第二圏 肉欲の迷宮3 -降下-
入隊後、1週間が経過した。
その間に俺は、後ろ受身のみならず、横受身、前受身、前回り受身の特訓を受けた。
もはや俺に死角は無い。
俺が持てる防具や武器も確認済み。特に小剣は俺が解錠した宝箱から出たモノで、かなりの名剣らしい。
それにしてもこの革鎧、こんなに軽かったか?
小剣も実際にはかなり重いのに、竹刀より軽く感じる。
これは、ひょっとして俺の秘められた力が開花しちゃったのか?
隊長もそんな俺を評価したのか、俺は今や前衛になっている。
隊長、ナツ、俺、タダ、ミズ、トウの順だ。
でもちょっと早すぎるんじゃない?
確かに死角は無いが、攻撃の訓練は全くやってないぞ。
迷宮は土砂崩れで現れた洞窟の奥にある。
洞窟の終わりには、石造りの門が立っていた。
門には何か文字が書いてある。
ラシェ…読めん。
「Lasciate ogne speranza, voi ch'entrate」
ミズが流暢に異国の言葉を読む。
だが意味は判らん。
「コウも知ってると思うわ。有名な言葉」
「汝ら此処に入る者、一切の望みを棄てよ」
タダが言う。
おお、確かにどこかで聞いた覚えがあるぞ。
「ダンテの『神曲ー地獄門』に書かれた言葉です」
よく知ってるな。
「一般教養ですから」
「だな」
「そうね」
違うよ!
「状況を開始する」
隊長の号令が下り、俺達は口をつぐみ迷宮に入った。
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扉が開き、閉まる。
扉の向こうには、泡立つヘドロのようなモノが群れていた。
ヘドロに触手が現れ、俺に向かって伸びてくる。
俺はすかさず盾で防御しながら、後ろへ跳ぶ。
「うむ、良い動きだ」
そう言いながら隊長は、ナツとヘドロを蹂躙する。
ところで、このヘドロは何者?
「スライムだ」
ダウト。
スライムってもっとこう、青くて透明でぷるぷるしてて、ちょっと可愛い感じのハズ。
これはスライムじゃない。子供の頃からRPGをやってた者として、そこは譲れない。こいつはヘドロムと名づけよう。
ヘドロムが全滅した後は金貨が数枚残っていた。箱はなし。俺の出番もなし。
その後、野犬か狼のような獣の群れと遭遇するも、華麗に防御。
俺が防御している内に、隊長とナツが殲滅してくれた。
そして箱はなし。出番なし。
そして、通路の突き当たりに、下へ降りる階段が見えてきた。
「降下する」
隊長の宣言に、驚いたようにナツが身動きした。
「タダ、前衛へ。コウはタダの後ろへ」
あれ?
「地下2階は、これまで以上に強力な怪物と遭遇することになる。皆、心してかかれ」
どうやら俺を前衛に置いたのは、地下2階で対応できるかどうかを見るためだったらしい。
1週間でタダを超えた期待の新人、だと思ってたのに。くすん。
そして俺達は地下2階へ降りた。
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後衛になった俺は、トウからマッピングを引き継いだ。
1ブロックずつ進んでは立ち止まり、地図を描き、また進む。
地下2階の地図は殆ど作れてなく、皆も来たのは2回目らしい。
もし迷ったらアウトだ。だが幸い、一本道で分岐は無かった。
そして、突き当たりには扉があった。
扉を開けると、怪物に遭遇しやすい。
数少ない俺の経験でも、それは判る。
覚悟を決め、隊長が扉を蹴る。
扉が開き、閉まる。
怪物が現れた。
怪物は雷雲の形をしていた。つか、雷雲だった。
もこもこと白く、一部暗い雲。その中で稲妻が閃く。
想定外の怪物にタダの動きが止まる。と、稲妻がタダに向かう。
盾で防ぎ、反撃するタダ。だが、そのメイスは空を切る。
一方、隊長とナツの剣は確実に雷雲を捉え、切り裂かれた部分は雲が薄くなる。
隊長やナツに比べ、タダの動きは悪い。
だが、先ほど前衛に出て判った。
俺は反撃できない。そんな余裕など無い。
ナツとタダの実力には、大きな差がある。だがそれ以上の差が、俺とタダの間にある。
そのタダに再び稲妻が伸び、タダは弾き飛ばされた。
雷雲が俺に迫る。
必死で盾を雷雲へ向け、飛びのく。
飛びのきながら、俺は数を数えていた。
1、2の3。1、2の3。
3で攻撃する。当たらなくても良い。タダとの差を少しでも埋める。
「コウ!攻撃無用、守れ!」
その時、ナツの声が響いた。
思わず飛びのいた俺を追うように、稲妻が走る。
ギリギリだった。
「lá-bewustzijn」
ミズの詠唱が聞こえ、起き上がったタダが俺の前に出る。
前に出た勢いのまま、メイスを雷雲に落とす。
その一撃が、雷雲を倒した。
「まだ攻撃のことは考えるな。お前には防御しか教えてない」
兜を脱ぎ、汗にまみれた顔でナツは俺に言う。
鬼軍曹の顔が俺を心配しているように見えたのは、気のせいだったかも知れない。
真剣なその顔に、俺は頷くことしかできなかった。
どうやって持ってたのか、雲が薄れると箱が現れ、俺の出番が来た。
箱が空くと、中から大量の金貨が現れる。
本物の金貨なら一生遊んで…そこまではナイ。
ちょっと喜んでると、ナツの声が耳に入った。
「隊長、まだ彼には早すぎます」
ぐさっ。
俺の心の柔らかい部分に傷がついた。
「その通りだ。だが早急に地下2階の探索も必要だ。もし、もう1体の像を米軍が手に入れれば、我が方はこの迷宮に関与できなくなる可能性もある」
像?どういうことだ?
だが、それ以上の話は出来なかった。
何かが近づいてくる物音がしたからだ。
ナツが素早く兜をかぶり、隊長が面甲を閉じる。
皆も盾を構える。
暗闇の中から、白い姿が現れた。
ん?
ウサちゃん?
真っ白なウサギが、ぴょこぴょこ出てきた。
わーもふもふだ。可愛えー。
ガシャンッ!
なごんでた俺の目の前に、ナツの鎧姿が立ちふさがる。
「ウサギだ!近づけるなッ!」
隊長の叫び声が響く。
ナツが踏み込み、剣を振り回し戻る。ヒット&ウェイだ。
周りの緊張感と、もふもふ真っ白なウサちゃんとの格差に、唖然とする。
その時、俺の横をタダが吹っ飛んでいき、ウサギの紅い眼が俺を捕らえた。
ウサギは俺との距離を一瞬で縮め、口を開く。
その口に、剃刀のような前歯がギラリと光った。
顔の大部分が口になったその姿に、先ほどまでの愛らしさは欠片も無い。
俺の命を守ったのは、鬼軍曹に仕込まれた条件反射だった。
意識するより先に盾をウサギに向け、後ろに跳ぶ。
俺の首の変わりに盾がえぐられ、刻まれた溝の鋭さに俺は戦慄する。
そして俺が着地する前に、次のウサギが俺に迫る。
俺の顔より大きく開けられた口。
血の色をしたそこに光る歯。
これはダメだ。間に合わん。
俺は、死を間近に見た。
次の瞬間、ウサギが剣に貫かれた。
剣は篭手が外れ切り裂かれた腕に繋がり、腕は鎧を纏ったロボットのような姿に繋がっていた。
ナツだ。
彼女が俺を助けてくれた。
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「間に合った。今度は間に合った」
荒い息と共にナツの声が聞こえる。
気がつくとウサギは全て土に還り、数十枚の金貨が散らばっていた。
「よかった」
ミズがつぶやく。
失神から戻ったタダが頭を振り、トウが杖で身体を支える。
隊長はもちろん健在だ。
全員無事だった。
肩に隊長の手が置かれる。
兜を取り、座り込んで、まだ荒い息をついているナツ。
「ir-krassen-ɔː」
ミズが呪文を詠唱し、切り裂かれたナツの腕が修復されていく。
隊長が言う。
「カツ--コウと初めて会った時、既に死んでいた者は、こいつらに殺られたんだ」
ミズがナツに手を差し伸べる。
「仇、取ったね」
ナツが頷き、ミズの手を借りて立ち上がる。
ナツは俺の前に立ち、俺の肩を両手で掴んだ。
その激しさに、肩が折れるかと思った。
「お前は、死ぬな」
かすれた声が囁く。
「アタシが死なせない。必ず守る」
お、俺?
なぜか俺の心臓が跳ねた。
なんだこれは。おかしいぞ、相手は鬼軍曹だ。
これはアレだ。吊橋効果というヤツだ。
騙されるな、俺は怯えてるのだ。この胸の高鳴りは、恐怖のせいだ。
「お前は、カツを復活させるために必要だ」
その囁きを残し、ナツは兜を被った。