俺の意識は一瞬で呼び戻された。
誰か来たのだろうか。
…しかし、何かおかしい。
俺は今どう思った?
鈴の鳴るような声、とか思ったよな?
…つまり、明らかに、男の声ではない。
最悪のことも考えられず、俺は反射的に振り向く。
そこには--------女の子がいた。
日本人ではない。ふわっとしていて背中の半ばまで届く長い金色の髪が、白くきめ細やかな肌をまるで金糸のように彩り、整った顔立ちの中心にある大きなエメラルドの瞳が、俺の瞳を吸い込まんとするかのごとくこちらを見つめる。そして、見た目ではバスタオルに多くが隠れているはずのその肢体は、日本人の女の子より少し高めに見える背の高さも相まって、強調される部分をしっかりと強調しつつもまったくアンバランスさを感じさせない、まさに黄金比と呼べるものを生み出している。
圧倒的な美しさの中に、年相応の少女らしい可愛らしさまでをも一瞬で彼女に見いだした俺は、頭ではまずいこととわかっているはずなのに、完全に彼女の姿に釘付けになってしまう。
------それほどまでに、目の前の彼女は、綺麗な女の子だった。
「あ…あれ…?男の人…ど、どうして…。あれ…?あれ…もしかして…?」
一瞬ぽかんとしていた女の子が、何かがおかしいと気がついたと言うように震える唇を開く。
…まずい。
ようやく俺の頭が警鐘を鳴らす。
これ、多分叫ばれるやつだ。そんで俺が騒ぎを聞きつけてやってきた人たちにむっちゃ誤解されて、女の敵とか言われて袋叩きにされるやつだ。
「…ご、ごめん、よくわからないけどごめん、すぐ出てくから------」
俺がそう叫んで湯船から出ようとした時------
「…ふぇ…ふぇぇぇぇ…また…またやっちゃった…。ごめんなさい…ごめんなさい…。」
------目の前の女の子はそう言って、タイル張りのお風呂の床にぺたんと座り込み、瞳からぽろぽろと涙を流し始める。
「えっ…あの…その…。」
俺は動揺することしかできない。いきなりお風呂で鉢合わせして、俺は野郎、向こうは女の子。普通に考えれば、俺の方が何か誤解を受けそうなものなのに。
ただ、ひとつだけわかる。多分、この子の謝罪の対象は俺なのだということだ。
そうしている間にも、座り込んでしまった女の子の目からは涙が伝い、「ごめんなさい」という言葉が、嗚咽と共に唇からこぼれ落ちていく。
「え、ええと…と、とにかく落ち着いて…。ちょっと待ってて、すぐ着替えてくるから…。」
とりあえず、泣いている彼女を放っておくわけにはいくまいが、さすがにタオル一丁でいていい場面でもあるまい。俺は急いで脱衣場に戻ろうとすると------
「あ…ご、ごめんなさい…!!わたし、すぐ出ていきますから…!!」
女の子が涙を流しながら、床から立ち上がる。
------その瞬間、はらり、と、バスタオルが彼女の体を離れた。
当然、俺は目の前の光景------白い肌をバスタオルが滑り落ちた後、目に飛び込んできた女の子の一糸まとわぬ生まれたばかりの姿をしっかりと見ることになるわけで。
「------きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
女の子が叫んだ瞬間、彼女の右腕の肘から先に、細い腕に似合わぬ武骨な砲塔がどこからともなく現れて------
その砲口から閃光が迸ったとき------凄まじい轟音とともに、男湯の外に繋がる壁が、木っ端微塵に吹き飛んだのだった------
「…っていうことが、昨日あったんだよね…。」
次の日、俺は真新しい制服に袖を通し、重樹と話しながら教室への道を歩いていた。
「マジか…どでかい音は聞こえたが、まさかそんなこととは思わなかったぜ…。」
相変わらず眠そうな目をしつつも、受け答えはしっかり返してくれる重樹。ありがたいことだ。
…実際、あの後は本当に大変だった。
壁をぶっ飛ばした女の子は、そのあとなぜか「きゅぅ…」とか言って気絶するし、俺はその彼女を放っておくわけにはいかないので、急いで着替えてきた後に、彼女が巻いていたバスタオルと、俺が予備で持ってきておいたもう一枚のバスタオルでとりあえず肌が見えない程度に彼女の体を隠して(もちろん、できうる限り彼女を見ないようにした)、何事かと寮の生徒たちが飛んできて、寮長さんにいろいろ聞かれて…とりあえず、自分でも何が起こったのかよくわからん状態になっていた。
…ただ、ひとつ気になることがあった。
女の子はあの後、とりあえず医療ブロックに運ばれて行ったらしい。それはまあいいだろう、当然だ。問題はそこではない。飛んできた寮の生徒たちの多くが、彼女の姿を見た瞬間に興味をなくした顔をして去っていったのだ。
…一応、後ほど寮長さんに確認してみたところ、俺が入ったのはまぎれもなく男湯で、俺が間違えて女湯に入ってしまったわけでもなければ、いたずらで暖簾が取り替えられていたわけでもなかったらしい。確かにそういう意味で考えるなら、さすがに俺が咎められることはないだろうとは思うが…しかし、それにしても、飛んできたギャラリーの反応があまりにも露骨なものだったのが、ずっと引っ掛かっていたのだった。
そのことを重樹に話してみると、重樹は何かに気がついたように言う。
「あぁ、なるほど、またクリスか…。」
「え…重樹、あの子のこと知ってるの…?」
「あぁ、知ってるも何も、そんなやつはクリス以外にはありえねぇよ。」
重樹によると------俺が昨日会った彼女の名前は、「クリスティナ・E・ローレライ」、通称はクリスというらしかった。
「あいつのドジは筋金入りだ。何もないところで転ぶところから始まって、今回みたいに一歩間違えば滅茶苦茶大事になりうることも日常茶飯事って言っていいだろ。ここの連中はそれはもう見飽きてるだろうからな、だから目を回してるあいつを見た瞬間に興味なしになったんだろうさ。『ああ、またあいつか』ってな。あぁ、そういや言ってなかったな、クリスは俺らと同じクラスだぜ。」
「…マジか。」
俺は頭を抱える。
なんということだ…。あんなことがあって早々、俺と彼女は再び同じクラスで顔を合わせなくてはならないとは…。
「あ…あの…。」
…えっ?
聞き覚えのある声に、俺は振り向く。そこには------昨日お風呂で鉢合わせした女の子、クリスが、もじもじとしながら立っていた。隣にはもう一人…銀色の長い髪を一部編み込みにして、それを後ろに回した髪型の小柄な女の子が立っている。
「おぉ、クリスにリゼットじゃねーか。今日も一緒か?」
「はい、今日もクリスちゃんと一緒ですよ。三都君も今日は早いんですね。」
「あぁ、まあな、今日は特別ってやつだ。初瀬のやつにも、昨日のうちに早く行くって伝えといたんだが、一体何の病気だ、ってな感じで逆に心配されちまった。」
「ふふっ…。あまり初瀬ちゃんを困らせちゃだめですよ?」
リゼットと言うらしい、銀色の髪の少し小柄な女の子が、重樹の言葉ににこにこしながら、のんびりした声で答える。
「あぁ、そういやリゼットははじめてだったか。こいつ、今日から俺たちのクラスに来る編入生だ。白鷺先生から聞いてたろ?」
おっと、お呼びのようだ。
「ええと…鶴城 誠です。よろしく。」
「鶴城君、ですね。リゼット・ポワティエールと言います。こちらこそよろしくお願いします。」
そう言って、リゼットと名乗った女の子は、銀色の右の瞳と金色の左の瞳…オッドアイ、と言われるものだろうか------を俺の方に向けて微笑む。
「…ほらほら、クリスちゃんもご挨拶ですよ。ご挨拶したかったから、お二人に声をかけたんでしょう?」
「ふえっ!?」
リゼットにいきなり声をかけられたクリスは、途端に真っ赤になって、学園指定の女子生徒用の帽子で顔を下半分を隠し、上目遣いで俺を見ながら言った。
「あの…く…クリスティナ・E・ローレライ…です…。みなさんからは、クリス、って呼ばれてます…その…あの…き…昨日は、ご、ごめんな…さい…わたし、考え事をしてた上に半分寝ぼけてて…。入るところを間違えたのに全然気づかなくて、そしたらお風呂にあなたがいて…びっくりしちゃって…。」
声がどんどん萎んでいくクリス。
「あぁ、ええと…ちょっと待って待って!!」
とりあえず、俺は彼女の言葉を遮る。…多分この子をこのままにしておいたら、どんな爆弾発言がすっ飛んで来るかわからない。なおかつ、登校の最中なのだから、他の誰に何を聞かれないとも限らないという危機感があった。…いやまあ、あれだけ昨日大事になりそうなことがあったにも関わらず、彼女が一枚噛んでいるというだけで大事にならなかったんだし、杞憂かもしれないけど。
「ええと…クリス、って呼んでいいのかな。そんなに謝らないで。間違いなんて誰にでもあるじゃない、ほら、俺だっていろんなところのドアの鍵閉め忘れて別の人に開けられて叫んだこととかたくさんあるし!だから大丈夫、いや、大丈夫じゃないかもしれないけど…その…何だ、その、つまり…。」
…自分でも何を言ってるのかまったくわからねぇ。まずい、目の前のクリスがさらに真っ赤な顔でもじもじし出してしまっている。あぁ…帽子で完全に顔を隠してしまったじゃないか。そんな仕草もかわいらしい…って違う違う。そんな顔してほしくなかったのに…まったく、デリカシーの欠片もないな俺…。
…と、とりあえず、話題を変えなければ。そう思った時。俺は気がついてしまう。
昨日、きちんと見ることのできなかった…いや、見ちゃいけない場面なんだからそりゃそうなんだけど。
クリスの右手。
ヴァルキリーとしての力を宿すもの------ローマ数字のような形と、それを囲む環のような印------ニーベルングの環。
それを持っていて、社島にこうしているということは、彼女がヴァルキリーであることは間違いない。
問題は、環に囲まれたローマ数字。
それは------『Ⅰ』の文字に見えた。
俺は、この印を見たことがある。
それは、珀亜さんの持っている印と同じ。
最上位ヴァルキリー『ブリュンヒルデ』を表す印だった------