3.彼女と私
鬱蒼と生い茂る紫色という毒々しい草花や、背の高い木々に周りを囲まれた寒々しい我が西宮にも、朝はちゃんとくる。
いや、来なかったりしたら、非常に困る。
月明かりが頼りな夜の西宮は、雰囲気が正にお化け屋敷だからだ。
……廊下とか階段に設置する魔光灯の数、増やしてもらえないかな。本当に暗い。
魔光灯とは、細長い形状をした半透明の筒に、夜輝石という特殊な石の粉末を入れた物だ。
名前の通り、夜――つまり、陽が沈むと輝き出す石は、砕かれた後も効果は残るようで、暗闇に閉ざされる夜の時間に、とても重宝されている。
前の私が知るところの、蛍光灯に近いものだと思う。
ただ、基本的に上に設置される蛍光灯とは違い、魔光灯は壁に埋め込まれていたり、燭台の上に、蝋燭の代わりに置かれていることが多い。
蛍光灯と比べると半分ほどの長さしかないからか、魔光灯は縦方向での使用が一般的だ。
貴族の家などは、高名な細工師が装飾を施し、シャンデリアと一緒に吊すこともあるという。
魔光灯は、高価な品だから、宝飾品と同じくらいの価値があるのだ。
……やっぱり、数を増やしてほしい発言は無しだ。王族の生活の全ては、国民の税金で賄えられている。お化け怖いという理由だけで、それを使うのもどうかと思うし、税金の無断遣いという言葉は、お腹の辺りをムカムカとさせるのだ。
前の私が、庶民だったからこそ起こる感情なのだろう。税金大切だ。
「うー……、ぶしっ!」
ぶるりと身を震わせて、私は上質な毛で織られた毛布を手繰り寄せる。寒い。
西宮の朝は、凄く寒いのだ。
幽閉されている身とはいえ、流石は王族というべきか。私の寝台は、豪華にも天蓋がついている。
シーツは、人手が少ない筈なのに、毎日真っ白で肌触りの良いものに取り替えられている。
西宮は人手不足が、慢性的な問題なのに、私の身の回りの環境に、手抜きは見られない。
それが、酷く申し訳なくて、そして、凄く嬉しいと感じてしまうのは、人の温もりに飢えているからだろうか。
だから、たった一人でも私の為に心を砕いて、動いてくれる人が居るという事実が、私を支えてくれている。
「……ありがとう、とか、素直には言えないけど」
うごうごと、暖を求めて私は毛布の中で動き回る。
しかし、起き抜けで寝ぼけていたのか、ベッドの広さを見誤ってしまったようだ。
ふわっと、下に引っ張られるような背中をヒヤリとさせる一瞬の浮遊感のあと、私はベッドから上質な絨毯の上へと転がり落ちてしまった。
「あひゃっ!」
体をぶつける音は絨毯に吸収されたので、部屋には私の間抜けな悲鳴だけが響く。
痛い。私は年の割には薄い体なので、落下の衝撃は骨にまで伝わってしまう。
もっと肉付き良く、女らしい曲線を描いた体付きになりたいものだ。今はまだ儚い夢だけれども。
ああ、痛みで涙の膜が張られた視界に、白い腕が映る。
私の腕なのだが、改めて見るとギョッとする程に、細い。
陽の当たらない塔の中で、ずっと生活してきた弊害だ。
日焼けとは無縁なのだから、白くもなるし、幽閉生活に食欲も湧くはずがない。
痛みをやり過ごし、私はのろのろと体を起こす。
そのまま上げた視線の先に、布を被せた姿見があった。
まだ夜は明けきっていないようで、閉められた窓の隙間から差し込む薄い光だけを頼りに、私は姿見へと近寄り、布に手を掛けた。
露わになった姿見には、小柄な少女が、儚げな風情で立ち尽くしている。
金に近い薄茶色の髪は、緩やかに波打ち、少女の白い頬に被さるようにして、彼女の腰より少し下まで流れている。
伏せがちな瞳は、形のよい碧眼だけれど、長い睫毛が影を作り隠してしまっていた。
すっと通った鼻筋に、小さな唇は計算尽くされたように完璧に配置されている。
しかも、紅など塗っていないのに、瑞々しいまでの桃色の唇は、微笑みかけられたら誰の目をも惹きつけそうだ。
病的なまでに白い肌と、寝巻き替わりのキャミソールに近い白いワンピース姿と相まって、吹けば飛びそうという頼りない風情を醸し出しているが、先に述べた説明の通り、見目はとても良い。
この少女こそが、フィリル・エル・レンブラント。つまり、私だ。
前の私という知識があるせいか、私は自身を客観的に見る事が可能なので、自分の容姿が眼福ものの美少女だという自覚はある。
でも、自分に陶酔する趣味には今のところ目覚めていないので、ちょっとだけ安心している。
「もうちょっと、こう、胸がなぁ……」
どんなに可愛い姿でも、不満の一つや二つはあるのだ。
私は、姿見の中の薄い胸に、今日もため息を吐くのだった。
そんな時だ。
ゴンゴンと、王族の部屋にしては薄く装飾の無い扉が叩かれる。
コンコンでは無い。拳で叩きつけての、ゴンゴンだ。
乱暴なノックが誰によるものなのかすぐさま察知した私は、慌てて姿見に布を被せ、天蓋の中へと飛び込む。
その間も、扉は叩き続けられている。ノックの主は、私を敬う気が全く無いのだ。
「ど、どうぞ……」
恐る恐る私は、入室の許可を与える。そうだ、私は与える立場なのだ。幽閉中とはいえ、血筋はとっても偉いのだ!
だから、怯える必要など、本当は無い筈なんだけども。
「姫さま、失礼します」
入室してきた、侍女姿の人物に、私はゴクリと喉を鳴らす。
彼女は、私専属のというか、たった一人しか居ない侍女である。身の回りの世話は、全て彼女の管轄だ。
だが、彼女が私の部屋に来るには、今はまだ早過ぎる時間帯である。
「お、おはようございます。ユリアネ」
「ええ、かなり早い時間のご起床でございますね」
「う……、えっと、うるさかったですか?」
ベッドからダイブした時に、私は悲鳴を上げていた事を思い出し、サアッと顔を青くする。
朝方は、ほぼ無人の西宮で、私の悲鳴はよく響いた事だろう。
侍女――ユリアネは、重く頷いた。重々しい雰囲気が、ひしひしと感じられる、威厳に満ちた頷きである。
「また、寝台から落ちられたのですか?」
「う……っ」
ユリアネに痛いところをつかれ、私は言葉に詰まる。
つい三日前に、顔面強打で新緑の絨毯を赤く染め上げたことを皮肉っているのが、よく分かったからだ。
しょんぼりと、ユリアネを見上げる私の心境は、怒り心頭の母親に叱られるのを待つ幼子に近い。
三日前のユリアネの怒りは凄まじく、思い出すだけで身震いは止まらない。
はうあぁぁぁと、声にならない浅い息を吐く私を、ユリアネは静かに見下ろす。
ユリアネの焦げ茶色の目は、何の感情も映し出しておらず……ものすごく怖い感じだとお伝えしたい。
「……ぷっ」
と、軽い息が跳ねる音がすると同時に。
「あっははっは……っ!」
私が怪訝に感じる前に、大爆笑である。ユリアネは、腹を抱えてひーひー言いながら笑い続けている。
あ、あれ? ユリアネ、怒ってたのでは?
「まあ! 姫さまの情けないお顔!」
「ええぇぇぇ……」
心底可笑しくて堪らないというユリアネの様子に、私は困惑を深めるばかりだ。
そんな私を、ユリアネは目を細めて見やった。
「姫さま、私は最初から叱るつもりなどないのですよ」
「えっ! そ、そうなんですか? 私はてっきり……」
てっきり、頭に拳骨から始まる、恐ろしい制裁があるのかと、とは口には出さない。
ユリアネは、そんな恐ろしい事はしない。
ただ、彼女の雰囲気は某極めし道の妻に通ずる迫力があるのだ、とだけ明記しておこう。
彼女の本当の怖さは、声を荒げずとも、対象となる相手に自身の怒りを染み渡らせる冷たさにあると言える。
ユリアネは、私よりたった二つだけ年上なのだが、精神年齢はもっと上なのではないかと思われる。
これも口には出さない。出してはいけないのだ。
「先日、私が姫さまを怒鳴りつけたのは、怒りからではなく、焦りからですよ」
「焦り……」
はて、焦りとな。
目を瞬かせる私に、ユリアネは苦笑を浮かべた。さも、呆れ果てたとばかりに。
「姫さま。お仕えする君が、顔面から血を滴らせていましたら、平常心など保てないのでは?」
「ああ! それも、そう、ですよね。あ、はは……」
「全く、姫さまは私を何だと思っておられるのか」
「ごめんなさい、ユリアネ」
最強のユリアネさまと、思っています。
「……姫様が起きられるには、随分と早い時間ではありますが」
「ああ、はい。このまま、起きてしまおうかと」
「分かりました。では、本宮の通いが来るまで、私は隣に控えております」
そう言うと、ユリアネは流れるような動きで、礼を取ると窓へと歩いていく。
ユリアネが背を向けたのを幸いに、私はホッと息をつく。
ユリアネは、私の母親の実家に古くから仕えている家の出である。
母親が正妃として王家に嫁ぐ事になり、ユリアネの母親も側仕えとして王宮に上がったのだ。
ユリアネは、母親譲りの美しい黒髪を背に流す事はなく、いつもきちりと結い上げている。王宮侍女の証の一つである、白いレースの着いたヘッドキャップで隠してしまう。
この国には、黒髪が少ないので、私としては非常に残念だ。
背は、私よりも高く、スラリとした手足が非常に羨ましい。まあ、胸はお仲間だけども。これについては、絶対に口に出してはいけない。
切れ長の目は、ユリアネの冷静沈着を絵に描いたような姿に、よく似合う。
なんというか、出来る女というのを地で行っている少女だ。まだ、十七歳。恐ろしい十七歳だ。
私の母親は、乳母を雇わなかったので、私には乳兄弟は存在しないが、変わりにユリアネという最強の幼なじみが居る。
……幽閉されたあとも、私の側に居てくれる、最高の味方だ。
ありがとう、なんて。
まだ、素直には言えないけれど。
ずっと、そばにはいてほしいとは思っている。