8.招き入れる
「フィリルさまの出迎え、ご苦労」
従兄の言葉に、ユリアネと本宮の侍女たちは深く頭を垂れた。その姿勢からは、表情は見えなかったけれど、ユリアネが顔を伏せる前に、私の後ろにいる二人に素早く視線を走らせたのは見えていた。ユリアネは確実に、二人に気づいている。私の焦りは増すばかりだ。
「シャガートさま、騎士の皆さま。護衛してくださり、ありがとうございました」
「もったいなきお言葉」
従兄との形式だけの会話をすると、騎士たちは従兄に倣い騎士の礼を取る。
力なき王女とはいえ、私も王家の一員。形だけでも、敬ってくれているのだろう。
従兄が、礼を解く。そして、私に鋭い視線を向けた。いや、私にじゃない。私のそばにいるガッシュさんたちに向けているのだ。
「フィリルさま、くれぐれもお気をつけて」
従兄は、二人への警戒を解くつもりはないのだろう。騎士としては正しい。ただ、身内としては寂しいと思う。
「……お心遣い、感謝します」
私は複雑な思いを隠し、腰を折った。
そうして、従兄が率いる騎士団は、私に深く頭を下げると森の入り口へと向かって行く。
私は、緊張を強いられた今までの反動で、気を抜きたかった。でも、そうもいかないのが、現状だ。
ユリアネは、ガッシュさんたちを不審な目で見ているし。ガッシュさんたちは、私の反応を待っている。そして何より、王女として無様な姿は見せられない。
私は、ユリアネに向き直った。
「ユリアネ。彼らは、わたくしがお父さまから下男として譲り受けたのです。ですが、丁重な扱いを心がけてください」
「わたくし……?」
ユリアネが、呟く。そこが引っかかるのかと、突っ込みをいれたいのをぐっと我慢する。私はユリアネや本宮の侍女たちの前で「わたくし」と言ったことは、一度もないから不審に思うのも仕方ないけれど。でも、今よそ行きの口調になっているのには、何か理由があるのだと察してくれたようだ。
ユリアネは、「分かりました」と頭を下げた。
「詳しい紹介は後にしましょう。今はお二人を休ませたいのです。部屋と湯浴みの用意をしてくれると嬉しいのだけど……」
「かしこまりました」
ユリアネは深く追求してこなかった。きっと、素性の分からない人物を前にして、私を問い詰める真似はしたくないのだろう。
私たちの関係は気安いものだけど、それは王女という私の立場からしてみれば弱みともなる。それを危惧したのだと思う。
ユリアネは私のことを、よく考えてくれるありがたい存在だ。
「では、お二方。私の後について来てください」
ユリアネが、ガッシュさんたちに一瞥して言う。
確か、三階の部屋がいつでも使えるようになっていたはずだ。本宮の侍女のなかで、体調を崩した者などが休めるように用意されていた部屋である。
ユリアネは、まずそこに案内する気なのだろう。
私は、ガッシュさんたちを見た。彼らは、問いかけるように私を見ている。私は安心させるように、微笑みかけた。
「ユリアネはわたくしが一番信頼している者。ですので、安心して彼女の後について行ってください」
「そうですか」
ガルドさんは、微笑んだようだ。フードを被っているから、雰囲気でしか分からないが。
「安心、ね」
ガッシュさんは、警戒心を解かずに言う。ユリアネに対しても、懐疑的なようだ。
ガッシュさんの警戒が私にだけじゃなかったことを喜ぶべきか、ガッシュさんの警戒心の高さに嘆くべきなのか。複雑である。
「ガッシュ、行きましょう」
「……分かった」
ガルドさんの呼びかけに、ガッシュさんは従う。
立ち止まっていたユリアネが、そんな二人を見ている。
ふと、気づく。ユリアネの、冷たい目に。それは、ユリアネが瞬きをすれば消えてしまうほどの一瞬のこと。
だけど、私は見てしまった。ユリアネのあんな目、初めて見た。心臓がどくどくいっている。
まさか、ユリアネはガッシュさんの銀色の髪に対して思うところがあるのだろうか。
彼女の性格からして、差別などしないと思っていたのに……。それは、私の思い違いだったのだろうか。
「さ、姫さま」
「お部屋に、お戻りになってください」
残された本宮の侍女たちに促され、私は冷たい塔のなかへと入る。一抹の不安を抱えたまま。
部屋から本宮の侍女たちが下がるのを見届けて、私はベッドにダイブする。
「疲れたー……」
本音がもれる。
いきなり本宮に連れて行かれ、二年以上会っていない父と謁見の間で面会した。
謁見の間には重臣が勢揃いで、緊張を強いられもした。
その疲れを、ようやく面に出せたのだ。私は開放感でいっぱいだった。
薄暗い森に囲まれた冷たい西宮は、正直嫌いだ。だけど、不思議なことに帰ってきたのだと自覚すると、安心してしまう。
私にとって、西宮はもう家になっているのかもしれない。不本意だけれど。
ごろんと仰向けになる。天蓋付きの豪奢なベッドが、私に高貴な生まれなのだと訴えかけてくるようだ。
「……でも、幽閉中なんだよね」
そう、何の彩りもない生活。
王女なのに、何も求めてはいけなかった。
ちゃんと笑えているのかも分からない毎日だった。
だけど。
「これからは、違う」
ガッシュさんが来た。
私の理想そのものの存在が。
私の口が弧を描く。
嬉しくて仕方ないのだ。私の、冷たい日々に変化が起きる。それが、堪らなく嬉しい。
ガッシュさんの野性的な目を思い出すだけで、ぞくぞくが止まらない。
私の下で、あんな目で見上げられたら、どんなに素敵だろう。
想像しただけで、私のなかを熱が巡っていく。
まだ、距離はある。だけど、目的を果たす為ならば、いくら時間をかけてもいい。友好的な関係を築いてみせる。
長期戦、上等じゃないか。
「絶対、勝ってみせる……!」
私は拳を握った。
こんなにも気分が高揚するのは、久しぶりだ。
鼻歌を歌いたくなったけど、ゴンゴンという扉を叩く音に、高揚感は瞬時になりをひそめてしまう。
この音。ユリアネだ。
「姫さま、入りますよ」
「は、はい。どうぞ!」
明らかに苛立っているユリアネの声に、私は体を起こし姿勢を正した。
同時に、ユリアネが入室してくる。危なかった。
「姫さま、何なのですか。あの二人組は」
開口一番に、ユリアネはそう切り込んできた。
「何とは……?」
ユリアネは、厳しい眼差しを私に向けてくる。……これは、相当怒っているな。
「怪しすぎます。それと、あの銀色の髪の男。姫さまに対して、あの態度。気に入りません」
「銀色の髪の男ではなく、ガッシュさんというんですよ」
私はやんわりと訂正した。聞き届けてくれるかは、分からないけれど。
「そんなこと知りません。フードの男は顔すら見せませんし」
「フードの男ではなく、ガルドさんですよ。あと、フードを取らないようにお願いしたのは、私です」
「姫さまが……?」
ユリアネが怪訝そうにしている。
まあ、そうだろう。顔を見せない非礼を、王女自らが認めたのだから。
さて、どこから話したものか。
「ユリアネ、私は本宮に呼ばれて彼らと出会ったんです」
「本宮で……?」
私は、ユリアネに全てを話した。
彼らは我が国の海域にて、兄により捕縛されたこと。そして、非道な扱いを受けていたことも。
「お父さまの命により、その命を奪われそうになった彼らを、私は助けたかったんです」
真摯に私は、自分の思いをユリアネに語る。
下心があったとはいえ、彼らを助けたいと思った気持ちも本物だ。
私は二つの命を背負った。守らなくてはならないのだ。
「ユリアネ、どうか分かってください。彼らはもう、私の庇護下にあるのです」
胸の前で両手を組み、私はユリアネに懇願した。
彼らの西宮での今後の快適な生活は、ユリアネにかかっているのだ。
ユリアネは私をじっと見つめたあと、ため息をついた。
「……仕方ありません。姫さまの願いを無碍にはできませんもの」
「ユリアネ……!」
顔を輝かせる私に、ユリアネは苦笑を浮かべた。
「姫さまを信じるのです。彼らを信じたわけではありません」
「充分です!」
気難しいユリアネが、彼らの面倒を見ると言ってくれただけでも奇跡だ。
ユリアネは一変して、意地悪な笑みを浮かべた。あ、嫌な予感がする。
「さっそく、明日から仕事を任せましょう。そうそう、顔を見せるのがまずいのでしたら、本宮の侍女には本宮で仕事をしてもらいましょう」
「ユ、ユリアネ……?」
「下男が増えて、助かりました。これからは、三人で西宮の仕事を回していきますね」
生き生きと、ユリアネはこれからのことを語っていく。
というか、たった三人で西宮の仕事をするとか、正気だろうか。
戸惑う私に、ユリアネはにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます、姫さま。下男を決めてきてくださって。実は、本宮の侍女たちは気位が高く、扱い辛かったんです」
「そ、そうですか」
一応相づちをうったけれど、嘘だと思った。
本宮の侍女たちは、ユリアネに一目置いていたように見えた。
つまり、ユリアネの言葉を意訳すると、勝手に下男を決めた私に腹を立てていると遠まわしに言っているのだ。
「彼らの待遇については、私に一任してくださるのですよね」
「え、えっと」
ユリアネに全て任せたら、いけない気がして、私は躊躇った。
しかし、ユリアネはずいっと一歩前に出る。
「一任してくださるのですよね?」
「は、はい」
私は、ユリアネの圧力に負けた。
仕方ないのだ。幼い頃から、私はユリアネに勝てた試しがない。
「では、私は湯浴みを終えた二人に、同僚としての心得を叩き込んできます」
「お、お手柔らかにお願いします……」
ごめんなさい、ガッシュさんにガルドさん。
私には、ユリアネを制御することができないのです。
私は二人に向けて、心のなかで合掌した。
張り切って部屋を出て行こうとするユリアネを見て、私はある引っかかりを覚えた。
そうだ。私はユリアネの彼らに対する態度に不安を覚えていた、ように思える。
部屋に戻る前に、ユリアネに異変を感じたはずだ。
だけど、今。その不安や異変が思い出せない。それどころか、どんどん薄れていく気がする。
結局、私は何も言えず、ユリアネを見送った。
「……何を、不安に思ったのだろう」
私は首を傾げて、ぽすんとベッドに倒れ込んだ。
しばらく悩んだけれど、結局分からなかった。
「……まあ、いいか」
どんなに考えても、頭に靄がかかっている。
考えても仕方ないのだと、何かが囁く。
私はその声に身を委ね、目を閉じた。