特異
5.
「えっ!?」
ルネは酷く狼狽した様子で俺たちへ交互に視線を移した。
「何言ってるのさ。馬鹿だね。そんなことあるはずないじゃないか。証拠でもあるのかい?」だが、その混乱から立ち直ったのか、幾分強い口調で言い返してきた。そこまで大層な反応を期待していなかったため、少し笑いが漏れた。
「いや、なに。お仕置きの話の続きだよ。本気にしないでくれよな。なあラン」
隣に立つランに同意を求める。
「そうですよ~ルネ様~。冗談ですよ、じょ う だ ん」
その赤い瞳が輝きを増したような気がしたのは気のせいではない。ランは今臨戦態勢に入っている。その様子にたじろいだのか、少し後退したルネは、ランではなく俺に目を向けた。
「さっきから何を言ってるんだい!?おかしいよ二人とも!!」
この態度、切羽詰まった人間が発するにはまだ余裕があるな。
「なあルネ。あんた、自分が言ってきたことがこの世界でどれだけ歪なことか理解しているのか?」
「え!?」
「ダグマライトの存在が怖いのは自分の近しい人間が化け物なんじゃないかって疑ってしまうことだ。その恐れがある限り人は決して自らの心を開かない。それは昔から今まで続く化け物への対処法にして人間が結束できない理由でもある。奴らの支配が及ぶ地域では家族ですら安心できない。…なあルネ。見ず知らずの得体の知れない旅人に、出会ったその日のうちに同行を申し出るなんてあんた、一体どういう神経してるんだ?」
これだけでは足りない。まだ足りない。もっとだ。
「それは…ほ、ほらあんた達なら大丈夫って直感が言ってたんだよ!」
ここまでいけば後はランに任せるか。最近食べてなかったみたいだしな。
「そうか。なら最後に質問だ。帝都に行きたがっていたな?それはランを売るためか?」
「ッッッ!!!」
もう十分だ。「ランもういいぞ。」
「は~い。かしこまりました~」
後ろの樹にもたれ掛かっていたランは身を起こし、ゆったりとした歩みでルネに近づいていく。
「ちょ、ちょっと待っておくれよ!身に覚えがないさね!何をしようってんだい!?」
「ランがダグマライトの子供だって気付いてたんだろ?だから俺たちに近づいた。
結局アンタが化け物か人間かなんてどうだっていいんだ。ランの正体に気付いた者は殺す。そいつが化け物だったらラッキーなぐらいってだけだよ。」
霧の中近づくランから逃げるように後ずさりながら、ルネは叫んだ。
「ば、化け物はあんた達じゃないかッ!私は人間だよッ!その娘のことは黙ってる!だ、だから見逃しておくれ!!」
「ダメですよ~ルネ様~。真様とボクを困らせるモノは排除なのです~。な、の、で、
死んでくださいね。」
ランの言葉に震えていたルネはその身体を一度大きく震わせた。
「フフ、フフフフフ、フフフフハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ」
「ありゃ?」
哄笑をあげたルネは皮袋の中に仕込んでいたのであろうレイピアを手にしていた。
「ばれた理由なんてどうだっていい。力づくでも、殺してでも連れていくさ。…帝都に行くまでに真は始末するつまりだったんだから丁度いいさね。今ここで殺してあげるよ。その前に………フンッ!」
目で捉えることも難しい高速の刺突。常人ならそれで終わっていたであろう攻撃をランは歩みを止めずに躱した。
細剣にとって刺突は最大の攻撃であると同時にその間合いに敵を踏み込ませない最大の防御でもある。その両方を一気に崩されることで起きた間はルネの命が散ることと同義であった。
「それじゃ、いただきま~す」
レイピアを避けたランは勢いそのまま、ルネの首へと近づき、バクンと、喉から鎖骨にかけてを食いちぎった。狂気を帯びた顔のまま崩れ落ちるルネ。もう用はないと言わんばかりに夥しい量の血を舌で嘗めとりながら、ランは真の隣へと移動した。
「もういいのか?」分かっていながらも確認を取る。
「はい~。不味い同種はあまり食べる気も起きませんしね~」
興味が完全に薄れたランは血を落とすことに夢中になっていた。
「…そうか、やはり化け物だったか。」
ルネの正体。それはランのことを狙った同種のダグマライトであった。ランを狙う同種は旅先のどこにでも現れる。それは彼女の特異性からなのか、別の要因があるのかは分からない。ただし、共通するのは、化け物は総じて彼女を帝都へと連れて行こうとすることだ。
「帝都…か」
「真様?」深刻そうな顔をしていたのか、不安げに真の顔を見つめてくる。
「いや、大丈夫だ。ひとまずは話にあったブライに向かおう。帝都のことはまた今度考えればいいさ。」
頭を撫でると、ランは今までのことなどまるで無かったかのような年相応の少女の笑みで頷いた。
ランが生まれて一年が経過した。普通の赤ん坊なんて一年ではせいぜい立って、母親を片言で呼ぶくらいが関の山だろう。だが、ランの成長速度は異常だった。
「真、お腹、空いた」しっかりとした足取りで俺の足元までたどり着き、その意思表示さえも完璧に行う。これは人間とは別種の生き物なのだ。どこかで見た反ダグマライト事件の元凶となった奥さんもこんな気持ちだったのか、と少し同情した。「真?」
「ああ、すまん。すぐ用意する、なにがいい?」
「肉」「はいはい、もうすぐ人里が近くなるから、普通の赤ん坊演じてろよ。」
「むう。仕方ないな。ではそれまであの本をよこせ、真」
ランは文字も読めるのか、人間の文学作品をよく読んでいる。今のブームは昔のライトノベルというジャンルらしく、登場するキャラクターの真似を擬態練習にしているのだそうだ。
「ほらよ」
渡した本を読みにくそうに開くラン。それを見ているとランが他のダグマライトの傾向とは異なっているのが良く分かる。
『ダグマライトの子は様々な擬態が可能。』ランは実際どんな生物にも擬態出来る。それはこの一年で思い知った。だが、その能力も使用する頻度が極端に少ない。真にとって益の無い擬態は一度もしたことがない。身体能力もランが成人した人間に擬態すれば二十にもなっていない真には敵う筈もないが、そういったこともしない。今だってもう少し成長した人間に擬態すれば難なく読める本を、赤ん坊の姿で四苦八苦しながら読んでいる。
いくら思考したところで化け物の考えは理解できない。真はこの問題に突き当たるにつれそう考えるようになった。手では干し肉を野菜に包みながら、この横暴な幼女を眺める。
あの日、自分の唯一の家族はダグマライトからレイプされ、命を奪われた。今でも、あの時の事を思い出すと、どす黒い感情が胸の内から溢れ出てくる。彼女の命を奪った化け物を殺すために旅をしているが、一体どれだけの化け物を殺せばアイツに会えるのだろうか。いっそのこと、目の前にいる幼女を殺してしまえばいいのではないか。彼女の命を犠牲にして生まれてきたこの化け物を…。
「…どうかしたのか、真よ」ランと目が合い、不思議そうな目で見られてしまった。
「いや、何でもないよ。それよりさ、お前もう少し言葉遣いなんとかならないのかよ」
「ふむ。真はこの言葉遣いが気に入らぬか。…ならば今我が励んでいるあのメイドとやらの言葉遣いを真似てみるか。………真様~、お食事まだですか~♡♡」
「うん、すぐできるよ。あと、是非これからはそれでお願いします!!」
…柄にもなく全力で拝んでしまった。
この子を託されたあの日から彼女の言葉が重く鎖のように俺を縛っている。自分の家族の仇でもあり、また彼女の子供でもあるラン。もし、アイツを殺したとき、俺はランを殺さずにいられるのだろうか。