序論にして結論
よくわからない詩や小説を垂れ流すより、ある程度具体的現実的かつ実益のある情報を書いたほうが良いのではないか?という疑念に駆られ、ここに我が人生の体験を記すことにする。
すなわち、勉強、習い事、受験、大学生活、就職といった誰もが関わりうる世界の話だ。
とはいえ、冗長なハウツゥ本が本屋に所狭しと並べられている世の中において、簡潔な文章がことさら求められていると考えられる。
著者がここで言いたいことは要するに、
①学歴は本質的に無意味であるが有効な手立てとなりうる
②学校や会社、組織といったものは前例踏襲を前提としている
③自身の好きなことを見つけ、それを続けなさい
の三点でしかない。
東京一極集中、少子高齢化といった社会構造上の政治的行政的問題に対して目耳口を閉ざし蓋をしてきた日本において、今後生きていかなくてならないということは、不安しか惹起しないであろう。
しかし五官を封じることはつまり生きていないということだ。生きることとは見たくも聞きたくも話したくもないものが現前に聳え立つなかで、それをあえて無視し、その存在を表面上は意識しないように振る舞い、見えない向こう側にある夢想されるべき美を信じ感じとることが人生の妙味なのだ。
今の世の中、生きてないように生きるのは簡単だ。思考をアウトソーシングに、まわりの雰囲気になんとなく和合すれば良い。多少の齟齬は酒で埋めちまえばよいのだ。
だが。この文章はそのためではない。
友よ、そのような音ではないのだ。
生きているように生きられること
いうなれば、
"死ぬために生きることを可能たらしめること"
である。
さて、幼少期から話を始めようか。