13.平和な日々?
幼い従兄に手を引かれている。場所は、本宮のなかだ。
「おい、フィリル! 今日は、外で遊ぶぞ!」
「……シャガートさま、フィリルは絵本を読みたいです」
無駄だと知りつつ、私は抵抗を試みる。
寛いでいた自室から従兄に引っ張り出されて、私なりに怒っていたのだ。
そもそも、この年上の従兄は強引過ぎる。私の意見は聞かないし、私の都合などお構いなしなのだ。
侯爵家の次期当主として、この性格では困らないのだろうか。というか、身分は私の方が上なのに。敬う気持ちはどこにいった。
「絵本? フィリルは、子供だなぁ」
「そんなこと、ありません」
子供扱いにムッとしながら言い返せば、従兄は鼻で笑った。
「絵本なんかより、剣の稽古をした方が何倍も役に立つ! レイオルフさまだって、俺の歳にはもう剣を習っていた」
「……なんでお兄さまにはさま付けで、私は呼び捨てなんですか」
不満を口にすれば、従兄はきょとんと目を瞬かせた。
「フィリルは俺より、年下じゃないか」
「……そうですか」
やはり、従兄には何を言っても無駄なのだ。……脳筋だから。
従兄に連れられるままに、中庭に来た。
「今日は木登りしようぜ!」
「しませんよ。私はここで見ているので、存分にやってください」
王女が木登りなどしようものなら、城の者が気絶する。
……あと、ユリアネに怒られるし。
「ふーん、つまんないやつ」
「シャガートさまは、是非とも一度不敬罪について考えてみてください」
切実な願いだ。従兄は、私を何だと思っているのだ。家来か、家来なのか。
「ふけいざい。変なの!」
「変じゃありません。貴方にとって、大切なことですよ」
従兄は私の言葉に首を傾げたままだ。
馬鹿なのか。いや、年相応なのだ。
……これが、将来には寡黙な騎士になるのだから、人生分からない。
ん? 寡黙な騎士? 私は、何を考えているのだろう。
将来なんて、まだ分からないのに。
「つまらないと言うなら、私を誘わなければいいじゃないですか」
私がそう言えば、従兄は眉を寄せた。
「フィリルが居なければ、もっとつまらないだろー?」
「……そうですか」
やはり、私は家来認定されているようだ。いや、下僕かもしれない。それは嫌だな。
私が肩を落としていると、背後から笑い声がした。淑やかな声だ。
その声の持ち主を知っている私は、ぱっと顔を輝かせた。
「お母さま!」
母は本宮の柱の陰から、青いドレスにショールを纏い、微笑んで私たちを見ていた。
私は従兄のそばから離れ、母に駆け寄った。伏せがちな母は、部屋から出てくるのは珍しいことなのだ。
「お母さま、今日はお加減はよろしいのですか?」
「ええ、フィリル。わたくしは大丈夫よ。フィリルたちの楽しそうな声につられて、出てきてしまったわ」
「王妃さま、うるさくして申し訳ありません」
従兄が恭しく、頭を下げる。私への態度とはまったく違う。どういうことだ。
「良いのよ、シャガート。フィリルと仲良くしてくれて、ありがとう」
「もったいなきお言葉」
本当に態度が違う。どういうことだ。
「お母さま、私たちが仲が良いというのは、幻想なのですよ」
「まあ、フィリルったら」
母は、おかしそうに笑う。
いや、家来認定受けているから本当なんだよ!
従兄も「こいつ何言ってんだ?」みたいな顔しない! 元凶はお前だ。
「……本当に、仲が良いのね」
母が寂しそうに笑う。どうしたんだろう。
「お母さま?」
「あのね、フィリルにシャガート。よく聞いてちょうだい」
「はい、お母さま」
「かしこまりました、王妃さま」
私と従兄は、母の言葉を待つ。
母は、私と従兄を悲しそうにして見ている。
「あのね、我が王家では、いとこ同士はね……」
結婚できないの。
そう母が言った時、私は何とも思わなかった。
前世で、いとこたちとは兄弟同然に育った私にとって、それは当たり前の感覚だったからだ。
だけど、そうだ。
あの時、従兄はどんな顔をしていたっけ……?
思い出せない。
ふと、まどろみのなか、人の気配を感じて私の意識は覚醒へと向かっていく。
懐かしい夢は、私の胸に僅かな痛みを与えた。
ふっと、目が覚めた。
私は、確か窓辺で椅子に座り本を読んでいたはずだ。
いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。
「姫さま、風邪を召されますよ」
「ユリアネ……」
ユリアネが苦笑を浮かべて、私を見ていた。
茶器の乗ったワゴンをがあるのを見るに、私にお茶を用意してくれたのだろう。
「起こしてくれて、ありがとう」
「いえ、いいのです。姫さまが風邪を召されたら、看病するのは私ですから」
「そうですか……」
今日もユリアネさまは、健在のようだ。
ちょっと悲しい。
「とても気持ちの良い陽気だったので、眠ってしまったようです」
「眠気覚ましに、お茶を飲みますか?」
「はい。お願いします」
カチャカチャと、ユリアネがお茶を用意する音が室内に静かに響く。
平和な時間だ。
懸念していた兄や姉の襲来もなく、私の日々は穏やかに過ぎていった。
ガッシュさんに介抱されてから、大きな頭痛もない。
あの頭痛は、何だったのだろう。軽い頭痛なら、今までも頻繁にあったけれど……。
昔を思い出さないほうがいいという忠告を、ガッシュさんから受けた。ガッシュさんは、何か知っている?
それに、私の頭痛を癒やしてくれた不思議な力のこともある。
ガッシュさんは、何者なのだろうか。
いや、詮索は止そう。ガッシュさんは、恩人だ。あの力については、あまり踏み込んでほしくないようだったし。
土足で踏み荒らすような真似は、しないでおこう。
カチャリと、湯気の立つカップが目の前のテーブルに置かれた。
「ありがとう、ユリアネ」
「いえ」
カップを取り、口を付ける。
暖かな日差しに、温かいお茶。なんて平和なのだろう。
私はテーブルに置いてあった読んでいた本に、目を移す。
それは絵本だった。
幼い頃の私が好んで読んでいたものだ。本棚で見つけ懐かしくなり、持ってきたのだ。
昔は、この本を読んでいると、決まって従兄が邪魔をしに来たものだ。
今し方見ていた夢のなかでも、読書を邪魔された幼い私は不機嫌そうだった。
そう。昔の私と従兄は、仲が良かった……と思う。家来扱いだったけれど。
他の家族にはさま付けだった従兄は、私のことは呼び捨てだった。
それが今では、「フィリルさま」だ。時間の経過とは偉大だ。
夢のなかのことと言えば……。
「ねえ、ユリアネ。王族は、いとこ同士では結婚できないんですよね」
「はい。王家と縁ができた家の力が強くならないように、と」
そう。王家の娘が貴族の家に嫁いだり、息子が婿に行ったりして、その家は王家と縁ができる。
だけど、何代も縁続きになったら、力を付けすぎてしまうのだ。それだと、貴族間のパワーバランスが崩れてしまうし、あまりに力の付けすぎた家があれば、王家も無碍にはできなくなる。
そういったことがないように、王家は一つの決めごとをした。
王族はいとこ同士で、結婚してはならないと。
そうして、一つの家が王家と縁続きになるのを防いだのだ。
だから、私も従兄とは結婚できないのだ。
まあ、今の関係性を考えても結婚などしたら、不幸な結末しか見えないけれど。
しかも、ガッシュさんを知った今なら、彼以外は目に入らないのだ、私は。
いや、まだまだ距離のある状態で、結婚などと考えるのはおこがましいけれども。
幽閉の身でも、甘い未来を夢見たいのだよ。
「いきなり、そのような話をしてどうしたのですか?」
ユリアネが不思議そうに聞いてくる。
まあ、当然の反応だろう。
「いえ、ちょっと思い出しただけで……」
「思い出した?」
ユリアネが堅い声で、聞き返してくる。
あれ、どうしたのだろう。
ユリアネ、凄く真剣な顔をしている。
「え、ええ。幼い頃、お母さまにいとこ同士は結婚できないと教えてもらったことを、夢で見て」
「幼い頃……そうですか」
ユリアネは小さく息を吐いた。まるで、安心したみたいに。
「ユリアネ?」
「いえ、気にしないでください。そうだ、姫さま。今、ガッシュとガルドがクッキーを焼いているのですよ」
「ガッシュさんとガルドさんが!」
あの二人が、クッキー作りなどするとは想像がつかない。
いや、考えようによっては可愛いかもしれない。
「二人が、甘いものを最近食べていないと愚痴をこぼしまして。ですので、ならば自分で作ってみなさいと、材料と作り方の記された紙を渡したのですよ」
「まあ……」
それで、二人は嬉々としてクッキー作りに励んでいる、と。想像したら、なんだか可愛すぎて、妙な笑いがこみ上げてくる。
「ガルドは素質がありますが、ガッシュはどうも苦手なようです」
「そ、そうなんですか」
ガルドさん、意外だな。
ガッシュさんは、この間のお茶の淹れ方からして、不器用そうだったしなぁ。
「姫さま。二人は姫さまにもクッキーを食べてほしいようでしたよ」
「え……!」
「ガルドが、お世話になった姫さまにお礼がしたいと……。渋るガッシュを説得してましたし」
「ガッシュさん、渋っていたんですか……」
まあ、頭痛を介抱してくれたとはいえ、まだ距離はあるから。仕方ないよ、仕方ないんだよ。
「ガッシュが渋るのも分かりますよ。彼は、絶賛黒い炭を製造中ですから」
「黒い、炭」
つまり、真っ黒なクッキーが、この瞬間にも誕生しているということ? ガッシュさん……。
「姫さま、安心してください。胃薬はちゃんと用意しますから」
「胃薬……?」
「ええ。彼らは、姫さまの為にも炭……クッキーを作っているのです。お優しい姫さまなら、食べますよね?」
なんてことだ。ユリアネにより、退路は断たれた。
確かに、ガッシュさんの手作りクッキーは魅力的だけど。でも、ユリアネ今、炭って言ったよね? 黒い炭なんだよね? あ、だから胃薬なの? そうなの?
ユリアネは、遠くを見る目をした。
「姫さま、ご安心ください。胃薬は二人分ですから」
「二人分って、ことは……?」
「毒味役として、私も食べます」
「ユリアネ……!」
なんと、ユリアネは覚悟を持っていたのだ。私たけ死地に送るつもりはないと。
ならば、私も覚悟を持たねば。
ガッシュさんの作ってくれた、炭……いやいやクッキーを味わおうではないか!
ゴウンゴウンという、エレベーターもどきが動く音が西宮に響く。
「……来ましたね」
「ええ……!」
私とユリアネは、覚悟を決めた戦士の顔で、今から来るであろう二人を待つのだった。
平和だと思ったのは、訂正しよう。
今日は試練の日だったようだ。
漂い始める匂いに平和って、簡単に崩れるのだと痛感した。




