導入
「また雨か」空を見上げると鉛色の雲が青空を隠してしまっている。真は冷たい息を吐き出すと首を巡らせ辺りを見回した。広大な大地には建物の残骸が散らばり、まともな状態で残っている建物は見る限りでは存在しない。それは天候と相まって世紀末の様相を呈していた。
(ここまで酷いのは久しぶりだな…)
1.
20○○年。世界がまだ地球の資源に満たされていた時代、世の中では不平不満を持ちながらも人々が生きていけるだけの余裕があった。しかし、綱渡り的な均衡もとある生き物の発見によって崩れ去った。『ダグマライト』。外見には様々な種類が存在し、特定の形を取ることが稀であることが、今日までの見解である。犬や猫、虫、魚、果てには人間といった社会すべてのありとあらゆる動物に擬態できる能力を持ったこの生き物は世界中の研究者や政府から追い求められ、その研究は各国で行われた。言語を解するほどの知識を持ち合わせ、人間と意思疎通が出来る奇跡の生き物、と当時では持て囃された。だが、その熱気も長くは続かなかった。万物の霊長である人間と同等の種が存在することは人間達にとって面白いことではない。理性を持つ唯一の種が自分たち以外にもいること、そして彼らは自分たち以上の能力を有していること。このことは、生態系の頂点に位置する人間の立場が危ういのではないか、、、そう考え出す人間も現れ始めた。そして、全てが壊れ始めた。
20○○年。きっかけはとある国で起こったある事件であった。片田舎に住む一家の妻が夫と子供を殺害するという、痛ましい事件が起きた。この犯人である妻の証言では夫と子供がダグマライトであり、それを隠しながら自分と結婚した。そして、子どもがある日人間の形をしていない所を見て、衝動的に二人を斬殺したのだという。このニュースは瞬く間に世界中に広まり、ダグマライトが人間の良きパートナーから隣に潜む化け物である、という認識になっていった。自分の周りにも正体を隠した化け物がいるのではないか、その疑念は高まる一方で留まるところを知らなかった。そして同年、12月。ダグマライト掃討を掲げた過激派の国々が戦争を起こし始めた。その趣旨は自らの利権を得るがための攻撃であることは一目瞭然であったが、ダグマライトという人間に擬態した化け物の存在が戦争の抑止、制圧という人間側の意思統一の邪魔をしてしまった。戦禍は広がるばかりで、日本にもそれは侵入してきた。人間社会はたちまちにして、世界大戦へと突入するに至ったのである。いや、それはもはや国同士の対立とは言えず、ただの同種の殺し合いであった。
そして、世界は時を刻むことを止めた。
「今はどの辺りにいるんだっけ?」真は後ろをせかせかと小走りで付いてくる少女に問いかけた。
「ハア…ハア…っとと。も~急に止まらないで下さいよ~、」肩で息する彼女は腰を折り曲げ呼吸を整えながら上目遣いで睨んできた。肩にかかる位置で切りそろえた髪はその茶色の肌によってより一層強調された白銀であり、オーバーオールにスニーカーを着た姿は見た目の幼さから少年に間違われることもしばしばである。本人にとっては大人の色気を醸し出していると予定しての上目遣い語尾長スタイルなのであろうが、真から見ると子供が精一杯背伸びしているようにしか見えない。
「その大人アピール全然できてないからな、ラン。あと早く地図出せ。」
「んきー!なんですか、その冷たい態度は!せっかくこんなに可愛いいボクが付いてきてあげてるのに!!」と憤慨しながらも地図をショルダーバックから取り出す。それを受けとってランからの抗議を当然のごとくスルーした真は地図をながめつつ、
「んー、いちおう目的地には近づいているみたいだな。よし、今日はここらへんで泊まる所を探すか!」
「…そうですかボクのことは完全に無視ですか。いいですよどうせボクは必要とされないのですし真様一人で宿をお探しください。ボクは独りで旅に出ますので。」
「何馬鹿な事言ってんだ。さっさと行くぞ、そろそろ暗くなっちまう。」とランの手を掴み先ほどよりは少し遅いペースで歩き始めた。
「…あっ。えへへ、はいっ!」
2.
世界中のほとんどの国家が機能を失い、度重なる同種の殺し合いによって人間の人口は激減していった。文明の力は地に落ち、インフラは止まり、生活を電力に頼る考えすら無くなっていった。しかし、そんな落ちぶれた時代に突入してからも人間達の心の中にはダグマライトという憎むべき敵がいることはハッキリと刻み込まれていた。現在残っているダグマライトの数少ない研究書類によれば、彼らは一度擬態した生き物から違う生き物へと変化することができないのだという。そして、彼らは自らの子孫を残す生殖行為を自分たちだけでは行えない。他種との行為によってしか、子を産めない。
このダグマライトの子が一番他の生物とはかけ離れた能力を有している。第一に、子はある一定期まで自らの身体を自由自在に変化することが可能である。それは、犬に擬態すると一生犬でしか生きれない彼らとは異なる。第二に、子が人間との生殖行為によって生み出されたとき、彼らはその身体的能力が常人よりも格段に優れている。一人の子供が複数の大人を圧倒することも珍しくない。そして第三に、その圧倒的回復力である。彼ら子供はいくら自分の身体が切られようが削られようが回復する。その性能は研究内での検査(薬物投与・銃・刃物等)すべてにパスした。人の形をしていながら人とは全く異なる子供たちは本当の化け物であるといえる。
最後に一番重要なことを記しておく。ダグマライトは子供を産むために必ずと言っていいほど人間との間で生殖活動を行う。ダグマライトの親の世代がほぼ死滅している現在においてその確たる証拠はないが、人間との間でしか子供の能力は発揮できないのではないかと考える。寿命も人間と同じ彼らは人間に擬態して、人間と同じように生きてきた。彼らの目的を探ることこそが我々のテーマであり、疑心暗鬼に陥り一つの文明を破壊してしまった我々の責任でもある。
本を閉じると、食堂のカウンターからランがトレーに二人分の食事を乗せて運んでくるのが見えた。目が合うと笑みを浮かべ小走りでこちらに向かってくる姿は子犬のようで無意識に微笑みが零れた。注意しても、「いえいえ、ボクの配膳作業はこの程度じゃ失敗しませんよ~」というのは聞くまでもなく分かるので放置している。現にそこそこの重量がありそうなトレーを抱えながらもヒョイヒョイ他の人を避けている様は危なげない。
真が座る席の隣まで来たランは手際よく二人分の食事を取り分けていった。
「いただきます~」「いただきます。」二人手を合わせて食事を始めた。
「そういえば、何を読んでたんですか~?」と口いっぱいにパンを頬張りながらランが尋ねる。「お嬢さん。食べるか話すかどっちかにしなさい。」と窘める。
「ファ~ぃッ!!ゲホッ!ゲホッ!」咽るランに水を差し出しながら、
「今の現在位置の確認だよ。宿のおばさんから聞いた話だと、事件のあったブライって町まであと二、三日もすれば着くらしいからな。」
「ゲホッ!ンクンク、、プハァ。ありがとうございますです。二、三日ですかぁ。旧時代の乗り物があれば一日もかからずに行ける距離ですね~」とため息をもらす。
真にとって旧時代のことはかなり昔のことである。父親から聞いた話によれば、二百年も前には時速三百キロで走る乗り物があったらしいが、そんなことは到底信じることは出来ない。ランはそういった過去の伝説を聞くことが大好きなのですぐに信じるが。
落ちぶれた時代、ダグマライトの時代、今を生きる人々はこの時代をそう呼んだりする。ダグマライトの混乱から時が経ち、彼らの子供が人間社会の上位へと君臨し、自分たちの社会を構成してから百年ほど。人間側は抵抗することもせず、ダグマライトの支配を受けている。人々は小さな共同体を形成し、自給自足の生活をすることが普通となっている。真みたいに各地を放浪する人間はこの時代かなり物珍しい目で見られる。
(ま、基本悪い印象しか持たれないけど…)内心愚痴りながら食後の珈琲を飲む。