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覚悟 -3-

 静かな部屋の中に、寝息を立てるツヅリと二人きり……




 ……うん。

 これは結構緊張するな。


 こういう時は、手でもつないでいてやった方が安心できるものなのだろうか……

 いやでも、さすがに……

 とはいえ、ヘアテールがこんな状態だし………………つなぐ、か?


 看病と言えば、ベッドの横に座って手を握っているものである。

 ドラマや映画では定番のシーンだ。

 だからきっと、ツヅリもそうされると落ち着くはず。


 そうと決まれば、早速手を……


「…………アサギ、さん?」

「――っ!?」


 指先が触れそうになった瞬間、ツヅリの声がした。

 顔を見れば、まどろんだような瞳がこちらを見ていた。


「あの……わたしは…………あれ? ここは……」


 記憶がないようで、軽くパニックを起こしている。


「お前、事務所で倒れたんだよ。熱もあったみたいだから、悪いとは思ったけど勝手に上がらせてもらった」

「そう……だったんですか」


 ツヅリが緊張している。

 なぜ分かるかって?

 俺の手首に巻きついていたヘアテールが「びくっ!」ってして、恐る恐る、ぎこちない動きでそろ~っと離れていったからだ。


「ノド、渇いてないか?」

「あ、少し……」

「じゃあ、お茶を飲むか」


 グラスにお茶を注いでやると、ツヅリが緩慢な動作で上半身を起こした。

 そして。


「え……? えっ!?」


 ぼふっと、ベッドに倒れ込んで素早く掛け布団を頭まですっぽりと被ってしまった。

 布団の中から「え? えっ!?」という声が漏れてくる。

 しばらくすると、ゆ~っくりとツヅリの鼻から上だけが布団の中から出て来る。


「あ、あの……アサギさん……わたし、その……ふ、服が…………もしかして……?」

「ち、違うぞ! エスカラーチェ! エスカラーチェが着替えさせてくれたんだ! もちろん、俺はその間部屋の外に出ていた! 見てくれ、このクッキーとお茶もエスカラーチェが用意してくれたんだ。あ、この椅子も! さすがエスカラーチェだな、手際がよくて無駄がないよ、あは、あはは」


 ……どうしよう。

 本当のことしか言っていないのに、どこからどう見ても怪しい。言い訳にしか聞こえないのはなぜだ。


「そう、ですか……よかった」


 ほっと安堵の息を漏らして、ツヅリは強張っていた表情を和らげた。

 ……ほっ。誤解が解けてよかった。


「悪かったな。約束を破って」

「約束? ……あぁ、三階への立ち入りですか? 構いません。わたしのためにしてくださったことですから」


 俺を責めるようなことはせず、その代わり恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。


「ただ、少し恥ずかしいです。もっとちゃんとお掃除をしておけばよかったなって」

「そんなに散らかってねぇよ」

「あの、あんまり部屋の中を見ないでくださいね」

「分かってるよ」


 もう、さんざん見ちゃったけど。


 ツヅリの体を起こしてやり、グラスに入ったお茶を手渡す。

 常温のお茶をゆっくりと飲み込むツヅリを見ながら、ようやく不安が薄らいだ。

 なんだか、このまま目覚めなかったらどうしようかとか、物騒なことを考えてしまっていたからな。


「もう少し眠れるか?」

「え……っと…………」


 グラスを返し、ベッドに横になって、ツヅリが首を振る。


「ちょっと難しそうです」

「まぁ、起きたところだからな」


 本当は眠ることが風邪にはいいんだろうが……


「あの……何か、お話をしてくれませんか? 眠たくなるまで」

「そうだな…………俺の昔話でもいいか?」


 何を話そうかと思案したのもつかの間、気付けばそんなことを口にしていた。

 俺が一方的にツヅリのプライベートスペースを見てしまったからという後ろめたさもあったのかもしれないが、なぜかどうしてもツヅリに話しておきたいとそう思ったのだ。


「少し暗い話に、なるかもしれないが」

「聞きたいです。アサギさんの、昔のお話」


 大きな瞳がまっすぐ俺を捉えている。すべてを受け止めてくれるかのようなそんな気概が感じられて、安心感に心が満たされていく。

 だから、今なら、こんな話も卑屈にならずに、悲愴を含まずに、他愛ない話をする時のように自然な口調で話せると、そう確信できた。


「ネグレクト、って分かるか?」

「……いえ」

「育児放棄っていって、親が子供の世話を投げ出すことなんだが……ウチの家はまさにそれでな。俺は、生まれてから実家を出るまで、一度も親の愛情を感じたことはなかったんだ」


 戸籍上の繋がり。

 我が家にあったのは、それだけの細く不安定な繋がりだけだった。


「面と向かって言われたこともある……『お前さえいなければ』って」


 惚れた男を繋ぎとめるための道具。

 あの人にとっての俺は、きっとそういうものだったのだろう。

 ただ、その切り札はうまく機能せず、男は女を置いて家を出た。

 女のもとに残ったのは役に立たない、未熟な生き物。


「憎まれていたわけではないと思うんだ、たぶん……」


 そう、今にして思えば……


「たぶん、あの人は愛し方を知らなかったんだと思う」


 男に対しても、自分が生んだ子供に対しても。

 ほとほと、不器用な人だったのだろうなと――この『世界』に来てから、そう思えるようになった。


「……可哀想な人、だったのかもな」


 もしかしたら、俺が何かしてあげられたのかもしれない。

 もしまたどこかで会うことがあれば……


「アサギさんは……お母様を、恨んでいるのですか?」

「……いいや」


 ほんの少し前までは自信がなかった。

 けれど、今なら確信を持って言える。


「恨んでないよ。あの人も、俺と一緒だったんだって分かったから」


 俺も、親の愛し方を知らなかったんだ。

 愛され方も、怒り方も、憎み方だって、俺は知らなかった。


 この『世界』で出会った様々な人々は、特殊過ぎる人間ばかりで誰一人常識なんてもんが通用しない連中で、そんな人々が抱えた奇想天外な悩みに向き合っていくうちに、俺は自分とも向き合えていたのかもしれない。


「もしどこかで会えるなら、叱ってやれると思う」

「叱るんですか?」

「あぁ。『お前、恋愛ヘタクソか!』ってな」


 プライドの高い人だったのだろう。

 今なら分かる。あの人が何を思い、何が欲しくて、何が出来なくて、何にイラついていたのか。


「前の世界ではさ、俺は縁を繋げる仕事をしてたんだ。でもそれはただ繋げるだけでさ……こんがらがっていようが、切れかかっていようが、太さや硬さが全然違う糸と縄を結びつけるように強引で表面的で、傲慢なやり方だった……かもしれない」


 無理やり結んだ縁は、いとも容易く切れてしまう。


「こっちに来て、ツヅリに会って、今度は縁を解く仕事を始めた」


 やろうと思えば、ハサミでぷつんと切ることだって出来るだろう。

 でも、ツヅリは自分の指で結び目を解くことにこだわった。

 その不器用な手つきを隣で見ていて、俺は思わず手を出してしまい、そして気が付いたんだ。


 解けかけているように見えた縁は、実はこんがらがっていただけだって。

 こんがらがった部分を解いてみれば、なんてことはない。誰にも解けないくらいに強く頑丈に結びついていた。そんな案件をいくつも見てきた。


「今なら、あの雁字搦めでこんがらがった縁も解いて、シンプルにしてやれる気がする」


 不器用で意地っ張りでプライドが高い、恋愛下手の――


「母さんのさ」


 ……はは。

 死んでも口にするものかと思っていた言葉も、いざ言ってみればなんてことはない。

 もうすっかり、俺の中で昇華されていたんだな。


 過去は過去。

 そう思えるのは俺が前進できた証拠だろう。


「ツヅリ。お前に会えてよかった。お前と二人で過ごした時間の中で、俺はちゃんと過去を見られる男に成長できたよ。ありがとうな」

「アサ……ギさ、ん……」


 大きな瞳に涙を溜めて、ツヅリがゆっくりと体を起こす。

 なんだか、こんなことで泣かれるのが恥ずかしく思えて、俺は言葉を重ねる。


「ずっと怖かったんだよ。『お前なんかいらない』『必要ない』って思われるのが。目の前にいるのに、まるでいないもののように扱われる孤独感が、怖かったんだ」


 そのせいでムキになってしまったこともあった。


「ザックハリー司祭に言われたよ。帰る間際にさ、ツヅリのことを誰かの身代わりにしてるんじゃないかって」


 必要としてくれなかった母親の代わりをツヅリに押しつけ、自分を必要としてもらおうとしていたんじゃないかって、……ちょっと真剣に悩んだ。


「もしかしたら、俺はツヅリにものすごく失礼なことをしているのかもしれないって思ったんだ。でも……違った」


 俺は、ツヅリに母親の代わりなんて求めていない。

 他の誰でもなく、俺は――



 俺は、ツヅリにこそ必要とされたいんだ。

 他の誰よりも。



「変な話だよな。自分のことなのに、自信が持てなかったり、理解できなかったり」


 たぶん、これなんだと思う。

 母さんが一歩を踏み出せなかった理由は。

 俺と一緒でさ。


 相手のことを好きだという感情だけが分かる。だから、加減も出来ずにありったけの好意を押しつけてしまう。

 そのくせ、与えた大きさと同等の愛情が返ってこないと不安になり、寂しくなり、傷付いてしまう。

 それを補うためにもっと好意をぶつける。

 確実なのは、信用できるのは、「自分が相手を好き」という感情だけだから。


 けれど、押しつけられる好意は煩わしい。

 それに気付けないほどに、無知だったんだ。


 俺も一緒だ。

 ヘアテールが動いてくれるから、それに頼りきっていた。

 失敗しないように顔色を窺って、間違わないように言葉を選んで、傷付かないように踏み込むことを避けて――


 まったく、ほとほと嫌になる。

 親子揃ってさ――


「俺も母さんも、きっと……甘え方を知らなかったんだ」


 愛するということは、好意を注ぐことだけではない。

 相手の好意をしっかり受け止めることもまた、愛するうちの一つなんだ。

 喧嘩したり、甘えたり、みっともないことも全部さらけ出してこそ、相手も自分自身を見せてくれる。


 俺も、母さんも、決定的にそこが足りていなかった。

 カッコをつけて、強がって、泣くことさえ出来なくて。とんだ甘え下手だ。


「いい歳して甘えたいなんて思ってんだよ、俺は。……カッコ悪いだろ?」

「いいえ」


 ツヅリの両腕が伸びてきて、優しく、俺の頭を抱いてくれる。

 ツヅリの温もりに包まれて、鼓動と吐息が聞こえて……


「嬉しいです、甘えてくれて」


 ぽんぽんと俺の頭を叩き、髪を撫で、「よしよし」と囁く。


「もっともっと甘えてくださいね」


 そう言われて、胸の中がじわぁ~っと温かくなった。


 この温もりは人をダメにする。

 強欲にしてしまう。


 先日自覚したばかりではあるのだが――


 どうやら俺は嫉妬深いらしい。


「ツヅリ」

「はい」


 ここに来た時から、俺は覚悟を決めていた。

 踏み込むと決めたからには、きちんと最後まで。


「お前の話も聞かせてくれないか?」



 ツヅリと向き合うって、決めたんだ。



 ゆっくりと温もりが離れていく。

 名残惜しく感じてしまうが、こちらを向く真剣な瞳を見れば甘い空気も雰囲気を変える。


 気持ちを切り替え、どんな言葉も真正面から受け止めるつもりで決意を秘めた瞳を見つめ返す。


「アサギさん――」


 真剣な眼差しで、静かに語られたツヅリの言葉は、ゆっくりと、でも確実に俺の中へと浸透していき、心の奥の深い部分に克明に刻み込まれた。





「わたしは、之人神です」







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