行為の後に
地下迷宮内に日の光が差し込むことは、一部の区画を除いてまず無い。
第一層の一階。それも入口近辺であれば分かるかも知れないが、少しでも潜ればもう日の光は届かないし、その温もりすらも感じられない。そして地下ともなれば日時計は使えず、アカモート内部のデジタル時計類その他もろもろは完全に使用できないか取り外し不可能なものばかり。
そういう訳で考えたのが、時間と同期した魔力の灯が強さを増して朝を知らせる、というものだ。迷宮内を流れる魔導路の一部にミスリルと呼ばれる金属を用い、そこだけ地上の日が当たる部分に出しておく。ミスリルは細工次第では魔力を制御することができる。すると日が当たるか当たらないかで魔力の流れ方が変わるのだ。
そうして今日も地下四層の居住区に朝が来た。
通路に面した窓から魔力の明かりが差し込み、まぶた越しに意識を叩く。
クロードは覚醒に向かう意識の中で、ふと体の上に布団以外の重みを感じた。
しかも何やらもぞもぞと動いている。
「…………、」
ゆっくりと目を開けてみれば、いつの間にやら潜り込んできていたエクリアの姿がある。
ロングパーカーのジップは下ろされ、そこからチラリと素肌が覗く。
「…………、」
「ん、おはよーくろーど」
「…………で?」
確かに部屋の入り口はガチガチに固めておいたはず。
クロード本来の部屋はレイズとリリィに使われてしまっているため、普段使われていない余りの部屋にいる。すっとドアに目をやれば、たくさんの鍵穴から伸びる金属の糸。さすが元賊と言うべきか……。
「ちゅっ」
「……………………、」
簡単に状況を整理していく。
あの話からして赤い満月が近づくにつれてそれなりに危ない日になってくるというのは分かっている。
それも理性より本能が優先されるとも。
つまるところ自制心の一時的な欠落が起こるとも言えるのだが、そうなると心の奥に秘めた思いが表に何の抵抗もなく出て来るということでもあるのではないだろうか。
「何をしている」
「おはよーのキス」
「…………、」
「クロードを起こしに来たんだよ?」
「じゃあその右手は何をしている」
なぜかクロードのズボンの中に突っ込まれて、アレに触れている。
そんなことをしているエクリアの顔には何の恥じらいも浮かばず、いつもような表情でしっかりと握っている。
「それじゃあつーづーきーを」
左手をズボンにかけて脱がそうとしてきたエクリアを止める。
「待て、ちょっと待て」
腕を掴んでズボンの中から出させ、ベッドの縁に座らせる。
「なんで止めるの?」
「……なんでってなぁ……。これがどういう行為なのかは分かってるよな……?」
というか分かっていてほしいクロードである。
ゼロから説明するとなれば少々■■■に置き換えて表現する必要性のある単語が多い。
「分かっ……てるよ、うん。だって集落にいたころは、その……女の人はみんな族長のところに行ってやってたし、あたしだって少しだけは教えられてたし……」
「じゃあなんでこんなことするんだ? そういうのが嫌で逃げたんじゃなかったのか?」
「うっ…………。ク、クロードならさ、いいかなぁ……なんて」
(なんかいま俺が群れの長に認定されたような気が……)
具体的に言わず、遠まわしに問いかけると、すぐに理解したエクリアは恥ずかしそうに目をぷいっと逸らす。素直に可愛いと思えるのだが。
(なんだ、父親認定の次は長認定か? もう厄介ごとは御免だぞ)
というのがコイツの心情である。ちなみに長認定はすでに周囲の獣人族からはそういう風に見られて度々決闘を申し込まれるため、事実上はされている。
そこらの、とくにどこかの変態あたりであればこの流れで具体的な行為まで行ってしまうのだろう。
だがこいつはどうだろうか。面倒くさいの一点で、かなり最悪なことすらもするのだ。
だから言葉の攻撃を仕掛ける。
「エクリアはさ、こういうことを無理やりやらされそうになって、それがきっかけで集落から一人抜けたんだろ? だったらここでまで嫌な思い出を引き起こすことはする必要はないぞ」
「うぅ……だって、確かにあの時は集落から逃げるほど嫌だったし、族長も大嫌いだったけど……。でもクロードの創る群れは好きだし、みんなを纏められるクロードことが好き。だから……さ、あたしが自分から……その、いや? だった……?」
「…………、」
どう返していいのやら。攻撃して引き離すつもりが逆に引き寄せてしまった。
そして打開策が浮かばず、頭の中をフル回転させて策略を練っていると。
「どうして何も言わないの?」
そっと肩に手を掛けられ、そのまま優しくとすんっと背中からベッドに押し倒された。
「あたしに任せてくれたらいいから。クロードはそこで寝てるだけでいいから」
(色々とまずいんだよな……約束があるからここでやってしまうと本当にまずいんだよな。バレたらアンチマテリアルライフルで身体がふっ飛ばされるくらいにまずいんだよな……)
アンチマテリアルライフル。旧名はアンチタンクライフル。初期の頃は薄い装甲を突き抜けて操縦者を粉々にするものだったが、装甲の開発、強化が進み通用しなくなるとトラックやヘリなどのソフトターゲットに使われるようになり、長距離対人狙撃などにも使われる。もちろん威力は軽装甲を撃ちぬけるものであり、対人使用すれば弾種にもよるが体が冗談抜きに弾け飛ぶ。
という事はさておき。
現在のクロードには先約がある。それも一人ではなく複数、しかも告白されたまま保留中なのだ。
それでも、それでもエクリアの優しく触れる手に反応をしてしまった。
「あ、おっきくなった」
なんにせよ生理現象。脳まで行かず、脊髄で処理された反応の為に我慢するのは大変厳しい。
「まったく……」
クロードは昔教わった「尻尾があるやつは引き抜く思いで引っ張れば一撃で倒せる」というものを実践しようかと思った。尻尾の先端と付け根には神経系が集中しているとかでとても敏感なのだ、種族問わず。
「……!」
「ふあっ!?」
反撃をくらわないよう、神速で両手を背中に回し、尻尾を掴む。しかしここで迷う、これは敵ではない、好意を寄せてくる女の子だ。やっていいものか……と。
「もうっ、積極的になってくれた。ちゅっ」
「…………、」
どうっすかなー、なんて思っている間に脱がされ、流れに押された死神であった。
(※1200文字程度省略されました)
1
「どうだった、クロード? あたし、ちゃんとできてた?」
「……ああ、できてたよ」
「よかった。こういうのって初めてだから、ちゃんとできたみたいでよかった。それじゃ、あたしは先に行くから」
身だしなみを整え……と言っても、クロードのロングパーカーをきちんと着て皺を伸ばすだけだが。そして部屋から静かに出て行った。残されたクロードも色々と拭き取って後処理を済ませる。
朝っぱらから、手と口とで本当に久しぶりの感覚を味あわされたクロードは部屋を出た。強制召喚を受けてからこの方、自分でするということは無かったため、それ相応のアレをアレした。
先に出て行ったエクリアはどうやら湯殿に向かったようだ。
最初の数日は水浴びで済ませていたのだが、建設作業員(魔族&魔物)の体臭がきつくなってきて解消のためにクロードが作ろうと思い立ったのと、主に女性たちからの要望が重なり、最優先の突貫工事で作り上げたのだ。地下水脈から引き入れた水を、途中の魔法陣(加熱術式)でお湯に変えて常に綺麗な温かい湯が張られている。そのためいつでも入浴が可能な混浴風呂だ。
混浴。しっかりと脱衣スペースは別々に区切られている。
だからクロードが脱衣所に一歩踏み入った時に固まった。
「…………、」
一歩出て、入り口にかけられた「脱衣所・男」の札を確認する。
一瞬自分が寝ぼけていて間違えたのかと思ったのだが、間違えてはいなかったようだ。
そしてもう一度入る。
「…………、」
「ん?」
「……………………女性の脱衣所は通路を回って反対側ですが」
「だから?」
「いやとくにどうこう決めてるわけじゃないけど風紀的にまずいだろ?」
「で?」
「お前、女だろ!?」
「それが?」
「目のやり場に困るだろ?」
「見られてもいいけど?」
……許可が下りたから見る。
傷一つない真っ白な艶やかな肌、胸以外はしっかりと出るとこが出て引っ込むところは引っ込んでいる。背中にふさぁっとかかる白髪は若干の赤色に濡れて……いま下着を放した手には赤い液体が付いていて……。
「なあレイズ」
「なんだクロード」
「お前、なにやった?」
「何って、いきなり侵入者だとかなんだとか言った不死族の悪魔を殴り飛ばしただけだが?」
「それって上の層で?」
「ああ、鎧を着てデカい斧を持ったアスモデウスみたいなやつだった。一撃で粉々にしたんだがな、すぐに再生を始めるってのはすごいな」
「テリオス…………!」
磁力走査で様子を探れば、絶賛再生中の肉塊が見て取れた。
傍らには折角特注で作った頑丈なはずの鎧に、砲弾が貫通したかのような大穴が開き、折角特注で作った斧は跡形もなく鉄屑に還っていた。
「この迷宮の最終防衛ラインが一撃だと……」
「普通のが相手なら十分だ。一撃で破砕するようなオレが例外なだけで」
「だったらいいけどさぁ……」
と、そこでふと思い当たった。
「リリィは?」
「まだ寝てるよ。昨日戻ったら大泣きでな……一人が本当に怖いらしい」
「いいのか? また泣いてるんじゃ?」
「大丈夫だ。魔術で少し深めの睡眠に落としてきた」
「…………、」
一応でも自分の子だろ、やっていいのか? そう思いながら脱衣所から湯殿に入る。
「ひろっ」
「まあ人数が多いからな、結構広めにした」
朝だからだろう、入浴中のものは早朝訓練を終えたばかりの兵士や気分で浸かりに来た者たちで半分ほど埋まっていた。これが夜になるとかなりの人数になるのだが、そこは三百人ほど入れる広さと時間割でうまいことカバーする。
「まさかとは思うが、ほかにも造ってるのか」
「ああ、他は少人数用だな。三、四人で浸かれるくらいのがいくつか」
モザイク張りのタイルの上を歩いて行く。若干角度が付けてあるのは水捌けをよくするためだ。
途中「まーた女連れてるよ」などと言われ、睨みつけて黙らせるということが数度あって湯船に浸かっていた。
すぐ後ろでは桶に湯を汲んで血を洗い流すレイズ。あぐらをかいて座り、都合よく湯気や長い髪によって、もしくは不思議な光とか湯気とか妙な影とか妙なアングルで隠されるところを惜しげも無くさらしている。
「はぁー……それにしても、今更帰れたとして何年経ってんだろうか」
お湯の水球を周囲にぷかぷかと浮かべながら、クロードはそんなことをぼそりと口に出した。
「一秒かも知れないし、百年かも知れない」
「え?」
「世界ごとに時間の流れは違うから。それに、時間遡行でもすればすべてをなかったことにして帰ることもできる」
「なかったことに、ね。…………でもそれだと、また繰り返すんじゃないのか」
「記憶を保持したままっていう条件付きだ。行動次第で少しくらいは変えられる」
「お前は……それをやったことが?」
聞けばレイズは首を横に振り、クロードの隣に入ってきた。
「いいや。決まってしまったことはどうやっても変わらない。例えば転んでケガをするとしよう、もうそこで”ケガをする”という事象は確定だ。後はどう頑張ってもケガの原因しか変えられないし、最終的に見れば何も変わらない。分かっているから、だからやったことはない」
「やったこともないのにか?」
「その例をいくつも見てきたからな……」
その表情はどこか寂しげでもあり、またわずかながら後悔の色が滲み出るものでもあった。
会話も途切れ、静かに浸かっていると見慣れた銀茶色が見えた。
「あ、クロード……隣、いい?」
隣にいるレイズに変な気を使っているのか、エクリアは言い淀んでしまう。
「ああ、いいぞ。それに遠慮する必要もないだろ?」
それに朝っぱらからあんなことをしたのだ、少々緊張してしまうのも仕方ない。しかしクロードはまったくいつも通りだが。
「あ、えと、レイズさんって」
「さんはいらない。代わりにオレもエクリアって呼んでいいか?」
「は、はいどうぞ……」
男勝りな雰囲気と口調とに押されたのか、若干引き気味だ。そもそもどこかのお嬢様のような見た目なのに、品のなさと口調とでギャップを受ける。まあ、実際に今はお嬢様……?
「それで、レイズってクロードとどういう関係? この前はこどもを連れてたようだけど」
「どうって言われても……」
黙ってレイズは、エクリアと自分とに挟まれた状態でぶくぶくと沈んでいた黒髪を引き上げた。
「ん?」
「オレとお前の関係を簡単に言うと?」
「そりゃぁ…………うん、どういったらいいんだ? お互い敵同士で殺し合いをした仲、でいいのか?」
かつて戦場でクロードは手榴弾をレイズの服の中に入れて爆砕したことがある。
「うーん、それが妥当かな? オレがお前の屋敷に押し入って暴れたし」
「俺もお前のとこに間違って入って武器庫をぶち壊したし」
「…………、」
二人のそのやり取りを聞いて、エクリアはどう返していいのか分からなかった。そもそも敵同士ならばなぜここで一緒にいるのか。
「でも今は違うんだよね?」
するとクロードとレイズは視線を交差させ、
「「たぶん……違う」」
口をそろえて行った。
「じゃ、じゃあさ、なにかこう、関係が……付き合ってたりって、してない?」
「ふむ」
と、レイズはクロードを見ながら言った。正確には下の方を見ながら。
「そういうことか……」
エクリアの方に意識を向ければ知っている生臭いにおいというか、粉物を焼く前の生地のあのにおいというか。
「…………、」
「朝からやってんじゃねえよ、においですぐに分かるぞ」
「「えっ!?」」
エクリアは確認するように手の臭いを嗅ぎ、クロードは静かに水没して潜水したところで頭の上に踵を落とされて湯の底に固定された。浮かび上がろうとするが、魔術で強化された押さえつけはとても強く、重力操作がなぜか発動しない。
「獣人ならちゃんと自分の臭いに気を配りなさい」
「はい……すいません」
ばちゃん、とその手を湯に沈めて力なくうなだれる。
「ま、頑張れよ。邪魔はするけどな」
「えっ、するの?」
「うん、するよ。それに今のところは切れない関係でもあるしな……」
「関係って、恋人?」
「いやいや、そういう方向じゃないから」
ばしゃばしゃともがくことを止め、酸素の消費を極力抑えるために完全に沈黙しているクロードへと目を向ける。少し憐れみが含まれているようにも見える。
「さて……」
レイズはクロードを開放すると、浮かび上がってくる前にさっと言った。
「種族の関係を考えろよ。自分たちが良くても周りはそうじゃないのが多いから」
自分もそうであったと言わんばかり。
それだけ言い残すと浴場から出て行った。ばしゃっと水しぶきを上げて、やっと肺の中の二酸化炭素を吐き出して酸素を取り込んだクロードは、ぼんやりとしているエクリアと無言で立ち去っていくレイズを見て、何があったのかと思いはしたが、考えることはしなかった。




