働き者
夜明け間近、鳥の鳴き声で目が覚めた。
目覚えのない天井、きれいな毛布、はっきりしていない思考。ああそっか、ここはカレタカの家か。俺、ほんとにここに置いていかれたのかな。みんな今頃なにしてんのかな。……考えても仕方ない。ぐうっと腕を伸ばして、ベッドから這い出た。
窓から入ってくる朝日のわずかな明かりを頼りに居間にでると、昨日の惨状はウソだったかのように片付いていた。しばらくぼーっと立ち尽くす。おや、誰かがこちらへやってきたようだ。まあ、この家ふたりしかいないから、誰かといってもカレタカさんしかいないんですけどね。
「おはようございます」
あいさつは人間関係の基本。俺はこのスキルで職場の先輩や上司の心をつかんできた。……というか仕事あんまりできないから、あいさつくらいしか頑張るとこなかったんだけどね。せめて愛嬌よくしとこうと俺なりに努力したの。
俺が挨拶した直後、カレタカさんが急に床にしゃがみ込んだ。頭まで抱えてる。ちょっとどうしたんですか。まさか具合でも悪いんだろうか。俺が覗きこもうとすると、蚊がないたような細い声が聞こえてきた。
「……て、」
て? 手が、どうかしたんだろうか。痛むのかな。ああ、昨日あんなにテーブルに打ち付けるから。ワタワタしだした俺をよそに、カレタカさんは惚けた声で言った。
「……天使かと、思った」
——なんでだよ。サラリーマンだよ。
◇
落ち着いたカレタカさんから、一杯の熱いお茶をいれてもらった。うう、しみる。ニコニコとご機嫌な目の前の人を見ながら、ぼんやり考えごとをした。
今の俺の肩書きはいったいなんだろう。勇者ではない。だいたい勇者ってなんだ。じゃあカレタカさんの婚約者だろうか。国的にはそうだな。俺の意見は一切ないけれども。でもそれはちょっと困る。ううむ、どうしたらいいものか。ひとまずは、カレタカさんにお世話になりつつ今後をゆっくり考えるしかない。
と、いうわけで。
密着・カレタカさんの一日。
居候に近い俺ですから、ちょっとでもお手伝いしないと居心地が悪いんです。なのでカレタカさんの日々のお仕事を観察しながら、少しお手伝いしようかと思います。
まずは身支度を整えて——ちなみに俺とカレタカさんは、着替えも寝るのも別室だ。安心してくれ。外へ出ると、まだ明けきってない空が広がっていた。よどみがない、澄んだ空気。軽くストレッチをした後、俺達はまず家の外へ向かった。
小さな小屋に入り、そこにいるニワトリの様な飼い鳥にエサをやり、卵をいただく。木でできた柵のある外の囲いへ鳥達を追い出すと、簡単に掃き掃除をした。
その後、近くの川から引っ張っている簡易水路から水をくみ、野菜を育てている畑へ水をまく。手ごろな野菜はもいで、家へ持って帰った。
……スローライフっぽい。なんだこれ、ちょっと癒されちゃうな。大変だけど。汚れるけど。
ニワトリみたいな鳥を抱きかかえ、優しく撫でるカレタカさん。俺はつつかれた挙げ句、逃げられた。
大きな体躯でたくさんの水をくんだり、力仕事もひょうひょうとこなすカレタカさん。俺はぜんぜんできなかった。
そんな彼がちょっとだけまぶしく思えた。……いや、だからって結婚しようとは思いませんよ。人として、スゴいなって思ったんです。誤解なきように。
朝ごはんと昼ごはんの中間、俗にいうブランチには、採れたて卵のふわふわオムレツと、ゆでた根菜が振る舞われた。とろとろプルプルの絶妙火加減なオムレツ。
「おいしい……」
これうまい、うまいよお。玉子うまーい。スプーンですくっては口にいれる。ちょっとした労働の後だからか、普通のオムレツなのにすこぶるうまい。
「そうか。よかった」
カレタカさんが嬉しそうにほほ笑んだ。
「あの鳥、なんていう種類なんですか?」
「ヌワトリと言ってな。そいつの肉もなかなかいいが、やっぱり卵だ。滋養強壮、栄養満点。食べると力が湧く」
「へぇー」
ヌワトリっていい名前だな。羽毛モフモフだったし、なんか気に入った。ヌワトリ、ヌワトリ、ふふっ。いつか絶対抱っこしてやる。そんな事を思っていたら、カレタカさんが急に慌てだした。
「……い、いや、別に大した意味はないんだ。本当だ。ただの滋養強壮なんだ」
なんでそんなに慌ててるんですか。別に滋養強壮って元気になるだけの……ただの……へ、そういうこと!? カレタカさんなに考えてるの!! ポッポーっと湯気をだし、慌てふためく目の前の筋骨隆々牛男。相変わらず俺なんかを相手に、挙動不審になってらっしゃる。……うん、他意がないならいいよ。だいぶカレタカさんて人が見えてきた。
その後、精力的に家事をこなすカレタカさん。炊事・洗濯・畑仕事に日曜大工。曜日ごとに釣りをしたり、森に木の実を拾いに行ったり、読書したりもするらしい。すごい、なんてすごいんだ……! なんでもできるじゃないかカレタカさん!! こんなイケてる高性能メンズ、女子が放っとく訳がない!! 多少牛っぽいけれども!!
——かっこいい。
なぜか乙女ゴコロが一瞬顔を出したが、俺は全力でそいつを抹殺した。いけない、カレタカさんはハイスペックすぎる。あの抜群の牛具合も、俺の隠れたモフモフ好きを呼び起こしてしまうんだ。くう、危険な男だぜ。俺生まれ変わったら、カレタカさんみたいになりたい。
憧れの男性像のひとりに、ランクインしてしまった。悔しいが、これは認めることとしよう。
夕飯の準備を手伝い、またもやおいしい料理にノックダウンされた。「うまい、うまい」と打ちのめされながらも、洗い物は俺がやると言い張った。カレタカさんには座っていてもらう。日常の家事はあまり役には立てなさそうだから、せめて自分が出来ることくらいは……!
水を張った桶に食器を沈めた。灰と水を混ぜたものの上澄みを柄杓ですくい(これが洗剤の代わりらしい)桶に入れる。あとはタワシでごしごし洗うだけだ。ふたり分だからどうって事ない。居酒屋バイトで得た洗い物スキルがここで役に立ったよ。ありがとう店長! ありがとうヤッさん!
見事、鍋と食器を洗い終わった。窓の外に見えるキレイな夜空に、ほうっとため息をつく。そしてカレタカさんの待つ居間へと戻った。
「片付け、終わりました……よっ!?」
ゆったりしたソファでカレタカさんがデロデロに溶けている。
俺は急いで彼に近寄った。手で触れた体が熱い。
「カレタカさん! 大丈夫ですか!?」
長いまつげがたしたしと動き、うろんな瞳と視線が合った。彼は、はあはあ、と小さな呼吸を繰り返し、大きな手が、俺の顔に添えられた。手の平が、視線が、息が、熱い。何か言いたげな口がパクパクと動く。いったいどうしたんだ。
「……し、幸せ、過ぎて……」
——死にそう。そういうと、カレタカさんは大きな体をくたっとさせて、動かなくなった。満足気なその顔には鼻血が垂れている。
「……え?」
ゆさゆさ揺すっても、起きない。
想像を絶する事態。
どうやら……どうやら彼は。
幸福すぎて、気絶してしまったようだ……!
幸せそうな表情で、そのまま気を失ってらっしゃる。俺は自分の袖をグイッと引っ張り、カレタカさんの鼻下からつーっと出ている血を拭ってあげた。カレタカさんの部屋から大きな毛布を持ってきて、かけてあげる。
ひとりさみしく残された部屋。
俺は無表情で天井を見上げた。
「はあー、泣きてえー……」
この何とも言えない情けない気持ち、
どう発散したらいいのぉぉおおお!!