戦闘
10.
腐臭。死体は無い。だが、ここで何人もの人間が死んだことは分かる。慣れたものとはいえ、ナギには刺激が強いだろう。
「ナギ、ちょっと柵の外で待っててもらえるか…」
隣に声をかけると、そこにあったはずの小さな姿は見えず、
「真、こっち。見て。」
家々が囲むようにして出来た小さな広場。そこでナギは中心に位置する噴水を覗き込んでいた。
…考えてみれば、ナギは自分の手で育て親の頭を砕ける胆力を持っているんだった。そんな少女に変な気遣いは不要だったのだろうか。ここまで達観した少女なんて他に…。
「ん?なんですか~真様?」
…いや、こいつはそもそも違う枠組みだろう。いつものこととはいえ、本当に人の生き死にに対する興味がないんだろうな。恐らく、自分が死んだとしても、この少女は悲しいとも言わずに、その事実を受け止めるだけだ。だが、子の世代の中でもずば抜けて怪物並みの能力を持っているこいつを野放しにすることは出来ない。
だから、生きなきゃな。彼女との約束を守るためにも。
「何でもないよ。行こう。」
ナギに呼ばれて、その噴水を覗き込むと、
「…こりゃ酷い。」
そこには、人間のパーツが噴水いっぱいに散らばっていた。一体何人分あるのか。引きちぎられた腕。胴体と切り離された頭。その頭も鼻から上にあるはずの部分はまた無くなっており、血で染まった顎がカクカクと揺れている。足や胴だけが何重にも積み重なった塔のようなものもあり、意図的に部位を積み重ねていったのだろう。犯った奴のキチガイぶりが良く分かる。
「…ラン。どうだ。分かるか?」
死体を興味深げに眺めていたランは真に向き直ると、輝きを増した赤い目をより一層輝かせて楽し気に話した。
「はい~。奴らの匂いがプンプンしますね~。まだ時間も経っていないようですし、そこらへんにいるんじゃないでしょうか~。というより、いますよ。ほら出てきてくださいよ~。隠れてないで。」
「「「ッ!」」」
ランの殺気に反応したのか。噴水を挟んだ真達の正面にある比較的大きな家。そこの扉から、黒を基調とした服装の集団が飛び出てきた。
五人か。真達との距離をゆっくりと縮めて来るその姿は、全員がフードを深く被っており性別も判別が難しい。しかし、その中でも唯一フードの下に仮面を着けた奴が真達に向かって、
「お前…その白銀の髪…。『子喰らい』か?」
「ん??」
『子喰らい』?変な単語を聞かされ、真達の頭に疑問符が浮かぶ。ランの事を言っているのは間違いないんだろうが、どうにも勘違いが発生しているようだが…。そんな考えを知らず、仮面は続ける。
「そうか…最近この辺りで報告が入っていたが、帝都まで近づいていたのか。マズいな。」
「なあ、あんた。独り言ぶつぶつ言ってる途中で悪いが、あんた等がこの村の住民を殺したんだよな?見るからに怪しいもんな」
…帝都、か。もしかしたら知らないうちに真達の情報は筒抜けになっていたのかもしれない。ランはおそらくこの世界で一人だけの、『子の世代』でありながらも奴らに仇なす存在だ。目を付けられるのは危惧していたが。仮面は真ではなくランを見つめ、
「そうだ。私達が捕食した。下等種を食わねば力が増えぬからな。ところで、『子喰らい』よ。私達になぜ敵対する。お前も同種であろう。しかも、私たちの主の血を濃く継いでいるお前が、なぜ下等種なんぞと…」
「………」
待て待て。急に何言いだすんだ、あの仮面は。主?血?どういうことだ。相手の情報が多すぎてこの状況だけでも危ういっていうのに。訳わからんことを言うなよ。
「真、落ち着いて。やること、一つ。」
くいっと引かれた方を見れば、ナギが表情一つ変えないいつも通りの可愛さで真に頷く。
「…そうだな。あいつらは化け物。今はそれだけで十分だ。運よく生きてたらそんときは尋問してやるか!ラン!!」
「はいです~」
それまで黙って話を見守っていたランは、真の声と共に奴らに飛びかかった。
「殺すなよ!生かして主の元に連れ帰る!散れ!」
「…ふぅん。出来たら…ねクスクス」
これまで黙していた一人が、声音的に女であろうか、妖艶な響きをもって答えた。
「行きますよ~それっ!」
ランの手がすらりと手首から先が日本刀のような形に擬態し、五人がいた所へ猛然と斬りかかった。しかし、仮面以外の黒服は既にそこから退いており、仮面は、
「擬態の早さ、正確さ、そして…」
ガキイイイイイインン!!!刃物と刃物がぶつかる激しい音。当然人間の手がランの攻撃に耐えることは出来ない。仮面の手から擬態した両刃刀が受け止めていた。
「この力!素晴らしい!!それでこそ、それでこそだ!!」
じりじりとランに押されながらも、喜びの声をあげる。鍔迫り合いに押される状態を助けるように、散っていた他の化け物がランへと襲い掛かる。その身体は各々の一部が凶器に擬態しており、襲い掛かるタイミングといい、これまで真達が仕留めてきたダグマライトとは完全に異なる戦闘集団であった。だが、ランの戦闘スキルはたとえ相手が『子の世代』であっても桁外れである。
ビキビキ。身体の内から硬化していくように、ランの皮膚の色が灰色に変化していく。黒服の攻撃をその身体で一身に受けたランは、口角を釣り上げ、
「フフ…最近楽しくなかったんですよね~ありがたいですよ~」
殺し合いながら笑っている。ゾクッと、背筋に氷でも流されたような寒気がした。だが、事態はそんな考えに浸らしてくれるほど甘くはなく。
「坊や、お姉さんと一緒に遊びましょ?」
ランとの戦闘から外れた、先ほどの惹きつけるような妖しい声の黒服が近づいてきた。
「真…」
ぎゅっと、手を掴むナギを後ろに寄せ、高鳴る心音を誤魔化すように、
「ナギはあっちに避難してろ。…あっちに加勢しなくていいのかよ。ランなら四人なんてすぐに殺しちゃうぜ?」
ナギの去っていく方を確認しながら、黒服に向き合う。
ナギには興味がないらしく、真へとゆっくり歩を進めながら、
「ふふ。私はいいのよ。ねぇ。坊やの名前を教えてくれないかしら?私はね、サヤっていうの」
フードをおろしたその素顔は、息をのむほど整っていた。薄く微笑むことによってその表情は美しさと共に不気味な妖しさを増し、見る者に触れてはいけない茨を連想させる。
「…真。」
相手の意図が掴めず、出来るだけ距離を取ろうと下がりながら名を告げる。そんな様子に笑みを湛えたまま、向こうももゆっくりと歩み寄り、
「そう。真っていうのね。いい名前だわ。ねえ、真。貴方も帝都に来ない?悪いようにはしないわ。貴方達が殺してきた同種は弱かっただけなのよ。そんな奴ら死んで当たり前なの。分かる?だから私達は気にしないわ。怖がることは無いの、私が守ってあげるから。」
こちらに手を伸ばしながら、微笑む美女。もし相手が人間だったら喜んでー!なのだが、
「すいません。親はいませんけど、甘すぎる話は罠があるってよくガサツな幼馴染から聞かされたので。」
そういえば、あいつ今どこいるのかね。ブライには行ってないから真達を見失ってるかもしれん。いやいや、今はあいつのことじゃなくてだな。このレディの誘いをクールにスマートに断らなければ。
「そう…。残念ね。それなら力づくでも頷かせましょうか。」
サヤの目が輝きを増した。肘から先が擬態し始め、扇のような形へと纏まっていく。まるで、その擬態した姿を含め、色気が増すかのような錯覚を覚え、真は頭を振った。
「行くわよ。」
その声が聞こえてきたときには、サヤの振った扇から幾つもの小さな鉄の短刀が真に飛来していた。
「っとと!あっぶねぇ!」
すんでのところで避けれたが、あの扇、そんなこと出来るのかよ。反則でしょうよ。死んだらどうするつもりだったのさ。ったく、これまで戦いをランに任せてきたのは俺が別に隠された強キャラとかじゃなくて単純に足手まといってだけなんだが。ぶっちゃけ足ガクガク言ってるんだが。どうしよう…。
「クスクス。あれを避けたのは人間じゃ真が初めてよ。」
いや、思いっきり、行くわよって教えてくれたじゃないですか。あれなかったら死んでましたよ。といっても、冗談抜きでなにかしなきゃ本当に死ぬなこれ。とりあえず、あの扇の擬態だけに注意して、どうにか一撃で仕留める方法を…。
「さあ。抵抗しなければ死ぬわよ!」
幸い短刀が飛ぶ範囲は狭い。なら、動き続けることは前提。どうすれば、近づける。横移動に相手の目を慣らしてやる。そうすれば、
「どうしたの。逃げてばかりじゃ、私に近づけないわよ。」
そう、横移動だけではサヤとの距離は縮まらない。だから、その扇を振った合間。縦への距離認識が曖昧になった今!
「ッッッ!!!」
角度を急激に変え、一直線にサヤへと突っ込む真。サヤもその縦の移動に一瞬戸惑いを見せ、反応が遅れてしまった。その一瞬の間隙。
「シッ!」
抜いていたダガーナイフを全身の力を込めてサヤの喉元に突き刺す。『子の世代』は胸を刺す程度では死んでくれない。首を引きちぎり、頭を完全に潰すようにしてようやく動きを停止する。だから、その怯みが一番長くなる首を、ここで…。
「ギャアアアアアア!!!!!!」
叫びをあげ、強引に真を突き飛ばすサヤ。
「ぐっ」
飛ばされた真はすかさずサヤへの追撃をしようと立ち直ったが、
「あ、あ、あ、…んんフフフフフフフフフ」
血を吹き出しながらも妖しい笑みを浮かべるサヤ。すでにその傷は切り口から目に見える速度で再生を始めていた。
「おいおい…。さすがにそれはないでしょうよ…。」
「痛かったわ。とっても。でも、いいの。真。もっと貴方が欲しくなっちゃった。」
くそ。ラン並みの再生力なんているのかよ。どうすれば…!
「サヤ!引くぞ!!」
ランと交戦していた黒服たちがランから離れ始めていた。見ると、ランの灰色だった身体がどす黒く淀んでいく。
「あれはっ!マズい!!」
「クスクス。真。今日はここまでらしいから、また会いましょう。今度はお姉さんと二人っきりで、ね。」
村から撤退していった黒服たち。だが、今はそんなことを気にしている暇はない。
「ランッ!」
皮膚を伝う黒色が収まらない。やはり、この症状は…。
「ンンン!あああああああああああ!!!!!!!」
ランの悲鳴が森に響き渡った。