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引き寄せられた二つの願い -1-

 ほんの出来心だったのです。

 チクチクするという感覚がどういったものなのか……


 うぅ……痕が、消えません。


 絶対に、アサギさんにはバレないようにしなければ。

 少し袖が長い服を着るようにしましょう。

 あと、水仕事はなるべく避けましょう。


「ツヅリ、トカゲのしっぽ亭に行かないか?」


 アサギさんに誘われたのは、そんな日の午後でした。

 外で食事をするのであれば、洗い物は出ませんね。ハーブティーを飲むにしても、ティーポットを洗う必要があるので、助かります。


「はい。行きたいです」


 あくまで、悟られないように、自然に。

 アサギさんとのお出かけが楽しみなのですよという顔で返事をします。


「…………」


 なんだか、アサギさんが慈しむような優しい瞳で見てきます。

 そして、優しくわたしの頭をぽんぽんと二度叩きました。


 ……えっと。

 なんだか哀れまれている気がするのは、わたしの心にやましさがあるからでしょうか?

 それだけでしょうか?


 細かいことを気にしていても答えは出ません。

 わたしは気持ちを切り替えて外出の準備をしました。




 トカゲのしっぽ亭へ向かうわたしたち。

 アサギさんは大きな荷物を抱えています。


「アサギさん、それは?」

「あぁ、ちょっとトカゲのしっぽ亭で厨房を借りようと思ってな」

「また何か作っていただけるんですか?」


 アサギさんがトカゲのしっぽ亭で作る物は、どれもこれも美味しいものばかりでした。

 自然と期待が高まります。


 あっ!

 そういえば、昨日エスカラーチェさんからおイモのお裾分けをいただいたんでした!

 まさか……まさかっ!


「お前、匂いで分かるのか、サツマイモ」


 やはり、あの荷物の中はおイモのようです。

 でも、さすがに生のおイモの匂いは分かりませんよ。もう、そこまで食いしん坊ではありません。


「鬼まんじゅうっていうのを作ってみようと思ったんだが、蒸し器がなくてな。あそこの厨房には置いてあったから、使わせてもらうんだ」

「鬼まんじゅう、ですか? なんだか怖い名前ですね」

「名前はな。けど、実際はイモの入ったまんじゅうだ」

「では、鬼まんじゅうではなくおイモまんじゅうという名前にすればいいと思いますよ」


 そうすれば、おイモ好きな方にたくさん売れると思います。


「まぁ、名前はなんでもいいけどな」

「では、おイモまんじゅうで」


 美味しいものでしたら、名前も幸せなものの方がいいと、わたしは思います。




「カナ、いるか?」

「こんにちは」

「あ、アサギン、ツヅリさん、いらっしゃ~い!」


 わたしたちがお店に入ると、厨房からカナさんが顔を出し、駆け寄ってきました。


「今日も閑散としてるな……」

「さっきまでお客さんいっぱいいたの! 今やっと一息ついたところなの! ホントなの!」


 どういうわけか、わたしたちが来る時はいつもお店が空いています。

 以前、一度だけお客さんがあふれていてお手伝いをしたことがありますが、あの日以外はいつもがらんとしています。


「その証拠に、カフェオレを飲もうと、今お水を火にかけたところなの!」

「はいはい、信じる信じる」

「信じてない顔なの! もー!」


 両腕を振って抗議するカナさんはとても可愛らしく、申し訳ないのですが、見ているとついつい笑ってしまいます。


「それはそうと、ちょっと厨房を借りていいか?」

「今度は何を作るのカナ? ベーグル?」

「いや、まんじゅうだ」

「ベーグルには合わない、カナ?」

「まぁ、合わないだろうな」

「じゃあ、自由に使ってなの。カナはちょっと休憩するなの。さっきまでずっと働き詰めだったから!」

「……そんな強調しなくてもいいっつの」


 困った顔をして、アサギさんが厨房へ向かわれました。

 お手伝いをしようかと思ったんですが、アサギさんが手でそれを制し、声を出さずに「カナの相手をしてやれ」と合図を送ってきました。


 確かに、お疲れのカナさんを一人残して厨房へ入るのも、なんだか申し訳ないですね。

 では、わたしでよろしければお話し相手になりましょう。


「カナさん、少しお話をしませんか?」

「うん、カナもお話したいなの」


 あいている席に腰を下ろし、二人して笑みを交わします。

 カナさんを見ていると癒やされます。可愛いです。


「ツヅリさん見てると癒やされるなの。可愛いなの」

「へ、わたしですか?」


 それは、どちらかと言えばカナさんの方だと思うのですが。


「ツヅリさん、今日はなんだか厚着なの」

「へっ!?」


 向かいに座ったカナさんに突然そのようなことを言われ、ドキッとしました。

 えっと、これには少々わけがありまして……

 なんと説明すればいいのでしょうか……


「最近寒いからねぇ~。カナも朝起きられなくて大変なの」

「そ、そうですね。寒いですからね」


 どうやら、話題は逸れたようです。

 よかったです。


「わたしも、これまでは平気だったんですが、最近は寒いなぁと思うようになったんです」

「え~、でも去年の方が寒かったなの」

「そうでしたか?」


 去年は、特に寒いと感じることはありませんでしたけれど。


「大雪の日はコートを四枚も着てもこもこしてたなの」

「お店でですか? 危ないですよ」

「えへへ~、いっぱい転んだなの」


 そんな失敗談を可愛らしく話してくださるカナさん。

 やっぱり、可愛いのはカナさんの方です。


「はぁ~……」

「カナさん、お疲れですか?」


 椅子に座ったカナさんはくったりと、テーブルに肘を突いてだらっと体を預けています。とても疲れているように見えます。


「うん……お客さんが増えたのは嬉しいんだけど、さすがにちょっと、一人ではキツくなってきたなの……」

「では、ネリーさんにお手伝いをお願いしてはいかがですか?」


 あの時の面接はフェイクでしたが、ネリーさんは明るくて素敵な働き者ですから、きっとカナさんの助けになってくださると思います。


「それがね、ダメだったなの」


 なんと、実はカナさんはすでにネリーさんにアルバイトを打診していたようです。

 けれど、残念ながら断られてしまったらしいです。


「もう重い槍を持つ必要はないからって……しばらくはパートには出ないでご主人と二人でイチャイチャ過ごすって言われたなの……」

「イチャイチャ、ですか」


 仲睦まじいお二人に戻られたようで安心です。

 でも、それではお手伝いは無理ですね。


「では、募集をかけてみてはいかがですか? トーマスさんにお願いすれば、きっとすぐに誰かを紹介してくださいますよ」


 お仕事の斡旋業をされているトーマスさん。面倒見がよいと有名で、頼れる方です。

 でも、カナさんは首を振りました。


「きっと、カナはうまくやれないなの……何度も失敗してるなの……」


 それから、カナさんはぽつりぽつりと、過去のことを教えてくださいました。


 ご父様からお店を継いで、経営者となったカナさんは、代替わりした直後に、お父様の代から残っていた従業員の方たちと衝突してしまったようです。

 曰く、「娘だからという理由で店を継ぐのはおかしい。これまでずっと貢献していた副店長に店を明け渡すべきだ」と。


 それは、暴論である気がしますが……オーナーさんの意志もあるでしょうし。


「それで、カナはお父さんのお店を守りたいって言ったら、みんな出てっちゃったなの」

「それから、お一人で?」

「うん……」


 カナさんの目がふらりと遠くへ向けられます。


「大通りの方に大きなパン屋さんがあるの知ってるカナ?」

「えっと……あ、はい。見たことがあると思います」


 たしか、赤い屋根の可愛らしいお店だったと思います。


「あそこね、元従業員さんたちのお店なの」

「……ベーグルも扱ってるんですか?」

「うん。お客さん、みんな持っていかれちゃったなの」


 お父様の代からおられた常連さんたちは、根こそぎ新しいお店に奪われたそうです。

 なんでも、お父様のベーグルと同じ味なのは向こうだと。

 あの味を守っているのは新しいお店の方だと、言われたそうです。


 一人でお店を経営するのはきっと大変なのでしょうね。

 ベーグルを焼き、掃除をして、お客さんを迎えて……

 経験も浅かったカナさんには、味を守るのは少しだけ難しかったようです。


「それで、すぐに新しい人を雇ったんだけど……経営に、すごく口を出されちゃって……」


 なんでも、「ベーグルだけじゃやっていけない。パンやパスタも出すべきだ。いや、いっそ軽食屋か喫茶店に変えて、ベーグルなんてやめてしまえ」と言われたのだそうです。

 その方が、もともと喫茶店経営を目指されていた方だったようで、自分の夢のためにこのお店を利用しようとしていたと。


 それで、カナさんは疲れてしまって、それから従業員は誰も雇わなかったのだそうです。


「まぁ、お店は暇だったから、なんとかなってたなの」


 そんなことを、強がって口にされます。


「でも、それから必死にベーグルの勉強をされて、あれだけ美味しいベーグルが焼けるようになったのなら、誇ってもいいと思います。わたしは、カナさんのことをすごいと思います。尊敬します」

「えへへ、ありがとなの」


 ぽりぽりと頭を搔いて、そしてパッと表情を輝かせます。


「だからね、アサギンとツヅリさんが新しいベーグルを教えてくれて、すごく嬉しかったなの! パンとかパスタじゃなくて、カナのベーグルを生かしてくれたのが!」

「わたしは何も。みんな、アサギさんです」

「あのカウンターもね、今ではアレなしじゃ仕事にならないくらいなの!」

「それもアサギさんですよ」

「でも、ツヅリさんは美味しいって言ってくれたなの! あれが一番嬉しかったなの!」


 とっても素敵な笑顔でそう言っていただけて、わたしはすごく嬉しくなりました。

 ささやかでも、カナさんに元気をあげられたのなら、わたしは嬉しいです。


「では、もっといっぱい食べに来て、いっぱい美味しいって言いますね」

「うん! いつでも来てなの! ……あ、でも、混んでる時は相手できないかもだけど……」

「大丈夫ですよ」


 そして、またテーブルにぐでっと倒れ込むカナさん。


「アサギンやツヅリさんみたいな人がいてくれたら、バイトに雇うのになぁ」


 カナさんの求める条件は、カナさんと一緒にこのお店を盛り上げてくれること。

 そして、ベーグルが大好きであること。

 あと、カナさんが怖がらない人、だそうです。


 探せばいそうですけれど、カナさんの経験を聞く限り、やっぱり不安は拭えませんよね。また同じ失敗をしたらどうしようと。

 わたしも経営者ですから、その気持ちは分かります。


 もし、あの時アサギさんと出会っていなかったら……


 今と同じような気持ちで毎日を過ごせてはいなかったでしょうね。


「あ、でも、アサギさんは、あの……」

「分かってるなの。アサギンはツヅリさんに必要な人だから、取ったりしないなの」


 くすくすと、からかうような目で見られて、少し頬が熱くなりました。



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