覚悟
7.
「ナギ。おおナギ。いい子だなぁ。私の愛しいナギよ。」
物心ついたときには両親はいなかった。その代わりに私の隣には酷く背の曲がった老人がいた。彼は薬剤師で、各地を転々としながら薬の仕事をしていた。だが、老人が歩くことすら難しくなったため、二人は小さな町ブライの片隅で質素な生活をしていた。
彼は動くことすらままならない様子でいつしか薬の仕事はナギがするようになっていった。
「ナギよ。お前がいてくれて助かるよ。ありがとう。」
大きな手に撫でられながら、ナギは精一杯の笑顔を顔に浮かべた。
その手の温かさを信じていた。いや、信じようとしていた。
異変に気付きはじめたのはいつからだろう。町に行方不明者が続出するようになり、ダグマライトの仕業ではないかと騒がれ出した頃。ベッドで寝たきりの状態で生活する彼を水タオルで拭いていると、その手に土あとが付いていることに気付いた。ナギが知る限りでは外に出てはいない。ならば、夜、ナギが寝た後に外出しているのだろうか…。
ただの好奇心だった。
夜。家の裏手、畑があった場所。祖父は何かを掘り返していた。こちらには気づいていないようで、必死に土を掘る姿は普段では考えられない、祖父ではないかのような動きだった。
「デヒ。フュヒ。ヒヒヒ。」
何かを掘り当てたのか、祖父は両手に抱いた物を大事そうに撫でまわし、齧り付いた。
「ッ!ウッ」
暗くて見えなかった祖父の手元が月明かりに照らされて、土に埋もれていたモノがナギの目に映った。それは先週から町で行方不明となっていた雑貨屋の主人だった。漏れ出そうになる声を押し殺し、ナギはその場から逃げ出した。
毛布に包まり、考えのまとまらない頭で今の出来事を思い出した。
「ウェッ、ウ…ヴォェェ…」
あの場面で起こったことを認識すると急に吐き気が込み上げてきた。
分かっている。祖父が何をしていたのか。理解することは残酷すぎる事実を知ることだった。今までナギを育ててきた祖父が化け物で、おそらく何度もこういったことを繰り返してきたのだろう。一つの町に留まらなかったのはこのためなんだ。
どうすればいい。自分にはどうしようもない。化け物である祖父にやめてなんて言えるわけがない。いつか自分も食べられるんじゃ…いや、これまで育ててきて何もされなかったから大丈夫なのかな…それに、他に出来ることなんて…
止まらない思考の中、祖父の手の中で死んでいた男の顔がよみがえってきた。
そうだ…。あの人みたいなことが何度も起こってるんだ。いつか絶対にみんなに広まる。だから信じてもらえないかもしれないけど、町の人たちに相談すれば…
ガチャ。
「ヒッ!」
扉を開ける音で意識を外に戻された。帰ってきたのだ。
ギィギィ。床をゆっくり歩く音が部屋に響く。祖父のベッドは一階の端にあり、ナギはロフトで寝ている。早く。早く。ベッドに入って。だがその音は止まらなかった。
ギ、ギ、ギ。ロフトへと続く斜めに傾いた階段。それを一歩一歩踏みしめる音がした。 なんで、なんでなんで。こぼしそうになる悲鳴を抑え、、ナギは手元にあった磨り潰しようの石をシーツに引き入れ、両目を固くつむった。
ギ、ギ、ギシ。ロフトへと足を踏み入れナギの枕元に立ったのが気配で伝わる。心臓が破裂しそうなほど大きな音を立てているのが分かる。どうなっているのか分からない。やはりバレたのだろうか。祖父は口封じにナギを殺すのだろうか。先ほどの男の顔がまた思い出されて、身体が固まって動けない。
「残念だねぇ。残念だよ。ナギ。お前は私の子を産む素質があると思っていたのに…」
祖父の声がナギのすぐ上から聞こえる。シーツを隔てて聞こえる声はこれまでの優しい声音ではあったが、なにかが決定的に違った。
「見たんだろう?知っているよ。お前のことは全部知っているんだよ。」
恐怖で言葉がでない。祖父の言っていることが理解できず、身体の震えが止まらなくなった。
「本当に残念だよ。ナギ。愛しいナギ。だから今すぐ愛してあげるよ。心配しないで。大丈夫。少し痛いだけだからねぇ。ヒヒヒ」
違う。もうこれはナギの知っている祖父ではない。ただの化け物だ。
「ッッ!!」祖父であった手がシーツ越しからナギの首にかかる。
「顔を見せておくれ。お前は母親に似てとても綺麗だからねぇ。」
!?どうしてこの老人が母親のことを知っている。分からない事ばかりのナギでも、今自分が殺されそうになっていることだけは理解できた。逃げなきゃ、死ぬ。逃げなきゃ!!
「ンッ!!」
手元に持っていた石を首を絞める手に突き刺す。
「グヒッ!?」化け物の驚く声と共に、手の力が一瞬弱まった。
逃げる逃げる逃げる。シーツを相手に被せ、頭があるであろう位置に渾身の一撃を叩き込んだ。
「ンギャアアアアアアアアアア!!!!」
祖父であったときには考えられない悲鳴をあげる化け物。その血に塗れた姿を見るナギの心は自分でも信じられないくらい冷静であった。悲鳴によってだろう。目が覚めたのか、町の方が騒がしくなってきた。ナギは急いで階段を降り、家を飛び出した。
もうこの町にはいられない。どこか遠くに逃げなきゃ。何人かの町の自警団が向かってくるのが見えた。ナギは方向を変え、まっすぐ町の出口へと急いだ。
遠くで、声が聞こえる。死んでるぞ!ナギは!?まさかアイツが!!追いかけろさっき町を出るのが見えたぞ!!殺せ!!アイツがダグマライトだ!!!
違う。違う。違う!ナギじゃない。違う!アイツは化け物だった!殺さなきゃナギが殺された!!
足を前に出す。出来るだけ遠くに、ただそれだけを考え。いつしか、見たこともない場所にいた。もう走れない。今自警団が来たら抵抗できずに殺される。きっとなんの訴えも聞いてくれないのだろう。あの老人が化け物で、ナギが人間であることも信じてもらえない。なんて馬鹿らしい世界。こんな世界なんて…。
「これが、全部。ナギの、全部。」
元々話すことが苦手なのか、随分時間が掛かった。が、この子の世界へ抱く絶望は伝わってきた。それに、いくつか確認したいことができたしな…。
「ラン。」
「はいです~。真様が考えてる通りだと思いますよ~おそらくその老人が噂になっていた事件の犯人なんでしょうね~」
そうだろうな。話し終えて疲れが戻ってきたのかぼんやりとしたナギに向き直り、できるだけ刺激しないように話す。
「話してくれてありがとうな。なあ。ナギ。おまえの話だと化け物を殺したみたいだが、ちゃんと死んだか確認はしたか?」
「?頭に、打った。普通、死ぬ。」
首をかしげながら答えるナギに苦笑しつつ、
「ああ。普通は死ぬんだ。普通の人間ならな。でも相手は化け物だ。普通じゃだめだ。徹底的に潰さないとだめなんだ。
…驚かないで聞いてほしい。多分そいつはまだ生きている。」
「ッッッ!!!」
「老人の格好に擬態しながらそこまで行動できるってことはそいつは『子の世代』だ。ただのダグマライトじゃない。奴らの回復力は折り紙つきでな、頭を殴ったぐらいじゃ死にはしない。」
「じゃあ…」
「ああ、皆に見られたってことはそいつも町にはいられない。ナギを狙って追ってくると思う。だから、今度は確実に、化け物を仕留めるんだ。」
「真様に近づくロリを守るのは本意ではないですがね~ま、今回は事情が事情なだけに仕方なく守ってさしあげますよ~。…あっ!勘違いしないでよねっ!べ、別にあんたのためにしているわけじゃがふっ」
「あほなこと言ってないで、早く支度しろ。ナギはなるべく俺から離れるな。ライトとランが目印になって化け物からはこっちの位置が筒抜けだからな。」
「…ん。」素直にギュッと服を掴むナギに一瞬心が魅かれそうになるのを我慢しつつ。
「もうちょっと強く、こう抱き着く感じでもいいんじゃないかな?どうだろうか、いやそれを言ったらまたランにロリコンだと誤解されそうだからな。いやでも、この緊迫した状況に茶々を入れることが出来てようやくシニカルな主人公と言えるんじゃあ、ないだろうか。よし、そうと決まれば。ナギ!もっと強く…ぐふっ」
強烈なボディーブロウ。
「真様。全て声に出ているのですが。あれですか?わざとですか。ドМだったのですか。ボクはこれからの態度を一度検討するべきですか?」
「…ランさん。目が怖いですよ。さっきいい感じにボス討伐フラグ立ててたじゃないですか。こんなところで仲間割れは避けた方がいいですよ、ね。ね。」
「ハァ…。ナギ様。真様の戯言は全て聞き流しちゃってくださいね~何かあったらすぐに守ってみせますので~」
「ん。助かる。ラン。」
「…」
なんだろう。こんな展開望んでいなかったのに、結果いい感じにナギと打ち解けてる…。俺のこれまでの振る舞いが全部台無しになった気がするが、多分気のせいだろう。うん。