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2.覚醒する性癖


 ドクンドクンと、相手の左胸に当てた手のひらに伝わる鼓動が、うるさいほどに身の内に響いた。


「……っ!」


 私の体の下に居る相手の体が熱を帯び、息を呑む音が掠れているのが分かり、体内の熱が急激に上がっていくのを感じた。

 私と同じように、まだ筋肉のついていない、白い少年の腕が、赤く色付いた顔を隠している。


 ――凄い、顔が真っ赤。


 隠す前に見えた目は、潤んで泣きそうだった。

 いつも気が強く、威張っている一つ上の従兄が恥じ入る様子は儚くさえ見え、従兄を押し倒してしまっている現状を忘れ去らせる程の威力を持っていた。

 凄い、凄い。

 背中がゾクゾクする。

 こんな感覚知らない。前の私の知識にだってなかった。

 何だろう、これ。

 この、全身が痺れるような、甘いとさえ感じる、これの正体は何なのだろう。


「い、いい加減、退けよ……っ」


 ああ、私をいつもからかい、苛めてくる従兄が。子供ながら、小さき獅子と称えられている、あの気性の激しい従兄の声が。


――震えてる。今にも、泣いちゃいそうだ。


 私のせいで、泣くのかな。私が泣かせたのかな。

 そう思うと、ゾクゾクが止まらなくなった。誰かを泣かせてしまう焦りはなく、私の中は、充足感で満たされようとさえしていた。

 従兄の唇が、キュッと引き結ばれる。口の端は、屈辱で震えているようだった。


「う、わぁ……」


 私の口から、小さく感嘆の声が漏れる。殆ど口の中だけで呟いたようなものだから、きっと従兄にも聞こえていなかっただろう。

 ああ、凄い。気分が高揚していく。止まらない。

 あと少し。あと少しで、この体中を駆け巡っていく何かの、この高揚する熱の正体が分かりそうなのだ。

 この時の私は、従兄が何故、私にいいようにされるがままだったのか、理解出来ていなかった。

 ただ、いつもやりこめられている従兄に、自分が優位に立てたという事実に、狂喜するばかりで、深く考えたりなど出来なかったのだ。

 そして、この出来事が私が目覚めたきっかけであったのだろう。

 結局は、従兄が本格的に泣き出してしまい、私は姉に首根っこをひっつかまれ、父の元に連行されることとなった。


 前世というものを、自覚した五歳。

 そして、九歳のこれまた春の日に、私は自分の『性癖』を自覚したのだった。

 ああ、そう。これも、慈悲。この後に待つ日々の中に、必要な慈悲だった。きっと、そう。


 回想を終えて、十五歳の私はため息を吐く。

 今日も良い感じに、空が青い。そんな事を思いながら、重いため息をまた一つ。

 ああ、本気であの頃の従兄はよかったのに。

 ふう、と。私は更に更に重いため息を吐きつつ、眼下を見やった。


「そこっ! もっと声を張らんか! 刃先を下げるな!」


 私が居るのは、広い鍛錬場が良く見える、西宮と呼ばれている大きな塔の三階にある部屋の窓辺だ。

 その丸見えな鍛錬場で、大勢の屈強な男達に対して、声変わりを終えた張りのある声で厳しく指導しているのは、成長期を経て、青年期に入り掛かっている従兄だ。

 最近では、天才との呼び名も高く、騎士団の長候補にもなっているようだ。

 ああ、ああ。なんということだろう。

 たった六年で、従兄の少年特有の高く、透明感のある声は失われてしまったのだった。

 幼くも鋭い目つきにより、ぴんと張りつめた雰囲気のある従兄から、震わせれば何処までも甘く響く声が出るのが、何とも言えないぐらい好きだと思えたのに。

 まだ十六歳の従兄は、二年ほど前から急激に背が伸び、毎日欠かさなかった剣術の鍛錬の賜物か、今ではすっかり筋肉質になってしまった。もう、別人もいいところである。

 あんなにも筋肉ムキムキでは、か弱い乙女である私では、従兄を押し倒すことなど、最早不可能だ。

 ああ、悔しい。悲しい。非常に、やりきれない思いで一杯だ。

 せっかく今までの、大人しく控えめな振る舞いで、周りからは薄幸の美少女と認識させるに至ったのに!

 これじゃあ、儚さを武器によろめいて従兄を押し倒すという、いつかは絶対に決行してやると息巻いて立てた作戦も、全てパァだ。

 今の従兄にしてみれば、私の渾身のタックルなど、ちょっとぶつかった程度で終わってしまうだろう。ああ、本当に悔しい!

 あの九歳の日から、幾度となく従兄との接触を試みてきた気がするが、従兄も警戒していたらしく、なかなか隙を見せようとしなかったのだ。

 だからといって、あまり執拗に迫っても、警戒心剥き出しの従兄が、毛を逆立てて威嚇してくるのは目に見えていたし、周りの目というものもある。

 私は、己を律しなければならない立場を恨むばかりだ。

 全く、前世の記憶といい、我ながら因果な星の下に生まれたものだ。

 それに、私と従兄の関係も、六年前と比べると、酷く冷え込んでしまっている。


「……九歳のあれが最後だなんて、つまんない」


 機嫌の悪さをそのまま声に乗せて呟けば、まさか聞こえたわけではないのだろうが。

 背を向けていた筈の従兄が、私の居る西宮へと振り仰いだ。

 そう、振り向いたのではなく、振り仰ぐ。どう見ても、確信を持った行動だ。

 事実、私が顔を覗かせている三階の窓へと、従兄の獰猛な獣を思わせる視線が、ひたりと見据えられているのが何よりの証拠だ。

 野生の勘でも働いたのか。

 なんで、この距離で目が合うのか。従兄の身体能力は、いったいどうなっているのだ。

 西宮から丸見えとは言ったが、実際には相当離れた場所に、鍛錬場はあるのに。

 いや私は、普通だよ。

 だって、双眼鏡――こちらの世界での呼称は、スウィーヒルの円筒鏡だったか。名前長いよ――を使ってるんだから。


「あちゃー、どうしよう……」


 双眼鏡を下ろし、私は眉を下げて呟く。

 目が合ってしまったなら、もう誤魔化しようがない。

 従兄に、私が覗き見していたことがバレてしまった。ちょっと、困ったぞ。兄姉たちに知られたら、胃がキュッとなる展開が待っているのは間違いないのだ。どうしよう。

 もう双眼鏡を覗く気にはならない。

 もしまた、双眼鏡越しに目が合ったら、色んな意味で怖い。

 そして何よりも、従兄の鋭くも形の良い瞳が、私への侮蔑で歪んでいたら、立ち直れそうにない。

 従兄との関係が悪化してから随分と経つが、悪感情を向けられることを、未だに受け入れられていないのだ、私は。

 従兄の視線から逃れる形で、窓から少しだけ横に移動し、そのまま石を積んで作られた壁に背を預ける。

 ひんやりとした感触が、私から熱を奪っていく。ああ、冷たいなぁ。ここは、いつだって寒々しい。でも、私が居ていいのは、ここ――レンブラント王国の王宮の外れにひっそりと建つ、西宮だけなんだ。

 『西宮』なんて、まるで宮殿かなにかの別称のように聞こえるが、実際はバカみたい高く建てられた、石造りの円塔だ。

 常に人手が足りないので、外壁などは蔦が覆い放題、ヒビが入り放題の、荒れた外観をしているが、ここもれっきとした王宮の一部である。

 王宮の華やかな雰囲気からは程遠い、殺伐とした目的の為に作られた塔だ。


「……フィリル・エル・レンブラント、か」


 ポツリと呟いたのは、私の名前だ。

 レンブラントの名を冠され、エルウルム(貴き者)を名乗ることを許された存在。現レンブラント王の、三番目の子供。それが、私だ。

 うむ、『前の私』は一般家庭の、ごくごく普通のお嬢さんだったのに、今は王族。凄い。でも、幽閉されてるっていうのが、辛いところだよ。

 二年前から、この冷たい塔が私の家。

 もう慣れちゃったけれど、閉じ込められた当初は、めっそりと過ごしたものだ。

 慣れたあとは、いや、慣れてないな全然。だって、ここ夜とか、めっちゃ怖いし。お、お化けとか、居るんじゃないかな? まだ会ったことないけど、お化け、居るよ多分。夜真っ暗だし、あんまり人居ないし! やだ、ここ本気で怖い。

 ……思考が逸れちゃった。

 えーと、まあ、全然慣れてないけど、一応信頼出来る子が一人居てくれるし。

 あんまり他人と関わるの得意じゃないから、今の環境も、深く考えなきゃ、まあ、そこまで酷くはない、かなぁ?

 ポジティブにいこう。どんな時だって、必ず良いことはあるはずなんだから。


「……ああ、暇だ」


 はあ、と何度目になるのかも分からないため息をつき、私は座り込んだ状態から膝を抱える。

 視界に、一国の姫君に相応しいドレスが、皺だらけになるのが映るけど、構う必要はない。

 いくら気合いを入れて、可愛くしても、ここでは見せられる相手が少なすぎる。

 寂しくて悲しすぎて、涙も涸れた。流石、幽閉生活。心が荒んでいく要素が多すぎである。良いこと探し、頑張ろう。

 

 まあ、幽閉生活もそろそろ三年目に突入するのですが、この生活には大きな問題がある。

 これは、本当に重大なことだ。この事を思い出すと、先ほどの従兄にばれた覗き見の事や、兄姉にチクられたらどうしようとかという、悩みなどあっという間に霞んでしまう。

 私は、幽閉生活を二年送ってきた。そして今年で三年目である。

 それなのに、未だに幽閉された理由を、私は知らない。知らされていないのだ。

 普通に王女をしていたというのに、大勢の騎士を引き連れた兄に、この塔の中へと閉じ込められたという流れのまま、今日まで来てしまった。


 ……本当に、なんで、私はここに居るんだろう?


「お兄さま、早く私をここから出してくれないかな……」


 冷たく感じる壁に、私の呟きは消えていった。


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