case5 : 白鳥撫子(後編)
朝日を疎ましく感じるようになったのはいつからだろうか。どこにいても何をしていても犯罪者の娘と蔑まれ、忌み嫌われる毎日。そんな日常を繰り返すぐらいなら、夜明けなんて迎えずに死んだほうがマシだと本気で思っていた。
だけど、院長先生とその奥さんの早苗さん、同じ境遇を背負う養護施設の子供たち、そして親友とも呼び合える間柄になった三原春ちゃんに出会えてからは、少しずつそんな心境にも変化はあったんだ。こんな私にも居場所はある。生きていてもいいんだって。
それでも……家族のことで罵声を浴びせられるのは、やっぱり今でも辛いよ。お父さんも、お母さんも、私も誰一人として望んで今の状態になったわけじゃないのに……。
見上げる天井がぼやけて霞む。とめどなく溢れ出る涙は頬を伝い、シーツにいくつもの滲みをつくる。
誰にも見られていない今だけは、我慢しなくてもいいよね?
両手で口を覆い、押し殺そうとしても抑えきれない嗚咽を漏らしながら、私は涙を枯らし尽くす勢いで泣き続ける。もう二度と人前で泣くことのないように、と――。
【記憶消しの少女 最終話 白鳥撫子編(後編)】
今朝の天気は雪。柔らかな雪が桜の花びらのように舞い降る中、私は通学路を駆け抜ける。
登校を急ぐ理由はただひとつ、昨日クラスメートからの謂れのない罵声に心を痛めたか弱き少女――白鳥撫子に一刻も早く会うためだ。
私はその場に居たにも関わらず彼女のために何もしてあげられなかった。そのことを昨日から何度後悔したか分からない。
彼女と初めて出会ったあの日、二度と一人で辛い思いはさせないと約束したというのに……。
私と撫子が初めて出会ったのは今から約3年前――今日とは違う本物の桜の花が咲き誇る中学校入学式の日に遡る。
当時の私は「いじめ」なんてものとは無縁で、そんなものが実在するなんて思ってもみなかった。教室の端で誰とも話さずに俯いた表情を浮かべる彼女に気付いた時でさえ、「人付き合いが苦手な子」程度にしか捉えていなかったのだ。
その認識が誤りであることに気付かされたのは、無神経で無知な私が彼女の事情を考えもせずに、自分本位な正義感に任せて彼女をクラスの輪の中に引っ張り出してからだった。
先程まで親睦を深め、これからの中学生生活に心躍らせる生徒達の声で賑やかだった教室に突然静けさが訪れる。私も、私と出身校が同じ子たちも何が起きているのか分からなかった。一人の女子生徒が声を上げるまでは。
「何しにきたのよ。あんたみたいのが居るだけで、迷惑だって言わなかったっけ?」
鋭利な刃物のようなどす黒い感情に、胸を一突きに貫かれる。今まで味わったことのない恐怖を感じているのは隣にいる白鳥さんも同じようで、握りしめる手を伝わって、お互いの心の震えが浸透し合う。
「黙ってないで何とか言ったらどうなのよ? 白鳥撫子!」
唐突なクラスメートの変貌に、静けさが訪れる直前まで彼女と話し合っていた女の子が恐る恐る疑問を口にする。
「きゅ、急にどうしたの? 黒羽さん。なんだか恐いよ……」
「どうかした? ああ、あなた達知らないんだものね。あの子がどういう子なのか。教えてあげなさいよ。あんたの父親が何をしたのかを」
その言葉を聞いた瞬間、白鳥さんの震えが大きくなり、私の手を握る力が一段と強くなる。
「そう。自分で答えられないなら、私が教えてあげる。この子の父親はねぇ、人を殺したの。お金を借りて返せなくなったからっていう身勝手な理由で、取り立てに来た人を殺したの」
人殺し――それは当時の私たちにとって、あまりにも遠い世界の話。ニュースや新聞でどれだけ凄惨な事件が流れても、それはドラマやアニメといった架空の世界の出来事と同程度にしか私たちの瞳には映らない。
だってそうでしょ? どんな事件であっても直接の関わりがなければ、それは忘れ去られる一時の出来事に過ぎないのだから。
だけど、今回は違う。事件の当事者である加害者に、白鳥さんの父親が当たるというのだ。
「えっ……本当に?」
どこからともなく上がった声は、瞬く間に教室中に広がり渡り、大きな声の波が所狭しと荒れ狂う。
当然、教室の異常に気付いた教員が駆け付けはしたのだが、その時には既に遅く、全校生徒の耳に"白鳥撫子"という名が知れ渡ってしまっていた。
「……ごめんなさい」
教員と目が合った白鳥さんは私にそう言い残し、教室を立ち去ってしまう。
すぐに私はその後姿を追おうと思ったのたが、それを静止したのは他でもない後に私と白鳥さんと3年間をともに過ごすことになる平世先生だった。
彼女が立ち去る直前まで隣にいた私に事情を伺いたいことはすぐに察しが付いた。
事情聴取という名目で職員室に連行された私は、白鳥さんについてそこで様々なことを知ることになる。
彼女の父親が誤って人を殺してしまい、結果として彼女は現在養護施設で暮らしていること。マスコミの不用意な行動によって、彼女のクラスメートにそれが知れ渡ってしまったこと。
小学生時代の彼女がどういう環境で独り過ごしてきたかを聞いているだけでも、頭がおかしくなりそうだった。
これから彼女を受け持つことになった平世先生ですら、前担任の小学校の先生から引き継ぎをしている最中に、あまりの痛々しい現実から何度も目を背けたくなったらしい。
「そんな……そんなの白鳥さんには関係ないじゃないですか。それに、白鳥さんのお父さんだって悪人なんかじゃない。本当にただ運が悪かっただけで……」
「ええ、分かっているわ。だけどね、圧倒的に負のイメージが先行する「殺人」という言葉は、世間の評価を鵜呑みにしてしまう幼い子供達を洗脳するには十分過ぎる程に強烈なものなの。それに……」
そこで一度言い淀む先生。
今まで聞いてきたことだけでもすでに想像を絶していたというのに、これ以上の救いのない事実がまだあるというのだ。
そしてそれはまぎれもない絶望であった。一時の身構える猶予などまるで無意味に等しく、私はその言葉を聞いた直後、力なく地面に膝を付く。
「……なんで? どうして……そんなことって、あんまりだよ」
確かに「殺人」という言葉には人間関係を破壊するほどの力が込められているのかもしれない。けれども、それは意図的に行われたものでも、ましてや白鳥さん自身が行ったものでもない。ちゃんとした背景を説明すれば、私のように彼女に罪がないことは誰でも分かる。
それなのに、結果はそうはならなかった。誰もが彼女に罪がないことを知りつつも、誰もが彼女を遠ざけざるを得なかった悲劇。
もし事件の全貌が不幸な事故だけで片付けられるなら、きっとこんな酷い状況にはなっていなかった。むしろ、彼女の身の上を心配した多くの友人が彼女を支える立場をとっていたであろう。
つまり、不幸な事故という形で片付けられない人物がいたのだ。白鳥さん同様にあの事件によって歯車を狂わされたもう一人の関係者――被害者の妹に当たる人物が。
「その子の名前は黒羽姫香。今日、あなたと白鳥さんと向かい合っていたあの子よ」
先生の言葉を境に、彼女の姿が脳裏に蘇る。白鳥さんの隣にいた私でさえも恐怖を感じる程に明確な敵意を露わにしていた彼女。同い年の彼女がどうしてあそこまでにおぞましい気配を漂わせていたのかがようやく分かった。
彼女にとって白鳥さんは実の兄を殺した加害者の娘。遺恨を残さずにいられるはずがなかったのだ。
「彼女と白鳥さんはもともとは親友と言っても過言でないほどに仲が良かったの。大切な人を失ったという痛みを抱える者同士、お互いに通ずる部分も多かったのでしょうね」
あまりにも酷い現実。彼女たちが出会ってから築き上げてきた気持ちは何一つ変わっていないのに、たった一つの過去の出来事が二人の関係の全てを塗り替えてしまった。
「どうにかならないんですか? このままじゃ、白鳥さんも黒羽さんだっていつまでも悲しい想いから立ち直れない。私はそんなの嫌です」
「先生にも分からないの。仲の良かった頃にどうにかして関係を戻してあげたい。あなたのように二人の過去を知らない子達の力を借りられるならもしかしてと思ってあえてクラスを同じにしたのだけど、結果的に二人を更に傷つけてしまった。本当に頼りない先生でごめんなさい」
私よりもずっと多くの経験をし、様々なものを見てきた先生が隠すことすらしない本気の苦悩。この状況の改善が絶望的であることを私は幼ながらに悟った。
窓の外をぼんやりと見つめ始めた先生の背中姿に軽く挨拶を掛け、私は職員室を後にする。先生がため息交じりにつぶやいた言葉を胸に握りしめて。
記憶消しの少女――それはこの地方に住む者なら誰でも一度は耳にしたことがあるお話し。
消し去ってしまいたいと思うほどの辛い記憶を持っている者の前に現れ、その願いを叶えてくれるという都市伝説。
もし、彼女が白鳥さんの過去の記憶を、あの事件で心に深い傷を負ってしまった人たちの記憶を消し去ってくれるのであれば、きっと白鳥さんと黒羽さんは元通りの関係に戻れるはず。
……そんな都合の良い話があるわけない。そんなことは、先生も私も分かっている。けれども、無力な私に出来ることはそれしかなくて、彼女を奉っていると言われている祠の前に自然と足が導かれるのは必然だった。
彼女の祠は私たちの暮らす街の郊外に聳え立つ山の中にあり、整備されていない山道を歩き続けなければ辿り着けない。
足を踏み外して記憶はおろか命さえも失いそうな辺鄙なここを訪れる人は珍しいであろう。
なのに、祠の前に佇む女性が一人。私の存在に気付いて、むしろ私がここにいる理由を問いたいかのような表情を浮かべて立っていた。
「え、えーと、ごめんなさい。あの、確かあなたは」
何かを思い出そうとしている彼女を見て、まだちゃんとした自己紹介をしていなかったことに気付く。
「三原春。私の名前は三原春って言うの。数字の三に、河原の原に、春夏秋冬の春。これからよろしくね白鳥さん」
「あ、はい。私の名前は、ってもうご存知なんですよね。今日は私のせいで嫌な思いをさせてごめんなさい」
「ううん。ちょっと怖かったけど、嫌な思いなんてしてないよ。私の方こそ、白鳥さんの事情も知らずに勝手なことしてごめんなさい」
「ありがとう。でも、やっぱりごめんなさい。私、三原さんとはお友達になれません。私と一緒に居たら、きっとこの先も迷惑をかけてしまうから」
そう言って辛そうに彼女は笑う。誰よりも深い悲しみを背負っているからこそ誰よりも相手を気遣う彼女にしか理解できない酷く歪んだ行動原理。
ぽつりと落ちる涙が地面を濡らす。
言葉なんて出るはずもなかった。言葉という意識的な行動よりもはるかに早く、無意識の感情が体が突き動かし、彼女を抱きしめていたのだから。
私と同い年でありながら、彼女はこの小さな体の中に今までどれだけのものを背負わされてきたのだろう。どれだけの苦痛と絶望を味わってきたのだろう。
それを考えるだけで涙が溢れ、止まらなかった。
「……やめて。もう知ってるでしょ。見たでしょ。私と一緒に居ても良いことなんて一つもない。私と一緒に居ても不幸になるだけなの!」
強引に私を引き離そうとする白鳥さんを、更に強い力で抱きしめなおす。
「もういいんだよ。無理しなくても。我慢しなくても。辛かったよね。苦しかったよね。ずっと独りぼっちで。だけど、これからは私が一緒にいる。二度と一人で辛い想いはさせない。だから――」
あなたの隣に居させてください。
その言葉を皮切りに、彼女の中で張りつめていた何かの糸が切れたのか、彼女も私と同様に涙を零す。
それは偽ることのない、偽る必要のない彼女の本当の気持ち。
今になっては、まるで告白みたいなシーンと二人で笑い話にしているが、それがきっかけで私と撫子は3年間常に一緒の道を歩むことが出来た。
先生の計らいもあって、3年間クラスも一緒、席も隣同士、何をするにしても二人で行動した最高の3年間だった。
それなのに、最後の最後であなたがいない。私が彼女をまた独りにしてしまった。
「撫子……」
教室の入り口で立ち止まる私。視線の先に映る空席に、己の愚かさと無力さを痛感せずにはいられない。
「おはよう、春ちゃん。こんなところで立ち止まっちゃって、何かあった?」
「!?」
「ど、どうしたの? そんな凄いスピードで振り返って」
「……う、ううん。なんでもないの。ごめんね」
クラスメートの姿に、撫子の姿が重なって消える。私までこの状況に飲み込まれちゃ駄目だ。撫子がいつ来てもよいように、私はいつも通りでいないと。
たとえ、鬼気迫った表情をして近づいてくる先生の姿が視界に映ろうとも。
「み、三原さん。良かった。もう登校してくれていたのね」
平世先生は息切れを起こしつつも、尚も捲し立てるように言葉を繋げようとする。
それだけで、何か切羽詰った緊急事態が起きていることは明らかだった。
「今日、白鳥さんに会った? 白鳥さんは学校に来てる!?」
先生の口から飛び出た言葉を前に、私は首を横に振ることしか出来なかった。どうして、先生が撫子の行方を気にしてるの? どうしてそんなに深刻そうな表情をしてるの? これじゃあ、まるで……。
「そう……。みんな、今からすぐにホームルームを始めます。席に着いて!」
事の深刻さをいち早く察した私たちは、先生に促されるままに自らの席に着く。まだ登校時間中のため、空き席がちらほら点在しているのが目に映る。当然、左隣の撫子の席は空席のまま。あとからやってきた生徒達が次々と席を埋めていってもそれは変わらない。
空席がほとんど無くなったのを見届けたのち、先生がホームルームを急いだ理由を口にする。
「まず、みんなに謝らなきゃいけないことがあります。登校してもらっておいて申し訳ないのだけれど、ついさっき大雪警報が気象庁から出されたため、みんなには急いで下校してもらいます」
ここまでなら、この地方ではよくある話だ。毎年、どこからともなく押し寄せる豪雪は瞬く間に街を飲み込み、辺りを白銀の世界に変貌させる。今年はそれがたまたま登校時間中に発令された。ただそれだけ。……だから、先生が焦っている理由はきっとこの先にある。
「だけど、その前に教えて欲しいの。今日、登校中に誰か白鳥さんの姿を見た子はいない? どんな些細な情報でも良いの。今の彼女の行方に心当たりがある子がいたら教えて!」
心拍数が上がり、一気に呼吸が荒くなる。
教室の入り口で先生に声を掛けられたときから気付いていた。先生が生徒の行方を気にする理由なんて一つしかない。
「今朝、彼女のご自宅から電話があったの。詳しい事情は分からないけれど、早朝に家を飛び出したまま行方不明だって」
予想通りの事実に私は青ざめて言葉を失う。それに反して教室は、「早く帰れて嬉しい」だの、「帰れなくならなくて良かった」だの、楽観的な話題で満ち溢れ始めていた。
いつも通りの光景。誰も撫子の心配なんてしない。まるで、白鳥撫子なんて人物は元から存在しなかったかのような扱い。
これが3年間続いてきた。いや、私にとっては3年間。でも、撫子にとっては小学3年生からの6年間続いてきた。結局、私は撫子のために何もしてあげられていなかったのだ。
「――また、あの子なの? 本当に迷惑しか掛けないのね、白鳥撫子は。あんな子、生まれてこなければ良かったのに」
その瞬間、世界から音が消え去った。乱暴に立ち上がった衝撃で背後の壁に当たった椅子の音も、私に向かって何かを必死に呼びかける周りの声も、もうどうでも良かった。
最後に聞こえた声の主――黒羽姫香の頬を赤く染めるまでは。
「な、何すんのよ!?」
頬に手を当て、怒りに震えた声と表情で睨みつけてくる彼女。
しかし、私はそれを意に介さず、
「……もし、撫子に何かあったら、私はあなたを一生許さないから」
そう言い残して彼女の前を立ち去る。
「ま、待ちなさい。どこに行くつもりなの?」
そう言ったのは、黒羽姫香ではなく平世先生。教壇の前を横切ると同時に腕を掴まれ引き留められた。
「撫子を探しに行きます」
「駄目よ。外は危険だって言ったわよね? 白鳥さんの捜索は私たちに任せて、あなたは家に帰りなさい」
私は先生の呼びかけに振り向くこともせずに、なおも室外に出ようと腕と足に力を込める。
「せ、先生の言う通りだよ。警報も出てるし、外は危険だよ。大人しく家に帰ろ?」
「そ、そうだ。今日は久しぶりにみんなで帰ろうよ。最近、三原さんと話せてなかったから、話したいことがたくさんあるの。ねっ?」
先生と私の静かな抗争を見るに見かねた最前列の席の子達が、私を説得しようと必死に声を掛けてくる。
「だけど、撫子はそこに居るの。みんなが危険だって言うそこに居るの。みんな、オカシイよ。みんなが私に優しくしてくれるのは嬉しい。でも、どうして、撫子にそれが出来ないの。撫子は何も悪い事してないのに。ねぇ、どうして!?」
今日まで溜まってきた気持ちが、涙とともに一気に溢れ出る。
一番辛い想いをしている撫子が耐えていたから、私も我慢してきた。自らが傷ついても守りたいと彼女が貫き通してきたものだったから、私も傷つけないようにしてきた。
でも、今日私はそれを壊す。一人の女の子の心を犠牲に守られてきた偽りの平和に、守られる価値なんて本当はありはしないのだから。
「こんなものがクラスだって言うんなら、こんなものが友達だって言うんなら、私は欲しくなかった。一緒に居て欲しくなんてなかったよ!!」
教室中に轟く悲痛な叫び。これが私の気持ち。ずっと言いたかった、言いたくなかった私の気持ち。これできっと今まで通りにはもう戻れない。ごめんね、撫子。
「ごめんなさい」
えっ。
「あなたがこんな状態になっていることさえ気付けない先生でごめんなさい」
ああ、そうか。だから撫子は……。平世先生の暖かな腕に包まれることによって、ようやく私は理解する。
昨日撫子が私を頼らなかったのは、私の精神が限界であることに気付いていたから。
私が撫子を見てきたように、彼女もずっと私を見てきてくれていた。私自身ですら気付いていなかった心の限界に、撫子はいち早く気づき、私とクラスの関係に亀裂が入る事態になることを避けようとしたのだ。
本当にどこまでも歪んだ行動原理。だけど、それを「嬉しい」と感じてしまう私もきっと酷く歪んでいるのであろう。
先程までとは違う涙を零しながら、私は決意する。
「ねぇ、みんな。私は撫子を必ず連れ帰る。だから、もう一度あの子を認識して(みて)、あの子の言葉を理解して(きいて)。あの子が誰かに恨まれなければいけない子なのか、その目と耳で確かめて」
たとえ彼女との関わりを避けていても、彼女と一年間ともに過ごしてきて彼女の誠実さに気付かないはずがない。私は今でも、誰も望んで彼女を避けてきたのではないと信じている。
でも、もしこれで駄目なら人の力ではどうにもならない問題だったのだと諦めよう。それこそ本当に記憶消しの少女の力でも借りなければ――
「せ、先生。手を放してください!」
「ど、どうしたの? 急に」
「撫子の居場所が分かったんです。撫子を迎えに行きます」
どうして今まで気づかなかったのだろう。傷心に暮れる撫子が行くところなんて、私と約束をしたあそこしかない。
「えっ、本当に!? でも、駄目よ。とても一人でなんて行かせられないわ」
くっ、やっぱり駄目か。他の生徒を下校させなくてはならない先生に一緒に行って欲しいとは言えないし、こうなったらやっぱり力づくでも――
「一緒に行ってあげてください。平世先生」
「校長先生!? どうしてここに? いえ、それよりも、私が一緒に行くわけには」
「生徒の下校は私が行います。平世先生は、白鳥さんを迎えに行ってあげてください」
いつから教室の入り口に居たのだろうか、事情を全て理解している口ぶりの校長先生がゆったりとした足取りで室内に入り言葉を続ける。
「私達教員は、全ての生徒に対して平等でなくてはなりません。それゆえに、白鳥さんと黒羽さんを中心とする触れれば周りを巻き込み崩れてしまう不安定な関係に手を出せずにいました。
それが結果として全ての生徒に過酷な道を歩ませることになると知っていたにもかかわらず。今日まで、本当に申し訳なかった」
私の前まできた校長先生が深々と頭を下げる。個人間の問題で校長先生が生徒に対して直接頭を下げて謝罪するなど、今までなかったことだろう。私やクラスメートのみんなはおろか、平世先生ですら突然の出来事に驚きを隠せずにいた。
「頭を上げてください校長先生。確かに、撫子は中学生になってからも苦しんできました。でも、小学生時代とは違って、独りじゃなかった。先生達の計らいで、撫子と過ごすことが出来たこの3年間、本当に感謝しています」
「あなたは本当に優しい子ですね。今なら分かります。私達がやるべきことはいずれ崩れ去る塔を見守ることではなく、崩れた塔の再建を支えることだったのだと。さぁここは私に任せて、平世先生と供に行ってください」
「はい!」
待っていてね、撫子。私は必ずあなたを救い出してみせるから。
――撫子、撫子。
だ、れ? 春、ちゃん?
朦朧とした意識の中で、ぼやける視界が捉えたのはひらひらと舞い落ちる雪と、それと見紛うような真っ白なワンピースを着ている少女だった。
「生きてる? 生きてるよね? 良かった。きっと、雪がクッションになってくれたんだね」
クッ、ション? 依然として覚醒しきらない頭が彼女の言葉を繰り返す。
何が起きているのか分からないまま焦点の定まらない疑問に思考を巡らせていると、遠くで聞きなれた鐘の音が鳴るのが聞こえてきた。
学校の始業の鐘だ。
いけない。私が休んだら院長先生達や春ちゃんに心配をかける。それに、姫香ちゃんとも二度と仲直り出来なくなる気がする。行かなきゃ。
「うっ」
反射的に起き上がろうとする全身に激痛が走る。
「だ、駄目だよ。あんな高い所から落ちたんだもん。怪我してないはずがないよ」
落ち、た? 誰が?
「大丈夫だからね。必ず誰か助けに来てくれるから」
……助け。助けてくれる人なんていない。だって今朝私は――
私、撫子ちゃんとこのまま一緒に暮らすのはもう無理よ
「嘘っ、泣く程痛いの!?」
ああ、そうか。落ちたのは私だ。私が落ちたのだ。あの山道から。
自覚すると同時に先程の痛みがより鋭くなって私の顔を苦痛に歪ませる。でも、それよりも思い出してしまった記憶の方が、ずっと辛かった。
身体の痛みなのか、心の痛みなのか分からない感覚が今一度私を襲い、今朝の記憶を呼び起こす。
自室で心行くまで泣き尽くした私は朝食の準備をするために食堂に向かい、そこで聞いてしまったのだ。院長先生夫婦の会話を。
扉の閉まっている部屋の外から聞いたため聞こえ辛い部分もあったけど、その会話は間違いなく私との生活のことを話していた。
そうだよね。私みたいなのがいつまでも一緒に居たら迷惑だよね。
血の気が引き、足が自然に一歩、二歩と後退する。そして、背後に置かれている収納棚に衝突してようやく私の体は動きを止めた。
直後、朝の静けさを一蹴するガラスの割れる盛大な音が鳴り響き、針が止まり壊れた時計と砕け散ったガラスの破片が辺りに転がっていた。
当然、食堂の中からは外の様子を伺おうと声が飛んでくる。
しかしながら、私はその声に返事が出来ずに立ち尽くしていた。
「撫子お姉ちゃん?」
不意を突かれた声に私の体がビクッと震える。声の主は、養護施設最年少の優香ちゃん。眠たそうに眼を擦りながら、お手洗いに起きてきたようだ。
「優香ちゃん、ガラスが散らばってるからこっちに来ちゃダメ!」
優香ちゃんがガラス片で怪我をしないように、静止の声を慌てて掛ける。これで院長先生と早苗さんに外の状況がどうなっているか――私が二人の会話を聞いていたことが伝わってしまっただろう。
「恐がらせちゃって、ごめんね」
優香ちゃんをこれ以上恐がらせないように優しく微笑んでから、私は玄関に向かって走り出す。玄関の扉を開けると、全身を襲う冷気と白銀の世界が飛び込んできた。
雪か……。
肌寒さは感じるがコートを取りに部屋に戻るわけにもいかず、私は制服姿で外に飛び出して今に至る。
「どうしよう。私が麓まで連れて行ってあげたいけど、下手に動かしたら危険かもしれないし……」
そういえば、先ほどから私のことを心配してくれているこの子は誰なのだろう? 見た目的には、優香ちゃんと同い年ぐらいに見えるけど。
「身体の痛みはそんなにないから、大丈夫だよ。それより、あなたは誰?」
「あ、あれ? あなた、私に会うためにこんな無茶したんじゃないの? えーと、私は記憶消しの少女――この祠に住まう者よ」
記憶消しの少女……昔どこかで聞いた覚えが。
確かあれは中学校入学式の日、私と春ちゃんが友達になった日のこと。
私は昨日と同じように一人教室から逃げ出し、誰にも見られずに落ち込める場所としてここを訪れた。
そんな私を心配して、記憶消しの少女に願いを聞き入れてもらおうとやってきたのが春ちゃんだった。
そのときに聞いた話しによれば、この土地には記憶を司る神様のような存在がいて、辛い記憶を消し去り回っているらしい。。
でも、それならどうして私のところには……。
理不尽な怒りを押し込めるように、下唇を噛み締める。
この子が悪いんじゃない。そんなことは分かっている。それなのに、幾重にも重なった「どうして」という感情が抑えきれない。
「あなたが、神様なのね……」
「……その呼ばれ方は好きじゃないわ。でも、せっかくだからあなたの望みも叶えてあげる。私が見えるってことはあるんでしょ? あなたにも消し去りたい記憶が」
「……全部」
「えっ?」
「私が生まれてきてから今までの記憶を全て消してって言ったの」
「あなた、自分が何を言っているのか分かってる? 記憶っていうのは人が個を形成するうえで欠かせない重要な要素の一つ。それを失うってことは、あなたがあなたじゃなくなるってことなのよ!?」
「それができないなら、いっそのこと私を殺してよ」
「ふ、ふざけないでよ! あなた、命の大切さを何も分かってない!!」
激昂にも悲哀にも見える表情を残し、彼女の姿が消える。
それと同時に私の意識も遠退き始めた。これでやっと誰にも迷惑を掛けずに済む。ごめんね、みんな。ごめんね、はる……ちゃ…………ん。
撫子! 撫子! 目を開けてよ撫子!!
意識を完全に失う直前、春ちゃんの声に呼び起される。
しかし、春ちゃんの姿はそこになく、代わりに映るのは夕焼け色に染まる見知った教室の光景のみ。
「どういうこと? 今までのは全て夢? 私、生きてる?」
「いいえ、あなたは死んだわ」
声の聞こえた方向に目を向けると、春ちゃんの机の上に腰をかける一人の少女と目が合う。記憶消しの少女だ。
「まだ理解出来ていないでしょうから教えてあげる。ここは走馬灯の世界。死者が自らの死を自覚し、受け入れるための世界よ」
「走馬灯の世界?」
「窓の外を見れば嫌でも分かるわ」
窓の外? 夕焼け色に染まる街並み以外に何が見えるというのか。訝しがる気持ちを抑え、促されるままに彼女の指さす窓の外を覗く。
「なに、これ?」
理解の追い付かない事象に、私の思考が止まりかける。
確かに私は先ほどまで夕日を見ていた。でも、今見えるのは夕日ではなく吹き荒れる白銀の豪雪地帯。
「2002年3月19日午前9時33分、三原春並びに平世智代が意識不明の白鳥撫子を発見」
いつの間にかに私の隣に移動した記憶消しの少女が語り始めると、豪雪地帯の中心の視界が良くなる。
開けた視界に映し出されたのは、倒れている私と私の手を取ってずっと話しかけてくれている春ちゃん。春ちゃんの後ろには平世先生の姿があり、前方には救急隊員と思われる青年の姿があった。
「辛うじて白鳥撫子に息があることを確認した平世智代は、救急要請を行うためすぐに下山。しかし、豪雪による交通への影響が大きく、救急隊員が現場に辿り付けたのは同日午前10時59分」
その言葉の意味を、今もなお行われている私に対しての心臓マッサージと人口呼吸から理解する。
「もう分かったわよね? あれがあなたの走馬灯よ。そしてここからがこの走馬灯の結末」
彼女の言葉を皮切りに止まる救急隊員の手。それが意味することはもはや考えるまでもない。
「ねぇ、どうしてやめるの? やめたら撫子が死んじゃう。続けてよ」
今にも泣きだしそうな春ちゃんの表情と震える声に、私の胸が締め付けられる。
「撫子と私は約束したの。どんなに辛くても一緒に笑って卒業しようって。だから撫子はこんなところで死んだりしない。だから、お願いだから続けてよ!」
春ちゃんの言葉を聞いてなお救急隊員は俯いたまま動かない。分かっているのだ。もう全て手遅れなのだと。
……でも、これで良かったじゃないか。私が死ねば、姫香ちゃんは憎しみから解放される。院長先生達だっていつまでも私のことで悩まされずに済む。春ちゃんとクラスのみんなの衝突も生まれない。
私一人の命で全て丸く収まる。これでいい。これが最善なのだ。
「またそうやって逃げるの?」
「……違う。逃げてなんか」
「違わない。あなたは逃げてる。誰かのためを思って進路の選択することを否定はしない。だけど、何を理由にしようとも選んだのはあなた。あなたが胸を張って自らの選択を認められないのなら、それは逃げ道の口実に過ぎない」
「違う。違う違う違う。これは私が望んだの。私が死ねば全て丸く収まるの」
「なら、彼女の気持ちはどうなるの? あなたが一人で勝手に諦めた生を、今もなお諦めずに繋ごうとしている彼女の気持ちは」
氷点下の世界、救急隊員も本人である私でさえも諦めた命を凍える手と唇で懸命に救おうとする少女の姿に目を釘付けにされる。
「やめて。そんなことしたら、春ちゃんの手が」
ただでさえ凍傷になっていてもおかしくない程の時間私の手を素手でずっと握りしめていてくれたというのに、更に手に負担のかかるようなことをしたら絶対に無事では済まない。
現に、春ちゃんの両手は赤く膨れ上がり始めている。
「もういいよ。もうやめてよ。私なんかのために、春ちゃんが傷つく必要なんてない」
「まだ分からないの!? 彼女はあなたのためだけに身を犠牲にしているんじゃない。彼女は彼女自身のために、あなたを救おうとしている。あなたが隣に居てくれなきゃ駄目なのよ!!」
両手で私の手を握りしめ、悲哀に満ちた表情で私に訴えかけてくる記憶消しの少女。
……それでも私が居たら、きっとこの先も…………。
「離して! 離してよ!! 私は大丈夫だから。こんなの全然痛くないから。撫子を救う邪魔しないでよ!! うぐっ!?」
春ちゃんの手の状態が限界であると判断したのであろう平世先生が、春ちゃんを無理やり引き剥がし、逃げられないように抱きしめる。
そして、先生の両腕の中で暴れる春ちゃんの傍らで、その時が訪れた。
「3月19日11時41分、白鳥撫子さんの死亡を確認しました」
「んん〝ん〝ーーーーーー!!」
静かに告げられたその言葉とは対照的に、平世先生の身体で口を塞がれていてもなおも聞こえる春ちゃんの慟哭。
このときになってようやく私は自分のしたことの罪深さを理解する。
私はこれ以上春ちゃんが苦しむ姿を見たくなかった。悲しんで欲しくなかった。それなのに、今春ちゃんに涙を流させている原因は間違いなく私。
記憶消しの少女の言う通り、身勝手な私の行動が最も忌避していたこの事態を招いてしまったのだ。
「……ねぇ。……あなたが本当に神様だと言うのなら、私を生き返らせて」
後悔から顔を上げられず、許しを請う子供のように彼女の服の裾を掴み、懇願する。
「駄目よ」
「……お願いだから」
「これはあなたが望んだ結末でしょ?」
「……お願いだから」
「これが何かを選択するということ。選択した責任は自分で取らなければならない。たとえそれがどんな結果であろうとも」
「こんなことになるなんて思ってなかった。私さえ居なくなれば、みんな幸せになれると思ってた。だけど、私が間違ってた。ごめんなさい。ごめんなさい」
涙を零し、ただ謝ることしか出来ない私。
「白鳥撫子。あなたは自分の過ちを理解した。でも、それだけじゃ駄目なのよ。あなたに必要なのは後悔や懺悔ではなく、生きたいと思う強い気持ち。それは誰かのためだけじゃなく、自分自身も大切に想える気持ち。もし、あなたがもう一度その気持ちと向き合うこと出来たなら、そのときはきっと――」
直後、地震のような振動とガラスが割れるような激しい音が犇めき、走馬灯の世界が崩壊する。
どこまでも続く白い光に飲み込まれた私はそこで一度意識を失い、全ての記憶とともに目が醒める。
途方もない時間彷徨っていたという感覚も、刹那の出来事であるという感覚もある不思議な状態。
「おかえりなさい、白鳥撫子」
目の前に居るのは、優しい微笑みを浮かべる記憶消しの少女。
微笑みを浮かべたまま彼女は私に問いかける。
「早速だけど教えて。あなたは、これから先どうありたい?」
「私は生きたい。生きて、出会ったみんなと悲しみも楽しみも辛さも喜びも何もかも共有して、この命の意味を噛み締めたい」
「合格よ。さぁ、あなたの居るべきところに戻りなさい」
風が通り過ぎ、雪とは違う温かい滴が頬に触れるのを感じる。
「はる……ちゃ…………ん」
「撫子!? 撫子!!」
私の手を握る春ちゃんの力が強くなる。あぁ、温かい。
「白鳥さん。白鳥撫子さん。私の声が聞こえますか?」
声が詰まり上手く出せないためこくんと頷いて返事をすると、すぐに救急隊員の青年は私を担架に乗せ、移動を始めた。
雪山の中、私が覚えているのはここまで。次に目を覚ましたときには、すでに病院のベッドの上に運ばれていた。
――あの事件から数日が過ぎ、私は今クラスのみんなと一緒に校庭に居る。卒業写真を撮るためだ。
今でも信じられないことだが、あの事件以降私を取り巻く環境は一変していた。
まず、事の発端となった院長先生夫婦の会話だが、あれは完全に私の勘違いだった。
確かに早苗さんは、「このまま一緒に暮らすのはもう無理」と言ったそうなのだが、私と一緒に暮らすことを拒んだというわけではなく、私がいつまでも独りであることを憂いての発言だったのだ。
養護施設の子供達は様々な理由から親と共に過ごせなくなり施設に預けられる。それでも時が経てば親元に帰る子も現れれば、里親に引き取られる子も現れる。
少なくとも私と同時期に入居して残っている子は現在一人も居ない。
もちろん私にも里親になってくれそうな人を院長先生達が探してくれはしたのだが、養護施設に入居している理由を話さないわけにもいかず、全て破談に終わっている。
直接理由を聞いたわけではないが、やはり殺人者の娘という肩書きは世間一般的に受け入れ難いものなのであろう……。
そうこうしているうちに私への縁談は無くなり、養護施設で子供たちの世話をする側に落ち着いていた。
そのことをずっと気にかけてくれていた院長先生達は、かなり前から私への養子縁組の準備を進めてくれていたらしい。
つまり、施設の入居者ではなく娘として私を迎え入れたいと申し出てくれたのだ。
病院でその事実を告げられたときには、枯らし尽くしたはずの涙が今一度湧き上がり、人目もはばからず泣くことになった。
でも、私はそれを丁重に辞退させていただいた。母親の迎えを待ちたいことを隠さずに伝え、納得してもらったのだ。記憶消しの少女の祠で出会った女性が、あの女性の言葉が真実なのだと私は信じている。
次にクラスのみんなとの――姫香ちゃんとの関係。
院長先生達と入れ替わりに春ちゃんが室内に入ってきた。そしてその春ちゃんに手招きされて入って来たのは、なんと姫香ちゃん。
姫香ちゃんと対面して話をするのは中学校の入学式以来。いや、小学校3年生以来と言った方が正しいのだろう。
「ちょっと三原さん、その場所譲ってもらえない? 撫子の隣に映るのは私よ」
「あらー? 撫子にずっと冷たい態度取っておいて、今ではずいぶんとご執心じゃないですか? く・ろ・は・ね・さん」
「そのことは本当に悪かったってもう何度も謝ったでしょ! 私と撫子はあなたよりずっと前から親友なんだからそこを譲りなさい!」
「親友? そんなんじゃまだまだだよ。私と撫子なんてキスする間柄なんだから。ね~、撫子?」
「なっ!?」
「ち、ちちち違うでしょ、春ちゃん。あのときのはただの人口呼吸! 姫香ちゃんも信じないでよ~!」
結論から言うと、私と姫香ちゃんは和解している。
詳しい内容は教えてもらえなかったが、あの日私を探しに来る前に春ちゃんと姫香ちゃんの間で一悶着あったらしい。
それが関係しているのは間違いないが、病室で姫香ちゃんの方から私への謝罪があった。
姫香ちゃんと仲直りすることをずっと目的にしていた私は、即座に姫香ちゃんの謝罪を受け入れる。
しかも、これはのちに春ちゃんから聞いた話だが、姫香ちゃんは私の命の恩人でもあったのだ。
春ちゃんが私を探しに教室を出た直後、姫香ちゃんはクラスメート全員に雪かきのお願いをしたらしい。
クラスメートは快くこれを了承。更にクラスメートのみんなから学校中にお願いは伝搬し、果ては街中が起きているかも分からない事件のために行動してくれることになったというのだから驚きだ。
姫香ちゃんのお兄さんが亡くなった際、道路が雪で覆われていたため救急車の到着が遅れた。
その遅れさえなければ違う結果になっていた可能性もあったことを思い出し、行動してくれたそうだ。
記憶消しの少女と見た世界では救急隊員が現場に到着したのは約11時、でも実際にはそれよりも1時間も早い10時には救急隊員が到着していた。
この1時間の差が私の生死を分ける決め手になったのは間違いない。
余談ではあるが、このことは事件翌々日の朝刊でも美談として取り上げられている。
更に、その記事を掲載したいと許可を取りに来た記者が、私と姫香ちゃんの仲を引き裂くきっかけになった人物と同一人物であったことも驚きだ。
当時の配慮の無さを反省し、謝罪とともに今回の話を掲載する許可を取りにきたと院長先生達越しに聞いた
なにはともあれ、こうして私は今、みんなと肩を並べて記念撮影をするまでに至っている。
「ごめん、ごめん。名前で呼んでくれなかったから、ちょっと意地悪してみただけ。姫香の定位置は私とは反対方向にちゃんと空けてあるでしょ?」
「お、覚えて置きなさいよ、春ぅう」
「もう、二人とも喧嘩はやめて!! 写真撮影始まっちゃうよ!!」
「はいはーい、みんな準備は出来たわね? それじゃあ、写真撮ってもらうわよ」
はい、せーの
【記憶消しの少女 最終話 白鳥撫子編(後編) 完】