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5.本宮に呼ばれる

 そもそも、私にとって前世の記憶は宝だ。

 この記憶のおかげで、私は辛い環境でも耐えていられたのだから。

 前世の私は、かなり引っ込み思案だったようだけど。頼れる異性の幼なじみがいて、愛してくれる家族もいた。

 前世の私は、いつも引っ張っていってくれる幼なじみと結婚……したらしい。そこまでしか、記憶にないし。実は、記憶自体も曖昧だ。

 ただ、幸せだったな~という感情は残っている。

 その感情が大事なのだ。

 私は確かに幸せを知っている。

 だから、耐えられる。我慢できる。

 今までも、これからも。

 そう、なんだって我慢できるんだから。


「今の、状況だって……」


 小さく呟いた声は、大勢の人間の視線の渦に消えていってしまう。

 幽閉生活三年目にして、私は何故か西宮から出された。

 そして、着飾られて国のとっても偉い人たちが立ち並ぶ、謁見の間に連れてこられたのだ。

 ……何故、こうなったのだろう。

 私は緊張から、遠くなりそうになる意識を辛うじてつなぎ止め、思い出していた。

 事の発端を。


 今日の私は、目覚めがたいへん良かった。

 寝起きの気だるさもなければ、眠気が残ることもない。

 すっきりと目覚められて、私は気分も良かった。

 今なら、難読だからと放っていたマーガレット先生推薦の、淑女の嗜みの本も読破できるかもしれない。

 私はうきうきと、ユリアネを呼ぶべく呼び鈴を鳴らそうとした。

 すると──。

 ゴンゴンと、勢い良く薄い扉が叩かれたのだ。

 早朝から、この暴挙。ユリアネ以外の何者でもないだろう。


「姫さま、入りますよ!」


 しかし、いつになく真剣なユリアネの声に、私は姿勢を正した。


「は、はい。どうぞ入室してください」


 そうして入ってきたユリアネは、数名の本宮の侍女を引き連れ、一着のドレスを手に持っていた。

 あれは、私が唯一持っているドレスだ。新緑を思わせる色合いのもので、スカートの部分と袖にレースとフリルがふんだんに使われている。

 一国の姫として一着は持っていた方がいいと購入したはいいが、一度も袖を通していないドレスだ。

 ユリアネの後ろに控えている侍女たちは、装飾品の入った小箱や、化粧道具を持っている。

 物々しい雰囲気に、私はすっかり気圧されてしまった。


「あ、あの。これは、いったい……?」


 おろおろと、皆を見回す私に、ユリアネが厳しい眼差しを向ける。


「落ち着きなさいませ、姫さま。見苦しいですよ」

「は、はい……!」


 ユリアネに一喝され、私は背筋を伸ばした。

 ユリアネは、後ろに控える侍女たちに気づかれないように、そっと息を吐いた。


「姫さま、落ち着いて聞いてください」

「え……?」

「本宮……王から、姫さまへの招集命令が届きました」


 ユリアネの言葉に、私は目を見開いた。

 王……それは、私の今世での父親だ。

 兄が、私をこの西宮に閉じ込めた時、何もしてくれなかった人。


「お父さまが……」


 呆然と呟く私の耳に、ユリアネの手を叩く音が響いた。


「さあ、皆さま! 姫さまの準備をお願いします」

「はい!」


 きびきびと動き出す侍女たちの姿に、止まっていた思考が動き出す。

 招集を受けた。それは、西宮を出て本宮へ行くことになる。大勢の人の前に、この身を晒すことになるのだ。

 体が震える。私は、レンブラント王国の姫としてちゃんと振る舞えるのだろうか。

 嘲笑の的になったりしないだろうか。

 暗い思考の闇に陥りそうになった時、両手を握られた。


「姫さま、お立ちください」

「ユリアネ……」

「今は、自分を見失っている場合ではありませんよ。身も心も強くあってください」


 ユリアネの真摯な眼差しが私のなかに染み入り、気が付けば私はこくりと頷きベッドから立ち上がっていた。


「さあ、姫さま。化粧という名の武装をいたしましょう」

「……分かりました」


 父からの呼び出しに、私に拒否権はない。ならば、ユリアネが言ったように、覚悟を持って本宮に行かなくては。

 侍女たちは手早く私を着替えさせていく。

 そして、化粧台の前に私を座らせると、神業のように化粧を施していく。

 凄い。鏡のなかの『フィリル』の儚さが、倍増していく。

 どこから、どう見ても、庇護欲をかき立てられる立派なお姫さまだ。


「装飾品は、そう。そのネックレスとイヤリングを。あとは……」


 ユリアネが指示を出していくのが、鏡のなかで見える。

 私には、服とか装飾品を扱うセンスがないので、いつもユリアネ頼りになってしまう。


「姫さま、出来ましたわ」

「ありがとう、ユリアネ。それに本宮の皆さん」


 そうお礼を言えば、本宮の侍女たちは深く頭を下げた。

 ユリアネは、満足そうに私を見ていた。


「姫さま、お美しいですわ」

「あ、ありがとうございます」


 いきなり誉められて、私は照れてしまう。

 あのユリアネが私を誉めた。それだけで、勇気がわきそうだ。


「……さあ、姫さま。迎えの方がいらしています。強く気高く、行きましょう」

「は、はい」


 そうして私は、ユリアネの引率のもと、西宮の一階へと向かった。一階なんて、めったに来ない場所だ。西宮唯一の入り口であり出口でもある扉を見てしまったら、外に出てしまいたくなるからだ。

 一階の扉を、ユリアネが開ける。あれほど焦がれた外に、私は今出ようとしている。

 心臓がどくんどくんと脈打つ。

 二年以上振りの外への期待が高まる。

 しかし、そんな私の胸の高鳴りも、外で控えていた騎士たちの姿にヒュッと冷えた。

 迎えの騎士の先頭には、従兄がいたのだ。

 シャガート・シュヴァルツ。私の母の兄の息子にして、次期シュヴァルツ侯爵家の当主である人物。シュヴァルツ侯爵家は、国内で有力な貴族だ。

 彼は、獰猛な獣を思わせる目で、私を見据えていた。


「……フィリルさま、お迎えに上がりました」


 何の感情も宿らない声で、従兄は私を迎えにきたという。

 私は震える手を叱咤し、優雅に見えるように腰を折る。


「迎え、ご苦労さまです」

「いいえ。では、行きましょう」


 従兄は私に手を差し出してきた。

 心細くなった私は、後ろを見る。

 ユリアネたちは、深く頭を下げていて、表情が見えない。

 私は、ぐっと手を握りしめた後に、そっと従兄の手に自分の手を重ねた。

 従兄の手は、冷たい声音とは違い、温かかった。


 西宮から本宮までの道のり、私は酷く緊張していた。

 従兄も周りの騎士たちも無言を貫いている。鬱蒼とした森が、更に私の心に影を落としていた。

 しかし、護衛の騎士に従兄が来るとは予想外だった。従兄は、私のことを嫌っているはずだ。

 それなのに、こうして私の手を引き、私の歩く速度に合わせてくれている。

 正直、変な気分だった。

 西宮にいる時には、散々従兄を押し倒す計画を練っていたのに。いざ、本人を前にすると、食指が動かない。色々急過ぎて、混乱しているのかもしれない。


「フィリルさま、お足元に気をつけてください」

「は、はい」


 不意に話しかけられて、私は緊張しながら応える。

 びっくりした。従兄が、私をさま付けなのも驚いたけれど、冷え切っていた関係が嘘のように彼は紳士的だ。

 昔は侯爵家の嫡男でありながら、粗野な印象が強かったのに。

 騎士団に入って、揉まれた結果だろうか。私は失礼なことを考えながら、従兄の横顔を盗み見た。

 従兄の眉間にはシワが寄っている。

 ああ、やはり私は嫌われているのだ。そう思い、私は視線を前に戻した。

 その後、森を抜けると私は馬車に乗せられた。王宮は広い。徒歩で行くには、時間が掛かりすぎる。

 騎士たちは馬に乗り、私が乗る馬車の周りを固めるように囲んで進む。

 馬車のなか、私は深く息を吐いた。

 父が何を思って、幽閉の身の私を呼び出したのか。

 それが気になってしまう。


「二年以上も放っておいて、今更何の用なんだろう……」


 独り呟き、私はぎゅっと両手を握りしめた。

 父とは、幽閉されてから会っていない。時折訪れては、嫌みを言ってくる兄や姉とは違い、完全なる無関心なのだと思っていた。


「……とにかく、何があっても平常心でいないと」


 今は頼りになるユリアネが、そばにいないのだから。

 私は、レンブラント王国の第二王女。気高く、強くあらねば。

 私は強く強く、自分に言い聞かせた。


 私は、従兄により本宮の謁見の間まで連れてこられた。

 幽閉される前まで、私は本宮で暮らしていた。だけど、慣れているはずの久しぶりの本宮は、何だか寒々しい。日々、寒いと思っていた西宮以上に、よそよそしい感じがするのは私の意識が変わってしまったからだろうか。

 本宮は、もう私の家ではないのだと思い知らされた気がして、苦い気持ちになる。


「フィリル殿下。到着なさいました!」


 扉の前に立つ兵士が、なかに告げる。

 従兄の腕に、手を預けた私の前で扉が開かれる。

 私は息を呑んだ。

 謁見の間に、国の主要な人物が集まっていたからだ。

 視線が一斉に私へと集まる。


「フィリルさま」


 従兄に促され、私は何とか足を動かす。

 大丈夫だ、私。マーガレット先生に教わった、マナーを思い出せ。

 たくさんの視線に晒されるなか、私は父が座る玉座へと向かう。

 父の両隣には、兄と姉が立っている。

 王族が勢揃いとは、本当に何事だろう。

 兄と姉が苦々しい顔つきで、私を見るのはもう慣れているので気にしない。


「よく来たな、フィリルよ」


 しゃがれた声がした。父だ。こんな覇気のない声だったかと、驚く。

 それにより、反応が遅れる。


「何をしている、フィリル! 陛下のお声掛けに、何も返さぬとは無礼だぞ!」


 兄が侮蔑のこもった声で、私を罵る。

 私は、慌てて従兄から手を離すとドレスのスカートを摘まみ、深く腰を折った。


「申し訳ありません、陛下。フィリル、招致に応じ、参上いたしました」

「よい、許す」


 鷹揚に返す声には、やはり生気がない。

 許しを得た私は、姿勢を正す。


「シャガートも、フィリルの迎えご苦労であった。下がるがよい」

「はっ!」


 従兄は、深く頭を下げると、大臣や重臣のいる壁際へと下がった。


「フィリルよ、お前を呼んだのは、レイオルフが海から面白いものを連れてきたのでな。お前にも見せようと思ったのだ」

「お兄さまが……」


 兄を見れば、忌々しげに睨みつけられたので、視線を逸らした。


「そうだ、お前もこちらへ来い。共に高みの見物といこうぞ」

「分かりました」


 私は、父たちのいる玉座へと進む。父の左隣にいる姉の横に立つ。


「珍しきものを、貴女にもお見せになろうとする陛下の優しさに感謝することね」


 姉がふんっと、鼻を鳴らした。綺麗な顔が台無しだと思った。


「……さて、あれらを連れてくるがよい」

「は!」


 父の声に、謁見の間にいた兵士が反応する。

 そして、再び扉が開かれた。

 ジャラジャラという、鎖の音が謁見の間に響く。

 鎖に繋がれ、引っ立てられるようにして連れてこられたのは──二人の男性だった。

 謁見の間にざわめきが広がる。

 私の目は、二人のうちの一人に吸い込まれていく。

 銀色の髪に、赤い目。


「魔物……!」


 誰かが恐怖の声を上げた。

 銀色は、今の世界では魔物の色として恐れられている色だ。

 でも、私が気にしたのはそこではなくて。

 鎖に繋がれているのに、好戦的な目を隠しもしない。その姿に惹かれたのだ。

 私の『性癖』が、歓喜の声を上げた。

 ああ。

 組み敷きたい。

 恐怖にざわめく謁見の間で、私はそんなことを思っていた。


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