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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

砂時計

作者: Kleha

※海賊なので、言葉遣いが汚いです。ご容赦ください。

 暑さのあまり、頭が沸騰しそうだ。斬り合いの激しい動きについていけず、ぐしゃぐしゃにもつれ、汗で顔に張り付く赤い髪を振り回して、フレイアーネラは目の前に膝をついた若い女をにらんだ。たった今、カトラスを叩き落としてやったばかりだ。ほんの五、六合だけで、すぐにこれだ。おもしろくない。

「弱いなあ」

 ぎらりと、背の高いフレイアーネラの金色の目が光った。余裕たっぷりに幅の広い肩をすくめ、厚い唇を斜めにつり上げてやった。刃の分厚い、ゆるく沿った海賊の切り込み刀、カトラスをもてあそびながら、楽しげだったが、どこか残酷な笑顔だ。

「この……」

 それを見返してうなった相手は、きれいに櫛の通った金髪のかかる肩が上下するほど激しく息をしている。対照的に、その目の前に立つフレイアーネラは、腕を組んで、相手の船の甲板に仁王立ちしている。船が揺れても、彼女は揺るがない。息の乱れた気配もない。真夏の暑さに、鼻の頭に浮かぶ汗を乱暴にこすっているだけだ。

「ふん、もうそれでおしまいかい、《赤目》。《骨海蛇》の頭目の娘ってわりに、大したことないんだね」

 琥珀色の目を細め、傲然と立ちはだかっていたフレイアーネラはカトラスを構えた。厚い唇がゆがみ、一歩、前に足を進める。若い娘にしておくにはもったいないほど大柄なたくましい体が、海賊船のマスト越し、真上からの日差しの中を、ゆっくりと《赤目》と呼ばれた女に近づいていく。

 フレイアーネラの足下に崩れているのは、西海を荒らす海賊団、《骨海蛇》の頭目の娘で、《赤目》と呼ばれている女海賊だ。

「あんたみたいな弱いのでも船を指揮できるなんて、よっぽどの人手不足だね、《骨海蛇》は」

 思いっきりバカにした口調で、十七歳のフレイアーネラは相手を見下ろした。

 《骨海蛇》の船が、今朝早く、六隻の船団を組んで、西海をゆく海賊たちの補給基地、スサの沖に現れた。フレイアーネラは、父親のヴィルディースのかわりに、父親の船、《勝利の宝冠》号の指揮を執って彼らを迎え撃ちにいった。あとに続いたのが、この春に作ったばかりの《陰鬱な冥王》号と、同じく春に船長が代替わりしたばかりの《黄金の栄光》号、たった三隻だけだった。真夏は、西海一体に強い風が吹く。海賊たちにとっては稼ぎ時だ。帰ってきている船は少なかった。

 三隻の指揮を執ったフレイアーネラは、真っ先に、《骨海蛇》の頭目、《金目》の船に飛び乗った。切り込みのときに一番乗りをとるのはいつも彼女だ。仲間を率いて《金目》の船を荒らしていたら、頭目の援護のため、《赤目》が乗り込んできた。相手は、のべつ幕なしに船や沿岸の町を襲う悪名高い海賊団の頭目の娘だから、強いのかと思って戦いを挑んだら、これが、あきれるほど弱かった。

 フレイアーネラは、風にうるさく散る髪をかき上げて、忌々しげに唇をゆがめた。本来なら、こういうときにスサの海賊を束ねるのは父親のヴィルディースの仕事だ。だが、今日に限って、「俺は二日酔いだからお前が指揮を執れ」などとのんきなことを寝床の中から放ってよこした。

「ったく、親父め、面倒なことばっかりこっちに押しつけて」

 口の中でつぶやくと、彼女は《赤目》の目の前にカトラスを突きつけた。名前を裏切る青い目が、フレイアーネラの切っ先を写している。汗だくになっている《赤目》の顔にも肩にも、うっすらと赤い血がにじんでいた。フレイアーネラに付けられた傷だ。対峙しているフレイアーネラは、カトラスを握る右腕に細い傷がひとつ、あるだけだった。

 琥珀色の瞳が、もつれた赤い前髪の影になる。身をかがめるように、《赤目》を見下ろし、

「降伏するなら、とりあえず殺さない。あんたは、あたしよりも弱いから」

 頭の上から降ってきた言葉に、《赤目》が唇をゆがめた。弱いくせに、それを指摘されると腹を立てるかと、フレイアーネラは余裕でそれを見下ろした。

 《赤目》の呼吸が細くなる。細い指が、甲板の上で落としたカトラスを探るように動く。指が、武器に触れた。

 武器を探り当てた彼女が膝をたわめたとたん、フレイアーネラが、ぱっとカトラスを翻した。きん、と甲高い音がして、はじけた刃同士が、夏の日差しにきらめいた。

「ちっ」

 不意打ちを食らって、行儀悪く舌打ちをすると、フレイアーネラが飛び上がった。その膝のあたりを、《赤目》のカトラスが勢いよくなぎ払って通り過ぎる。甲板に足をおろしたフレイアーネラがふたたび突進しようとした矢先、

「お嬢、ひけっ」

 スサの海賊が声をかけた。彼女の父親に従う海賊たちの言葉に、フレイアーネラがとっさに目を横に向けた。不意を突いてきたはずの《赤目》とのやり取りの間でも、彼女にはそれだけの余裕がある。

「げっ、ケシェメの馬鹿っ」

 逃がしてどうする、とフレイアーネラが叫んだ。

 相手の海賊船が一隻、こちらに近づいてきている。スサの若い海賊船長で、《陰鬱な冥王》号を指揮しているケシェメライルが押さえていたはずの船だ。黒く塗りつぶした眼窩を持つ骸骨の蛇が砂時計にからみついている旗を翻している。《骨海蛇》の《黒目》の船だ。船長の顔までは、フレイアーネラも知らない。

 それでも、名実ともに《骨海蛇》の中では手強い、有名な船だったから、

「しょうがない、ひくよっ」

 フレイアーネラが叫んだ。その目の前に、《赤目》が斬りかかる。悔しげな顔が、フレイアーネラの目の前に迫った。もう一度、鋭い舌打ちの音を響かせたフレイアーネラが、それをはじき返す。勢いと、力の強さに、《赤目》の腕ごと、カトラスが後ろに流れた。それに引っ張られて、《赤目》の体が仰向けにひっくり返る。

 斬り合う二人のうしろで、海賊たちが素早く自分たちの船、《勝利の宝冠》号へ戻っていく。最初に切り込んできたフレイアーネラが最後を守る。なにしろ、彼女はスサの大海賊、ヴィルディースに鍛え上げられた愛娘だ。そんじょそこらの男が束になってかかったって勝てない。うかつに彼女を助けようとするよりは、彼女が少しでも早く戻れるように素早く動く方が正しい。

 仲間の海賊たちが船に乗り移ったのを確認すると、フレイアーネラが《勝利の宝冠》号へ戻ろうとする。だが、そこに、またしても《赤目》が性懲りもなく斬りかかってきた。構えもなっていないし、力もない。フレイアーネラが余裕で受け流したときに、《骨海蛇》の主船がゆれた。横腹に、《黒目》の船がつけられた衝撃だ。

「う、わっ」

 その勢いに、たたらをふんだフレイアーネラの大きな体が舷側を超えた。《勝利の宝冠》号から悲鳴が上がったが、彼らの指揮官は、舷側にしがみついて、どうにか体を甲板に引き上げる。

 そのまま、彼女はちらりと自分の船に目をやって、手を振った。戻れという合図に、彼らはすぐさま従った。なにしろ、ここからスサは近い。フレイアーネラならば、船がなくても、泳いで帰ってくるだろう。

 《勝利の宝冠》号が下がっていくのを確認して、フレイアーネラは甲板に山と積まれていた箱の陰に隠れる。《赤目》はどうやら、フレイアーネラが海に落ちたと思ったらしい。すぐさま身を翻し、父親である《金目》のそばまで戻っていった。

「あいつ、あれでも海賊かい」

 思わずフレイアーネラがつぶやいた。大柄な身をできるだけ小さく縮めて、《赤目》をあきれたように見送る。カトラスの腕はからきしだし、力が強いわけでもなければ、抜け目がないわけでもない。

 《金目》の船に横付けにされた《黒目》の船から、海賊たちがどっと乗り込んできた。どうやら、この船が苦戦しているのを見て、助けに来たようだ。

 ひときわ目立つ、背の高い男が、頭目のそばに近づいていく。髪も、着ているものも黒い。肩幅など、スサの海賊の中で一番大柄なヴィルディースと大差ないくらいだ。

 周りでなにが起こっているかなど気にしたふうもない、悠然とした足取りだった。

「あいつ、もしかして……」

 口の中でフレイアーネラがつぶやいたときだ。ぎらりと、カトラスが光をはじいた。《赤目》の悲鳴が響き渡る。

「なっ」

 絶句したフレイアーネラの前で、あっという間に同士討ちが始まった。フレイアーネラが箱の影から飛び出しても誰も気がつかない。

 黒い髪の男が突き付けたカトラスが、《骨海蛇》の頭目の首をマストに縫いつけていた。男の肩に向かって、頭目の《金目》が大量の血を吐いたのが見えた。その周りに、《骨海蛇》の海賊たちがどっと押し寄せる。彼は、カトラスから手を離すと、攻撃してきた《骨海蛇》の海賊たちを銃の台尻で殴り倒し、身軽に、フレイアーネラのいる船尾の方までひいた。とっさにフレイアーネラが甲板に伏せて身を隠す。

 一段高いところに飛び上がって、彼は、陽気な、暗いところのない豊かな声を上げて笑った。その笑い声に、緊張がきりきりと張りつめて、重苦しい沈黙が落ちた。

「どうする、頭目は死んだぞ!」

 笑いを納めると、一転して深みのある低い強い声になった。あまりにも堂々とした後ろ姿に、彼が海賊団を征伐しようとしたようにも見える。どこかの海賊狩りかなにかが、《黒目》の船を乗っ取ったとでもいうのか。だが、どう見てもあれは、仲間によるだまし討ちの裏切りだ。

 いったいどうして。

 おびえた顔の海賊たちを見下ろしてフレイアーネラは口の中でつぶやいた。

 《骨海蛇》の結束は固いと聞いている。仲間を裏切れば、どこまでも、海賊たちが追いかけて八つ裂きにする。見せしめの死刑も多いと聞いている。

 そんなところで、船一隻丸ごと反乱が起きるなど、どうかしているとしか言いようがない。

 黒い髪の男はふたたび甲板に飛び降り、襲ってきた茶色い髪の男の胸の真ん中を貫いた。重たい音がして、茶色い髪の男が崩れ落ちた。甲板に倒れた男の目を、黒ずくめの大男が閉ざしてやる。

「あっ」

 フレイアーネラが小さくつぶやいた。かがみ込んだ彼の広い背中めがけ、灰色の髪の男がカトラスを振り下ろしたからだ。小さく前のめりになった黒い海賊が、振り返るなり、灰色の髪の男の目に銃を向けた。その黒髪を、うしろから《赤目》がつかむ。頭がのけぞったが、指は引き金を引いていた。

 弾丸は、灰色の髪の男のこめかみを削り、フレイアーネラの隠れている箱に突き刺さった。

「危ないな」

 フレイアーネラが箱の影から舷側のそばに抜け出した。一部始終を見届けてしまったから帰るつもりだった。自分が見たことは、父親に詳しく伝えることになるだろう。

 舷側を乗り越える寸前、ちらりと、甲板に目を向ける。

 もしも、誰かがこちらに気づいていれば、やっかいだ。そう思って、目を向けただけだった。

 誰も、彼女に注意は払っていなかった。わめく海賊の群れの中心に、取り押さえられた男が見えた。左腕がだらりと下がって、甲板の上に血をあふれさせている。その足首に、砲弾のおもりがくくりつけられた。のしかかって作業をしているのは、灰色の髪の大男だ。右のこめかみから頬をべっとりと血でぬらした男がうすら笑うと、黒い海賊の体を抱え上げた。手も足も縛られて、目隠しをされている。砲弾のおもりは、言うまでもない。

「いかん」

 つぶやいたフレイアーネラが、舷側を飛び越えた。同時に、犠牲者が海に投げ込まれる。

 青い水の中に、男がまっすぐに沈んでいく。

 --間に合え!

 息を吸い込み、頭から潜ったフレイアーネラが水を蹴った。水の中に、彼女の赤い長い髪が大きく広がる。生まれたときから海賊船に乗っている彼女は、泳ぎにはかなり自信がある。だが、その彼女が追いかけても、手が届かない。

 深く潜れば潜るほど、水の中に差し込んでくる光が薄らいでくる。服がまとわりついてきてじゃまくさい。こんなことなら、上着だけでも脱ぐんだったと後悔するが、今さら、それどころではない。光が差し込む量が極端に小さくなり、水の温度が下がる。男が沈む早さを追い越せるかどうか、フレイアーネラにも自信がない。

 暗い潮水の中では、黒ずくめの男は探しづらい。それでも、指先が追いついた。水を一蹴りし、腕を大きく伸ばす。広げた腕の中に、男の体を捕まえられた。力任せに引っ張ったが、砲弾が重すぎて、自分まで一緒に沈んでいってしまう。

 馬鹿野郎!

 水の中で叫ぶ。言葉は、銀色のあぶくになって浮かんでいく。フレイアーネラは、男の腰をつかむと、右腕一本で抱きかかえるようにして足のおもりを切ってやった。ふっと、腕にかかる重みがなくなり、砲弾だけが沈んでいく。

 ほっとして、泡をはき出し、フレイアーネラは、上の方に見える船の影をよけて上を目指した。うかつに顔を出して、上からねらい打ちされてはかなわない。

 十分に船から離れて顔を海面に出す。腕に抱えた男を仰向けにしてやると、その襟をつかみ、引っ張って泳ぐ。

 スサは近い。すぐに海の水は温くなり、色を薄めていく。岩だらけの赤茶けた島の海岸が近づいてくる。気がついた海賊たちが、大きく手を振って迎えてくれる。

 上を見上げると、白く照りつける日差しがぎらぎらと強い。


**

 海からあがって、フレイアーネラは大きく息をついた。ぐっしょりと濡れた体に、強い日差しと乾いた風が心地よい。

「だから言ったろ、お嬢は絶対泳いで戻ってくるってよ」

 海賊たちが集まってわいわい言っているのを無視して、フレイアーネラは自分が引っ張ってきた大男を岩の上に引き上げた。髪が乱れて、彫りの深い顔をべっとりと覆っている。まるで死人の顔色だ。口元に手をかざすが、呼吸はない。

 顔をしかめ、男をのぞき込んだスサの海賊たちが、フレイアーネラを見下ろした。

「お嬢、なんだこいつ」

「知らない」

 短く答えて、フレイアーネラは男の胸元に耳を当てた。打ち寄せる波の音に混じって、正確な鼓動が聞こえてくる。

「生きてるね」

 子どもっぽい笑みがこぼれる。彼女は男の頭をのけぞらせるようにあごを浮かせ、鼻を押さえて、唇を重ねて息を吹き込んでやった。おぼれた人間を助けるためだ。誰もからかいはしない。

「おい見ろよ、この腕」

「ひでえな、こんな深くやられちまって。きちんとくっつきゃいいけどな」

「しかもなんだ、足はくくられて目隠しか?」

「これで海に落とされたわけか? 死ねって言ってるようなもんだな」

「こいつ、いったいなんなんだよ、お嬢」

 照りつける日差しからフレイアーネラと男をかばうように海賊たちは肩を組んで上から問いかけてくる。答えがわかるわけがないから、答えないまま、何度目か、息を吹き込んだフレイアーネラが口を離したときだ。

 ごほっと、男がむせた。すかさず、スサの海賊娘が男の背中を支えて起こしてやる。咳き込んだ男の背中を軽くたたいて、フレイアーネラが苦笑いを浮かべる。

「あーやれやれ、よかった、生き返った」

 フレイアーネラに支えられたまま、男が何度か咳き込んで水をはいた。手を伸ばし、海賊娘が目隠しをむしり取ってやる。のぞき込んでいた海賊たちが手をたたいてはやし立てる。

「おー、さすがはお嬢のキス。効き目はばっちりだな」

「馬鹿野郎、ふつう王子様のキスでお姫様が目を覚ますもんだぞ。まるきり逆じゃねえか」

「しかも絶対お姫様には見えねえもんな、うちのお嬢」

 やかましい馬鹿、とつぶやいてフレイアーネラは男の顔をのぞき込んだ。

 とたん、男にものすごい目つきでにらまれる。闇夜の色をした瞳だ。だが、フレイアーネラはおびえたりしなかった。そんなものを怖がっていて、海賊船の跡取り娘がつとまるわけがない。

「話はあとだ。まず、その腕をどうにかしなきゃ」

 言いかけた彼女に、男が右腕を伸ばした。大きな手のひらが、彼女ののどをつかむ。金色の目を丸くしたフレイアーネラが、男をあきれた顔で見下ろした。

「野郎っ」

「お嬢になにしやがるっ」

 海賊たちがとっさに攻撃の態勢をとったが、フレイアーネラはあわてなかった。「よっこらせ」と、首をつかんだ男の右腕を支えるように両手でつかむと、そのまま立ち上がってしまう。さすがに動きはゆっくりだったが、並の男よりも一回りは確実に大柄な男を首にぶら下げたまま立ち上がれる娘など聞いたこともない。彼女の上半身を起こす動きに男が引きずられる。岩場に膝をついた膝立ちの状態で、呆然とフレイアーネラを見上げていた。

「ったく」

 苦々しくつぶやいて、フレイアーネラは男の手をはがした。スサの海賊たちがあきれてため息をこぼしているのを見ないふりで、力の抜けた大男の体を、彼女はむりやり立たせてしまう。

「威勢のいい土左衛門だね。あたしはスサのヴィルディースの娘のフレイアーネラだ。とにかく、その腕をつなぐのがなにより先だ。話は全部あと」

 そして、言うなり男の足を払った。ぽかんとしていたところにいきなり足払いをかけられて、男の体はたやすくフレイアーネラの腕の中に倒れ込んだ。それを、彼女が軽々と抱え上げてしまう。

 見ていた海賊たちのあいだから、「げえ」と、押しつぶしたようなうめき声が上がった。

 確かに、自分たちの「お嬢」は力が強い。体つきだって、十七の娘と言うよりは、男と言ってもいいくらいたくましい。腕も肩も足も太くてがっしりしている。船の中で腕相撲大会を開こうものなら、決勝戦まで勝ち残るような「お嬢」だ。頭がよくて船の扱いに長けて、力は強くて料理が上手で、繕い物もできる立派な跡取り娘を、父親のヴィルディースだけでなく、《勝利の宝冠》号の乗組員なら誰もが自慢していた。

 だが、だからといって、自分よりもさらに大柄な男を抱き上げるなんて、年頃の娘のすることではない。こればかりは、男のロマンをぶちこわす。

 頭を抱えて彼らは叫んだ。

「冗談じゃねえ、勘弁してくれよお嬢!」

「あーあ、これでいよいよ婿の来手がなくなったな。どこの世界に自分よりでかい男を抱き上げちまう娘がいるんだよ」

「絶対このお嬢、新婚の夜に旦那を抱えてベッドに行くぜ」

「ああ、賭けてもいいが、絶対旦那の上にのしかかるぞ。誰か、賭けにのらねえか?」

「やかましい!!」

 口々に好き放題を抜かす海賊たちをにらんでフレイアーネラが叫んだ。

「話はあとっ! 無駄口たたいてる暇があったら親父たたき起こすくらいしてくれ!」

 へいへい、とにやにや笑った海賊たちが、自分にできることを探して見つけて動き出す。指示を待ったり、他人任せにするような怠け者は、《勝利の宝冠》号には載っていない。

「ったく、人のことからかうよりどいつもこいつも、とっとと自分の嫁さん見つけりゃいいんだ、バカ」

 苦々しく、しかも獰猛にうなったフレイアーネラは、土左衛門になりかけた男を抱きかかえたまま、足下の悪いはずの岩場をひょいひょいと歩いて、岩場にしがみつくような小さな通りへ向かった。

 スサは、西海を行く海賊の中でも、とりわけ「善良」な海賊の基地だ。岩だらけで平地はほとんどなく、洞窟がやたらと多い。岩山の上の方に小さな灌木の茂みがある程度の乾いた島だが、真水は豊富だ。

 自然とそこは、航海をする途中の補給基地になっていく。そこに、十年ほど前から海賊たちが街を作るようになった。

 だが、スサに街があるとは、すぐにはわからない。スサの街があるのは、島のほとんどをしめている岩山の中だ。

 フレイアーネラでは体をかがめなくてはならないほど低いが、横に広い洞窟が、岩場のそばに口を開けていた。フレイアーネラは、大切な荷物を落とすまいとするように男をしっかりと抱えて、その洞窟に入り込んだ。

 フレイアーネラの履いたサンダルの足音が、ひたひたと岩壁に響く。辺りは暗いが、真っ暗というほどではない。見れば、壁のあちこちに小さな明かりがともっている。彼女が進む先から、風が吹き込んでくる。洞窟の、湿った風ではない。乾いた、陸の風だ。

 フレイアーネラが体を起こした。男を抱えなおす。顔をしかめた男が、いきなりの明るさに目を閉ざした。

「スサへようこそ」

 腕の中の男に彼女は声をかけた。男は目を開かない。肩をすくめたフレイアーネラは、日差しのふりそそぐ中に歩き出した。

 赤い岩壁が、ぐるりと周りを取り囲む。ちょうど、岩山の中央の位置になる。かつてここには、巨大な洞窟があったらしい。らしい、というのは、海賊たちがここを根城にしたときにはすでに洞窟の天井が崩れて落ちて、青天井が開けていたからだ。

 洞窟にしては巨大な空間だが、広々とした街を作れるほどではない。そこはちょっとした広場にすぎない場所だ。岩壁に沿うように、何軒かの店が軒を連ねる。店だけしかない、閑散とした広場のあちこちに、洞窟が口を開けている。

 その中のひとつに、フレイアーネラが入った。ふたたび暗くなる。だが、歩けないほどではない。足下と、目の高さくらいにいつもロウソクが燃えている。

 じゃりじゃりと、フレイアーネラのサンダルの下で細かい石が砕ける。ここの岩は柔らかい。洞窟を掘り広げるのも楽だし、何十年かに一度、大きな岩の固まりが落ちて、洞窟の大きさが変わる。細かい石が落ちてくるのなら、年に二回か三回はある。その、割れて砕けたかけらを踏みながら、フレイアーネラは一本道の洞窟をくぐった。ここを使うのは、彼女も含めて標準以上に大きな連中ばかりだ。天井も、横幅もかなり広い。

 曲がりくねってはいたが、枝道がないから迷う心配はない。たいして歩きもしないうちに、ぽっかりと広い洞窟にたどり着いた。フレイアーネラがまっすぐ歩く先に、頑丈そうな扉がある。それを、彼女は乱暴に蹴り開けた。怪我人を抱いて、両手がふさがっているからにしても、かなりひどい扱いだ。

 音をたてて、扉がゆっくり開く。最近、ちょうつがいの油が切れかけていて、素直に開かなくなってきている。近いうちに油をさしておこうと、フレイアーネラは扉の奥に入った。

 ひんやりした空気は乾いていて、香辛料のにおいがした。そこは、ヴィルディースの屋敷の玄関だ。こざっぱりと片づいており、絵や花が飾ってある。とても、海賊の屋敷には見えない。スサの中では広い方に入る屋敷だが、ここは、もともとあった洞窟を掘り広げ、古い船材を使って骨組みを作り、漆喰を塗り固めて壁を作っている。当然、広さに限りがあるから、必要な部屋しかない。陸の上にあるが、そういう意味では船の生活と同じだ。

 玄関を入ってすぐは、五十人からの乗組員が集まれるような広い食堂だ。テーブルも椅子もない。甲板で車座になって食事をする船の上でのやり方が、ここにも持ち込まれている。食堂のすぐ奥には、台所がある。一階にある部屋はそれだけだ。

 二階に上がる階段は、食堂の壁際に、岩を刻んで作っている。真ん中近くが少しすり減っている階段だ。その先には、吹き抜け天井の端に岩棚を残した通路がある。この通路にがした岩壁を掘り広げて部屋がいくつか用意されていて、明らかに船で使っていたと思われるような扉が行儀よく並んでいる。

 その一つから、大きないびきが聞こえてきていた。

「親父め、また寝たな」

 口の中で呟くと、フレイアーネラは男を食堂の床に座らせた。とたん、男が立ち上がろうとしたが、そのまま、めまいを起こしたのか、倒れてしまう。膝をついているのを引き起こし、薬箱をとってきたフレイアーネラは、

「とにかくその腕、つながなきゃどうしようもないだろ。うまくくっつくといいけど。それにあんた、熱出してるね。おとなしくしてないと、ひどい目に遭うよ。腕を切り落とさなきゃいけなくなったらどうするんだい」

 言いながら、彼女は男の傷を洗い、薬を塗り込んで包帯を巻いて、大きな布で左腕をつってやった。手に取った男の左手は固く、細かい傷が多い。手のひらには固いたこができていた。

 利き手だ。

「動かすんじゃないよ。いいね。でないと、二度と使えなくなる。包帯は毎日取り替えてやるから」

 目を曇らせ、厳しく釘を刺して、彼女は薬を片づける。それから、こちらをにらんでいるのに向かって、明るく笑って見せた。

「あと、風呂に入れてやるよ。うちの風呂はなかなかのもんだから」

 言ったところで、二階のいびきが止まっているのに気がついた。ぱたんと扉の閉じる音に、フレイアーネラが目を上げると、いかにも寝起きのふらついた足取りで、はげた頭の男が姿を現した。

 彼女の視線を追いかけて、びしょぬれの、黒ずくめの男が体をこわばらせた。


***

 よろよろと階段を下りてきた男は、かなり背が高い。よく日に焼けていて、鼻の頭は真っ赤になっている。頭の毛は残り少なくて、耳よりも下のところに白髪混じりの黒い髪が残っているだけだ。てっぺんの方は、見事に光っている。

「なんだ、もう帰ってきたのか」

 酒臭いあくびをしながらの言葉に、フレイアーネラは仏頂面だ。

「ただいま」

「おう。なんだこいつは」

 ヴィルディースの目は青い。それも、西海の一番色の濃いところをすくい取ったような、深い、黒に近い青だった。丸っこい指で男を指さして、娘に尋ねてくる。

「なんだってのはなんだよクソ親父。客だよ」

 彼女の言葉に、男が体をこわばらせる。ぎりぎりと、黒い瞳が、濡れて細かい束になった前髪の奥からヴィルディースをにらんでいる。気の弱いものなら倒れそうな眼差しだが、西海の海賊の束ねは別に怯えたりしない。

 ちらりとそれを見下ろすと、娘に目を向ける。黒ずくめの男が向けてくる敵意など、まったく気にしていない。壁際のクッションをひとつ取ってくると、

「ふん、えらく目つきの悪い客だな。どのくらいうちにいる気だ?」

「怪我が治るまではとりあえず、おいとくよ。食事と風呂くらい、世話してやってもいいだろ? 部屋もひとつ、空いてるはずだ」

 好きにしろ、と面倒くさそうに言ったヴィルディースは、どっかりと男の目の前に腰を下ろした。大きなあくびをひとつこぼし、光る頭を軽くたたいて、ヴィルディースは娘に目を向けた。

「フレア、水」

「水くれ、ぐらい言えよ。そのうちボケるぞ」

 あきれた顔になったフレイアーネラは、まっすぐ台所に向かった。真水は豊富なスサだ。台所の中に井戸がある。わざわざ外までくみに行く必要はない。

 赤毛の海賊娘が食堂を出て行くと、ヴィルディースは男に目を向けた。底光りのする青い目に、男は背中の毛を逆立てた猫のように険悪な雰囲気で向き合った。

「おい、《黒目》、お前がなんでフレアと一緒にいるんだ」

 男の顔がこわばった。それに向かって、ヴィルディースは笑顔になった。獰猛な笑顔だ。のど笛を食いちぎりかねない。とっさに、男が腰を浮かした。

 それに向かって、ヴィルディースはむしろのんびりと、言葉を放った。

「どこ行く気だ、こら。逃げる気か」

 それなのに、少しかすれた声は力と張りを持って、こちらを押さえつけにかかる。威圧感に、口も開けない。ヴィルディースは、底光りする目で、黒い前髪に隠れた、男の黒い目を見つめた。唇が、にやりとつり上がった。

「馬鹿野郎、なんて面してやがる。ばれてねえとでも思ってんのか。お前の顔は覚えてるぜ。半年前に、お前の指揮する船とやり合ったばっかだからな。そのときにこっちは仲間を殺されてんだ、忘れるわけがねえ」

 《黒目》が、はっきりと顔をこわばらせた。ヴィルディースがにやりと笑う。

「船に乗ってった連中が伝えてきた。《金目》の船を、《黒目》が襲ったってな。いったい、なに考えてそんな阿呆なことをやらかした? 生きて戻れるとでも思ったか? それとも、あの《金目》に成り代わる気だったのか? え、こら」

 光る黒い目が、ヴィルディースをにらんだ。だが、ヴィルディースはせせら笑った。

「てめえがなにを考えていようと、そりゃあてめえの勝手だがな。スサを巻き込むんじゃねえ。スサをつぶす気なら、お前を殺すぞ。つうか、《骨海蛇》程度の海賊団、ぶっ潰せよな、こっちの仕事下手に増やしやがって」

 白茶けて乾いた唇から、かすれた声で、《黒目》が言葉をはき出した。血を失いすぎたのか、力のない言葉だったが、目が、声の弱々しさを裏切っていた。

「やかましい」

「ほう、言えた立場か? 《見せしめ岬》に吊されてえってんなら、すぐにでもそうしてやるぜ。利き腕なくして熱でうだってるてめえをぐさりとやるのなんざ、ゴキブリ叩き潰すより簡単な話だぜ」

 言ったヴィルディースの顎の真下を、拳がかすってすぎた。体を軽く後ろに引いたヴィルディースが、なんの前触れもなく、いきなり殴りつけてきた《黒目》をにらんだ。

 すぐさま追撃するために立ち上がった《黒目》の足が、がくんと折れて、姿勢が崩れた。左腕を傷つけられて、どうにも、体の重心が定まらない。いつもだったら、左腕だったら、間違いなく顎を砕いていたのにと、《黒目》が唇をゆがめる。黒い瞳が、ヴィルディースをにらみ据えた。

「やる気か」

 にやりと笑って、ヴィルディースが拳を握った。《黒目》が体をかがめる。

 そこへ、

「なーにをやってくれてるんだい、ふたりとも?」

 いきなり、にらみ合う二人の視界の外から、ひどく優しい声が聞こえた。猫なで声に、とっさにヴィルディースが振り返る。そこには、水差しとコップを手にしたフレイアーネラが笑顔を浮かべて立っていた。しかし、その笑顔はとうてい優しくない。獲物を目の前に牙を研ぐ、野獣の笑顔だ。

「家、ぶっ壊す気? あんたらふたりとも、普通の奴よりでかいんだから、こんなところで暴れられたら、ちょっとあたしもただじゃぁ、おけないねえ」

 そして、彼女はふたりのあいだにグラスを二つと、水差しをおいた。それから、小さな皿に入れた薬を差し出す。黒っぽい丸薬で、やたらひどいにおいがする。それを見たヴィルディースが顔をしかめた。

「フレア、お前なあ、なんてものまで持ってきやがる」

「なにを言うかこのぐうたら親父。二日酔いで頭が痛いだろうと思って持ってきてやったのに。あんたもだ、薬飲んでおとなしく寝てろ。熱ざまし兼痛み止め。ふたりとも、さっさと飲まないと鼻、つまんででも飲ませるよ」

 ふたりに向かって、きっぱりと言い切った口調に、ため息をこぼしてヴィルディースがおとなしく薬を飲んで、壮絶に顔をしかめた。苦い上に、飲み込むときのにおいがきつい。

「あんたもだ。早く飲まないと、ほんとにむりやり飲ませるからね。熱が出てるだろ」

 見ただけで体調を当てられてしまい、逆らいはしなかったが、仏頂面で、男は水を含み、薬を飲んだ。仏頂面をそれ以上しかめようともしない。しかめようもないほど苦かったに違いない。薬は、丸めていても、水に簡単に溶ける。

 それを見下ろして、フレイアーネラは腰に手を当てた。意外と、細くくびれている。そこには重たそうなカトラスとピストルが下がって、がちゃんと耳障りな音を立てた。

「じゃあ、風呂に入れてやるよ。ついてきな。歩けないなら、また抱いてやる」

 子どもっぽい笑顔に、男はそっぽを向いた。自分で歩けると唇が動いた。フレイアーネラはちょっと口をとがらせると、椅子に座っている父親を見下ろして、

「親父、服貸して。こいつに入るのって、親父の服しかないから」

「けっ、好きにしろ」

 面倒くさそうに返事をしたヴィルディースに、「ありがと」と手を振って、フレイアーネラは先に立って二階へ上がった。おとなしくついて行く男は、ぎろりとヴィルディースをにらんだが、海賊の束ねは知らん顔だ。

 ふたりの様子を知らぬげに、先に立って二階へ上がったフレイアーネラは、三つの扉の前を通り過ぎて、突き当たりの扉を開けた。とたん、潮風が吹き込んでくる。この扉の向こうは、外だ。

「スサは真水も豊富だけど、それでも、暖かいのがわいてくるのは、あんまり数がないんだよ。もともとは洞窟風呂だったんだけど、親父が改装して、海が見えるようにしたんだ」

 笑顔になったフレイアーネラは、子どものように誇らしげな顔で、海の見える広い風呂を指し示した。ついてきていた男が一瞬、唖然とした顔になる。岩棚のくぼみの周りに石を積んで湯船を作って、その中に注ぎ込むように、岩の壁から湯が贅沢にあふれ出している。あふれた湯は、岩山の壁を伝って、下の岩場にしたたり落ちて、海と混ざっていた。

 さすがにこれには驚いたらしい。その顔に満足げに笑って、フレイアーネラは男の背中を軽くたたいた。そのとたん、男の肩がびくりと跳ね上がった。

「あ、でもあんた、手が使えないね。脱がせてやるよ」

 こともなげに言い放った海賊娘は、男のシャツに手をかけた。相手が抵抗するだけならまだしも、殴りかかってきたのには驚いた顔になったが、余裕たっぷりに、右の拳を払い落とした。バランスを崩した相手の体を左腕一本で、がっちりと抱き留めると、強引に、濡れて張り付く黒いシャツを引きはがした。

「あーもう、動くんじゃないっ、じっとしてな! 悪いけど男の裸なんて見慣れてるから別にどうとも思わないよ!!」

 男が死にものぐるいでもがくのを、これも力任せに押さえ込み、怒鳴ったフレイアーネラは、日差しに男の背中をさらした。

「え」

 そのまま、フレイアーネラの手が、止まった。抱き起こした背中に見えたものに、言葉を失ったといった方が正しい。

 広い浅黒い背中一面に、絵があった。青い砂時計に、蛇の白骨がからみついている。ぽっかりと空いた眼窩は黒く塗りつぶされていた。

 見たことがある。

「これは」

 《骨海蛇》の、旗印だ。昼前、仲間割れを起こした《黒目》の船尾に翻っていた旗の図案だ。

 話には聞いたことがあった。骨海蛇の六人の船長たちは、背中に絵を負っていると。その海蛇の眼窩は、それぞれが指揮する船のメインマストに翻る旗の色に塗りつぶされていると。だから、彼らはその色を名乗るのだと。

 だとすれば、この男が、やはり、《黒目》。

「あんた、やっぱり」

 その絵に、思わず指を伸ばして言いかけた先で、殺気を感じて、体をのけぞらせた。

 身体を起こした男が、フレイアーネラに向き直っていた。

「触るな」

 かすれた声が聞こえてきた。黒い瞳は底が知れない。深い夜の海だ。引きずり込まれれば、飲まれるだけの海の色だった。大きな手が、フレイアーネラの喉をつかんだ。これは、とっさに打ち払えなかった。

 右手が、ぎりぎりと力を込めた。その手首を、フレイアーネラがつかんだ。力に似合わない細い長い指が、男の右手をつかむ。

 息苦しさに、視界が狭まる。色をなくしていくその中心で、男の黒い瞳だけがいやにはっきりと映っていた。一瞬、彼が不安そうな顔をしたのが見えた。

 けれど、それをゆっくり考える暇はない。

「はな、せ、馬鹿」

 このまま首を握りつぶされかねない馬鹿力に、つぶれた声でフレイアーネラが細くうなった。男の右腕をつかみ、無理やり引きはがす。頭がしびれて、目に映っているはずのものも、何も見えない。呼吸をむさぼり、激しく咳き込み、肩で息を繰り返す。遠くでぼんやりと、波の音が聞こえてくる。霞がかかったように、感覚に触れてくるものすべてが遠い。

 ふらつく足を踏みしめて、フレイアーネラはうなった。

「馬鹿っ、たれ、なんってこと、してくれんだい」

 かすれた声で、フレイアーネラはため息をこぼした。ふらつきを振り払うように頭を振ると、濡れた赤い髪が男の肩に触れた。びくりと、男の体が震えた。

「見たな」

 押さえた低い声に、ぎっと、琥珀色の目が光を取り戻す。彼女の手が上がった。

 全力でぶん殴ってやろうと思って、振り上げた拳だった。けれど、正面にある男の顔を見上げて、自然と、唇がほころんだのが、自分でもわかった。

 その手が開かれると、男の顔を両手ではさんだ。不安げだった男の顔が、とまどいに変わる。自分の目の前に、男の顔を引き寄せて、はっきりと聞こえるように彼女は口を開いた。

「見たら、なにか都合でも悪いのかい」

 逆に問い返す。男の黒い目が、フレイアーネラをにらんだ。いらだたしげな声が、次第に力を取り戻す。昼間に聞いた、強い、低い、豊かな声だ。

「俺が、誰かわかっているのか」

「あんたが《骨海蛇》の《黒目》だってのはわかったよ。でも、だからなんだって言うんだい」

 きっぱりと言い返す。言い返された方が、一瞬、言葉に詰まった顔になる。

「あんたはあの海賊団を半分つぶした。あたしたちの恩人だ。今のあんたは、昼間の海戦で大手柄を立てた、重傷者なんだよ。親父にだって、殺させない」

 きっぱり言い切った顔はとても強い。なにかを引っ張って、守っていく強さだった。男が驚いたように、目を見開いた。なにか言いたげにして、けれど、結局口をつぐむ。

 彼女は、ふと、琥珀の瞳の光を和らげた。

「この温泉、傷にもいいから浸かってな。大丈夫、ここをのぞくほど度胸のある奴はいない。前に馬鹿がひとり、あたしと親父に殴り回されただけだ」

 そして、フレイアーネラはいつもの笑顔になると、「扉の向こうに着替え、おいとくからね」と言い残して、出て行った。

 残された男は、湯船の中に、包帯ごと、左腕を浸した。傷におそろしくしみる。歯を食いしばり、石組みにもたれて沖を眺めると、真夏の西海は、目にまぶしかった。そのまま、彼の頭が湯船の中に落ちた。

 息を吐き出して、ゆっくりと上げた顔をしずくが伝って落ちた。


****

 その日の夜も、宴会だった。二日酔いの頭痛と眠気から解放されたヴィルディースが、「《骨海蛇》の奴らも追い払ったことだし、盛大に酒盛りするぞ!」と言い放ったためだ。

 来たい奴は誰でも来いという太っ腹な束ね役の開く宴会だ。《勝利の宝冠》号の乗組員はもちろん、《陰鬱な冥王》号や、《黄金の栄光》号の海賊たちも大喜びで、ヴィルディースの屋敷に押しかけた。

 フレイアーネラは、ひとりで台所にこもって、調理器具を総動員して食事を作ることになった。食堂では海賊たちが所狭しと好き勝手な場所に陣取って、持ち込んだ酒だけで酒盛りを始めている。急に宴会を決めた父親に文句を言う暇もない。腹を空かせた海賊ほど手に終えないものもない。

「あー、お嬢かわいそう」

 やってきたケシェメライルがへらへら笑って台所をのぞき込んでいる。わざとらしい同情など全く耳に入らず、明らかに怒りをまき散らして材料を切り刻んでいるフレイアーネラの背中を見て、どっかりと食堂に腰を下ろした彼は、なぜか不機嫌なヴィルディースに声をかけた。

「どうしたの親父さん。なんかすっごく機嫌悪いよね」

「うるせえよ、笑う冥王」

 手酌でラム酒をぐいぐい飲んでいるヴィルディースは、じろりとケシェメライルをにらんだ。《陰鬱な冥王》号という、ひどく陰気な名前を付けた海賊船だが、船長は、常に笑顔で、もし誰かの葬式でも、何かのはずみで笑いだしたら絶対に止まらないと言われている。だから、親しいものたちは、ケシェメライルのことを、「笑う冥王」と呼んでいる。

 普通なら機嫌の悪いヴィルディースに近づける若い海賊などいないが、ケシェメライルは別だ。ヴィルディースの恨めしげな目線の先に、ひとりで壁にもたれて膝を抱えている大男を見つけて、にやりと笑う。

「あれだろ? お嬢の婿って」

「なにが婿だバカ野郎!! なんだってあんなのに、手塩にかけて育てた愛娘をやらなくちゃいけねえんだ! 無愛想だわいきなり殴りかかるわ、ロクでもねえ奴だ!」

「あーあ、やっぱり。親父さん、お嬢が男にとられるんじゃないかって、それが心配なだけじゃないか。いいじゃんか、あの大男、お嬢のそばでも全然見劣りしないじゃないか」

 ケシェメライルの無遠慮な大声に、海賊たちが「なんだって」と一斉に振り返る。ヴィルディースが、空になったラム酒の瓶を振り上げて怒鳴る。

「なんでもねえっ!!」

 頭から湯気を立てそうなヴィルディースをにやにや笑って見上げていたケシェメライルは、腰を上げると、こっちをにらんでいる黒い男に近づいていった。

「あんた、お嬢に助けられたって? 《骨海蛇》の船から突き落とされて殺されかけたって聞いたんだけど」

 ケシェメライルは、男に杯を渡した。へらへら笑っているが、その薄水色の瞳は少しも笑っていない。男はいっさい答えず、つがれたラム酒を飲み干した。まるで水でも飲むような勢いだ。

「おお、さすが。いい飲みっぷりだねえ」

 にやりと笑ったケシェメライルが、男の返杯を受ける。彼はちびちびと、舐めるように飲んでいる。ケシェメライルは、酒も好きだが、それよりも煙草の方が好きだ。海賊の中では、取り立てて酒に強いわけではない。だが、お祭り騒ぎはことのほか大好きな男でもある。

 なにかを思いついた、たくらみ顔で、彼はヴィルディースの方に顔を向けた。にやにやと笑いながら、

「親父さーん、こいつと飲み比べしたらあ? こいつ、強そうだよ」

 どっと海賊たちがわきかえった。ヴィルディースはスサでも指折りの酒豪だ。「いけいけー!!」と無責任なヤジが飛び交う中、ヴィルディースがのっそりと腰を上げた。

「ようし、いいだろう。さっきのケンカはフレアが止めやがったからな。こっちで勝負しようじゃねえか」

 束ね役の不敵な笑顔に、男が苦々しい顔になる。なんで俺がこんなバカ騒ぎに巻き込まれているんだという顔だ。それを見下ろし、ヴィルディースは、はるか昔に北洋で手に入れた巨大な角杯を持ってこさせた。酒瓶一本分が余裕で入ってしまう大きなそれに、ラム酒をなみなみと注ぐ。あたりに、強い酒の香りが漂う。

 海賊たちが身を乗り出した。気の早い連中が賭を始めている。それを尻目に、ヴィルディースは杯を、ぐうっと飲み干した。「おおっ」と、野太いどよめきと拍手がわく中、にやりと笑った束ね役は、客人扱いの男に酒を注いでやって、杯を渡した。

 無表情にそれを受け取った男は、中身の香りに、わずかに頬をゆるめた。かなりいいラム酒だ。とぷんと音を立てた杯を唇に当てるなり、これも一気に飲んでしまう。

 黒い目が、まっすぐにヴィルディースの青い目をにらみつけた。

「うわ、ありゃあ、親父さんに勝つかもしれねえぞ」

「わかんねえぞ、なんたって親父さん、昔樽一杯のビールを飲んだって噂だぜ」

「でも、もうトシだしなあ」

「けど、あの黒ずくめだって、怪我してるんだぜ? 傷が開くだろ、大酒呑んだら」

 どよめいている海賊たちが、俄然興味をむき出しにして身を乗り出した。ヴィルディースと男のあいだを、角杯が行ったり来たりするたびに、あたりに酒瓶が増えていく。男の方は顔色が変わらないが、ヴィルディースは頭まで赤くなっている。

「こんの、野郎、てめえ、いけるじゃねえか」

 すっかりできあがって、据わった目になったヴィルディースが男をにらんだ。男の方は知らん顔で、飲み干した杯をヴィルディースに突き返す。

「スサは、変な街だな」

 いきなり男が口を開いた。低い声に、海賊たちが静かになる。

「お前ら、変だぞ。どこの世界に、俺みたいなのをあっさり受け入れる街がある」

 ヴィルディースが、えらそうに胸を張った。

「てめえに言われたかねえ。どこの世界に、俺たちとあっさり酒飲む奴がいる」

 ふん、と鼻を鳴らした大男は、おもしろそうに目を細めた。返されてきた杯を一息で干してしまうと、いきなり、体を二つに折った。手のひらから、角杯が転がり落ちた。

 海賊たちがあわてた。フレイアーネラを呼ぼうと、ひとりが台所に入ったところで、大きな笑い声が聞こえてきた。

「なんだいいったい!」

 殺気だった顔で振り返ったフレイアーネラが食堂に入ってくる。手には大皿を抱えている。その目の前で、壁にもたれた黒ずくめの大男が爆笑していた。

「なに、あれは」

 海賊たちを指図して料理を取りに行かせたフレイアーネラは、天井を仰いで、涙までにじませて笑っている大男を見下ろした。

「お前ら絶対、変だ、おかしい」

 ひたすらそれを連発している大男の目の前で、ヴィルディースが苦笑いを浮かべた。

「ったく、無口で無愛想かと思ったら、笑い上戸かよ。いったいなにがおかしいってんだ。あきれた奴を拾ったもんだな、フレア。とっとと二階につれてあがれ。これ以上飲ませたら、傷が開く」

「えらそうに言うなクソ親父。一体、どれだけ飲ませたんだい。しかもなに、あたしが連れて行くわけ? 後始末くらい、自分たちでどうにかしてよ」

 笑うだけ笑うと、糸が切れたように眠ってしまったのを、フレイアーネラはため息で抱き上げた。これでは文句を言っても無駄だ。「寝かしつけたらご飯食べにくるからね」と腹を立てたように彼女は大股で、邪魔になる海賊たちを踏みつけそうな勢いで蹴散らして二階へ上がった。

 大男を、客用の寝室に連れて行って、ベッドに寝かしてやる。そっとおろしたつもりだったのだが、左腕がどこかに触れたらしい。うめいて男が目を開いた。

「……なんだ、あんたか」

「なんだとはなんだい。ったく、怪我人の分際であんな大酒飲んで。傷が開いたらどうするんだい」

 おもしろくなさそうな顔で、フレイアーネラは男を見下ろした。出ていこうとした彼女の腕を、男がつかんだ。強い力に、フレイアーネラが顔をしかめた。

「ちょっと、話を聞かせてくれるか」

 振り返った彼女が片方の眉を器用に跳ね上げ、ベッドのそばまで戻ってくる。階下の大騒ぎは、料理が来たことでさらにひどくなった。笑い声に歌声、叫び声が、屋敷をふるわせている。

 そんな中でも、男の声ははっきり聞こえた。命令しなれたもののもつ、強い声だ。

「なんで、俺を助けたんだ」

「さっきも言っただろ。あんたが、怪我人で、殺されかけたからだ」

 胸を張って答えてやる。黒い瞳は暗く、けれど、酒のせいなのか、どこか熱っぽくフレイアーネラを見つめていた。

「俺は《黒目》だぞ」

「だからなにさ」

 切り返すように言い放つ。挑戦的な響きの言葉に、男はなぜか、動揺した顔になった。

「俺は……助けられるようなことは、していない」

 ぽんと、すぐさま言葉が返ってきた。

「そりゃあ、あんたの理屈だね。あたしが助けたかったから助けただけだ。そんなに深く考えない方がいい。大丈夫、自分のやったことが気に入らないなら、やり直せばいい」

 見下ろした顔が、凍り付いた。

「やり直すなんて」

 低くくぐもって、震えた声に、こともなげに切り返す。

「できるさ」

 かがみ込んだフレイアーネラが笑った。男の額に手を置く。優しい、華奢な手だ。すこし荒れていた。それが、男の乾いた髪をかき上げてやる。

「あんたがしょってるのは、砂時計だ。ひっくり返せば、また、新しく始められるだろ?」

 唇を引き結んだ男の顔は、泣き出す寸前の子どもの顔だった。すがりつくような目をのぞき込むと、フレイアーネラは男の上に毛布を掛けてやった。

「あとで水もってきてやるよ。明日、二日酔いだなんて、やめてくれよ」

 おやすみ、と出て行きかけて、彼女は振り返った。

「そうだ。忘れてた、名前教えて」

 毛布の隙間から、低い声が答えて返した。

「……ベルドーゼ」

「じゃあ、ベルゼって呼ぶよ。あたしのことは、フレアでいいからさ」

 笑って言い残した言葉が部屋の中に残って、扉の閉じる音が聞こえた。瞳を閉ざしたベルドーゼは、毛布にすっぽりくるまった。まめに干しているのか、日なたのにおいがする。

 声が震えた。いつになく、弱々しい声だった。かすれて声は切れ切れだ。

「おい、俺は、《黒目》だぞ」

 背中に背負ったものがある。今まで、それに頼って生きてきた。やってきたことは、絶対に、消せない。背中の絵が消えないように。

 だが、それでも、新しく始めることができるはずだ。

 砂時計をひっくり返そう。新しく積み上げていこう。

 ラム酒のせいか、体が火照っていた。眠りがゆっくりと、体を覆ってくる。意識が夢に落ちる寸前、赤い髪を翻した、凛とした強い海賊娘の姿が浮かんで、消えていった。


 (了)

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