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18.ドレスと違和感


 ガッシュさんの礼儀作法習得の他にも、やるべきことはある。

 私のドレスの問題だ。

 ただ新調するにしても、手順というものがある。

 まず、姉だったら複数の仕立て屋を呼び、そのなかから気に入ったデザインを提示した店を選ぶだろう。実際に作らせて、持ってこさせることもあるかもしれない。もちろん、全部購入する予定で。

 姉の場合は、一度に何着も作らせるだろう。

 ただ、私の場合は違う。そもそもが幽閉の身だ。

 ドレスを新調して着飾っても、見せる相手もいない。まあ、今はガッシュさんがいるけれど。でも、ドレスを見せびらかすのは何か違う気がする。

 それに、久しくドレスは着ていないから、動きづらい。ワンピースのが楽だ。

 そんな私だから、最後にドレスを仕立てたのは半年以上も前のことだ。

 私専属の仕立て屋の仕事は、もっぱらワンピース制作となっている。

 だが、今回の仕事はドレス制作だ。だからだろうか。私の前に立つ、仕立て屋の店主は満面の笑みを浮かべている。

 店主は、四十代の物腰の柔らかい男性だ。女性の従業員を二人連れて、西宮へとやってきた。


「フィリルさまが、ドレスを新調なさると聞き、わたくしども、選りすぐりの図案をご用意しました」

「それは、ありがとうございます」


 椅子に座った状態で、私はお礼を言う。

 図案とは、ドレスのデザイン画のことだ。

 男性の後ろに立つ女性の一人が、数枚の用紙をテーブルに広げた。

 用紙には、最先端の流行のデザイン画が描かれているのである。

 私は用紙を取ると、まじまじとデザイン画を見る。うん、さすがはファッションの世界。半年前とはまた、流行りのドレスの型が違う。

 細かくどんな布地を使うのかとか、書き込みもされているが、知らない産地の布だ。新たな流行が生まれているようだった。

 ちなみに、我が国のファッションリーダーは、姉である。派手好きの姉は、最先端の流行にも敏感なのだ。

 姉により生み出された流行のドレスを着るのは、正直複雑だが。社交界に出るには、武装が必要。その武装が流行のドレスなのだから、仕方ない。

 さすがは、専属仕立て屋。私がプリンセスラインのドレスを好んでいるのを知っているからか、その型のデザインが多い。色や装飾は様々だけれど。


「どれも素敵なものばかり。悩みますね」

「はっ、光栄です」


 仕立て屋の男性と、私の好みの色や私に似合う形を相談していく。途中、分厚い本に色んな布地のサンプルを貼ったものを、従業員の女性が見せてくれたりもした。そうやって、最高のデザインを選んでいくのだ。

 前に仕立てた時は、ユリアネの意見を多く取り入れた。でも、この場にユリアネは居ない。

 ガッシュさんの方に行ってもらっているのだ。

 パーティーには私だけではなく、ガッシュさんも出席する。つまり、ガッシュさんの礼服も仕立ててもらう必要がある。

 それで、仕立て屋の人たちが、ガッシュさんの銀色を怖がった場合、採寸やらをユリアネに行ってもらう為にガッシュさんのもとに行ってもらったわけだ。念の為に、ガルドさんにも同席してもらっている。

 ユリアネとガルドさんが居れば、なんとかなるだろう。


「フィリルさま、こちらの図案にありますのは、今人気のレース職人の作品でもあります」

「まあ」


 そのレース職人とは、以前私のワンピースを手掛けた職人だろう。あのレースは最高だった。

 私は、そのデザインにすることに決めた。


「では、フィリルさま。採寸を採らせてください」

「分かりました」


 女性の従業員が、メジャーを持って私のもとに来る。私は椅子から立ち上がった。

 採寸が終われば、彼らはすぐさまドレスの制作にかかるだろう。

 私はガッシュさんの礼儀作法と平行して、ドレス関連の打ち合わせもしなくてはならない。

 忙しい一ヶ月になりそうだと、私はそっと息を吐いた。


 仕立て屋が帰り、入れ代わるようにしてガッシュさんたちが部屋にやってきた。


「……疲れた」


 ガッシュさんは、ぐったりと椅子に座った。顔色が悪かったので、私が座るように言ったのだ。


「ガッシュさま、お疲れ様です」

「姫さんも、長いこと話し合いしてたんだろ?」

「ええ。ですが、わたくしは何度か経験していたことですから」

「そうか……」


 ガッシュさんは力なく笑った。慣れないことを体験したので、心身ともに疲れたのだろう。


「ユリアネ、ガッシュさまにお茶を淹れてさしあげて」

「かしこまりました、姫さま。ガルド、手伝いを」

「分かりました」

「すまないな……」


 力なくお礼を言ったガッシュさんは、椅子の背もたれから体を離すと、テーブルの上を見た。

 そこには、仕立て屋が置いていった予備のデザイン画が広げてあった。


「……これが、姫さんのドレスか?」

「はい。一番気に入ったのが、これでした」


 プリンセスラインでレースを施され、柔らかな布地を使っているというドレス。幽閉生活で疲弊している私には、肌に優しい生地はちょうど良い。

 そういうこともあり、決めたデザイン。なかなか気に入っている。

 ガッシュさんは、デザイン画をしばらく見つめていると、小さく口を開いた。


「……似合い、そうだな」


 呟かれたのは、とても小さい声だったけれど。私の耳には、バッチリ聞こえた。

 似合いそう? この繊細なデザインが、私に似合うとガッシュさんは感じてくれたのだ。


「え……?」


 でも、私ははっきりと聞きたくて、聞こえなかったふりをする。ちゃんと言葉にして、誉めてほしい。

 だけど、ガッシュさんの反応は思いもよらないものだった。

 ばっとデザイン画から顔を上げると、真っ赤な顔で私を見てきたのだ。


「……ち、違う!」

「ガッシュさま?」


 何が違うのだと言うのだろう。似合うと言った言葉? それを撤回されると、私は物凄く傷つくのだけど……。


「いや! 違わなくは、ないが、その……」


 ガッシュさんは、さらに顔を茹で蛸のように赤くさせ、視線を彷徨わせている。

 挙動不審だ。

 ガッシュさんにしては、珍しい。というか、ガッシュさんの恥じらう姿に、私の食指がわきわきと動く。駄目よ、フィリル。ガッシュさんの前では、おしとやかに!

 ガッシュさんは、とうとう口を引き結び、俯いてしまった。

 私のガッシュさんからの誉め言葉を、引き出そうという目論見は外れてしまった。残念だ。

 すると、クスクスという忍び笑いが聞こえた。ガルドさんだ。お茶の入ったカップを、私とガッシュさんの前に置き、口を弧にしたままデザイン画を手に取った。


「ガッシュ、こういう時は、素直な思いを口にすると女性に喜ばれますよ」

「ガルド……!」


 ガッシュさんがガルドさんを睨みつける。

 しかし、ガルドさんに気にした様子はない。付き合いが長そうだから、慣れているのだろう。


「真っ赤な顔で睨まれても、怖くありませんよ」


 そう穏やかに言うと、ガルドさんは私の方を見た。


「姫さま。ガルドは、この図案のドレスを着た姫さまを見たいそうです」

「ガルド!」


 叫ぶガッシュさんの表情から、ガルドさんが言ったことは当たっているのだと分かった。

 ガッシュさん、私に興味を持ってくれているんだ。これは喜ばしい事態になった。


「ガッシュさま、ありがとうございます」


 私は本心滲み出る喜びのオーラをまとい、微笑みを浮かべる。誰かと親しくなりたいのならば、こちらの好意を隠しては駄目なのだ。


「う……」


 私の気持ちが伝わったのか、ガッシュさんはたじろぐように呻いた。

 本心としては、私の下で恥じらった姿を見せてほしい。そんな願いを持ちつつ、でも表面は取り繕い私はガッシュさんに話しかける。


「わたくし、普段はドレスを着ませんから。誰かに誉められるというのは、凄く幸せなことですね」


 だから、もっと私に興味を持って近づいてきてほしい。

 そろそろ、ガッシュさんとの距離をつめたいのだ。

 そんな邪な思いを抱く私を、ガッシュさんが眉を寄せて見ている。


「姫さん……」


 おや。ガッシュさんは、少し辛そうに私を見ている。同情、だろうか。何故?


「姫さま、今の境遇はきっといつか、改善されますよ」


 ガルドさんまでもが、悲しげに言った。

 ……もしや、私は言い方を間違えたのだろうか。

 二人は、私が遠まわしに幽閉が辛いと言ったのだと思っているようだ。

 確かに、幽閉生活は楽しくない。全然、楽しくない。生活に潤いはないし、心は荒むばかりだ。

 しかし、だ。

 今は、同情を得たくはない。関心がほしいのだ。もっと私を知って、まだ低いであろう好感度を上げてもらいたい。ガッシュさんに!

 そして、最終的には私の性癖を満たしてくれれば、万々歳なのだ。


「姫さん。俺、あんたに迷惑をかけないよう、作法をきっちり身につけるよ」


 赤みの消えた顔に、真剣な表情を浮かべて、ガッシュさんは言った。

 それに、ガルドさんが頷く。


「ええ。私は応援しかできませんが、ガッシュ。気合いをいれて、頑張るのですよ。姫さまの為にも」

「……ああ」


 これは、どう判断すればいいのだろうか。

 私は同情心を得てしまったのか。それとも、好感度を上げることに成功したのか。どっちなのだ。

 分からないまま、私は微笑みを浮かべた。


「お二人とも、ありがとうございます。わたくし、嬉しいです」


 二人は、頷き返してくれた。

 思いのほか、ガッシュさんに強い眼差しで見られ、ちょっと動揺した私は、心を落ち着けさせる為に、カップに口を付けた。うん、この味はユリアネが淹れたものだ。美味しい。

 私は、ワゴンのそばで控えているユリアネを見た。

 ユリアネは、無表情でガッシュさんを見ていた。まるで、観察でもしているかのように。


「ユリアネ……?」


 思わず声をかけてしまった。

 すると、ユリアネは先ほどまでの無表情が嘘のように、いつもの笑みを浮かべた。


「なんでしょう、姫さま」

「あ、その。お茶、美味しいです」


 ユリアネがいつも通りだったので、私は無難なことしか言えなかった。


「それは、ようございました」


 答えるユリアネに、私は少しの不安を感じつつ、またお茶を飲んだ。

 そう、今は忙しいから。些細なことを気にしてしまうのだ。

 ユリアネはユリアネだ。きっと、さっきのはたまたまだったのだろう。

 ユリアネが別人のように見えたなんて、疲れからくる錯覚だ。

 私はそう結論づけると、一ヶ月後の姉の誕生日パーティーに意識を向けた。


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