11.他から見た私
「姫さま、機嫌がよろしいですね。今朝も、食が進んだようですし」
食後の紅茶を淹れているユリアネの嬉しそうな声に、私は微笑みで返す。
本当は、ユリアネに聞いてもらいたかった。ガッシュさんが、警戒心の塊であるガッシュさんが、少しだけどデレてくれたんだと!
今日はなんて良い日なのだろうか。
懐かしい夢と頭痛で、最初はげんなりとしていたけど、今は違う。
ガッシュさんの優しい雰囲気を思い出すだけで、胸の高鳴りが止まらない!
ガッシュさん、私にホットミルクを作ってくれたんだから。
私は機嫌良く、今朝のことを振り返っていた。
すると、カコーンという音が聞こえてくる。これは、薪を割る音だ。
ガッシュさんが、薪を割り始めたのだろう。
「姫さま、窓を閉めましょうか?」
ユリアネが気を利かせて、窓に寄る。
薪割りの音がうるさいと思ったのかもしれない。
「待ってください、ユリアネ」
私は、慌ててユリアネに声をかけた。
「姫さま?」
ユリアネが怪訝そうに私を見る。
私は、ちょっと気まずい思いをしながらも、必死に口を開く。
「あ、あのっ。このままで、いいです!」
「ですが、お耳に障りませんか?」
「いいんです!」
叫んでから、ハッとなる。ユリアネは善意で言ってくれているのに、怒鳴りつけるなんて……。
私はとたんに、自分が恥ずかしくなった。
「ご、ごめんなさい、ユリアネ。ただ、私は今のままでいいと言いたくて……」
私は、ガッシュさんが西宮にいるのだと感じたいだけだったのだ。
けして、ユリアネの善意を蔑ろにするつもりはなかった。
私は必死にユリアネを見た。そして、目を見開く。
……ユリアネ、笑っている?
ユリアネの唇が、弧を描いたのを私は見た。でも、それは瞬き一つで消えてしまうほど、些細なものだった。一瞬で忘却の彼方に行ってしまうぐらい、短い笑み。
……私は今、何を見たんだっけ。ユリアネが、どうかしたのだろうか。
ああ、そうだ。私は、ユリアネを怒鳴ってしまったんだ。
私は、「驚いた顔」をした、ユリアネに釈明すべく話しかける。
「ユリアネの優しさには、感謝しています」
そう言えば、ユリアネは困ったように眉をひそめた。
「……まさかとは、思いますが。姫さまは、あの男のことを?」
ユリアネは直球を投げてきた。ストライクゾーンど真ん中だ。
私は、視線を彷徨わせながら、手元で指を弄る。
どうしよう。話すべき? でも、何を? 私の「性癖」を? それは、まずい!
ユリアネは私に対して偏見を持たないだろうけど、私が恥ずかしいのだ。それと、王女らしくないと小言ももらうかもしれないし。
私はユリアネから、視線を逸らし続けた。
はあ、というユリアネのため息が聞こえる。
「……姫さま、分かりやすいですよ」
「え……!」
ユリアネの指摘に、私は動揺の声を上げる。
私の性癖が、ユリアネに筒抜けになっているのかと、戦慄した。
いやいや、まさか。さすがのユリアネさまでも、ひとの性癖を見抜くなんて……まさか、まさか、ね。
いや、分かりやすいと言われたし、私が隠せてないだけという可能性も……。
いや、そうだとしたらガッシュさんたちにも、私の性癖がバレてしまっているということにならないか?
そ、それは非常にまずい!
あの警戒心の強いガッシュさんのことだ。私の邪な思いに気が付いたら、絶対今よりも距離を取られてしまう!
それは、駄目だ。最悪のパターン。
さっと、血の気を引かせて私はユリアネを見つめる。ユリアネは、苦笑を深めた。
「本当に、お好きなんですね」
と、予想外な言葉を呟くユリアネ。
え、好き……?
た、確かに好きか嫌いかで言えば、ガッシュさんのことすきだけども。
もしかして、ユリアネは好悪の感情を言っていたのだろうか。
私の性癖が、バレたんじゃなくて?
見るからに動揺する私に対して、ユリアネは追撃の手を緩めない。
「お好きなんでしょう? あの男が」
「え、えっと……っ」
そ、そうか。やはり、ユリアネさまでも、私の性癖は見抜けなかったんだ。
安心する反面、別の問題が浮上してしまった。
年頃の娘としては、それをつまびらかにするのは恥ずかしいものがある。
ガッシュさんへの好意に、下心が多分に含まれているからなおさらだ。
再び視線を彷徨わせる私に、ユリアネが優しく声をかける。
「隠さなくてもよろしいのですよ、姫さまも女の子なのですから」
「ユ、ユリアネ……!」
ユリアネのなかでは、もう確定事項らしいようだ。
こうなっては、私の反論は無意味なのだ。
ユリアネと私の力関係が浮き彫りになった気がする……。
私、一応王女なのに。
それにしても、困った。
確かにガッシュさんへの好意は、私のなかにある。でも、それは下心が先行しまくっていて、下心に覆い隠されてしまうほど、まだ淡い気持ちだ。
だから今は、まだはっきりさせるには早すぎる気がする。出会ったばかりだし。まだまだ距離もあるし。
だけど、ユリアネは嬉しそうに笑う。
「姫さまが、女の子らしい感情に目覚められて嬉しく思います。相手がガッシュなのは、複雑ですが」
「ユリアネは、ガッシュさんを、その苦手としているのですか?」
「苦手ではありません。ただ、こき使っ……こほん。普段指示を出している相手に、姫さまが恋をなさったことが複雑なだけです」
「こ、恋……!」
またまた直球だ。それに今、こき使っているって言おうとした? ……いや、追求するのは止そう。怖いから。
私はごまかすように、紅茶に口を付けた。
カコーンという、薪を割る音が聞こえて、胸がどくんと高鳴る。ユリアネの言葉があり、どうしても意識してしまう。
頬が熱くなるのを、どうしても隠せない。うう、恥ずかしい。
ユリアネの視線を感じながら、私はひたすらに紅茶に視線を落とし続けるのだった。
午後になり、私は部屋に一人きりになった。ユリアネは、私の昼食の給仕をした後、他の仕事をしに行っている。
正直、一人の時間バンザイである。
ユリアネに、私がガッシュさんをある意味特別に気にかけているというのがバレてしまい、気まずい思いをたくさんしてしまった。
「はー……、気が抜けるー……」
私はだらしなく、ベッドに寝ころんだ。
窓の外からは、もう薪を割る音はしない。ガッシュさんも、違う仕事をしているのだろう。何せ西宮の仕事を、三人で回しているのだから。
「……」
そう思うと、だらだらしているのが申し訳なくなってきた。
かと言って、王女である私が仕事を手伝うわけにもいかない。人には領分というものがあるのだから。
私は体を起こすと、考えた。
自分にできることは、この時間をいかに有意義に過ごすかだ。
「うーん……、読書でもしようかな」
三階には、本棚がたくさんある部屋がある。そこから、何冊か本を選んでこよう。
本来ならば、王女らしく呼び鈴を鳴らし、侍女に持ってきてもらうのだけど。今は三人しかいない西宮で、それをやるのははばかれる。
自分で、取りに行こう。その方が、本を選ぶ楽しさがある。
「……よし!」
私はベッドから立ち上がると、部屋の外へと向かうことにした。
三階へ向かう為に螺旋階段を降りていると、階段の掃き掃除をしているガルドさんを見つけた。
今日もちゃんとフードを被っている。
今は、西宮には私を含めて四人しかいないとはいえ、いつ姉がやってくるとも言えない。用心に越したことはないのだ。
「ガルドさま、こんにちは」
「これは、姫さま。こんにちは」
ガルドさんに挨拶をすると、掃き掃除の手を止め彼は頭を軽く下げた。
「ガルドさま、お仕事中に声をかけてしまい、申し訳ありません」
進行方向にガルドさんがいるから、無視をするのは態度が悪いと思い、声をかけたのだ。
「いえ、いいのですよ。この階の掃除も区切りがつきましたし」
「そう言っていただけると、安心しました」
さあ、社交辞令的な会話は終わった。
ガルドさんの仕事を邪魔するのも悪い。私は、さっさと退散しよう。
そう思い、私はガルドさんに頭を下げて階段を降りようとした。
「姫さま」
すると、ガルドさんに呼び止められた。
何か用事があるのかもしれない。私は立ち止まる。
「はい、ガルドさま。何でしょう?」
話しやすいように、微笑みを浮かべて私は問いかけた。
ガルドさんは、フードの向こうからじっと私を見ているようだ。そして、いきなり頭を下げた。
「あ、あの……?」
「姫さま、ガッシュに自然に接してくださり、本当にありがとうございます」
困惑する私に、ガルドさんはそんなことを言う。
ガッシュさんに自然に……て。私にとっては下心込みで、普通のことだ。お礼を言われるようなことじゃない。
「あの、ガルドさま。頭を上げてください。わたくしは、当たり前のことをしているだけなんですから」
「……その当たり前が、ガッシュには貴重なのです」
「ガルドさま……」
ガッシュさんは、銀色を持つ。ガルドさんの様子から、私はガッシュさんの今までを察してしまった。
きっと、たくさん辛い目に遭ってきたんだ、ガッシュさんは。そして、それをガルドさんは歯がゆく思っているのだろう。
ガルドさんは、頭を上げた。
「姫さま、ガッシュは素直じゃありません。ですが見捨てず、そのままで接してくださいませんか」
ガルドさんの真剣な声に、私は表情を引き締めた。本気の感情には、こちらも本気で返さねば。
「ガルドさま。わたくしは、ガッシュさまを好ましく思っています。もちろん、ガルドさまも。ですから、これからも態度を変えることはありません。だから、安心してください」
「姫さま……」
ガルドさんは、口をキュッと引き結んだ。
「姫さまはお優しいですね。自身もお辛い立場ですのに、私たちにも優しくしてくださる」
「そんな……」
私は照れてしまう。私はそんなたいそうな人間ではない。むしろ、下心ありありの人間なのだ。
「姫さま、私は貴女を尊敬します」
「そ、尊敬ですか」
「ええ。いつか、姫さまの優しさがガッシュの頑なな心を溶かしてくれると信じています」
ガルドさんの口元が弧を描く。きっとフードの下で、優しい笑みを浮かべているのだろう。
「貴女の優しさに、神の光がありますように」
ガルドさんは、そう言うと、頭を下げ階段を降りていく。
まだ、仕事がたくさんあるのだ。私は、邪魔することなく見送った。
「神の光、か……」
それは、この世界における最大の祝福の言葉だ。
私はガルドさんから、それだけの信頼を得られたということになる。いや、ただ単に、命を救ってくれた相手に感謝しているだけなのかもしれないけれど。
私は、ガルドさんこそが、光そのものの存在に思えた。
こんな下心で動いている人間なんかには、もったいない言葉だ。
私は、その信頼に応えられるだろうか。
私は、ガッシュさんとガルドさんを、守ろうと再度誓う。
「いつか、ガッシュさんにも……」
同等の信頼を得られるように、頑張ろうと思った。
下心は、もうどうしようもないけれどね。
そして、思ったのだけど。
ガルドさんのなかで、私は聖人なみの善人になっていやしないかと。それは、ちょっと夢を持ち過ぎだし、真なる善人はガルドさんだと思う。ガルドさんが善人だからこそ、私にも善人補正がついてしまったんだろう。
ガルドさんの誤解、どう解こうかと悩みながら、私は階段を降ていった。




