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概念とキスマーク -3-

「あなたは慎重なのですね」

「ん?」


 無表情な仮面が、こちらを向いていた。


「よかれと思って発した言葉でも、時が経てば後悔に変わる時があります……」


 呪いを受け、声を発することが出来なくなったエスカラーチェ。

 嘘が吐けなくなることと引き換えに声を取り戻したこいつは、かつて発した自分の言葉を後悔しているのだろうか。


「あなたは、失敗をしないように今を生きているのですね」

「そんな器用じゃねぇよ、俺は」


 失敗しないように生きるなんて芸当が出来れば、もっと楽に生きているさ。

 それが出来ない不器用者だから、毎日必死になってもがいてるんだ。

 言葉を選ぶのも、お前の言う後悔をしたくないからで、慎重なんていいもんじゃない。


「ただ臆病なだけだよ、俺は。失敗をやらかした後に立ち直る自信がないんでな」


 もし俺に、塩屋虎吉のような強さがあれば――

 百連敗なんて記録を叩き出してもなお、他人に笑顔を向けられるような強さがあれば――



 あいつみたいに家族を誇れるような人間でいられたかもしれない。



「俺の人生は後悔でいっぱいだよ」

「とてもそうは見えませんけれども」

「一人、とんでもなく前向きでポジティブな男に出会ってな。それから、少しだけ考え方を変えたんだ」


 気が付けば影響を受けていた。

 もしかしたら、この『世界』へ来てからかもしれないのだが、そんな風に感じることが多々あった。

 以前の自分なら、こんな風には考えないなとか、こんなことはしないなとか、そう思うことが。


 あいつほどではないが、俺にも譲れない――譲りたくないと思えるモノが出来たからかもしれない。


「後悔は苦しいよな。ふざけんなって思うほどに」


 行動を起こせば「やらなければよかった」と、行動を起こさなければ「やっておけばよかった」と後悔するのが人間というものだ。

 その過程に存在する苦労や苦悩を無視して、結果だけを見てそんな後悔を生んでしまう。

 他人を羨むなんてつまらない感情に支配されて、嫉妬に狂ってしまう。

 そうこうしているうちに、時間は容赦なく流れていって、「何も進歩してない」とまた後悔するのだ。


「後悔してそうに見えないヤツでも、きっと後悔はしてるし、こっちが思う以上に苦しんでたりするんだよ。たぶん、誰でも」


 塩屋虎吉は、後悔とは無縁そうなお気楽な人物に見えた。

 あいつなら、きっとくだらない失敗など笑い飛ばして前向きに生きるのだろうと思えた。自分を卑下することなく、他人を妬むことなく、誰かを蔑むことなく、いつも笑って楽しく生きていくのだろうと……けど、そんなわけがないんだよな。


 あいつにはあいつの苦悩があって、それは、俺なんかとは比べものにならないくらい重いものかもしれない。くだらないくらいに軽いものかもしれないけれど、それを俺が推し量ることは出来ない。


 考えるだけ無駄なのだ。

 どう転んだところで、自分を辞めるわけにはいかないのだから。


 だが、自分を変えることなら、きっと出来る。


「もし、立ち上がれないくらいに苦しい後悔を抱えちまっているなら、無理やりにでも前に進んだ方がいい。そうすれば――過去を嘆いている現在がやがて過去になる」


 仮に現在、吐きそうなほどの悩みを抱えていたとしても、それが過去になれば「そんなこともあったな」と笑って思い出せるようになる。

 立ち止まっていては、未来までもが現在に引っ張られてそこに留まってしまう。


「……それは、私にアドバイスをしているつもりですか?」

「いや、俺自身に対するアドバイスだ。変なもんだな、頭で思っているだけより、こうして言葉にした方がしっくりくることがある。自分の言葉に励まされた気分だよ、今」

「お手軽な性格ですね」


 無表情だった仮面が、くすりと笑った。


「ですが、今度実践してみます。あなたが聞き耳を立てていない場所で」

「盗み聞きなんかしねぇよ」

「盗み聞き『は』されないんですね」

「その、さも俺が覗きを目論んでいるかのような印象操作やめてくれるか?」


 エスカラーチェはドレスの裾をふわりと翻しながら反転し、背中を向けて「ふふ、検討しておきましょう」と冗談めかして呟いた。


 ……こいつはぁ。


「では、私はこれで」

「なぁ、エスカラーチェ」


 事務所を出ようとしたエスカラーチェに、なんとなく尋ねてみる。

 ちょっと疑問に思っただけの、他愛もない問いを。


「お前は見たことがあるのか? 人格化した概念」


 人の恐怖がその場所に溜まってオバケになるなんて、オカルトチックな話も、この『世界』では起こり得るのだろう。

 だから、ただの興味本位から尋ねただけだった。


「ありますよ」


 その答えは半ば予想していた通りのもので、「あぁ、やっぱいるんだなぁ」くらいの軽い感想を抱いただけだった。

 けれど、それに続いた言葉には少しだが、鳥肌が立った。



「あなたのよく知る人物の中にも紛れ込んでいますからね」



 俺のよく知る人物なんて、ツヅリやエスカラーチェ、カナや、ティムを交ぜてもいいかもしれないが……そんなにはいない。

 その中に、人格化した概念が……?


 一体誰のことだ……と、脳が空回りし始めた頃、エスカラーチェが俺の鼻先を指さした。


「むっつりの権化」

「だから違うっつってんだろ!」


 ……冗談かよ。

 無駄にびっくりした……


 くすくすと、細い肩を揺らすエスカラーチェ。

 楽しそうな顔をしやがって。

 呼び止めるんじゃなかった。さっさと帰れ。





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