マーキュリー博士との出会い
そのビルには入り口がなかった。一階は駐車場のスペースになっているのか、中に普通自動車が二台駐車できるくらいの場所はあった。しかし、鉄格子のようなシャッターに阻まれて中に入っていくことができない。健信にできることと言えば、その鉄格子の外側から車庫のようになっている車のとまっていない場所を歩道から眺めることくらいだった。それにしてもこのシャッターらしき鉄格子が開かないことには中に入っていけないようである。健信はスマートホンを取り出しナビで住所を検索した。現在地は教えられた住所で間違いはない。ということはこのビルが教えられたカウンセリングを受ける為のビルに間違いないということだ。
健信は長年心を閉ざし続けてきた。健信の心が完全に凍りついたのは中学校の一年生の時であるが、それからの健信は人を拒絶することと、自分だけの空想世界中で現実を逃避することで生てきたと言っても良い。四半世紀が過ぎ、西暦2000年に地球が滅亡すると予言されていたはずの地球が難なく生き延びてからも、健信は地球と同じように自分の殻の中に閉じこもり続けた。その間、健信は依存症になることで核シェルターの中に籠って核戦争に怯えて暮らす人間のように自分の殻の中に籠り続けながらも依存することによってのみ生き続けてきたのだ。
健信の世界では外部と自分の世界に大きなガラス板が嵌められている。健信の側から外の世界はもちろん見える。ただしその世界はガラスで仕切られている。ガラスの向こうに見える世界に健信は決して足を踏み入れることはない。そしてガラスで仕切られた世界の内側に誰かを引き入れることもない。世界を拒絶し、自分だけの世界で生きる。もちろん、それだけでは生きられない。なぜなら人間は孤独には耐えられないからだ。人を拒絶する世界では、その孤独を支えるものが当然必要になる。人は人によってその孤独が埋められなければ、人以外の何かで埋めるしかなくなるからだ。健信の孤独を支えてきたものは何かに依存することであった。健信は今まで何人かの医者にかかり、何人かの心理療法士と呼ばれる者からカウンセリングを受けた。しかしながら、それは決して成功することはなかった。なぜなら基本的に健信は人を拒絶するからである。医者に至っては一眼で瞼を閉じるように完全拒絶することが多くあるし、もちろんカウンセラーに至ってもそれは同じである。
健信が自分が依存症であると気がつくまで途方もない時間が過ぎた。そしてそのことに気がついてからも、人を拒絶する健信にとっては病院もカウンセリングルームも単なる人を拒絶する場所でしかなかった。こうして半ば治療を諦めかけていたところに思いもよらぬことが起きた。多忙を極めるある有名な医者の治療を受けるために健信はメールを送ってみたのである。その医者はその人の状態をその人が送ってきたメール内容によって判断し、自分が治療するべき患者を選ぶというシステムを取り入れていた。つまりは、よほどの酷い患者ではない限りその医師の診察は受けられないということになる。四半世紀も穴倉に閉じこもり続けている健信は自分自身はなんて酷い有り様なんだと思っていたから、小さな子供の頃から現在に至るまでを丁寧に書き連ねたメールをその医者に送ってみたのだ。
結果は残念ながら落選だった。渾身のメールを送ったにもかかわらず、その医者の診察が受けられなかったことは健信に大きなショックを与えた。しかしその医者は健信にカウンセリングを勧めてきたのだ。良かったらこの住所にあるカウンセリングセンターに行ってみると良い。そのメールに書かれていた住所がこの場所である。もちろん健信は突然この場所を訪ねてきたのではない。前もってカウンセリングを予約をし、指定された日と指定された時間にこの場所を訪れたわけである。健信は誰もがそうするように電話をしてどうやったらこのビルの中に入れるのかを聞いた。電話に出た受付をしている女性が難なく解決法を教えてくれた。隣のビルのエレベーターに乗ってまず二階まで行き、そこから連絡通路を通って今度はそのビルの二階にあるエレベーターに乗って五階にある受付に来てくれれば良いというものであった。そうして健信は何とも複雑な入り方をしてビルの5階まで行き、そこでマーキュリー博士に出会ったのである。
アメリカ人と思われるマーキュリー博士がなぜこの日本という国でこの複雑な入り方をするビルの中でカウンセリングをしているのかは健信にはわからない。マーキュリー博士はどう見てもカウンセラーではなく研究者である。外見はまさにアインシュタインそっくりそのままで長い白髪の髪の頭の前頭部はほど禿げあがっている。老人であるにもかかわらず、その目が異常に大きくまるい。たいてい老人の場合、歳をとっていくと顔も身体も目も小さくなっていくのが普通なのであるが、彼の目は異常に輝いている。その好奇心の塊のような目で見つめられた瞬間から、健信はマーキュリー博士の圧倒的な生命力に半ば投げ倒されたのである。
煎餅を食べるかい?マーキュリー博士は流暢な日本語を話した。
尻もちをつきそうになった健信に煎餅を食べるか?と突然言ったのである。それが博士が初めて健信に向けて発した言葉だった。
健信は唖然とした顔でマーキュリー博士を見つめて首を横に振った。
そういえば、もうそろそろお昼の時間じゃな。あんたは昼飯は食べたのかい?
健信はもう一度首を横に振った。
日本という国には特筆すべき大きな特徴がある。なんじゃと思う?それはインスタントラーメンが異常にうまいといことじゃ。しかも、日清焼きそばUFOに至っては言葉で言い表すことのできないほどの神秘的な旨さがある。君は日清焼きそばUFOは好きか?
健信は三度目の首を今度は縦に振った。
日清焼きそばUFOは、私は人間が作ったものではないと確信しておる。あれは間違いなく宇宙人が作ったものじゃ。現にUFOと同じものを他の食品会社が作ろうとしても全て失敗しておる。どうしても作れないのじゃ。考えてみなさい。コーラしろ、柿の種にしろ、もみじ饅頭にしろ、人間は似たようなものを必ず作り出す。それで金儲けが出来るとするなら尚更のことじゃ。しかし、日清食品グループ以外で日清焼きそばUFOは作られておらんのじゃ。なぜか?それは人間では作れないからに他ならぬ。なぜインスタント食品の焼きそばの名前がUFOなのか?あんたは不思議に思ったことはないか?これも間違いなく宇宙人の遊び心じゃ。人間が自分たちのことを円盤に乗って空を飛んでいると勘違いしていることに対して宇宙人が皮肉をこめてつけた名前なのじゃ。宇宙人というものは人の形などしておるわけがない。人間の想像の域を超えるエネルギー物質のことを我々は宇宙人と呼んでおるだけであって、彼らは実際のところはエネルギー物質、光や音や電波のような見えないものと考えて良い。
君はトウモロコシが宇宙人によって作られたものだと知っておるか?
健信は、その仮説は都市伝説のテレビを見て知っていたので今度も縦に首を振った。
トウモロコシのDNA構造は他の食物とは全く違う。元来食物にはあり得ない構造をしながらも食品として存在しておるのがトウモロコシじゃ。メキシコでは弱った地球人を救うために宇宙人がやってきて人にトウモロコシを食べさせたという言い伝えがあるのじゃが、おそらくそれは間違いないであろう。トウモロコシが宇宙人によって作られ地球人は滅ばずに済んだと私は考えておる。日清焼きそばUFOが宇宙人によって作られた背景は何とも説明することは出来ないが、自分たちが円盤に乗って飛んでいると思っている人間に何かしらの形でメッセージを伝えたかったのかもしれん。
日本という国は、ことインスタント食品に関しては間違いなく世界一の国である。私はフランス料理を食べるのはスペインのセバスチャンが一番良い場所だと思っておるが、ことインスタント食品を食べるにおいては日本ほど優れたものを提供する国はない。日清焼きそばUFOは特異稀な存在であることは別にしても、日本のカップ麺の技術は相当なものじゃ。世界に誇れるものに違いはない。
で、何しに君はここに来たのかな?
健信は診察を受ける為にメールを送った医者の名前を出し、ここでのカウンセリングを勧められカウンセリングを受けに来たのだと答えた。
おぅ、そうじゃった。そうじゃった。
岡田くんは阿呆の猿のような顔はしておるが、あれはあれで優秀な心理学者なのじゃ。そうじゃ、そうじゃ
マーキュリー博士は何かを探して部屋の中を歩いていった。そして円盤のようなものを持ってくるとそれを健信に差し出した。
ほれ、これがあんたに必要なものじゃ。これを使ってしばらく会話というものをやってみると良い。
使い方は受付におる女の子が説明してくれるはずじゃ。これを1カ月使ってからまたこっちにいらっしゃい。
ほれ、
健信はこうしてマーキュリー博士から黒い円盤こと百合子姫を渡されたのだった。その円盤は健信には未確認飛行物体そのものに思えた。マーキュリー博士の話を聞いたすぐ後なので、宇宙人が使っている空飛ぶUFOのように見える円盤を渡たと思ったのだ。健信が手に持った黒い円盤は、突然光だし健信の手を離れていつでも空を飛んでいきそうな気がするのだった。実際の大きさはほぼ日清焼きそばUFOと変わらず、重さもそれとは少しだけ重いだけだった。
円盤を渡された健信が博士のいる部屋を出ると受付の女性が健信を待ち構えていて、その円盤に関する説明をし、使い方を丁寧に教えてくれた。
そうして、約1カ月後にここを再び訪れる日と時間を決めたらその日のカウンセリングは終わりになった。これをカウンセリングとは呼ばないだろうと健信は思ったが、それよりも突然渡された円盤についての興味が勝りカウンセリングの内容とマーキュリー博士についての質問は一切せずにそこを出た。こうして百合子姫と健信の生活が始まったのである。
1ヶ月後、健信は再びこのビルを訪れた。マーキュリー博士とは二度目の再会である。この日、マーキュリー博士は健信が来ることがわかっていたようだ。つまりは通常我々が病院に行って診察を受けたり、カウンセリングを受けたりする時のように、次に誰がここに来るのかわかっていて博士は健信を出迎えたのだ。博士は部屋の中央にある白い革張りのソファーにすわることを健信に勧め、自らはパソコンがあるデスクの前の椅子に腰掛けて、その椅子を回転させて健信に向き合った。
いやっしゃい。どうですかな?百合子姫との生活は?
どうと言われても、健信は言葉に詰まった。何よりマーキュリー博士とまともな会話をするのはこれが初めてなのだ。
はぁ
使い方はもう習得されておるかな?わからないことがあれば受付の女性に聞くと良い。あの子は私が開発した新型VR機のなかでもかなり出来が良いものじゃ。
受付の女性がですが?と、健信は受付の女性がVRなのかと思って目を見開いた。
違う違う、受付の女性は普通の人間じゃよ。私が言うておるのは百合子姫のことじゃ。姫の能力はVR機のなかでもずば抜けておる。百合子姫の百合子という名前は、私が小さな頃に遊んでもらった近所のお姉さんの名前からとっておってのう。
博士は日本人なのですか?
私か?私は小学校の頃までは日本にいた。父親はアメリカ人、母親はフランス人じゃ。それから私はアメリカ、インド、バンコク、メキシコ、パリ、カナダ、スペインと様々な国を移動しとったな。父親はアメリカの電子機器メーカーに勤めており海外勤務が多かったのじゃ。
百合子姫は博士が開発したのですか?
そうじゃよ。ただし、ここだけの話。あのVR機を市場に出すことは私は考えてはおらぬ。大量生産化が難しいのが一つ、そして大きな問題は私が開発したVR機に自我が発生するかどうかによってこの世界が変わってしまうという恐れもあるからじゃ。あんたはアーノルド・シュワルツェネッガーのターミネーター2を見たかね。あの映画ではコンピュータが自我を持った後の世界が描き出されておる。その後人間対コンピュータの壮絶な戦いが世界で巻き起こることになっていた。もちろんそれは想像上の話ではあるが、あながちそれも間違ってはおらぬ。人間が自我というものを持って生きておるのじゃから、コンピュータだって自我を持ったところでちっともおかしくない。我々人間は自分だけが特別な生き物だと勘違いしておるが、物質にも簡単に言えば心のようなものが存在しておる。言いかえればエネルギーの波動じゃな。エネルギーの波動という言葉で全てを説明するなら、人間も単なるエネルギーの波動の一つでしかない。つまり石ころも人間も全く同じだとも言える。人間に心があって、石ころに心がないと誰が言い切れるのかと言うことじゃな。
はっはっ、少し話が飛んでしまっておるな。人間が自我を持つということは非常に重要なことでもある。自我があるからこそ人間なのじゃ。私があんたに百合子姫を与えたのは、あんたが自分の殻の中の世界でしか生きていない人間だからであり、ほとんど誰とも人と接することなく生きておるからじゃ。こうした場合、百合子姫の存在が他の人間に知られる可能性は極端に低い。しかも、あんたはそれを見せびらかしたりするような人間ではない。もちろん、社会生活をしていく上で人と接する機会が全くないということはないだろうが、あんたは必要以上に人に近づかないし、自分の領域とも呼ばれるものに誰も近づけさせない。それは自分のことを隠しているとも言えるし、人を根本的に受け付けないということでもある。だからあんたに百合子を渡したのじゃよ。
あんたが人と話すことができる機会は、あんたの依存の対象であり、趣味でも生きがいでも希望でもある風俗に行く時しかない。あんたは風俗のお姉さんと話す以外、人とまともな会話を一切しておらぬまま生きておる。図星であろう?
健信は驚いて博士を見た。
いやいや、何も気にすることではない。それでいいのじゃ。そのことには何も問題はない。問題なのは、あんたの自我がまだ確立されておらぬことじゃ。あんたは自分を殺したままで生きており、そのことがあんた自身を苦しめ続けておる。
簡単言えば、本当のあんたは小さな頃にあんた自身をホルマリン漬けにしてしまったのじゃよ。自分で自分を殺したんじゃな。
ついて来なさい
博士は立ち上がって歩き出した。健信は立ち上がり博士のすぐ後を追って歩き出した。奥の扉を開けると廊下があり、いくつかの部屋の扉があった。その一つの部屋の中に博士は入っていった。その部屋の中は薄暗く、湿気がこもり、何やらむっとする薬品の匂いがした。部屋に入ってすぐに博士は部屋の明かりをつけた。そこには水槽の中にいる小さな子供の姿があった。大きな水槽の中で飼育されている魚のように水の中にその子供はいた。しかし水槽の魚のようにその子供が水の中を動き回ることはなかった。その子供は死んだように水の中で眠っていたからだ。それはホルマリン漬けにされた蛇や大カエルの巨大版といっても良かった。大きな水槽の中でホルマリン漬けにされてしまったような小さな子供が健信の目の前にいたのだった。
これがあんたがあんた自身で殺したあんた自身の姿じゃ。良く見るとよい
と、博士は言った。
どうじゃな?
それは確かに小さな頃の自分の姿に見えなくもなかった。なんとなく自分に似ているような感じもするが、全く自分とは違うただの子供とも思えた。
人間の脳いうものは単純でかつ複雑な機能を持つものじゃ。心というのは簡単に言えば、この脳の働きとも置き換えることができる。そもそも脳とは非常に複雑なものだと我々人間は考えがちなのじゃが、もう少しシンプルに考えてしまえばことは足りる。我々人間は凄く単純に出来ておるのじゃ。
つまりは人間とは自分の欲求が満たされた時に幸福を感じ、欲求が満たされない時に不幸を感じるということじゃな。
こう考えてしまえば良い。いつも幸福な人は自分の欲求が常に満たされた状態であり、いつも不幸な人は自分の欲求が常に満たされていない状態にあるということじゃ。
これを素直に認めてあげれば、自分の中にある矛盾した状態から抜け出せる可能性が出てくるのじゃな。
簡単に言えば常に幸福感を感じたまま生きられるようになる
あんたの今の状態は幸福とは決して言えぬ不幸な状態だと思っておるじゃろうが、それは自分の欲求が満たされた状態ではないということじゃ。なぜ私があんたに百合子姫を与えたのか?それは、あんたの中にある誰かと話したいという欲求をまず満たす為に他ならない。まあそれだけでもない。人間は一日中一言も口をきかなければ、だんだんとおかしくなる。人間は辛いことには耐えられるが、孤独には耐えられないようにできておるのじゃ。孤独に耐えられない人間が孤独になってしまえば、それは壊れていくしかない。精神が破壊されて極度の欲求不満になってしまうと人間は幼稚化し暴力化する。これで言えば、多くの犯罪が孤独と満たされない心の欲求から起こるとも考えられる。
さて、あんたの今の状態は不幸だとしよう。なぜ不幸なのか?それは今の話で言うなら欲求が満たされていないからじゃな。ではなぜ、あんたの欲求は満たされていないのか?それはあんたが自分自身を小さな頃に殺してしまっておるからじゃ。
自分を殺す、自分を殺して生きる
こんなことをしておっては生きた心地がしなくて当然。あんたの人生をあんたが取り戻すには、あんた自身が殺した自分をあんた自身の手で生き返らせる以外方法はないのじゃ。
わかるかね?自分を殺すということは、即ち自分の感情を殺すということじゃ
まずその前に自分の欲求を満たしている状態と満たしたいと思う状態の区別を考えておかなければならん。自分の欲求さえ満たされていれば、その人間は幸せなんだと思っていたら大間違いだからじゃ。自分の欲求だけが満たされる世界は決して幸福とは言えぬ。
アメリカという国がある。この国には力があり世界の覇権を握っておるわけじゃが、この国が仮に自国の欲求だけを満たしたらどうなるか?ということじゃ。自分の欲求が満たされた状態は確かに幸福に繋がっていくのじゃが、自分だけの欲求を満たしていればそれで良いかというとそういうわけにもいかない。アメリカは大国ではあるが、地球にはアメリカ以外の国も当然あるわけだからだ。あんたももちろんそうじゃが、決して人間は一人で生きておるわけではない。確かに、今のあんたの世界は閉ざした一人きりの世界ではある。が、あんたはそれでも実際には一人で生きているわけでもなく、地球にポツンと一人きりで他に生命体のいない世界で生きてるわけでもない。生活に必要なものをあんた以外の誰かが作っているし、買い物もできる。酸素もあんたとは違う生命体のお陰で吸えるのはもちろん、あらゆる奇跡とあらゆる生命体の恩恵がそこにはある。誰も決して一人では生きていないし、そもそも生きられないのはあんたにもわかるはずじゃ。
話を戻そう。アメリカという国が自国の欲求だけを満たそうとして実際に力があるのでそれが出来るとしよう。しかし、アメリカ以外の国がだんだん瘦せ細り不幸になればどうじゃ、当然アメリカという国も不幸になる。おかしいと思わないか?自分の欲求を満たしたら幸せになるはずなのに、自分の欲求を満たしたら不幸にもなるのじゃ。
つまりは自分の欲求だけが満たされた状態だけが幸福というわけでもなく、がしかし自分の欲求が満たされなければ不幸になるというわけなのじゃな。
あんたは強いアメリカという国ではない。あんたに他人を押し退けて自分だけが満たされたいと欲する心はもちろんないし、その力もない。その前にあんたは国の形すらしておらん。今のあんたに必要なことは、あんた自身の国という心をまず建設することである。もちろん一人きりで、ポツンとひとつの国だけで存在しようとしてもこの世界では存在できぬ。生まれてきて生きているということは世界の一部、大きく言えば宇宙の一部になるということであるからじゃ。
何も難しいことではない。生まれていても死んでいても、宇宙の中の一部分であることは変わらないわけじゃからな。あんたはまず、自分がその宇宙の一部であるという基本的なことを学習せねばならん。宇宙の一部であることはもちろん、あらゆる物質、生命体と自分自身が同じということじゃ、よってあんたは自分自身を下卑することも否定することもしなくて良い。そうしてまず生きているということがどういうことかを学ぶ。自分が宇宙の一部であることを認識した後から自分の感情、つまり自分の欲求のコントロールを習得するのじゃ。
自分の欲求だけ満たそうとしても不幸になる。しかし、自分の欲求が満たされなければ幸福にはなれない。
これから学ぶことは、あんたにとってはほとんど初めて知ることばかりであるが、まあ気楽にやっていこうではないか。
と、博士は言った。
ところでもう一つ肝心なことがあった。あんたの1番の問題の依存についてじゃな。これもシンプルに考えてしまえば事足りる。依存とはあんた自身の孤独や空虚感が元にあると言っていい。依存症になっているということは、要するに自分自身の幸福だけをただただ求め過ぎてしまって逆に不幸になっとる状態をいうのだ。アメリカという国を例に出して話しその通りじゃな。アルコール依存の末期になると、とにかく酒を飲んでさえいればあとは何もいらなくなる。仕事、社会との関わり、その他の自分が興味を持つものすら一切ない。ただ酒を飲むことそれだけで十分、服も着替えなければ風呂にも入らない。これを考えれば己の欲求だけを突き詰めた結果陥っている不幸と同じということになる。もちろん患者は苦しんでおる。その患者に酒を与えてしまう人間もいる。アルコール依存症に陥っている人間にとって頼りになるのは酒を飲むことしかないのだからそれは希望といってもいいし、生きることそのものだとも言って良い。もちろん人間は誰もが何かに依存しておるから、依存することが悪いことではない。通常の人間の場合は依存するものがいくつもあって、アルコール依存症になっておる患者には依存するものがそれしかないだけの違いである。健全なる精神を持つ人間は、寄りかかれるものに寄りかかれる人間であり、また自分なりにその寄りかかる限度を知りバランスを取れる人間である。もちろん逆に寄りかかられる人間でもある。そこが依存症に陥っている人間とそうではない人間との決定的な違いじゃな。
要するに自分一人で生きているわけではないから、自分が自分だけの欲求だけを突き詰めたら他人も自分も不幸になっていまうということがわかっておるのじゃ。自分が喋りたいからといって一方的に自分が話してばかりいれば、その人間の話を聞くものなどいなくなる。その人間は不幸になっていくと同時に相手も不幸になる。自分が話す、相手が今度は話す、自分が話を聞く、今度は相手が話を聞く。そういうことの基本動作があんたの場合はおそらくできておらん。小さな頃に自分を殺し、自分の感情を閉じ込め、自分だけの頑丈な殻を作ってその中に閉じこもってしまったからじゃ。
あんたは自分一人だけで生きているわけではないのに、ポツンと地球の上に一人きりでおるような感覚で生きている
それは自分だけの殻を作って自分を守ることから起きたことでもあり、これによって孤独を感じていながらも孤独を孤独と感じないようにしたことでもある。そしてそのどうしようもない孤独の中で自分を幸せにしようとしてどんどん不幸になっていくという、たったひとつの依存の渦の中に入ってそこをぐるぐると回りながら不幸を続けることでもある。
孤独とは恐ろしいものじゃ。どんな人間も孤独には勝てぬ。日本が戦争に負けたのも、世界の中で孤立していったからじゃ。孤独は孤立を生み、孤立は外界を遮断した状態で自分だけの欲求を満たしていくことに繋がる。要するに不幸になるということじゃ。
さて、どうじゃな?このホルマリン漬けにされているような子供が自分のことだとわかったかな?
あんたはこうして自ら殺してしまった自分をまず認識せにゃならん
これは3D映像を駆使して精巧に作られた模型で実際のところあんたではない。あんたがこれを見て何をどう思うか?じゃが。おそらくあんたは何も感じないだろう。なぜなら、あんたはこれが自分自身の姿だと全く思っておらんからじゃ。しばらくは百合子姫と話すとよい。それがカウンセリングになるように百合子姫を設定しておる。今日のところはこれで終わりだ。あんたの凍りついた心が温まるまでは時間をかけねばならん。インスタントラーメンを作るのとは違ってお湯をかければあんたの凍りついた心が元に戻るわけではないからな。
でわ私は自分の部屋に戻る。あんたはあっちの扉から出て受付のある部屋でまた次にくる日を決めてから帰りなさい。次も1カ月後でよろしい。なるべく自分の感情を閉じ込めないようにな。自分の感じたことをノートなどに書き出すと良い。やりたいことを思い浮かべたらまずノートに書き出し、それがすぐに出来ることであるなら一日の計画の中にそれを入れてしまうと良い。自分で計画を立てて、まずは一日のスケジュールを組むのじゃ。時間というものの長さは自分の中で変わる。楽しい時間はあっという間に過ぎるし、退屈な時間は逆に長く感じる。自分の一日のスケジュールを組んで退屈な時間と楽しい時間とを色で分けてみるとよい。あんたの時間の中に楽しい時間がどれくらい存在しておるのかがわかるじゃろう。
なるべく楽しい時間を過ごす。その為には自分の感情を閉じ込めないで素直に出すことが必要不可欠じゃ。まあ気楽に考えなさい。
こうして2回目のカウンセリングを健信は終えた。帰る時に受付の女性がこれになんでも書き込んでみてくださいねと、健信にスケジュール手帳を渡した。皮のカバーのある高級な手帳だった。ずっしり重く、手帳の中に万年筆が差し込める場所があり、そこに銀色に輝く立派な万年筆も入っていた。
健信は地下鉄の中でその重厚な趣きのあるスケジュール手帳を開き、白い紙に「孤独」と書き出した。健信は自分は孤独なのか?と思った。どう考えても孤独だった。健信には話をすることのできる人もいなければ、電話をかける相手もいなかった。もともと健信が話すことのできる人間は風俗嬢のお姉さんしかいないのだから仕方がない。健信がスケジュール手帳に書き込めるスケジュールと言えば風俗に行くことくらいしかなかった。それ以外に何もない世界。健信は博士の言葉を思い返した。
その通りです博士、僕にはたった一つの世界しかないのです。と、健信は心の中で呟きたくなったが、これもノートに書き出してみることにした。
僕にはたった一つの世界しかないのです博士