餌付け
目の前には湯気が上がっているスープ。透明なスープにゴロゴロした野菜と大きな肉が入っている。ポトフだろうか。めっちゃくちゃいい匂いだ。お腹空いた。木目のキレイな大ぶりのスプーンですくって食べる。
「あっつ。……ふー、ふー」
はふ、っと口にいれるとたちまちにトロける野菜。見た目はキャベツ、人参、じゃが芋のようだ。小さい頃は野菜なんて食べる意味が分からなかったんだけど、この歳になると身体に染みる。末端まで行き渡る。うわ、この人参あまい。
「んーー、おいしい」
そのひと言を待ってましたとばかりに、目の前の牛男の表情が輝いた。俺と結婚しないと戦争を仕掛けるといった、変な奴。バイソンみたいな牛の獣人。カレタカさん。嬉しそうなのがちょっと腹たつ。たつ、けど。
俺はスプーンで肉の塊をすくい口に放り込んだ。うう、やっぱ肉! 肉ですよ! 肉の味に脳みそが喜んでる! 柔らかく煮込まれていて、程よい弾力と旨味がたまらない! あ、これ角切り肉だけじゃないや。下から腸詰め肉も出てきた。スプーンからちょっとはみ出るくらいのソーセージにカプッと噛みつく。角切り肉も美味しいけど、このソーセージもすごい。プリッとした膜の奥から、香辛料のいい風味と肉汁が口いっぱいに広がる。ふうっと感嘆の息が漏れた。
「ぜんぶうまい」
……しまった。声に出てたみたい。恥ずかしくなって前を向くと、顔を赤くして嬉しそうに微笑むカレタカさんと目があった。なんだよ、まつ毛長いな。そんな目で見ないでください。俺、ご飯じゃほだされませんよ。
遡ること一時間前。姫さまらが帰ったあと、カレタカさんが口を開いた。
「しょ……しょうわ殿。夕飯でも食べないか?」
こら、だれが昭和だ。それとも唱和か。皆さんご唱和くださいってか。……まあいい。
今まで苦楽を共にしたハズのハーレムちゃん達においていかれ、俺はガチムチ魔物・カレタカさんのお宅へお世話になることになった。と言っても、俺はカレタカさんからのプロポーズ(?)に返事はしていない。出来れば結婚は思い直してもらいたい。だけど嫌われてここを追い出されるのも困る。せめて、せめて次の生活の目処を立てるまでは……! ということで、俺は友人ポジションに落ち着きたいと思っている。
「あ、そういえばお腹減った……」
さっきまで真剣に考えことをしていたというのに、人間の欲求というのは場所や時間を選ばない。——全く関係ないが、俺は人間の三大欲求に排泄欲を加え、四大欲求にして欲しいと常々思っている。考えても見ろよ。腹減って眠たくても、漏れそうだったら先にトイレ行くだろ? いや待て。息をするのも欲求か。かゆい所をかくのも欲求か。……人間にはいくつ欲求があるんだ!
何気に昼飯も食い損ねているぶん、夕飯という単語に大いに脳が反応してしまった。
「今から作る。少し待っててくれ」
そういうと、カレタカさんは台所へ行ってしまった。なにその「あり合わせでパパッと作っちゃうゾ☆」的な台詞。できる嫁か? 素敵なんですけど。
そうして話は冒頭に戻るわけだ。
「ん、なんかこのスープ。ちょっとスパイシー?」
コクンと飲み干すと、少しだけ舌にピリッと感じる辛味。いわゆる香辛料とかいうものか。少し肌寒いと思っていたが、スープのおかげで今はじんわりと身体が温まっている。
「……長旅で疲れているだろう。疲労回復に効く香辛料を少し入れてみた。身体を温める作用もある。この辺りは夜ぐっと冷えるからな」
身体を気遣う、高濃度な嫁スキル。くそう、くそう、身体がポカポカするー!! うんまぁーい!!
ぜんぶ平らげた上に、おかわりをもらい。あまつさえデザートタイムに突入してしまった。この果物甘酸っぱくてうまいなぁ。桃っぽいな。みずみずしくて、食べてたらつーっと汁が垂れる。カレタカさんが剥いた果物を遠慮もなくパクパクと食べてしまった。むむむむ、謎の敗北感。後で皿洗い手伝おう。
カレタカさんをチラッと盗み見た。器用に果物の皮をナイフでむいている。口元が緩んで、なんだか嬉しそうだ。俺なんかを餌付けして楽しいんだろうか。いや、さっきのスープ美味しかったですけどね。しばし観察してみることにする。果物の中心目がけて十字にナイフを入れ、そこから皮をぺろりーんとむいていた。見た目は牛男なのに器用だなぁ。おっと、最後の一個までむき終わったもよう。その一個を口へ運びながら、指先についた果汁をぺろっと舐めた。なんかやらしいなオイ。
——あ。目があった。
ポポーッと顔から湯気を出すカレタカさん。こういう時なんて言ったらいいんすかね。何だか俺も気恥ずかしいんですけど。恥ずかしいついでに、お礼でも言っておこうかな。
「カレタカさん」
「な、なんだ」
「ご飯、おいしかったです。果物も」
やっべ、こういうのって改めて言うのはっず。思わずプイッと顔を逸らす。少し顔が熱くなってきた。ええい、もう勢いで言うんだ俺!
「……ありがと」
だってだよ。俺たち今日出会ったばっか。カレタカさんは、まあ、ちょっとアレだけど、見ず知らずの俺に優しくしてくれた。本当はちょっと分かってたんだ。ハーレムちゃん達は接待してくれてるだけだって。それでも優しくチヤホヤしてくれる彼女たちに甘えてた。俺って特にイケメンでもないし、特技も才能もない一般ピープルだし。あれ、おかしいな。目から汁が出そうだぞ。
カレタカさんは俺に結婚は突きつけるものの、無理に何かするようなことは一切なかった。いや、戦争するなんて脅されてはいるけど、強引に迫ることなく、俺の返事を待っていてくれる。俺がその立場で相手が可愛い女の子だったら、とりあえず美味しく頂いちゃうよきっと。
ご飯食べさせてくれるし、カッコいいし、優しいし、紳士だし、料理上手いし。……あれ、カレタカさんって中身もイケメンじゃない?
だがしかし! 現実はそんなロマンチックじゃないぞ。俺はちょっとした現実逃避してただけなんだ。このしんみりした回想はわけがあるんだ。
俺が感謝の言葉を口にした瞬間からテーブルに突っ伏し、興奮のあまりテーブルをドンドンと拳で打つカレタカさん。その振動で皿が動き、割れ、コップの中の飲み物は外にこぼれてる。さっきまでむいてた果物の皮も上へ下へと大散乱。やめて、なんか怖いから! テーブル壊れちゃうから! なんかうなり声まで聞こえてますから!
そして窓の外には、驚くべきことに奇声を発する腐女姫と、他数名が張り付いていた。向こうも非常に興奮しているようだ。帰ったんじゃなかったんかい!
俺は立ち上がって窓をそっと開けた。ひんやりとした空気が流れ込んでくる。よく見ると姫を筆頭に、綺麗なお姉さんがひい、ふう、み。どこからか視線を感じると思ったらこれだもの。いつから見てたんですか。 ……ねえそこのキレイなお姉さん、さっきから一生懸命に何を書きなぐってるの?
「翔太様の初デレ、頂きましたわぁあ!」
うぉい姫、アンタはちょっと黙っとれぇ!!
「いいこと、帰ったらすぐ原稿をあげますわよ。表題は一人一パターン作ってその中から選びましょう。装丁の打ち合わせはその後よ。いくつかサンプルを用意しておいて。アマンダ、メモは取れた?」
アマンダと呼ばれたお姉さんが、顔をキラキラさせて返事をする。
「はい!」
いったい何をやるつもりだよっ!!
アオォーーーーン……
遠く聞こえてくる遠吠えに、なぜか涙がこみ上げくる。いまだテーブルに突っ伏しているカレタカさん。ワーワー言いながら獲物を狩るような眼差しをこちらに送る窓辺の女性陣。
「俺、大丈夫かな……」
こんな怒涛の展開が待っているなんて、誰も教えてくれなかった。俺はそっと立ち上がり、食器を台所まで持って行った。あっちが落ち着くまで、洗い物でもしていよう。
そんなカレタカさんちの、一夜目の出来ことだった。