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17.礼儀作法


 夜が明けると、ユリアネはさっそく行動に移した。

 ガッシュさんが礼儀作法習得に集中できるようにと、本宮から侍女を二人借りてきたのだ。

 ただ本宮の侍女は、ガッシュさんを見て顔を蒼白にしてしまったので、ユリアネはガッシュさんと二人がかち合わないように采配をふるってくれている。

 ガッシュさんが傷つくのは嫌だから、ユリアネに感謝だ。

 ガルドさんも、自分の美貌がバレないように距離を置いているようだ。自衛大事!

 そうして、ガッシュさんの礼儀作法の授業が始まった。


「ガッシュさま。わたくしは、マーガレットと申します。此度、貴方さまの指導役に選んで頂いたこと、光栄に存じますわ」


 マーガレット先生は、ガッシュさんを恐れることなく、すらすらと挨拶を口にした。

 逆に、ガッシュさんの方がたじろいているぐらいだ。


「あ、ああ。ガッシュだ。よろしく頼む」


 ガッシュさん、マーガレット先生の雰囲気が苦手なのかもしれない。元々、人と距離を置く人でもあるし。これは仕方ないだろうな。


「……ガッシュさま。誰かと話す時は、きちんと目を合わせましょう」

「わ、分かった」

「紳士たるもの、目の動き、指先まで神経を研ぎ澄まし、手際良くそつなく会話をこなせなくてはなりませんよ」

「ぐ……!」


 ガッシュさんが呻く。全部苦手そうですもんね!

 同席を許され、椅子に座っていた私は、見かねて口を開くことにした。


「ガッシュさま。何もいきなり全部できるようになれ、というわけではありません。ゆっくり、一つずつでいいのです」

「姫さん……」


 ガッシュさんが詰めていた息を、小さく吐く。緊張しているようだ。

 体を強ばらせているガッシュさんも、なんて素敵……おっと本音が。

 建て前を全面に出した私は少しでも安心してもらおうと、微笑みかける。


「マーガレット先生の授業には、わたくしも一緒に参加します。二人なら、何も不安になることなんてありませんよ」

「そう、だよな」


 ガッシュさんは、少しだけ体から力を抜いた。

 その様子を見ていたマーガレット先生が、ゆったりと頷いた。


「フィリルさまも、基礎の見直しをなさいますし。お二人は良い刺激を与え合うことでしょう」


 マーガレット先生は、何だか嬉しそうだ。

 彼女は私の現状を憂いていた。私が独りではなく、他者と共にあろうとしているのを、喜んでくれているのだ。


「では、フィリルさまにガッシュさま。授業を始めましょう」


 柔らかなマーガレット先生の言葉で、授業は始まりを告げた。



「ガッシュさま。そこはさりげなく、フィリルさまに付き添ってください」

「わ、分かった」


 今は、男性のエスコートの練習をしている。

 基本的な動きは、最初に教わっているので、ガッシュさんはぎこちなく実践に移っているわけだ。


「姫さん、手を……」

「はい、ガッシュさま」


 私は差し出された腕に、そっと手を触れる。

 ビクッと、ガッシュさんの体が固まるのが伝わる。顔には出していないけれど、人に触れられるのが苦手なのかもしれない。


「ガッシュさま、顔が強ばってますわ。笑顔を心がけてください」


 私にはガッシュさんの表情に変化は見られなかったけれど、マーガレット先生は微かなものでも分かるようだ。即座に指摘が入る。


「わ、分かった」


 ガッシュさんは笑顔を浮かべたけれど、その表情は完全に固まっている。怖いです、ガッシュさん。


「ガッシュさま、自然な笑顔を。それでは、目が笑っていませんよ」

「ぐ……」


 マーガレット先生の指摘に、ガッシュさんは呻く。本当に、こういうの苦手なんだな。


「ガッシュさま。ガルドさまに向けているような笑顔を思い出せば良いのですよ」

「ガルドに……」


 私のアドバイスに、ガッシュさんは眉を寄せてしまう。

 もしかして、ガルドさんへの笑顔は無自覚だったんですか?

 私が見たガッシュさんの笑顔は、とても自然体だった。

 あんな笑顔を向けられるようになりたいと願うほどに、惹かれるものだったのに。無意識とは。

 ……まずは、ガッシュさんとの距離を縮めなくてはならないということか。腕が鳴る。

 それはともかくとして。


「ガッシュさま、一度深呼吸をしてみましょう。体から余分な力が抜ければ、自然な笑顔が浮かぶかもしれませんよ」

「あ、ああ」


 ガッシュさんは、素直に軽く深呼吸を繰り返す。

 心なしか、体の強ばりも解けてきた気がする。


「ガッシュさま、眉間から力を抜いて、口許を上げてみてください。少しは笑っているように見えますよ」

「分かった」


 ガッシュさんは、私の言った通りに眉間からシワをなくすように心がけてくれた。そして、口許を上げる。うん、さっきよりも、笑顔らしくなった。


「その調子ですわ、ガッシュさま」


 マーガレット先生から見ても、ガッシュさんの笑顔は良くなったようだ。

 ガッシュさんは照れたように、視線を外した。

 元からあまり笑うことの少ないガッシュさんは、照れ屋なのかもしれない。

 うん。同席を申し出て良かった。今日だけでも、色んなガッシュさんを見られた。

 私が満足感に浸っていると、マーガレット先生が手を叩いた。


「さあ、感覚を掴んでいるうちに、練習を重ねますよ」

「分かりました、マーガレット先生」

「よろしく頼む」


 そうして、私とガッシュさんはエスコートの練習を繰り返すのだった。


 夕方になる前に、マーガレット先生は護衛の騎士と共に西宮から帰って行った。

 既に習得した作法だったとはいえ、何度も繰り返したので体ががちがちだ。淑女の動きは、意外と筋肉を使うのだ。

 慣れている私でさえ、疲れ果てているのだから。今日が初めての授業だったガッシュさんはと言うと……。


「……」


 ぐったりと椅子の背もたれに寄りかかり、力なく座り込んでいる。

 慣れないことの連続で、疲れきっているのだろう。

 笑顔も何度も練習させられていたから、今は無表情だ。表情筋を使い果たしてしまったのだと思う。

 テーブルを挟んでガッシュさんの向かいに座った私は、ガッシュさんの無防備な姿ににやけるのを我慢しながら、話しかける。


「ガッシュさま、お疲れ様でした」

「……ああ、姫さんもな」


 力ないガッシュさんの声。相当、疲れているようだ。


「わたくしは良いのです。復習にもなりましたし。ですが、ガッシュさまは初めてのことだらけでしょう? なのに、弱音を吐かず、頑張っていたと思います」


 私の言葉に、ガッシュさんは苦笑を浮かべた。


「俺に付き合ってくれた姫さんの前で、かっこ悪いところ見せられないだろ」

「ガッシュさま……」


 ガッシュさんは、ガッシュさんなりにきちんと礼儀作法に向き合おうとしているのだろう。それは、一緒に授業を受けた私にもよく分かる。

 苦手な笑顔の練習にも、文句一つ言わずに頑張っていたから。


「ふふ、ガッシュさまは頑張り屋さんなんですね」

「……負けず嫌いなだけさ」


 そう言って、ガッシュさんは視線を逸らした。

 人と視線を合わせるのが苦手なガッシュさんだけど、練習中は一生懸命私を見ていた。ちょっと照れてしまったのは内緒だ。

 ガッシュさんの人柄が、ちょっと分かった気がした。


「ガッシュさま。まだまだ始まったばかりですが、一緒に頑張りましょうね」

「……ああ」


 視線は逸らされたままだったけれど、ガッシュさんは頷いてくれた。

 と、そこで扉がゴンゴンと叩かれた。


「……ユリアネ、だな」


 独特な叩き方をするユリアネに、ガッシュさんは呆れたように言った。私は苦笑するしかない。


「ええ、ユリアネにはお茶の用意を頼みましたから。ガッシュさま、疲れましたでしょう。ゆっくりとお茶を楽しんでください」


 私はそう言って微笑んだ後、扉に視線を向けた。


「ユリアネ、入ってください」

「失礼します」


 茶器の載ったワゴンを押したユリアネが入室する。

 そして、ガッシュさんを見ると眉をひそめた。


「姫さまの前でだらしないですよ、ガッシュ」


 非難の込められた言葉に、ガッシュさんはひらひらと手を振った。


「当の姫さんが、許してくれているんだ。見逃してくれよ」

「ええ、ユリアネ。ガッシュさまはよく頑張ったのです。労ってさしあげなくては」


 私がそうフォローすると、ユリアネはしぶしぶ頷いた。

 ユリアネはなんだかんだありながら、私の言葉には弱いのだ。


「姫さまが、そうおっしゃるならば……」

「ありがとうございます、ユリアネ」

「では、お茶の用意をします」


 ユリアネは、流れるような動きでお茶を淹れ始めた。

 ガッシュさんを見れば、じっとユリアネの手元を見ている。

 もしかしたら、ユリアネのお茶の淹れ方を学ぼうとしているのかもしれない。ほら、ガッシュさん。不器用だから。

 ユリアネは、カップを私とガッシュさんの前に置いた。


「ありがとう、ユリアネ」

「すまないな」

「いえ……」


 ユリアネの淹れてくれたお茶は、良い香りがして。それだけで疲れが取れるようだった。

 ガッシュさんは、美味しそうに喉を鳴らしている。


「……ガッシュ。本番では、そんな粗野な飲み方をしないように」


 ユリアネがガッシュさんに注意をした。

 ガッシュさん可愛いなぁと見ていた私は、ユリアネの言葉にハッとなる。

 そうだ。本番であるパーティーでは、飲み方食べ方にもマナーがある。

 でも……。

 ばつの悪そうな顔をしたガッシュさんを見て、私は無意識に口を開いていた。


「ユリアネ。ガッシュさまはまだ学び始めたばかりなのです。そんなに一度に詰め込んでしまっては、疲れてしまいます。それに今は休憩時間。お茶は楽しみましょう」


 私がそう言えば、ユリアネはため息をついた。


「姫さまは、お優しい」


 なんか、トゲを感じるぞ。私はいつだって、優しい王女のつもりなんだけど。

 そして、ガッシュさんはカップに視線を落としている。どうしたんだろう。

 ガッシュさんは顔を上げた。


「……すまない、姫さん。俺、姫さんに恥をかかせないように、努力する」

「ガッシュさま……」


 ガッシュさんはユリアネの言ったことに、思うところがあったらしい。

 本当に、真面目な人なんだ。

 それに私の為に、頑張るという発言が良い。私の心をくすぐる。


「ありがとうございます、ガッシュさま。わたくしも頑張ります」


 私は本心から微笑み、ガッシュさんを見る。

 だけど、ガッシュさんは再び視線を逸らしてしまった。

 本当に、警戒心が強いんだから。私はちょっと不満である。


「……ガッシュも、素直じゃないこと」


 ユリアネが呆れたように、呟いた。

 ガッシュさんが素直じゃないのは同意なので、私は心のなかで頷いた。


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