16.命令
姉の突然の言葉に、私は混乱しつつも何とか口を開く。
「お姉さま、わたくしはお兄さまの許可なくここから出られません」
私をこの西宮に閉じ込めたのは、王太子である兄だ。当然、姉より兄の方が立場が上だ。
その兄が私を出さないと言えば、私は西宮から出られない。姉も当然、そのことを分かっているはずだ。
姉は私を馬鹿にしたように、鼻を鳴らす。だから、行儀悪いですよ。
「あんたと違って、わたくしが頼めばお父さまが許してくださるわ」
「それは……そうでしょうが」
確かに、母に似た姉を溺愛している父ならば、姉の言うことを聞くだろう。
父が言えば、兄も従うしかない。
私は、苦い思いがこみ上げてくるのを抑え込む。
「ドレスも新調なさいな。わたくしが資金をあげてもよくてよ」
「……いえ、わたくしにも、ドレスを新調するだけのものはありますから」
「あら、そう」
姉は意外そうに片眉を上げた。
そう、兄は私の服やアクセサリーにお金を使うことを許している。ただ、ドレスは今まで必要なかったから、一着しか持っていないだけで。
姉は、面白くなさそうに扇子を閉じた。
「せっかく、このわたくしが施してあげようと思ったのに」
「それは、申し訳ありません」
これ以上姉の機嫌を損ねないように、私はとりあえず頭を下げた。
「……まあ、いいわ。とにかく、一カ月後のわたくしの十八歳の誕生日パーティーに必ず出なさいよ」
「はい……」
私が返事をすると姉は満足そうに笑った。そして、「ああ、そうだわ」と、手のひらを扇子で叩いた。
「あんたが、新しく下男にした男。どちらかを連れてきなさい。いい見せ物になるわ」
「それは……」
私は断ろうと口を開いたが、姉にぎろりと睨みつけられ、閉じた。この目をした姉には、何を言っても無駄だと私は知っている。
「これは決定よ。あんたに断る権利はないの」
「お姉さま……」
「ふん。哀れっぽくわたくしを見ても無駄。わたくしの意思は変わらなくてよ」
姉がそう言うのと、部屋の扉が叩かれたのは同時だった。
「姫さま、お申し付けられました品を用意いたしました」
ユリアネの声だ。私は姉に視線を移した後、扉を見た。
「入りなさい、ユリアネ」
「失礼します」
入室の許可を出すと、ユリアネは包みを持ち入ってきた。ガルドさんの姿はない。きっとガッシュさんのもとに連れて行ってくれたのだろう。
ユリアネは私に持っていた包みを渡す。受け取った私は、内心の思いを隠し笑みを浮かべ、姉を見る。
「お姉さま、こちらが例の茶葉です。お受け取りください」
「ええ、いただくわ。……シャガート」
「はっ」
姉に声を掛けられ、ようやく従兄が口を開いた。直立不動の姿勢から、私へと歩き出す。
「……フィリルさま、包みを」
「分かりました」
差し出された大きな手に、茶葉の入った包みを渡す。
姉はそれを眺めているだけだ。
淑女は、扇子よりも重いものを持たない。そう言いたげだ。
包みを受け取った従兄が、再び姉の後ろに控える。護衛役も大変だと思った。
「さあ、わたくしはもう帰るわ。いいこと、フィリル。わたくしとの約束を忘れないで」
「はい……」
約束か。そんな優しいものじゃない。姉のは、ただの命令だ。
従兄が扉を開き、扇子を広げた姉が部屋の外へと出て行く。
「フィリルさま、失礼いたしました」
それに続き従兄も出て行く。その際、それまで視線を合わせなかったのが嘘のように、私をじっと見ていった。何だと言うのだろう。私は閉じられる扉を、ただ見つめた。
「姫さま、約束とは……?」
扉が完全に閉まり、姉たちの気配が遠ざかってから、ユリアネが口を開いた。
私は重くなる心を叱咤し、ユリアネを見る。
「ガッシュさんとガルドさんをお呼びしてください。大変なことになりました」
私の言葉にあるやっかいごとの匂いに気が付いたのか、ユリアネが小さく息を吐いた。
姉の来訪で、疲弊した私は椅子に座った状態で、ガッシュさんたちを部屋に迎え入れた。
「……姫さまから聞いていましたが、想像以上の方でしたね」
ガルドさんが、フードの向こうから労るような視線を向けているのが分かり、私の心は少し癒される。
「それにしても、やっかいなことになったな、姫さん」
ユリアネから話を聞いたのか、壁にもたれ腕を組んだガッシュさんが、鋭い視線を私に向けてくる。あの視線は、私への敵意ではなく、姉へのものだろう。
ユリアネが、私の前にあるテーブルに置かれたカップに、温かい紅茶を注ぐ。
「さ、姫さま。紅茶を飲み、少し落ち着かれなさいませ」
「ありがとう、ユリアネ」
紅茶を一口飲んだ後、私はガッシュさんとガルドさんを見た。
「お二人には申し訳ないと思います。わたくしに発言力があれば、お姉さまの誕生日パーティーにはわたくしだけが出席すれば良かったのですから……」
「それは、姫さんだけが見せ物になるってことか?」
「見せ物など……少しばかり注目を浴びるだけです」
「同じことだろう」
ガッシュさんは、苛立ちを隠そうともしない。それだけ、私の為に怒ってくれているのだ。たぶん。
「ガッシュ、落ち着きなさい。姫さまに失礼ですよ」
「ガルド……」
ガルドさんにやんわりと注意され、険しかったガッシュさんの表情が少しだけ柔らかくなる。うん。ガッシュさんのガルドさんへの信頼は、相当なもののようだ。分かっていたことだけれども。
「……まずは、二人のどちらを連れて行くか、ですね」
ユリアネが思案げに言う。
「それは、俺が行くしかないだろ」
「ガッシュさま……」
即座に名乗り出たガッシュさんに、私は申し訳なく思った。ガッシュさんは、目立つの嫌だろうに。私が姉の提案を断れなかったばかりに……。
「ガッシュ、よろしいのですか?」
「いいんだ、ガルド。パーティーとやらに出るのに、ローブ姿は駄目だろ。そうすると、お前は姿を晒すはめになる。それは避けなければならない」
「……そうですね。すみません、ガッシュ」
ガルドさんは、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
確かにガルドさんの美貌は、危険だ。姉だけでなく、他の貴族たちの関心も得てしまう。それは、男も女も関係ないということは、想像に難くない。
「では、ガッシュ。姫さまを頼みましたよ」
「ああ、任せとけ」
ガッシュさんは軽く請け負ったけれど。ガッシュさんもガルドさんに負けないぐらい、目立ってしまうだろう。その身に宿す銀色ゆえに。
だけど、ユリアネとパーティー当日について打ち合わせを始めたガッシュさんに、気にした様子はない。私に気を使って、本心を隠しているのかもしれない。
……本当に、ガッシュさんは優しい人だ。やっかいごとを持ち込んだ私にまで、その優しさを向けてくれるのだから。
姉にも、ガッシュさんの半分でもその優しさを分けてやりたいぐらいだ。
「……では、姫さま。ひと月後のパーティーにまでに、ガッシュの分の礼装を用意しましょう」
「ええ、そうですね」
パーティーまでひと月もあるとはいえ、用意するものはたくさんある。
ドレスの新調もだし、何より……。
「姫さま、マーガレットさまに頼み、ガッシュに礼儀作法を見てもらいましょう」
「礼儀作法……?」
ユリアネの言葉に、ガッシュさんの顔が目に見えて引きつった。
私は、そんなガッシュさんに頭を下げる。
「ガッシュさま。本当に申し訳ありません。ひと月と時間は少ないですが、パーティーでは必ず一曲は踊らなくてはならない決まりがあるのです」
「なに……!」
ガッシュさんが、目を見開く。
そう、パーティーと言えば、ダンスはつきものだ。
派手好きの姉のこと。一流の楽団を用意して、待っていることだろう。ダンスからは、逃れられないのだ。
「ガッシュさま、せめてものお詫びとして、わたくしも礼儀作法に付き合います」
面識のない相手と二人きりの授業よりも、知り合いが居る方がガッシュさんも落ち着けるだろうと思い、私はそう言った。別に、ガッシュさんと少しでも親密になる為だという下心は、ない。ないったら、ない。
「姫さん……」
ガッシュさんが腕組みを解き、私を見た。
ガルドさんが、ガッシュさんの肩を叩く。
「ガッシュ、姫さまがここまで言ってくださっているのです。頑張りなさい」
「あ、ああ……」
ガッシュさんは、小さく頷いた。どさくさに紛れての、礼儀作法の授業へ私が同席することも了承してくれたことになる。
「ガッシュ、姫さまに恥をかかせないように」
「……分かってるよ、ユリアネ」
ユリアネに憮然とした表情を向けながらも、ガッシュさんは頷いた。
さあ、ここからが大変だ。
きっとパーティーでは、ガッシュさんは好奇の目に晒されるだろう。
私は、それを黙らせるだけの完璧な作法を見せつけなければならない。
ガッシュさんの為にも、私の全てを掛けて頑張らなくては。
夜、部屋に一人で居た私は、強く決意をする。
ガッシュさんたちを守ると、私は誓った。約束をした。約束は、絶対だ。
──約束しましょう。
不意に夢のなかの声が、蘇った。
「そう、約束は、守らなくては……」
夢のなかの言葉なのに、それはしっくりときた。
そう、約束しよう。
私はガッシュさんを、守ると……。
そうして、夜は更けようとしていた。




