天城之脱走・強襲戦、最初から囮だった者たち
宵闇の深まる時刻。
天空牢でも地下牢でもなく、もっとも厳しい場所に二人はいた。
そこは離宮の屋根の上。
その場所だけ部分的に暖気結界が解除されている。
「お、ぅぉぉおい、寒いんだけどぉーーーーーっ!」
「騒ぐな」
「ロイファー、あんたはよく平気だな!」
「これでも魔術師だ。自身の体を温める程度、造作もない」
「ひきょー……だぁーー!!」
白い少女特製の紐で戒められ、屋根の上に作られた呪氷結界とやらに閉じ込められているのだ。
寒さ+凍てつく寒さ+凍った食料。
その心は果てしなく体温が下がり続けることだ。
戒められていると言っても、解けないように術の掛けられた紐が腕に巻いてあるだけだ。
「ふむ、しかしいざ逃げようとすればいきなりお前が投げつけられるとは」
「知るかよ。てか、あんたあいつらの家族なんだろ?」
「家族、というよりは身内だな。俺たちの一族はなにかと近親者同士の交わりが多くて人数も多い。誰がどこの位にあるとか、そういうのも覚えるのだけで大変だ」
「……なんか、大変だな。あんたのとこ」
「そうだよもう。俺も結婚しろだなんだと言われるけどさ、親父の出してきた相手が従妹だぜ?」
「ヤりにくい相手だな……」
話が途切れ、ビューと風が吹き抜ける。
格子状に作られたこの呪氷の結界は、内側からは決して砕けない。
だが外からならばごく普通の氷と変わりなく、ハンマーを振り下ろせば一撃で破砕されるだろう。
格子の隙間から外を眺めれば、下からは篝火の温かな光、周りには真っ白な衣を纏った見張り達。
武装は狙撃銃とフラッシュバン。
そして魔法陣を書き込んだ書物だ。
誰かが助けに来てくれたとしても近づく前に撃ちぬかれ、仮に近づいたならば詠唱なしの魔術によって倒される。
それが不可能ならば書物を魔術の核として強固な障壁を築いてしまえばそれまでだ。
「なあ、あんたクロセだったっけ?」
「……クセロだ」
「ああそうか悪い。でだ、あんたの持ってる温かそうな飲み物を俺にもくれよ」
ズガァァァンッ!
その返答は狙撃銃の銃口から撃ちだされた。
遠くで何かが倒れる音が聞こえた。
「こちら七、母屋の屋根に何かいるぞ」
『正面二、突破された。数が多い』
『哨戒に出てるやつらを呼び戻せ! 召喚兵と隣の領地のやつらだ』
「……、」
母屋のある場所で爆炎が上がった。
そしてクセロがそちらに目を向けたと同時に何者かが降り立った。
影は二つ。黒コートの男と、赤と白の布で全身を包んだ者。
音もなく、だったためかクセロは気づかず、その背に向けて鋭い刃が振るわれ、届く前に布で全身を包んだ者の首が飛んだ。
「後ろががら空きだ。気を付けろ」
「……ムツキか?」
「一〇一ムツキ隊所属、遊撃剣だ。この場の警備に追加派遣された」
黒コートの男はヒュッと剣を振ると、足元で早くも凍り始めていた布やろうの死体を蹴り落とした。
剣自体は一六〇センチもの長さで、柄にチェーンでつながれたストラップが付いている。
『壱』という文字をそのまま金属板を押し出して作ったような安い作りだ。
裏面にはシリアルナンバーのようなものが刻まれている。
「遊撃剣? ああ、遊撃隊か。行方不明じゃなかったか」
「ムツキ隊は隠密特化。見つけられなくて当たり前だ」
「本隊から死んだと思われてるようじゃダメだろ……と、来たな」
空間が裂け、黒い穴が開くとそこから不気味な者たちが姿を現す。
赤と白の布で全身を多い、両腕に鉄爪を装備した者たち。
顔まですっぽり覆っているため表情は全く分からないが、体型からして男性であることは想像できる。
呪氷結界を半包囲するように陣形を展開し、だらんと腕を垂らしたままで構えはしていない。
「この場は我々が受け持つ。魔狼はネージュ家当主の護衛に付け」
「了解」
白い衣に身を包んだクセロたちが、包囲のない方向から廊下に飛び降り、代わりに黒コートたちが二人上がってくる。
揃いも揃って全く同じコートで量産品なのかこれまたそっくりな剣を持つ。
ただ違うところは、剣のストラップに刻まれたシリアルナンバーくらいだ。
檻の中の二人はどうすることもできずにただ眺め、戦いの余波で檻が壊されずに蹴落とされることがないことを祈っている。
「なんだあいつら?」
「……うちの兵どもだ。まあ融通が利かないから困るだけどな」
「え? でもお前んとこのなら助けてくれたりしねえの?」
「無理だと思うが……おい! この氷をぶち壊せ!」
すると返答は、
「それは命令内容に含まれておりません」
「だったら命令だ! 壊せ」
「現在の優先事項は当主様のご命令です」
「んなこといいから」
「…………、」
最後は何も返ってこなかった。
まったく融通の利かないマニュアル通りの対応。
「で、ロイファーさんよ、どうすんだ?」
「さすがに封印があるからな……何もできない」
「マジですかい……」
檻の外ではすでに静かな戦いが始まっていた。
滑りやすい屋根の上だというのに、まるでそんな気配を感じさせずに黒コートたちは動き回り、敵を屠ってゆく。
だが屠るたびに追加がすぐに補充され、一向に減る様子はない。
「狙いはなんだ……?」
「恐らくは隊長かと。母屋の襲撃は別口ですし、こちらにレイシス家の正規部隊が出て来るならそれしかありませんよ」
「そうか、ならば降りるか。下にベインがいるだろう」
黒コートはたちは三方向に走り、それぞれ手近な敵兵を適当に斬り倒すと屋根から飛び降り、廊下に転がり落ちた。
それを追って敵兵も流れるような動きで降りてゆく。
残されたのは静かで寒い檻の中に二人。
「……なんだったんだあいつら、出てきたと思ったらすぐにいなくなったぞ」
「いつもだからなぁ……。さて、どうするか、このままだと俺たち揃ってコールドスリープになる」
「いや、そうなる前に凍死するって」
1
母屋の中、血の臭いが濃く薫る場所で、彼女は十数人目ともなる敵兵を斬り伏せた。
すでに体は汗でぐっしょりと濡れ、返り血でべたついている。
「く、まだ……まだじゃあ!」
敵兵を貫いた剣を引き抜き、顔をしかめた。
こびり付いた血と脂、斬れ味が鈍ってきている。
そろそろ斬撃ではなく打撃になるかもしれないこの剣は、もう限界が近いようだ。
それでもなお無理を強いて敵を叩き伏せると、愛用してきた剣は折れてしまう。
ただの鉄塊と化した相棒を一瞬だけ思うと、すぐに投げ捨て鞘から新たな剣を取り出す。
「どこの者かは知らぬが……あの世で後悔するがいい」
剣を構えたままジリジリと後退する。
後ろはもう壁であり、逃げ場はない。
前を見れば赤く染まり血の海になった床。
出口を塞ぐ侵略者たち。
「どうした、来ないのか? 来ないのならばわらわから攻めようぞ!」
一歩踏み出し、血で足を滑らせそうになってヒヤリとする。
だが倒れてしまえばそれまで。
踏ん張り、剣を振るう。
まだ余裕はある。
残る剣の本数は手持ちの二刀と敵の数だけ。
斬って奪って倒して奪って、そう考えていけば武器には余裕がある。
護衛が外で戦っているようだが、如何せん数が多く撃ち漏らしが傾れ込んでくる。
だが耐え続ければ屋敷の各所の戦闘が終わり、こちらに駆けつけてくれるだろう。それまでこの場で戦い続けるという自信がこのときはまだあった。
「はっ、はぁ……」
十五分。
なぜだか外の音は激しさを増すばかりで、まったく援軍はこない。
彼女にも疲れが見え始めていた。
深い黒の中に蒼を宿す髪は血で固まり、玉の汗がぽたりぽたりと飛び散る。
離宮には異世界の強者たちがいるというのに、なぜ助けに来ないのか。
考えられるのはあちらにより多くの敵が殺到しているのか、それともネージュ家を護り抜く必要は無いと判断されたか。
そんなことを考えている間にも、次々と侵入者たちが襲い掛かってくる。
彼女の顔に焦りと疲労の色が見え始めていた。
このままでは押し切られる。
いくら一人で数十人を同時に相手取れると言っても、それが続くのならば体力が持たない。
劣勢、このまま助けが来なければ、もう生きていられる時間はそれほどないだろう。
「誰か! 誰かおらぬか!」
叫べどやってくるのは剣を向ける敵兵ばかり。
領主なのだから命を狙われるという事はある、そう考えてはいたのだがこれほど大規模な軍勢が来るとは考えていなかった。
南方に展開している部隊を呼び戻すことはできない。
兵のほとんどを戦線に出してしまえば本陣の護りが薄くなり、直接攻められてしまえばあっという間に陥落するのは目に見えている。
「くぅ、はっ、さあ次は誰ぞ!」
剣を握り直し、向かってくる敵兵を斬り飛ばす。
なにやら焦げ臭い。
見れば部屋の出口には反射する炎の明かりがある。
火が回ってきた。
このまま討ち取られるか、長引いて焼け死ぬか。
どちらも嫌だ。
だが前には、ぐるりと半円状に自分を包囲する敵兵がいる。
「総員突撃! 数でかかればやれる!」
包囲の円が一気に迫る。
彼女はそれに合わせて両手に握る剣を横に一閃した。
何の抵抗もなく、流れるように走り抜けた銀閃が敵を腰のあたりで両断する。
幼いころから剣と魔術は自分で自分を護る為、と日々鍛錬してきた。
そのお蔭か、戦時ともなれば無意識下で武器を強化することができている。
「ふ、ふふははは、わらわを討ち取りたいか」
圧倒的な戦力の差。
だというのに彼女は怯えない。
その姿、一刀で人を両断する力。
敵兵たちの動きが鈍った。
「お、怯えるな! 障壁を展開し、焼き払えぃ!」
「ようやく、手っ取り早い手段を選びおったか……」
この場でもっとも確実なのは、包囲しているのだから逃げ道を塞ぎつつ魔術で焼き払うこと。
それをなぜしないのかと疑問に思っていたが、単に相手が冷静でなかったからのようだ。
「すべてを塵に還す灼熱の業火よ――――」
詠唱が完了してしまう。
重ね掛け、多重詠唱、一人で防ぎきれる威力ではないうえ、個人に向けて放つには跡形も残らないほどのオーバーキル。
踏み込んで斬り伏せたところで後ろの者がまだ詠唱を行っている。
手詰まり。
諦めかけたその時、ズドンッ! と背後の壁が多きく揺れて、ヒビが入った。
「うぬっ……?」
突然のことに驚いたのか、敵兵も詠唱を止めてしまった。素人だ。
そしてもう一度、ズドォォッ! と壁が揺れたかと思うとバラバラと砕け散った。
「誰じゃ!?」
「待たせた、悪いな爆乳」
「お主、それはセクハラと受け取ってよいのかの?」
崩れた壁から赤い尾を引く者が飛び出した。
血のような真っ赤な髪と殺意の籠った真っ赤な瞳。
両者の胸を見比べればまな板とたわわに実った果実の差。
一瞬のにらみ合い。
たじろいだ敵兵にそいつは殴りこんだ。
両手に填めた真っ赤なガントレットで容赦なく殴殺し、骨を砕き、頭蓋を砕いて脳漿をぶちまける。
「ひ、ひぃぃぃ!!」
「逃げられるとか思ってんなら大間違いだぜ?」
背を向けた兵に手を向け、何かを掴むように手を引き寄せる。
それで逃げようとした兵は部屋の中へと引きずり戻された。
「さて……ラティナ、ここは任せて逃げろ」
「お主!」
「なーに、こんなところで死んでやるきはねえよ。それに他の連中、ちょうど他のところに行っていたからよかったもんだ」
「お主のう、わらわ一人で行くと思うたかえ?」
「思ってないけど行け。外は魔狼とムツキの部下がなんとか持ちこたえている状況だ。ラティナが逃げなきゃみんな逃げない。だから行け、あいつらを助けると思って逃げろ。ネージュ家の当主様」
「そ、そうか……死ぬでないぞ」
「おうよ、オレは不死身だ」
崩された壁から一人が逃げ、今すぐにでも逃げ出したい敵兵たちは誰も逃げられず。
部屋の中には赤い髪の――
「弱き水流」
頭上に水球を作りだし、ザバァッと水を浴びると赤色が流れ落ちた。
そこにあるのは白く長い髪、力強い紅の双眸。
服装は白い長袖シャツにカーゴパンツ。
「どこの誰だか知らないけどさー、白い悪魔くらい知ってるよな?」
タンッと床を叩く音が響いたときには、バギゴグシュアッ!! と、何をどうやったらなるのか分からない音が鳴った。
それは部屋の中にいたものが一斉に弾け飛び、散弾となった骨や肉片が残っていた壁を基礎ごと破壊した音。
ガツンッとガントレットを打ち鳴らして、白い少女は凶暴な笑みを浮かべる。
「ふぅっ……適当に相手したらオレも逃げますかねぇ」
未だ本調子ではないが、そこらの雑兵程度なら大隊規模が相手でも戦える自信は大いにある。
母屋を一歩出れば、即座に周囲の空間が裂け、布で覆われた不気味な召喚兵が姿を見せる。
十、二十、空にも穴が穿たれ、三百、五百、次々に増えていく。
増加量がバカらしいくらいに多い。
「うーん……まったく難儀な戦だこと、たったの十数人相手に三千はやりすぎだと思うんだけどなぁ」
「だがそれでも釣り合わないだろ?」
気付けば隣にベインが立っていた。
奪い取った剣を両手に下げ、顔には返り血が数滴張り付いている。
「俺たちとやりあいたければ最低ライン、方面軍規模は欲しいところだよな」
「それをうちの仲間は単独で撃破してるんだけどねぇ……」
スタッと上から飛び降りてきた黒コート三人が剣を構える。
見える範囲での戦力は五に対し、数えるのも馬鹿らしい程度。
「んじゃ、二〇分経ったら適当に散って逃げろ!」
その一言で戦いは始まった。
2
「運がいいなあ」
「だろうな。今のうちに今度こそ逃げるとしよう」
流れ弾で運よく呪氷が砕け散り、まんまと脱出した天城たちは屋敷を抜け、雪原を走っていた。
暗いのだが、ロイファーが召喚した光の精霊のお蔭で若干ながら足元は確認できる。
「で、俺たちどこに向かってんの?」
「知らん」
「えぇっ!? あんたが道知ってんじゃねえの?」
「知らん、ただ今は逃げるだけだ。捕まったら次はどうなるか考えたくもない」
「だよなぁ……うっし、いけるとこまで行くぞ」
そう意気込んだ次の瞬間、足元にきらりと光る線が見え、前のめりに倒れた。
「おうっ!?」
「どわっ!」
横からザクッ、ザクッと雪を踏む音が聞こえる。
目を向ければ暗闇の中でも確かに存在を示している白い刀。
「どこへ行くつもりかな? 脱走者ども」
「なんでお前がこっちに来てんだよ!」
ロイファーが雪面を殴りつけ、地下で爆発を起こす。
ごごぉぉぉぉぉぉ……と聞きたくない音が響く。
「おい……また雪崩か」
「あばよ!」
動き出した雪。
レフィンは即座に刀を突き立てる。
そして暗闇の中、流されていく脱走者たちを見送るのだった。
……この先はかなり深いクレバスしかない。




