最高のギフト -3-
俺の発言で、室内の空気が変わった。
気温が10度ほど下がり、気圧が一気に上昇したかのような息苦しさを覚える。
まぁつまり、母親たるカーディリアに鋭く冷たい瞳で睨まれ、父親たるボナウスレスから夥しい殺気を浴びせかけられているのだ。
今の一瞬で心臓が止まるかと思った。
そうならなかったのは、俺のすぐ隣で事情を聞かされていなかったツヅリが「ふぁっ!?」っと素っ頓狂な声を上げたからに他ならない。
ありがとうなツヅリ。お前がいつも通りでいてくれたから、俺は落ち着いていられる。
大袈裟じゃなく、命の恩人だよ、お前は。
「すまない。我は世事には疎くてな。世間の冗談をあまり理解しておらぬのだ」
国のナンバー2が世事に疎いなんて、それこそ冗談かと問いたくなるが……言外に「今の発言は認めない」って怒りがひしひし感じられる。
これが普通の父親なら、戦況不利とみなして戦略的撤退も視野に入れるところであるが……相手は元神だ。それも破壊神だ。
その事実が、逆に俺の肝を据わらせている。そんじょそこらの生易しい覚悟でここへ来たわけじゃない。
抗う。
歯向かう。
突っぱねる。
「冗談ではありません。私は、ツヅリさんを必要としています。それも、身を焦がすほどに」
「ぁう……あの、アサギ……さん?」
状況が飲み込めず、真っ赤な顔でおろおろしているツヅリ。
悪いが、お前のことは後回しだ。そうでなきゃ、この二人の元神様の凝り固まった概念をぶち壊せそうにないからな。
「ツヅリはワタクシの娘です。おいそれと差し上げるわけにはいきません」
あからさまな怒りを見せるボナウスレスとは対照的に、静かに微笑むカーディリア。……ただ、こっちの方がおっかない顔に見える。
おそらく、先に手を出してくるのはカーディリアの方だろう。
ただし、徹底的に潰してくるのはボナウスレスの方だ。それこそ、塵一つ残さず消し去る勢いで。
まだ、消されるわけにはいかないんでな。
食いついた魚を釣り上げるための罠へと誘導する。
「ご安心を。私とツヅリさんは男女の特別な関係ではありません」
今のは結婚の許しを得るための言葉ではないと明言する。
ツヅリ以外の表情が緩む。緊張が和らぐ。ツヅリ以外の。
……ツヅリ、瞬きしろ。あと呼吸止まってるから、息しろ。
「それは、真であろうな?」
「今の言葉、偽りはありませんね?」
同時に投げかけられる同じ意味合いの問いに、はっきりと首肯しておく。
「はい。まだ一度も特別なディナーにお誘いしたこともありません」
「そうか」
「そう……なら、いいのですけれど」
ツヅリの発言からも分かるように、彼らの中では恋人関係になる前には特別なディナーを共にするという固定観念が根付いている。
そんな手順すら踏めない男は問答無用で論外なのだ。
なので、今のところ俺は論外の男ということになる。
「では、今の発言の真意はなんだ?」
「先ほどの言葉はどのような意味なのですか?」
とはいえ、油断はならぬという雰囲気で二人が俺を問い詰める。
ふざけたことを言えば、舌でも引っこ抜かれそうなおっかない空気を纏って。
「私はツヅリさんに雇われた従業員です。住む家もなく、ツヅリさんの温情で事務所の隣に間借りさせてもらっています」
その事務所の上にツヅリが住んでいることを、この両親は知らない。
ツヅリと同じ建物に間借りしていると言えば、この両親は怒ったかもしれないが、勤め先に住み着いている程度なら問題視されなかった。
「ですので、ツヅリさんを取られてしまうと困るんです。職と住む場所を失うことになりますから」
「そんなことか。なら、我が職と住む場所を用意してやろう」
「心配には及びません。すべてワタクシにお任せなさいな」
仕事と住む場所を手配してやるから、さっさとツヅリを返せ。
両親の目が如実に物語っている。
だが。
「いいえ。私は今の仕事に誇りを持っていますし、好きなんです。ですので、ツヅリさんはお渡しできません」
笑顔で言えば、両親の顔から笑みが消える。
向けられる敵意。
久しぶりの再会の場に居合わせる邪魔者。俺さえいなければ、両親を煩わせるものはなくなるのだろう。
だが、こいつらが望むものは一生かけても手に入らなくなる。
「何より、ツヅリさんを悲しませるしか出来ないあなた方に、ウチの大切な所長はお渡しできませんよ」
挑発すれば、分かりやすく眉根を寄せる。
よく似た夫婦だ。同じ顔をしている。
「貴様、消すぞ?」と、顔に書いてある。
「我がツヅリを悲しませているというのか?」
「ワタクシがツヅリを悲しませているというの?」
想像通りの問いに、想定通りの答えを返す。
「はい。その通りです」
ボナウスレスがテーブルを叩き、コーヒーカップが音を立てて転倒する。
カーディリアが全身から薄ら寒い冷気を放ち始める。
「根拠のないデマカセをほざきおって……貴様、それは我への侮辱であるぞ!」
ボナウスレスの目つきと雰囲気が変わり、破壊神らしい迫力がいや増す。
「何も知らぬくせに知った風な口を……命の芽吹かぬ氷の中へ幽閉してくれようか」
カーディリアの口から吐き出される息が白くなり氷の粒を飛散させる。
豊穣の女神を怒らせると氷河期が到来するとでもいうのか……
「「今の言葉、訂正せよ!」」
声を揃えてこちらへ要求を突きつけてくる。
グッと奥歯を噛み、声が震えないように腹に力を込めてきっぱりとNOを突きつける。
「お断りします」
「「貴様っ!」」
「証拠ならあります」
俺の言葉に、二人は言葉を止める。
ただし、全身から迸る殺気は留まるところを知らない。
「申せ」
「聞かせてもらおうかしら」
「お二人は……」
大きく息を吸い、ツヅリへ視線を向ける。
「彼女の笑顔をいつ見ましたか?」
「ふん。何を言うのかと思えば」
「質問の意味が分からないわ」
あははと、二人は声を揃えて笑う。
笑う二人に質問を重ねる。
「では、最後に見たのはいつですか?」
「そんなもの、つい今し方ではないか」
「先ほど微笑みかけてくれたわ。あなたも見ていたでしょう? あの優しい笑みを」
家を出た非礼を詫び、そして許しを得た時、確かにツヅリは微笑んだ。
あぁ、微笑んでいたさ。
だが――
「アレが、彼女の本当の笑顔だとでも?」
「なんだと?」
「どういうことかしら?」
訳が分からぬと眉を曲げるボナウスレスとカーディリア。
マジで分からないのかよ。
お前ら、ホント……なに見てたんだよ。
「あれは、『営業スマイル』です。あんなものは、ウチに相談に来た人すべてが見ています。あなた方に向けられた微笑みというのは、その程度のものなんですよ」
相手に安心感を与えるように相好を崩す。にこりと微笑む。口角を上げてみせる。
そんなものは、社会人ならいつでも、どこでだってやっている。
「その程度だと……貴様、言わせておけば! ツヅリが我に向けたのは本物の笑顔だ!」
「あなたは正面から見ていなかったのね。あの柔らかい笑みを。あれこそがツヅリの笑顔だわ」
「ではあなた方は、こう言いたいんですか? ――ツヅリの可愛さはアノ程度だと」
腰を浮かし、今にも掴みかかってきそうだった両親が動きを止める。
認められない二つの事案が彼らの中でせめぎ合っているのだろう。
自分に向けられたのは本物の笑顔だという事実と、ツヅリの可愛さはこんなものじゃないという事実。
「思い出してみてください。彼女が生まれた時から、今までのことを。すくすく成長し、立ち上がって、歩くようになり、言葉を話し、庭に咲いている花を摘んできてくれる、そんなこともあったかもしれませんね」
俺の言葉に、両親は共にまぶたを閉じ、過去の情景を思い浮かべているようだった。
「あなた方に褒められた時かもしれない。自分の挙げた功績をあなた方に自慢している時かもしれない。美味しい料理を食べた時かもしれない。彼女は……あなたたちの娘は心からの笑顔をあなた方に向けませんでしたか?」
幼いツヅリが、両親に向けていたであろう無防備で無邪気な笑顔。
それをはっきりと思い出させる。
「それは、今あなた方が『本物だ』と言った笑顔と同じでしたか? 俺にはそうは思えない。なぜなら――」
くだらない言い逃れをさせないために、はっきりと言っておいてやる。
「ツヅリの本物の笑顔は、あんな『営業スマイル』とは比べものにならないくらいにまぶしくて、可愛いですからね」
俺はそれを知っている。
俺はそれを見たことがある。
どこの馬の骨とも知れない俺に、実の両親たる自分たちが負けているなんて認められないだろう?
さぁ、思い出せ。
自分が見た――ツヅリが自分に向けてくれた本物の笑顔の記憶がいつのものだったかを。
「その時、あなたの娘は何歳でしたか?」
「…………」
「…………」
両親は何も答えない。
答えられない。
まさか、見たことがないとは思えないが、きっと、本当に可愛い笑顔を見たのはツヅリが随分と小さい頃なのだろう。
ツヅリが分別のつく年齢になる頃には、こいつの家庭には暗い影が落ちていた。
不仲な両親。それに影響され分断された給仕や下働きの者たち。
好きな物を好きとは言えなくなり、誰とも親しくなることすら出来ず、ツヅリが心からの笑顔を見せるなんてことあり得ないんだ。
こいつは、こいつの笑顔は、本当に心が安まる時にしか姿を見せない臆病で繊細な、尊いものなんだからな。
「ツヅリは、職場ではよく笑いますよ」
記憶の中に意識を飛ばしていた両親が、俺の言葉に反応を見せる。
俺の方が、あんたらよりもツヅリを幸せに出来ると、きちんとメッセージが届いたようだ。
対抗心がありありと見て取れる瞳でこちらを睨む。
「貴様が、ツヅリを幸せに出来るというのか?」
「そのつもりです」
「のぼせ上がるな、小僧が!」
「ツヅリを幸せに出来るのはこのワタクシです!」
「いいや、我だ!」
「ようやく会話しましたね」
「「はぁ!?」」
まったく気が付いていない様子の二人。
本当にお互いの存在が見えていないようだ。
昔、俺が結婚相談員だった頃、相談者の中に縁結びの神様のもとをハシゴしていた女性がいた。
それで気になってある神社の神主に尋ねたことがあるのだ。
「神社のハシゴなんかして、神を天秤にかけるようなことをして罰は当たらないのか」と。
神主の答えは実に単純だった。
「神様は、他の神様のことなんか気にしちゃいませんよ」
神と人の関係は一対一なのだそうだ。
なので、商売繁盛に十円の賽銭を入れ、縁結びに一万円の賽銭を入れようと、商売繁盛の神が「不公平か!」と怒りを覚えることはないそうだ。
だが、一つだけ注意してほしいことがあると神主は言っていた。
それは――
「願いが成就したら、きちんとお礼にいらしてください。そうでないと、神様が願いを叶えようとくださったご加護が無駄になるでしょう? 神様の行為を無下にすることは失礼に当たりますからね」
与えようとしていたものが与えられなかった。
与えたものが意味をなさなかった。
そのことに、神は怒りを覚えるのだそうだ。
この二人の元神もそうだ。
他の神のことなんか気にしちゃいない。
一対一。ツヅリに自分が何を与えるか、それを感謝しているか、それしか見ていない。
与えることが目的になってしまっている。
それじゃ、ツヅリは喜ばねぇよ。
この面倒くさい関係を解消できるかもしれない方法が、あるにはある。
だが、今の状況じゃきっと聞き入れてはもらえない。
だから――これも神主からの情報なんだが――神に言うことを聞かせることが出来る方法を選択する。
神に言うことを聞かせる唯一の方法。
「俺と勝負しませんか?」




