2/ 2010年6月14日
「全部満点取れ、なら一位や」いつだったかの、塾から帰る車のなかでかけられた、夜中の父の言葉。
けど、全部満点取る必要なんか無かった。
リビングの上に、県模試の成績を広げておく。無味乾燥な文字と数。こうやっておけば、夜中の二時や三時に帰ってこようが、何が何でも見せつけられる。起きてくるおじいちゃんにも、ついでに。
学生鞄を右手に持って、フルートの入ったケースを左肩にかける。いってらっしゃい、と母の声がする。
「いってきまーす」私は明るく、機嫌良く学校に行く。足取りは軽めに、近所の人に会釈しながら。昨日までの雨も上がって、少し湿気の多い澄んだ青空と色の濃くなったコンクリート、蛙の鳴き声、田んぼの匂い。
「真琴―、おはよー」
振り向くと双葉が駆けてくる。ようやく走っていられる、と言った感じの双葉は可愛らしい。背負ってるナップサックとクラリネットケースのほうに押しつぶされそうにも見えてくる。「おはよー」私は立ち止まって手をあげる。
「なー、昨日塾の掲示見たよ」
息も荒くて、無邪気なまでにテンションの高い双葉は、私に追いつくと、間髪入れずに言った。
「何でさっさと帰ったんよ、もー。私にくらい知らせろよー」
言いながら、私の右腕をガシとわしづかみにして息を整えようとする。私は構わず、双葉を引きずる心持で歩く。
「もう迎え来てたしさ」
「ドライだなー、ちょっとくらい喜んで良いんだぞ」
「まあ、うん、嬉しいけど」
背中を二回、元気よく叩かれる。
「県一位おめでと!」
「ふふ、ありがと。ついにとったよ!」
にっこり。私は笑顔。
「ホンマにやらかすとはなー、さすが真琴だわ、うん」
「偶然よ、偶然」
本当に、いつの間にかとってしまった。あっさりと偶然に、あんまりにも簡単に。何かもっと感慨にふけることができるのかとも思っていたけれど、特に何も思わない。偶然手に入った幸運みたいな、そんな気がする。
「あー、憎たらしいなー。ちょっとその偶然わけてやー」
はいはい、と受け流す。
「双葉はどうだったの? 今回の」
「んぁ、まあそれなり?」
「それなりかー」
浮かない顔だった。
「勉強したんよ?」
私はしてないけど。
そんなことは言えないまま、私は歩調を合わせる。
「真琴、頭良くてうらやましいわぁ。どんな勉強してるん?」
双葉は何も知らないまま。私は何も変わったことはしていないし、答えようがない質問だ。
「何もしてないよー」
「ちょっと教えてな。な、な?」
「秘密。強いて言うなら努力?」
私よりも双葉のほうが頑張ってる。それなのにこの順位は変わらない。今回だって双葉は結果が伴わないままだ。それは双葉だけじゃない。
「努力なぁ……私もしてるんだけどなぁ、努力。マジ辛い、東山行けるんかな」
「行ける行ける。毎日頑張ってるもんね」
嘆く双葉を私は励ます。
交差点を挟んで大島先生が立っている。おはよう、と大声が飛んできて、私は会釈で応じた。声をあげるのは苦手だ。双葉は元気良く大島先生と挨拶を交わす。
「私の努力も報われないかなぁ」
双葉は口を尖らせる。
「双葉」「うん?」
「昨日の演奏、私どうだった?」
「え? 真琴の? 普通に良かったよ?」
「そっかぁ」
双葉は、唐突に何でそんなことを聞かれているのか、わかっていない風だった。私も私で何を聞いているのかわからないままに、嫌な気分になっていくのだけがわかった。
交差点を渡る。学校に続く坂道。
「じゃ、うちの部活全体だったら? 演奏」
「あー……そっから先は言わないお約束」
苦笑いされる。
「努力って報われてほしいよねぇ」
「ま、それが理想ではあるね。世知辛い世の中ですから」
「だねぇ」
言いながらふと、その言葉の裏で何か叫びたくなる。心地よい空気なのだけれど。けど何を。叫びたいというより喚きたい、そんな感じの何かが突きあがってくる気がした。
美果だって頑張ってたのに、昨日の演奏には出させてもらえなかった。お家の事情、ってだけであっさりと片づけられて。
首を絞めたい。
昼休みになってようやく、美果は登校してきた。こんなに暑いのに長袖だった。