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フラットライン-対勇者戦線-  作者: 伏桜 アルト
第一章・死神/The Reaper
23/57

魔王討滅・相手が誰だって容赦しないのがこの人です

「魔王様! 魔王様っ!」

「なんだ騒々しい」


 玉座のある部屋に駆け込んできた配下、ゴブリンを睨みつける。

 そうでもしなければこの場で威厳を保てない。

 いくら自分の配下とはいえ、緑色の肌、とんがった鼻と耳。

 悪魔のような裂けた口とこびり付いて固まった血のような手先。

 見ているだけで気が引ける。

 現に傍らで見ている少女たちは怯えているようだ。


「周囲の部屋のものからの連絡が来ません!」

「遅れているのではないか? まだまだ立て直したばかりの我が軍勢、いきなり規律など守れる訳がなかろう」

「それも……そうなのでしょうが、先ほど部屋の一つを偵察したところ、最下層までぶち抜かれていました」

「んなぁ…………」


 魔王にあるまじき、情けない声を出した。

 この地下遺跡は遺跡自体が魔力によって支えられているため、壊すためにはかなりの労力を要する。

 それをこの短時間で全層を貫いて最下層まで穴を穿つなど、いつかの勇者すらも、全盛期の魔王ですらも実行は不可能だ。


「そして、そこで待機しているはずのオークどもが消えておりました」

「……それは分かっておる。消えてもらって良かっ……ううん、げふん。とても残念だ、遺憾だ。投入する戦力を増やし、早急に侵入者を捉えよ」


 配下のゴブリンが部屋から消えていくと同時に魔王は立ち上がった。

 そしてすぐに傍らにいる、金髪に緋色の瞳のお姫様と、金髪に緋色の瞳の現役魔王の前で頭を下げた。


「すまぬ! やはり魔王軍と言えど身だしなみはもう少し、いやもっと改善するべきであろうな。なにせあんな怖すぎる見た目では吾輩も」

「あ、あの……」


 誰にいうでもなく語り始めた魔王にシェスタが恐る恐る発言する。

 実際に戦わなくても分かるほどの力量差がある。

 下手に刺激をしたならば、瞬間で消し去られる可能性が、明確な死が存在している。


「む? なんだ」

「さっきの……その、…………あなたが”私たち”のおじいちゃん……っていうのは本当ですか?」

「うぬ。真実だ。なんせ吾輩の家系は代々男しか生まれんでのう。孫が二人とも女子というのは喜ばしい!」


 それに対して口を開くのはメイ。


「し、しかし私は人族です。魔族の血筋であるはずなど……」


 ない。そう言おうとしたが、あまりにも自分に似すぎているシェスタ。

 そして全く同じと言っていい瞳の色と髪の色をした魔王。

 否定材料のほうが少ない。


「ふむ、純粋に魔族の血筋であるかと聞かれたならば、それは違うとしか言えん」

「「?」」


 二人揃って首をかしげる。

 シェスタは偶々人族の見た目に近い純粋な魔族だと、メイはちょっと色素の薄い人族だと思っているのだ。


「何、吾輩の息子がのう。……なんというか、攻め入った国の人族と恋に落ちてのぅ……。まあ、あれだ、駆け落ちというやつだ」

「「へ……?」」

「そして生まれた双子は、政治的な事情で離れ離れに……!」


 強く拳を握り、魔術まで使って涙を作り出す。

 どうやらそういうムードで語りたい魔王らしい。


「ときにシェスタ、メイよ。息子は……お主らの親はどうしておる?」

「お父様は戦場で消息を絶ったと」

「お母様は私を生んですぐに亡くなったと」

「許さん人族!」


 魔王は怒った。

 要約すれば魔族と関わった汚点を消すために、抹消行動をやったということだろう。

 幸いにしてシェスタとメイが生きているという事は、せめてもの情けか、それとも後々の交渉で使うためだったのか。


「者共! ここに集えぃ!」


 怒気の籠もった荒々しい声に配下が呼び寄せられ……ない。

 いつまでたっても足音すら響かない。

 拳を振り上げた体勢で固まること三〇秒。

 やっとパタパタと羽ばたく音が聞こえてきた。

 ガーゴイルかインキュバスか……。

 期待に反して姿を見せたのはコウモリだった。

 それもコウモリの中では格段に体の小さなアブラコウモリ系の使い魔だ。


「たいへんですっ、みなのはんのうがきえていきます」

「…………なぬ?」


 そのとき魔王は確かに聞いた。

 ドォォン、ドォォォォンと腹の底まで響く重たく低い音を。

 地震にしては間隔が開き過ぎた音。

 地響きのような音は徐々に大きく、ゆっくりどころか高速で接近している。

 まるで遺跡の壁をぶち抜きながら移動しているかのような災厄の音だ。


「なんだ、なにが起こっている」


 部屋がビリビリと揺れ始める。

 天井の石の隙間に付いていたほこりやこけがぽろぽろと崩れ落ちる。

 壁際に置いていたものが振動で倒れてけたたましい音を出す。


「ま、まおうさま、しにがみです! しにがみがっ」


 アブラコウモリの使い魔はそれ以上言葉を発することができなかった。

 背後、部屋の入り口にあたる場所に触れてならないものの気配を感じたからだ。

 あまりの重圧にホバリングもできず、ぽとりと冷たい石の床に墜落する。

 顔を上げてみれば魔王が腕を組み、後ろの何かを見つめていた。

 ギチギチと振り返ってみれば、そこにいたのは黒髪の人族だ。

 両腕には剣爪とでも言えばいいのだろうか、真っ黒な禍々しい刃を左右五本ずつ、計一〇本も出現させている。


「何者だ?」

「通りすがりの勇者デーモンキラーですが?」


 そいつは何でもないように、そう答えた。


 1


 時は少し遡る。

 クロードとエクリアが転移したその部屋は、とてつもなく獣臭かった。

 臭気、否、瘴気と呼んで差し支えないほどにまで淀んだ空間には、複数の歪な魔族がいる。

 しかしそれも、最早魔族ではなく魔物と呼んでしまってもいいほどにまで変貌した個体だが。

 二足歩行の狼、もしくは人狼、ガルゥ。

 そのような印象を受けるがこれは……。


「狼犬族……」


 エクリアは明らかな怯えの色を示して後ろに下がる。


「何をやったらああまでなる」


 既に狼犬族としての面影はなく、異質な存在と化してしまっている。

 クロードたちを囲む彼らに理性は欠片ほどしか見られない。

 それはクロードたちを囲む人狼が、すぐさま襲ってこないことが証明している。


「グルルゥゥゥゥゥゥ……」

「退け。でなければ斬るぞ」

人族くいもの……」

同族おんな、だ……」


 突き出した口を薄らと開け、涎を零しながら発せられた言の葉に、二人は後ずさった。

 いくら魔族とはいえ最低限の分別は有している。

 だがこの魔物と化したものたちからはそういった、忌避すべき部分が全く無いことを感じられる。


「ク、クロード」

「大丈夫だ。こんな雑魚にやや、やられはしねえさ」

「ほんとに大丈夫なの?」

「大丈夫だ!」


 どちらかと言えば恐怖より、自分のことを敵ではなく食料として見ているヤツラに生理的な嫌悪を感じているだけだ。

 わざと強く、大丈夫だと自分に言い聞かせて嫌悪を払拭する。


「重力操作は……」


 いつも無意識に使っている重力の障壁を意識すると、確かに薄く展開されていることが分かる。

 能力の行使に問題は無い。


「いける!」


 意気込み、一歩踏み出す。

 人狼が大きく口を開け、唾液のような粘ついた悪臭のする液体を放つ。

 大したものではない。そう判断して腕で払い落し、続けて斥力の刃を生み出す。


「まずは一つ!」


 カチッ。


「……は?」


 振り下ろしたはずの斥力の刃。

 時速三、四〇キロ程度の遅い攻撃ながら、至近からのため避けることなど叶わないはず。

 だというのに人狼は身を捻って躱していた。

 そしてクロードの足元には深淵への片道コースが口を開けていた。


「えぇ……?」


 穴に吸い込まれるように落ちる、重力に引きずられる。

 いきなりのこと、予想外のトラップに能力の行使が半端なものとなる。

 その結果、落下速度の軽減程度に留まり落ちた。


「ちょ!」


 掴んだ穴の縁がどぅるんと滑る。

 先ほどの唾液攻撃を腕で弾いたのがいけなかった。

 掴めなかった、このままでは落ちる。

 一般的な思考の者ならばこれでパニック状態に陥るのだが、この悪魔はそこまで柔ではない。

 すぐさま両足を広げ、穴の壁に引っ掻け、穴から這い出ようとした。


「むがっ」


 のだが、そこに鋭い爪というオマケのついた蹴りが落とされた。

 今度こそ支えを失ったクロードは、落ちた。


 3


「…………、」


 落下はおよそ時間にして四秒程度だっただろうか。

 本人にとってはほぼ一瞬の落下であり、受け身もなにもできずに固い石の床に叩き付けられた。

 薄暗闇を見通せば、広い部屋の隅に浮かびあがる六つの光点。

 三つの頭を持った真っ黒な?


「……底無し穴に潜む霊(サーベラス)????」


 嫌なものを思い出した。

 本で読んだ情報がそのままならば、入ってくる者に対しては一切手出しをしないが、出て行こうとする者には容赦なく攻撃を加えてくるという化け物。

 つまるところ、一般人が落ちてしまったのならば、逃げることは叶わず、餓死を待つのみということになる。

 そしてここにいるのは死神である。結果は明白だ。


「さて、帰ろうか」


 自身にかかる重力を反転させ、軽く跳躍。

 落ちてきた穴に向かって飛び上がり、ガブっと。


「いっっっっってぇぇぇぇぇ!!」


 瞬間的に飛び掛かってきた化け物の牙が、脹脛に深く深く刺さっていた。

 どうやら情報は正しかったようだ、意地でも逃がさないつもりらしい。

 それでも、足の筋肉が裂けても構わない思いで飛び上がり続けるが。


「ゥゥゥゥウウウ……グァウッ!」


 残る他の首が襲い来る。

 片方が噛みつき、もう片方は口を大きく開いて、そこに魔術で水弾を作り出す。


「マジで……」


 クロードの対応はただ一つだった。

 身体を、全身を斥力のフィールドで包み込んで閉じこもる、だ。

 お蔭で水弾の直撃で揺らぎ、強烈な、普通なら一撃で骨まで噛み砕かれる一撃を受けてなお生きていた。

 銜えられたまま振り回され、そして何時まで経っても噛み砕けないと見るや、投げ飛ばされ壁に激突。

 半身がめり込んだ。


「……なんだろうな、普通ならめり込むどころか挽肉ミンチになるよな」


 そんなことを呟きながら、斥力フィールドを押し広げ、その圧で壁を破砕する。

 抜け出した時にはもう足の傷が完全に消えている。

 唯一の損害は長年愛着してきたズボンが大きく裂けてしまったことくらいか。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……代償はデカいぜ?」


 すっ、と。半身を引いて。

 その瞬間、クロードの本気の蹴りが見えることは無かった。

 コマ送りで蹴りの動作部分だけを切り取ったかのように、そこに蹴りを放ち終わったクロードがいた。

 続いて数瞬遅れて轟音が響き渡り、部屋が嫌な音を立てながら盛大に揺れた。

 天井からはパラパラと小石や砂が舞い落ちる。

 クロードの見る先には、床に一直線に走る亀裂と、部屋の反対側で砂煙に飲み込まれた化け物だ。

 自分の足の先、延長線上に展開した加重フィールドで引き起こした惨状。


「これで終わると思うなよ」


 クロードの足元に転がる、拳大の石が浮かび上がる。

 膨大な斥力を掛けてバリオン単位にまで、石を構成するすべてを引き離す。


(レプトンディスチャージを真似てバリオンディスチャージなんてどうだ?)


 シュゥゥン……と静かな一撃が放たれた。

 あまりやりすぎると、これは別の見方をすれば中性子線であるため、影響下にあるものが放射化してしまう危険性があった。

 そのため少々威力を抑えたのだ……そんなことしたところですでに放射化してしまってはいるのだが。

 さすがに自分の攻撃で再生が追いつかないほどのダメージを受ける気はない。

 それに中性子と言えば貫通力が他のモノと比べて桁違いであり、生物にとっては脅威だ。

 地形を壊さずに、その生態系だけを滅ぼすには持って来いと言えるほど。


(続けて余った電子でレプトンディスチャージ)


 こちらは容赦なくぶっ放した。

 石だけの電子では到底不足しているので周囲からかき集めてだが。

 放出された光線がオレンジ色の軌跡を残して消え去る。


「どおしたぁ? 反撃すらできねえのか、犬っころ(サーベラス)


 濛々と立ち込める砂煙へと向かっていく。


「グゥゥゥゥゥゥ……」

「来いよ、雑魚」


 両手の指から真っ白な閃光を出現させる。

 周辺の電子を無理やりに操り、創りだしたものだ。

 しかしながら、電子の操作に関しては先ほどエネルギーロストが大きいという結果が出ていたため。


「あっっっっつぅ!!」


 そういうことになる。

 熱エネルギーへと変わったそれが自分の指を焼くという結末に終わるのだ。

 すぐさま確保した電子を開放する。


「…………。」


 慣れないことは急場で行ってはいけない、そう思いながら一応安全な斥力の刃を展開した。

 定義された範囲内にあるものは光すら跳ね除けられるため、そこに真っ黒な刃が、もしくは長く黒い爪があるように見える。


「……うん、やっぱこれだ」


 慣れた感触を指先に、横に薙いだ。

 一切の手応えは伝わってこないが、確かに肉を斬り裂く水っぽい音が響き、赤色の雫が飛び散った。

 その後、一〇を数えるほど時が過ぎてもなんのリアクションもなかった。

 重力操作で風を起こし、砂煙を部屋の隅に追いやれば、そこには赤黒い肉塊があった。

 それは何時かのテリオスの時のように脈動しならがら再生を始めている。


「なんだよ高位の魔物……っつうか悪魔はみんなそうなのかよ、めんどくせえ」


 その場で腕を振り下ろす。

 ビュンッ! とバットを思い切り振ったような音が響く。

 斥力の刃に空気が押しのけられた音だ。

 続いて石造りの床が轟音を発して崩れる。

 崩れ落ちる瓦礫の中にさらに重力操作で局所的に加重。

 ぶち抜けるところまで床を砕き落とした。


「生き埋めにしてしまえば……」


 大丈夫だろう。そう考えた末のやりすぎな攻撃。

 一歩間違えば部屋の構造自体が破壊され、自分自身も生き埋めになる。

 だが崩れはしなかったからよしとする、仮に崩れかけたなら重力操作で一時的に持たせる。

 だからここにいるバカはそれを実行したのだ。


「うーん、落ちたなー」


 眼前に開いた奈落への大穴。

 冗談抜きで深淵に消えていったサーベラスは、今頃数多の瓦礫によって生き埋めにされているはずだ。

 いくら不死と言っても、動けなくなってしまえばそこまでの脅威ではなくなってしまう。

 これはクロードについても同様に。


「よっし、今度こそ上がるか。エクリアは大丈夫だろうな……」


 珍しく、割と本気で心配しながらクロードは頭上を見上げる。

 そこには唯一の光源である、先ほど落ちてきた穴がぽっかりと口を広げていた。


「せぇ、っの!」


 重力操作を使い、クロードは飛び上がった。


 4


「こ、のぉ!」


 エクリアは一人奮戦していた。

 既に四人ほど斬り倒しているが、もう曲剣の刃はぼろぼろだ。

 これ以上襲い来る者たちにはダメージを与えられない。

 そしてあの無愛想な男と視線を合わせてからというもの、自分のものでは無い誰かの記憶が混ざり込んで混んでくる。状況は同じだ、魔物のような狼犬族に襲われていた情景、それが強い既視感を生み出す。


「うぐっ」


 魔物と化した狼犬の戦士たちは、恐ろしく反応速度が速く、剛毛に覆われた皮膚へ刃を送り届けることすら困難を要する。

 一撃ごとにヤスリで刃を削り取るかのように火花が舞い、瞬く間に切れ味が消えていく。

 そうなると曲剣として振るうより、敵の凶悪な爪撃を防ぎとめるために使い始めていく。

 だがそれにより曲剣にかかる負荷が増え、やがて――――パキンッ。


「あっ……そんな」


 残る攻撃手段はナイフか薬か。

 しかしエクリアに後ずさり以外の、次なる行動を始めるだけの余裕はなかった。

 エクリアが抵抗手段を失ったと見るや、囲んでいる敵の目つきががらりと変わったのだ。

 背筋を走り抜ける悪寒、生理的な嫌悪感が増大する。


「ひっ……ぁ…………」


 カランッ、と手から落ちた曲剣の柄が音を響かせる。

 エクリアを囲む魔物が一歩踏み出すごとに、一歩後ろへと下がる。

 何度かそれを繰り返せば部屋の壁に背が付く。

 もう逃げ場がない。


「ひぃいやぁ……こないで」


 壁に背を預けながら、ただがむしゃらに、腰に下げていたナイフや薬品を投げつける。

 もう狙いも何もない、ただただやけになって投げつけているだけ。

 ただただ怖いから、せめてもの抵抗として思考に浮かんできた行動をしているだけ。

 やがて完全に魔物が迫ってくると、エクリアはその場に崩れ落ちた。

 恐怖で力が完全に抜けてしまっている。

 これから何をされるのか。

 魔物はクロードを見て食料と判断した、エクリアを見てどういう判断をした?


「あ、あぁ……」


 凶悪な爪の生えた魔物の手がエクリアに触れ――――ビリィィィィッ! と衣服を引き千切った。


「きゃぁぁぁぁぁぁあああ!! ひぃやぁ、いやぁぁぁぁああ!!」


 瞬く間に押さえつけられる。

 魔物の数は視界を覆い尽くすほど。

 暴れて抵抗しようとも、すぐに腕を抑え付けられる。


「いやぁ! やだぁ、来ないでよ!」


 正面から覆いかぶさろうとしてきた魔物の顔面を容赦なく蹴りつけた。

 荒地を歩くための固い靴底がぶつかり、ガゴッと骨が砕けてもいいほどの音を出す。

 普通の強姦魔程度であれば、これで鼻先を押さえながら倒れるのだろう。

 だがこれは魔物と化した狼犬族、その程度ではどうともならない。

 二発、三発と蹴りつけ、必死になって引き剥がそうとする。


「グガァァ、アア!」


 だが返ってくるのは恐怖心を掻き立てる咆哮。

 狼犬族とは思えないほどの力で足を掴まれ、無理やりに広げられる。

 最初に見た時から、この狼犬族がすでに元に戻れないほどに暴走した状態だということは分かっている。

 魔力の影響を受けすぎたためか、それとも一定周期で巡ってくる赤い月の力に抗えなかったのか。

 どうしようない、残酷な現実を目の前にエクリアは涙を零しながら沈黙する。

 だがそれはすぐに悲鳴に変わる。


「ひぃっ、やめてよ……? それだけは……いやぁ……ぁ」


 魔物が覆いかぶさってきた。

 退けたくても、常識を外れた力で腕を抑えられ、足を広げられているせいでどうやっても逃げられない。


「いや……正気に戻ってよ、本能しか残ってない魔物が初めてなんて……」


 ジタバタと、抑えつけられた手足を動かして藻掻くことすらできない。

 こんなところで諦めたくなんてない。

 それでも、もう抵抗する手段がない。


「やぁっ……やだよこんなの、たすけて……クロードッ!」


 自然と、今一番頼れる者の名を叫んでいた。

 暗い穴に落とされた者の名を。

 すぐに上がってこなかったという事は、下で何かに襲われているのだろう。

 だから助けなんて来ることは無いと思っていた。

 なのに。


「どぅあらっしゃぁぁっ!!」


 ふざけた叫びと共に、エクリアに覆いかぶさっていた魔物、囲んでいた魔物。

 そのすべての姿が一瞬ブレた。

 そして瞬間で消え失せると、肉が潰れる音、骨が砕け散る音、血が飛び散る音、強固な壁が崩れ落ちる轟音が響いた。


「エクリア!」

「くろーどぉ……」


 安心したのか、気が抜けたのか、涙が溢れ出た。


「うぁ、ああああああああああああああああ」

「悪い、遅くなった」


 クロードはパーカーのジップを下ろして脱ぐと、エクリアに被せた。

 そして背中に腕を回すと優しくトントンと叩いた。

 自分第一の死神としては大変珍しい行動だ。


「少しそのままで待っていてくれ」


 そう言うと静かに立ち上がったクロードは、磁力を用いた走査を始めた。

 同心円状に幾重にも放出される走査波が捉えたのは、こちらに向かってくる魔族と魔物の反応。

 次に捉えたのは強大な魔力で歪んだ空間とその直近にいるシェスタとメイの反応。


「すぅぅぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。全滅させるか」


 何でもないことのように言い、腕を横に振るう。

 その軌跡には光り輝く殺意の塊が浮いていた。

 ズォォォと高圧電流が流れる電線のような音が響く。


「壁を貫通……指向性を付与……放射化を抑制……」


 局所的な能力の行使で原子崩壊を起こしつつもそれを一か所に抑え続ける。

 走査で感知した敵の動きを予測し、その進路上に照準を合わせる。


「……ふぅ」


 瞬間、ズバァッ!! と無数の閃光が水平垂直問わず全方向に放たれた。

 唯一の安全域は、射線上にエクリア、シェスタ、メイがいるラインだけだ。

 その閃光は壁を瞬間で蒸発させて標的を貫き、溢れ出た熱で空間を焼き尽くす。

 狙われた側は何が起こったのかすら分からなかっただろう。

 認識が及ばない亜光速で放たれた一撃など、分からなかったはずだ。

 わずか三秒。


「……終わりか」


 手元の危険な光球を完全に放射し終えた時には、見渡せる壁一面に赤を通り越し、オレンジをさらに越え、真っ白に焼けた穴が多数見られた。


「すごい……」


 ぽつりとエクリアが漏らす。


「だろ」


 言いながら振り返ったクロードの顔は、赤く爛れていた。


「これだけの攻撃をやれば当然、俺もこんなケガをするわけだ……って痛いな」


 そう言っている間にも、映像を逆再生するかのように重度の火傷は治っていく。

 そして再びエクリアの前にしゃがむ時には完全に元通りになっている。


「大丈夫……なの?」

「ああ、大丈夫だ。それよりエクリアこそ」

「あたしは平気だよ」

「……立ち直りが早いな」

「だって……そのぉ……あの時のクロードのほうが、怖かったし」

「…………。」

「…………怖かったんだもん」

「……それはそのまま着てろ」

「うん」


 クロードのパーカーは丈が長く、隠すべき場所、見られたら恥ずかしいところをしっかりとガードしている。

 着心地としては、裏に薄い装甲とコンバットナイフが数本あるため少々重いが、肌触りは良い。


「さて……どうすっかな。……、壁を崩すか」

「えっ」

「ついて来いよ」


 走り出したクロードは両手に斥力の刃を作り出した。

 最短距離でシェスタとメイの場所へ行くため、障害物を排除するという強硬手段に出たのだ。

 重力嵐で吹き飛ばしたり溶かしたり、先ほどのような砲撃は危ないので一時封印。


「うわぁ……」

「…………悪い」


 壁を崩しながら走る。

 お分かりだろう、壁を崩すという事は天井を支えるものを破壊するのと同義、即ち崩落するのだ。

 壁を切り裂く手を止めたなら、崩落から逃げる足を止めたならその場で生き埋めどころかスプラッタになってしまう。

 しかも先ほどの一斉砲撃によってさらに壊れやすくなっているところがミソだ。もしくは自業自得と言うか?


「ちょっとぉ! これっ」

「大丈夫なはずだ! ……走り続ければ」

「えぇぇ!」


 ドォォン、ドォォンと崩れ落ちてくる天井。

 あくまでもクロードが斬り裂きながら進んでいる場所だけが崩れているため、迷宮自体が連鎖的に崩壊するには至らない。

 そしてまた一つ、壁を斬り裂いて別の部屋に出た時。


「止まれ!」


 クロードの声と共に床が爆ぜた。


「わっ!?」

「チィッ、またか、死に損ないが(サーベラス)!」


 ドンッと石の床に降り立ったのは、三つ首の犬だ。

 それも体長三メートルを超す、大きな漆黒の犬だ。


「な、なにこいつ?」

「ちょっと下がってろエクリア。瞬殺するか、らっ!」


 クロードの足元が不自然に歪んだかと思った瞬間、砲弾のように犬に向かった。

 すれ違う瞬間、ズダァンッ! と雷が落ちたような音が響き、犬の巨体が消し飛んだ。


「行くぞ、エクリア」

「えっ? ちょっと、今のって、えぇ?」

「気にするな。ただの高位悪魔だ」

「え、ちょっと、それを一撃って」

「そんなこと言ったら俺は”死神”だぞ? 悪魔のさらに上の”神”だ」


 その辺を自覚しているあたり、さらに質が悪いのではあるが……。

 さらに言えば、死神は本来”戦わない”のが当たり前である。

 遠巻きに死にゆく者を眺め、その時が来たら迎えに行くだけだ。


「えぇっと……」

「まあ気にするな。俺もよく考えてないから」

「そうなんだ」

「そういうことで」


 斥力の刃を展開したまま、崩落の危険がないので走査を開始する。

 位置関係を把握しておかなければ勢い余ってそのまま……ということがあり得る。


「すぐそこか……」


 この、目の前にある壁を壊せば目標地点だった。

 何があるかは分からない。


「エクリア、ここで待っててくれ。この向こう側に何かいる」

「……うん、わかったよ。必要ないだろうけど、気を付けてね」

「ああ」


 そうして壁を斬り裂いて見れば、他の部屋とは違う豪華な入口がそこにあった。

 部屋の中には金髪の男が一人。

 そしてその隣にシェスタとメイが立っている。


「何者だ?」


 金髪の男が気の抜けた声で訊ねてきた。敵意が感じられない。

 だからクロードも軽く返した。


「通りすがりの勇者デーモンキラーですが?」


 5


「…………。」

「…………。」


 お互い無言で相手を探り合う。

 クロードから見た魔王は、ちょっと魔力が濃密すぎるけど服装変えたら街中にいてもおかしくはない男性、という程度。過去に戦った白い悪魔や、上官のほうが遥かに恐ろしく思える。

 魔王から見たクロードは、なにこれ人族じゃないよね? こんな禍々しい気配を纏った人族がいてたまるか、である。過去、この場所まで攻め入ってきた勇者たちでさえ神聖な気配を散らしていたというのに、こやつはまるで逆だ。


「……ふぅん、あんた魔王か?」

「然り。吾輩が魔王シュラハトシュベルトである」

「……ああ、つまりだんびらか」

「Schlacht schwertである!」

「簡単に言えばBroad swordってことだろ?」

「シュラハ」

「黙れだんびら」


 ただ普通にクロードは言っただけ。だが魔王には、魂を刈り取る準備をする死神に感じられた。


「まず、なんでそこにシェスタとメイがいる?」


 すでにクロードの声には苛立ちが含まれている。

 なぜかと言えば、ここまでの過程と今ここにいるのがまた残念そうな魔王だからである。


「わ、吾輩の孫だ」

「孫ねえ……まあ見た目年齢が若すぎるのは魔族だからということでいいか。で、そっちの二人、本当か?」

「「ひぃっ!」」


 至極面倒くさそう、そしてさっさと終わらせたいという苛立ちに怯えた。

 少しくらいの耐性が付いているかと思っていたが、そうではなかったようだ。


「どうなんだ、さっさと答えろ」

「ほ、本当ですよ?」

「……なぜに疑問形、それ自分でも信じてないってことだからな」

「えぇ」

「シェスタ、とりあえず黙ってろ」

「はぃぃっ!」


 若干半泣きになっている少女二人を置いて、視線を魔王に戻す。


「貴公、吾輩の孫を泣かせるとは」

「黙れ雑魚。転移魔術が使えるか使えないか。それでお前をどうするか決めてやる」

「舐めた口を」


 クロードの足元から火焔が溢れ出た。

 とっさに飛び下がろうとしたが、不必要だと判断し、それよりも周囲の変化に意識を集中する。

 足元の炎は重力操作で押さえつけられる。だが周り、無限に空間が広がった。

 クロードは少し豪華な作りの部屋にいたはずだ。

 他の部屋と比べたら多少広いと言っても地下、空間に限りはあるはず。

 だが、気づけば水平方向三六〇度、どこを見渡しても天井と床の境界線の向こう側まで石造りの平面が続いている。

 床には光り輝く苔、等間隔でどこまでも、天井を支える柱。

 空間自体はとてつもなくおかしい、そしてそこを構成するパーツはいくつも複製してただ並べただけのよう。

 前を見れば玉座などなく、シェスタもメイもいない。

 ただ魔王だけがいる。


「どうだ人族、これならば……なにがおかしい?」

「くくくく……待ってたよ、空間魔術の使い手ぇ! いやぁー面白い! これはアイツ以来だよ、空間自体を隔離して座標無限の複製で永遠に続く場を創り出すなんてなぁ。はははっ、これなら別世界への転移だってできるだろう、ああ嬉しいねぇ!」

「な、なんだ、気が狂ったか」

「あはははははっ、いや嬉しいだけさ、あんたを使えば俺が帰ることができる。嬉しすぎて胸が張り裂けそうだ!」


 ズゴァッ! と轟音が炸裂した。

 クロードが横に振り上げた手に真っ白な光弾が生み出された。


「まあ安心しなぁ、殺しはしねぇから」


 言って光弾を射出、魔王も即座に火炎弾をぶつけてきた。

 双方のちょうど真ん中で爆発し、床を破壊して粉塵を巻き上げる。

 その中をクロードは突き進んだ。

 そして突き抜け、斥力の刃を振り下ろした。

 だが。


「やりおる」


 ヒュンッと空を斬った。

 魔王の手前を通り過ぎただけ。

 魔王は移動していない、いつの間にかクロードの位置がずれていた。


「へぇ、所詮魔王だな。魔神よりか弱い」

「なっ」


 話をする間にも距離は開く。

 どちらも足を動かしていない。

 空間が引き延ばされているのだ。


「空間を基点に相互位置をずらすなら、俺とお前を固定してしまえば空間だけが広がるわけだ」


 不意に、二人を繋ぐ揺らぎが見えた。

 もう距離は開かない。


「さて、少しくらい抵抗しろよ?」


 苔むす床を蹴り、クロードは駆けだした。

 魔王は火炎弾を乱射して迎え撃つが、いずれも斥力の刃に斬り裂かれる。

 炎の塊を斬っているはずなのに、ザリ、ザリと音が鳴るのは魔術的なモノのせいだろう。


(術式確認、迎撃式カウンター生成……出力アウトプット)


 五つほど斬り裂かれたところで、残りのすべてが青く光ったかと思った瞬間、バリンッと砕け散った。


「いいか魔王ざこ、一つ教えておいてやる。時間をかけるほど俺の無意識が適応して、終いには何も通用しなくなるぞ」


 一歩、また一歩。そのストライドは五メートルに達し、瞬く間に死が迫る。


「貴公、本当に人族か?」


 自身の手前にありったけの魔力を込めた”盾”を創りだす。

 並みの攻撃では一切揺らぐことのない魔力の防御壁。


「どうだろうな、細かく見ていきゃもう人じゃねえかもな」


 大きく跳躍する。

 両腕を横に伸ばし、抱きしめるように斥力の刃を振るう。

 それはいとも容易く”盾”を斬り裂いて床まで達した。

 制御を失った魔力の奔流が引き延ばされた空間を崩す。

 そして周囲の景色が戻ってなお、膨大な魔力は吹き荒れる。


「うぇぇ……気持ちわりぃ」


 攻撃に対する弱点と言っていいのだろうか、クロードは高密度の魔力攻撃には弱い。

 過去に何度か、これによって負けたこともある。


「何か手は……あるじゃねえか」


 片手の斥力の刃を解除し、ポケットから例の黒い卵? を取りだす。


「吸い込めっ」


 暴風のように、不規則にまき散らされていた魔力が一点に向かって動く。

 まるで排水溝に吸い寄せられる水のように。


「バカなっ! 人族にこれほどの魔力を」

「ははっ、まあ運次第だよなぁ……」


 片手の斥力の刃を振り被り、慌てる魔王へと斬りかかった。

 そのとき魔王は何を思っただろうか。

 本能的な恐怖? いいや、無意識が存在を抹消されると判断を下した。

 引き起こされる結果は無意識下で発動された転移魔術。

 漆黒の剣が魔王に届こうとしたその瞬間、紙一重の差でゲートが開き、その身を投げた。


「くそっ」

「忘れるな人族の化け物よ。いつか必ずやこのごあっ!?」


 決まり文句など聞きたくないクロードが、手近なところにあった拳大の石を投げつけた。

 脳天にクリーンヒットし、一撃で意識を落としたらしく、だらんとしたままゲートの奔流に呑まれて消えていく。


「ふうっ」


 ゲートの先に見えるのは南米アマゾンのジャングルのような地形。

 鬱蒼と茂る木々と薄暗い大地。


「これで帰れるかな」


 そして、


 このバカは、


 後ろにいる少女たちを、


 見向きもせずに、


 ただ自分のためだけに、


 ゲートに身を投げた。


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