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自分論  作者: 蒼乃
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Ⅱ 上下関係

Ⅱ 上下関係


上下関係は学校、会社で必ずある。

目上の人には敬語を使う、だが同じ年の人とはため口である

最近では、先輩はため口は「違和感」があるからため口でいい、と言うのが多いいやぱっり偉い人には敬語と私は思うだが学校では自分と年は1,2

才しか変わらない、なぜ敬語を使う必要がある?

それは、相手を「尊敬」していないと敬語では話そうとしないのだ

初めて会ったときは「この人はどういう人なんだろう」、「優しいのかな」といろいろ考える、そして知るには何らかの機会が必要だ、たとえば部活、たまたま入った部活に先輩がいていろいろ話す機会があるだろう、そこで初めて先輩のことを知る、そしてたまたま入った部活が運動部のテニス部だったとしよう、その先輩はテニスがうまく、後輩の面倒見もよく、チームプレイもうまいそして都大会までも行った、そういう先輩がいたら君はどう思う?、まぁすごいと思うだろうじゃあ、その先輩は今年で卒業、そしたら自分たちは先輩になる、「私たちも、あの先輩みたいになろう」と

思うわけだ、そう思うということは、その先輩を「尊敬」していることなのだつまり「憧れる」というのは「尊敬」しているのだ

じゃあこういうのは尊敬なのか、自分と同じ年なのにいろいろと賞をとっている、自分はその子のことを知らないし、その子も自分のことも知らない、けど自分はそのこのことを「かっこいい」「すごい」と思う

これも尊敬なのか?自分は尊敬だと思う褒めるというのは尊敬しているともう、でもさっきの例とこっち」の例と違うところは「年」だじゃあ同じ年でも尊敬をしてるし敬語を使わないといけないのか?と思うだろう

それは違うと思う、尊敬してないと敬語は使わないといったが使うのは自分の意思だと思う、それじゃあ矛盾してるじゃないか、いや、言ったことは矛盾しててもいい、自分は何を言いたいのかそれは敬語とは自分の「意思」+

「尊敬」が、あってこその敬語だと思う、尊敬しててもこいつはため口でいいや、と思ってもいいだがやっぱり本当に尊敬していないと敬語は使えない

それと後は自分の意思で「この人は偉い、尊敬しができない敬語で話そう」と思うわけだつまり敬語とは相手に尊敬されている証なのだ

先輩というのは尊敬されてこその先輩だ、じゃあ、尊敬されていなかったら先輩にはなれないと言うことではない後輩から敬語を使われていたらそれは自分のどこかを尊敬してくれているということなのだ

こんにちは!蒼乃です

前回はゲームと言うタイトルでしたが「ネカマ」の話で終わりましたね

これ「ゲーム」じゃなくて「ネカマ」がテーマじゃんと思ったかたもいると思いますすいません今回はそこを意識してかきました

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