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12.頭痛と優しさ


 西宮の自室にて、私は何度目かになるか分からないお辞儀をしていた。


「フィリルさま、姿勢が前屈みになっておりますよ」

「は、はい」


 おっとりとした声に指摘され、私はお辞儀の姿勢を真っ直ぐに修正する。


「ええ。よろしいですわ」

「ありがとうございます。マーガレット先生」


 私は、マナーを教えてくれているマーガレット先生に向かって微笑んだ。

 マーガレット先生は、二十代の女性で既婚者だ。結婚する前も今も、社交界の花として活躍中である。

 そんな女性を、私のマナーの先生に指名したのは、意外なことに兄だ。自分が幽閉に追いやった妹が、無知で礼儀知らずに育ったらまずいとでも思ったんだろう。たぶん。兄のすることは、よく分からない。

 でも、マナーの先生としては最高の相手を選んできた辺り、兄の完璧主義な性格が出ている。


「フィリルさま、考え事でもなさっているのですか? 上の空になってましてよ。淑女たるもの、隙を見せてはいけません」

「あ、はい。すみません、マーガレット先生」


 マーガレット先生は、鳥の羽を使った扇子で顔を隠し、コロコロと笑った。

 仕草の一つ一つが洗練されている。本当に美しい人だと思う。将来、私もマーガレット先生みたいな大人の女性になりたい。


「はい、よくおできになりました」

「ありがとうございます」


 マーガレット先生から及第点をもらい、私はホッと息をつく。

 マーガレット先生は優しい人だけど、社交界の一角を担っているだけあり、礼儀作法には厳しい。美しい動きは、それだけで女の武器になるのだと教えてくれたのもマーガレット先生だ。


「……本来でしたら、フィリルさまにこのままもっとお教えしたいのですけれど」


 マーガレット先生は扇子で顔を隠したまま、残念そうに言った。その意味を理解した私は、曖昧な笑みを浮かべる。


「お姉さまに呼ばれていらっしゃるのでしょう? 仕方ありません」

「フィリルさま……」


 マーガレット先生は私の教師であるけど、姉のお気に入りでもある。

 姉は度々マーガレット先生を、私から奪っていく。もう慣れたけど。

 私はマーガレット先生に教わったように、本心を隠す為の微笑みを浮かべた。弱みを見せてはならない。美しい微笑みもまた、武器となる。


「どうぞ、マーガレット先生。お姉さまのもとに、行ってくださいな」

「……お心遣い、感謝します」


 マーガレット先生は、私の幽閉に心を痛めている人でもある。

 でも立場上は、姉に逆らえない。

 そんな自分を責めているのを、私は肌で感じ取っていた。

 だからこそ、私は行くように促す。私を心配してくれる優しい人が、姉の顰蹙を買ってしまうのが嫌だった。

 私に完璧な淑女の礼を見せ、マーガレット先生は去っていく。

 私はそれを見届けてから、練習にしか着ない練習用のドレス姿のまま、ベッドに腰掛けた。普段はワンピースだから、ドレスを着ると息苦しく感じてしまう。

 幽閉される前は、ドレス着用が常だったはずのに。


「……この二年で、私もだいぶ変わったなぁ」


 ふと、私は本宮に居たころを思い出そうとした。

 本宮で、私はどう過ごしていたとか。

 何が好きだったのか、とか。

 マーガレット先生の美しい所作に、本宮の雰囲気を感じ取ったからかもしれない。


「……思い出せない」


 私は、愕然とした。

 本宮での過ごした記憶が、すっぱりと消えているのだ。

 いや、知識としては私が本宮にいたことは「知っている」。でも、思い出とかが、何も浮かんでこない。

 いや、幼い頃の記憶はある。私の前世の記憶が覚醒した時のものとか。

 従兄を押し倒してしまった記憶も、ちゃんとある。

 思い出せないのは、幽閉される前の短時間の記憶だ。

 十三歳で幽閉された私の、その瞬間から前が霞んでいるのだ。

 何だろう。何か、大切なことがあった気がするのに……思い出せない。

 私は……確か、約束を……。

 ズキンッ。鋭い痛みが頭を襲った。


「う……っ!」


 私はベッドの上で、呻いた。

 頭を抱え、痛みを堪えるけれど。痛みは全然引いていかない。むしろ、酷くなっている。


「いたい……!」


 頭痛は、まるで私を責めているかのように、執拗だった。

 同等に、さらに記憶が曖昧になっていくのを感じた。

 この痛みは、何なのだろう。

 私は、いったいどうしてしまったのだろうか。


「うう……!」


 うずくまり、必死に耐えていると、扉を叩く音がした。

 ゴンゴンじゃ、ない。トントンと規則正しい音だ。


「……姫さん。居るんだろ」


 聞こえたのは、ガッシュさんの声だ。彼が、私の部屋に来るなど初めてのことだ。

 驚きは痛みの前に、散っていく。


「姫さん?」


 私が返事をしないのを不思議に思ったのか、ガッシュさんの声には問いかける響きがあった。

 ずくんずくん。ひときわ鋭い痛みが、私を襲った。


「ああ……!」


 思わず悲鳴がもれる。

 それはガッシュさんにも聞こえたようで。


「姫さん! 入るぞ!」


 乱暴に扉が開けられる。

 部屋に入ってきたガッシュさんの姿を、私は痛みの向こうから見つめた。

 ベッドにうずくまる私を、ガッシュさんは驚いたように見ている。


「姫さん! どうしたんだ!」

「ガッシュ、さ……」


 駆け寄ってくるガッシュさんの姿に、私は驚くほど安堵した。

 ガッシュさんという存在に、安心感を覚えたのだ。

 ガッシュさんはベッドに座ると、「体に触る。すまない」と謝罪をすると、遠慮がちに私を抱えた。


「姫さん、苦しいのか?」

「……あ、たま、が」


 痛いとまでは言えなかった。頭痛がそれを阻んだのだ。

 だけど、それだけでも伝わるものがあったようだ。


「頭が痛いのか……」


 ガッシュさんは、考える素振りを見せた。


「うう……!」


 だけど、私が痛みから呻くと、意を決したように私を見た。


「姫さん、すぐに楽にしてやるから」


 そう言うと、ガッシュさんが私を抱えていないほうの手を、私の頭にかざす。

 気のせいだろうか。ガッシュさんの手、白く淡い光に包まれている気がする。頭痛が見せた、幻覚だろうか。

 ガッシュさんは、私の頭にそっと触れた。

 すると、触れられた部分から温かい温もりが広がっていった。


「あ……」


 痛みが、あんなにも私を苛んでいた頭痛が驚くほど綺麗に引いていく。

 頭が痛みから解放されていった。


「ガッシュさま、これは……?」


 私は、冷静さを取り戻していた。

 頭はすっきりとしている。あの苦しみが嘘のようだ。

 私の問いかけに、ガッシュさんは視線を逸らした。


「俺の故郷に伝わる、おまじないみたいなもんだ」

「おまじない……」


 そんな曖昧なものではなかったような気がする。

 でもガッシュさんは、それを隠したいようだったので、私は追求するのを止めた。

 ガッシュさんにもたれていた体を起こし、ガッシュさんから距離を少し取る。ガッシュさんに抱きかかえられるという、美味しいシチュエーションだったが、ここは我慢だ。あまりに近いと、言いたいことも言えない。


「ガッシュさま。ありがとうございます」

「礼なんて、いい。ただのおまじないだって言っただろ」


 ガッシュさんは、ベッドから立ち上がった。

 その背中に孤独を感じて、私は思わず口を開く。


「いいえ、お礼を言わせてください。おまじないとはいえ、わたくしは貴方に助けられたのですから」

「姫さん……」


 ガッシュさんが私を振り向く。私は、精一杯の微笑みを浮かべた。


「だから、ありがとうなんです」

「そうか……」


 私のお礼を聞いたガッシュさんは、どこか安心したように体から力を抜いたように見える。ガッシュさんは、緊張していたようだ。それは、おまじないと称する不思議な力を私に見せてしまったせいなのだろう。


「ああ、そうだ。ユリアネから、姫さんにお茶を淹れろと言われていたんだ」


 ガッシュさんは話題を変える為か、早口にそう言った。

 ガッシュさんの心情は理解することはできないけれど、私はガッシュさんの言葉に乗ることにした。


「まあ、ユリアネが?」

「ああ。姫さんが勉強で疲れているだろうからってさ。自分は忙しいから、俺に任せるって」


 ユリアネったら、私がガッシュさんに好意を持っていると知って、気を利かせたんだ。普段は辛辣なことを言ったりするくせに、たまに凄く親身になってくれたりするからなぁ、ユリアネは。

 ガッシュさんは、部屋の扉を開けたままにして、ワゴンを引いてきた。

 本来なら、年頃の男女が同じ部屋に二人きりなのは、問題があることなのだ。だから、ガッシュさんは部屋の扉を開けたままにしたのだろう。


「ユリアネほど、うまく淹れられないと思うが……」


 そう言って、ガッシュさんは慣れない手つきで、紅茶を淹れていく。


「いいえ。誰かが、わたくしの為にしてくださることが、それだけで嬉しく思います」

「……そうか」


 湯気の立つ紅茶を渡され、私は口を付ける。確かにユリアネのものよりは味は落ちるけれど、ガッシュさんの思いやりが入っていると思うと、途端に美味しく感じた。


「美味しいです、ガッシュさま」


 私は本心から、そう言った。

 ガッシュさんは、私から顔を逸らした。まだまだ、慣れてくれないようだ。

 私が密かにガッカリしていると。


「……頭痛、よくあるのか?」


 ガッシュさんが、視線を外したまま、そう言った。

 純粋に疑問に思っての質問だったようだけど、声に微かに私を案じる気持ちが出ていて、私の心が温かくなる。


「はい。時々ですが、頭痛はあります」

「いつも、あんなに酷いのか?」

「いいえ、普段はちょっと痛む程度だったんですけど……」


 自分でも、どうしてあんなに酷い頭痛に苛まれたのか分からない。あんなの初めてだ。


「……昔のことを、思い出そうとすると、頭が痛くなるのです」

「昔を……?」


 ガッシュさんが私を見た。鋭い眼差しを向けられて、私はちょっと怯む。急にどうしたのだろうか。


「あ、あの。ガッシュさま……?」

「あ、ああ。悪い」


 私に向けた目に、自覚があったのかガッシュさんはまた目を逸らした。


「……姫さん。あまり、その、過去のことは考えないほうが良いかもしれない」

「え……?」


 聞き返しても、ガッシュさんは答えてくれなかった。

 ただ、深く考え込んでいるようだった。

 私はガッシュさんの淹れてくれた紅茶を、見つめる。

 そこには、不安そうに目を揺らす私が映っていた。

 頭痛の原因は分からないけれど、私はガッシュさんに助けられた。ガッシュさんには、本当にありがとうと何度でも言いたい。

 そんな私の気持ちが伝わったわけではないだろうけど、ガッシュさんが考えるのを止めて私を見た。


「……姫さん。また、酷い頭痛があったら、俺がなんとかしてやる」

「ガッシュさま……」

「……姫さん、不安そうな顔してたからな」


 ガッシュさんは、警戒心が強いけど。

 実は凄く優しい人なんだろう。


「ありがとうございます、ガッシュさま」


 私は浮き上がる心のまま、笑顔を浮かべた。

 やっぱり、ガッシュさんは良いと思いながら。


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