逆玉手箱・知り合いの置き土産は不老化爆弾
転送された先もまた、同じように白い壁の部屋だった。
ただ、そこには実験器具が乱雑に置かれた作業台がいくつも配置されている。
「まだ続きがあるのかよ」
部屋には一つだけスライド式のドアがある。
そこ以外には天井の排気口くらいか。
周囲の実験器具を見ていけば、見たこともない薬品や、ハザードシンボルの描かれた密閉ケース。
開けても大丈夫そうであるものを適当に開け、調べていく。
クロードには薬品関係の知識は知り合いから学んだことしかなく、自分だけでどうこうできるものは少ない。
手持ち無沙汰になったエクリアは次々と薬品の入った小瓶を手に取っていく。
クロードに対して毒粉末を投げつけるほどだ、相応の知識はあるのだろう。
「エクリアー、あんまり変なことするなよー」
「大丈夫大丈夫。匂いでだいたい分かるから」
「……さすが狼犬族」
くんくんと匂いを嗅ぎ、怪しげな葉っぱや白い粉を混ぜ合わせて簡単になにかを調合しているようだ。
ケース書かれている文字はエクリアには読めない文字。
本当に匂いだけで判断して調合しているようだ。
だがクロードにとっては少々顔を引きつらせるには十分すぎるものだった。
何せ、エクリアが手を伸ばした場所にはアルカロイド、ジヒドロリコリン、トキシン……。
他にもあらゆる劇物が揃っているのだから。
そんな中に一つだけ場違いなものがあった。
「なんだこれは?」
玉櫛笥。
化粧道具を入れるための箱がなぜかポツンと一つ。
箱の上にはドラフティングテープで張り付けられた注意書きがある。
『開封厳禁』と。
「…………嫌な予感しかしないんですが」
絶対に触らないと誓い、離れた。
うっかり手が滑ったー、とかで不幸が……。
「ん? これなに?」
「待て、開け――――」
叫び空しく封は開けられた。
パコンと軽い音を立てて蓋が天井を叩く。
大爆発☆!!
……という事にはならなかったが少々不味いことになった。
箱からもくもくと溢れ出した煙が部屋を満たしたのだ。
臭いはまったくなく、水蒸気のように肌に纏わりつくでもない。
「うわっ、な、なにが」
「ちょ、バカ、なに開けてくれちゃってんの」
真っ白な空間で、手探りでエクリアを探し当て、手を取る。
「わ、きゃっ」
「俺だ、慌てるな」
とりあえず見えない間に落とし穴で没しゅーと、なんてことになると困る。
そのまま煙が収まるまでエクリアをしっかりと掴んだままでじっとする。
わざわざ『開封厳禁』などと書いているからにはただの煙なわけがない。
だが臭いも何もないところからすると毒や催眠作用があるものではないのか。
もしくは臭いのないそういうものなのか。
考えているうちに白い煙は天井の換気口から排出されていった。
「はぁ……いいか、うかつに何でも触るんじゃないぞ」
「はぃ……」
随分としぼんでいく声音だった。
反省しているらしい。
「と、まあ、なんだったんだ? この煙は」
蓋がなくなった箱に近づき、そっと覗き込む。
追加のトラップがあるかも知れない、警戒してのことだ。
しかし箱の底にはA4の紙切れが一枚だけ。
取り出して書かれている文字を見る。
『試作型No.5―魔術式を用いた人体実験用サンプル
寿命を閉じ込めた箱―玉手箱の伝承を曲解し、
煙に寿命、引いては老化の概念を封じ込め不老の身体を得る
製作スコール、ネーベル、ミコト、ホノカ
注・現段階においては実験動物を用いた試験中であり、
人体に対しどのような影響が起こるかは不明
よってこれを使い、最終実験を行う』
「…………おい」
書かれていた内容をしっかりと理解し、そこに知り合いの名前が書かれていることで一気に不安になった。
「つまり俺は、俺たちは実験動物かっ!」
誰にいうでもなく突っ込みを入れると、紙切れを床に叩き付けた。
書いてあることが真実であり、その通りの効果が発動されたとなれば今のクロードは(ほとんど)不死+不老(二段階目)のステータス異常ということになる。
これにより老衰による死が永劫に消え去ったとなれば……。
「……これは永遠の時を生きろとか言う拷問ですかい」
「どういうこと?」
「簡単に言えば。今の煙は魔術で、俺たちは不老になったということだ」
「…………え?」
「俺たちは年を取らなくなりました」
「…………?」
「…………。」
「…………うん?」
「そういうことだ」
「えぇ……」
訳も分からぬまま、二人はしばし立ち尽くした。
1
とりあえずどうしようもない二人は部屋を出た。
部屋の外には白い壁の廊下が延々と続いている。
ところどころに窓があるが、そこから見えるのは外を覆い尽くす岩ばかりだ。
ここが本当に地下だと実感させられる。そして一枚も割れるどころかヒビが走っていないところを見るに、かなりの強度があると分かる。
廊下の天井に、レールのように走る照明がなければ真っ暗闇だったことだろう。
ほこりの薄く積もった廊下を二人は進んでいく。
途中途中にスライド式のドアがあるのだが、それはいくら力を込めて引いても、思い切り蹴っても開くことは無かった。
「やっぱり、この白い作りと桁外れな強度はアカモートか……」
「あかもーと?」
「昔々、天高くに浮かんでいた都市だ。俺が知る限り最強の魔法士がいた場所でもある」
「こんな大きなのが空に……」
エクリアは信じられないと言った表情だ。
この世界にある魔術には、空の彼方から巨大な岩を呼び寄せるものはあるが、それほどのものを浮かばせるといった魔術は過去の魔王が使用したとしか伝えられていない。
「行くぞ。ここなら地図がなくても道は分かる」
「知ってるんだ」
「昔ここに住んでたからな」
「…………てことは、クロードって過去からここに来たってこと?」
再確認するように訊ねる。
さきほどの未確認生物との会話からおおよそを察したが、それでもいきなり過去の人族です、などと言われても信じようがない。
「そうなるな。まあ俺もその実感はないけど」
どうでもいいかのように言い切り、迷いなく照明に照らされた廊下を進んでいく。
ここは掃除がされていないためかほこりが積もっている。
それでも不思議と蜘蛛の巣など、生物がいる痕跡はまったく残っていない。
長い時の中で風化して消え果てたか。
二人の足音以外、なんの音も響かない廊下を歩くと、突き当たりに魔法陣が刻まれた場所があった。
魔力が供給されず、機能していないために光を放っていない。
「これはなにの魔法陣?」
「転送用……だな」
魔法陣の前に座り込み、コンコンと叩いてみる。
刻み込まれた刻印はまだまだ強度を保っている。
魔力を流したなら確と機能するはずだ。
「転送? ……大昔にほとんどが封印されたって聞いたことがあるけど」
「だろうな、好きなところに一瞬で移動できるとなれば、戦争には持って来いだからな」
「うん。だから禁術指定で、発見し次第人族が片っ端から潰したらしいから」
「なるほど。これを使って向こう側に直接は攻め込めないわけか」
「でも少しは残ってるはず……位置は分からないけど」
「位置が分からないなら、転移した瞬間に水中とか地中でそのまま死ぬとかありそうだな」
そんなことを言いながら、起動できない魔法陣を諦め振り返った時だった。
「動くな!」
警告と共に拳銃を向けられていた。
咄嗟に腰の曲剣に手を掛けたエクリアだったが、その足元で火花が散ると動きを止めた。
まったく発砲の音が響かなかった。
雷管が破裂する音すらもない。
構えているのは黒髪の女だ。
それもまだ十代中ごろの
クロードは両手を上げながら言った。
「撃つな。俺はクロード、現状は無所属。この場所には迷いこんだ。そちらは?」
とりあえず重力操作が満足に使えないこの状況。
下手に刺激せず、従ったほうがエクリアのためではある。
自分は撃たれたとこで「痛い」で済むからだ。
「……覚えてないの? あんたは」
「言う必要は無い、ホノカ」
女が言おうとしたところでさらにその後ろから男が現れた。
こちらもまた若い。
まだ二十に届いていないだろう。
「分かりました……」
女――ホノカが拳銃を下ろし、後ろに下がる。
代わりに男の方が前に出てくる。
不愛想。
そうとしか言えない。
それ以外で表すならば、どんなキーワードで検索を掛けたところで全く引っかからないくらいに存在が希薄。もしくは消すことに慣れている。
そこにいるはずなのに、生命活動で絶対に発する音まで隠蔽しているのか、存在を部分的にしか認識できないような者だ。
そいつがエクリアに目を向けると、何か合図するように目を動かし、エクリアがぶるりと震えるが、
「クロード准尉」
「…………。」
クロードの顔には冷汗が流れていた。
絶対に勝てない。
心の底から思えてしまう相手。
威圧などは全くしていない、気配もない。
ただ相対するだけで戦おうという気が失せる。周りのことが頭に入ってこないほどに慌て始めていた。
「よ、よう。な、なななんか勝手に触ったりしたけどどど、そ、そりゃあれはその、なんだ」
「一旦落ち着け。勝手に実験室に入ったことは見逃してやる」
「ああわかったわかった、別にやましいこととかそういうことは一切ないわけなわけでアレが」
「……黙れ」
クロードの視界が突如回転し、空間把握能力がダウンした。
気付いたときには背中に強い衝撃が。
狙われたのであれば、なんであれ察知するはずの異能がまったく効果を発揮せず、倒れたままの状態で何をされたか理解した。
すぐさま起き上がろうとして、体に力が入らないことを認識する。
男の手には無線通信用端末が握られている。異様に長く太いアンテナを付けた。
スイッチは押されている。
「落ち着いたか、クロード」
「落ち着いた。だから離せスコール」
端末のスイッチから指が離された途端に体に力が戻ったのを感じた。
「またなんか変なものを……なんだそれ? 脳波を打ち消す発信機の強化型か?」
「新型の指向性高出力ジャマー。頭にチップを埋め込んだやつなら一発だ」
「…………ああ、さいですか。アレの強化版な訳か」
昔の記憶から嫌なものではあるが引きずり出して思い出す。
何度これで押さえつけられたことか……。
「そうだ、まあそんなことはどうでもいい。目的はなんだ」
「とりあえず地上に帰りたい」
「……まさか上のラビリンスから落ちてきたのか」
「落ちたよ、結構な高さを! 普通なら死んでるぞ」
「なるほどな。ホノカ、転送陣を起動しろ」
「はい」
黒色の短いポニーテールを揺らしながら、クロードの横を通り過ぎて魔法陣の前にしゃがむ。
両手を置いて静かに魔力を集める。
少しずつ、ゆっくりと魔法陣が息を吹き返しだす。
「あの子は?」
クロードがそう訪ねると、スコールは少し目を細めて答えた。
「幽霊の霊に命、そう書いて霊命という名前だ。うちの部下」
「お前らのとこ年齢幅広すぎやしねえか」
「下は16、7で上は40代だな。でもクロードのところも下は一桁から上は50代までいたと思うが」
「……うちの部隊は少年兵も交えた実験部隊だったからな」
クロードが昔を思い出しながら言うと、ちょうど魔法陣の起動が終わったようだ。
「励起完了、いけます」
「よし、行くぞ」
「はい」
ホノカとスコールが魔法陣に足を踏み入れ、その瞬間、青い光になって消えた。
あらかじめ設定された別の魔法陣へと運ばれたのだ。
妙な存在がいなくなったことで気の抜けたエクリアが口を開く。
「あの人なんなの? いきなりクロードを投げるし」
「昔からの知り合いだ。ほんとに危険な奴だから、うかつに口を効かないほうがいいぞ」
「う、うん、気を付ける」
そうして二人も魔法陣を踏んだ。
一瞬の、なんとも言えない浮遊感の後、固い床に足が着いた。
材質は先ほどの場所のものと変化はない。
ただ掃除がなされた、広い部屋には人が大勢いる。
壁には沿うように円筒形のガラスケースが並べられ、中には培養液のような澄んだ薄緑の液体が満たされている。
「……この人たち」
「知り合いだ、でもさすがに魔族ともなるとな……俺の後ろから離れるなよ」
「分かった」
クロードの後ろに寄り添いながら、手は腰の曲剣に。
この場にいる人は明らかにこの世界、この時代の者ではないと分かる。
年齢はバラバラ、服装もバラバラ。
まだ学校にいてもおかしくはない見た目の少年少女から、人生の折り返し地点手前の者まで。
若い方は街中でふらついていても違和感がない格好だが、そうでないほうはどう見ても賊と変わりない服装だ。
「おお? クロードじゃねえか」
見た目二十半ばの男が駆け寄ってきた。
エクリアはすっとクロードの背中に姿を隠す。
「よお、鉄」
「鉄じゃねえ、アイゼンだ」
「同じだろ。なんならアイアンて呼ぼうか」
年上と分かっていながらからかう。
「おめぇ……上官に向かってその口の利き方はなんだ」
「所属が違うし俺はもう軍属はや・め・た」
「一発殴っていいか? 単独で予備隊扱い、旅団を壊滅させられるほどの賞金首がなにかってなことしてやがんだよ、つかよく上が許したな」
「殴ったらお前らふっ飛ばす。それにうちの部隊は数名除いて全滅したからな……やめたっつうよりか、やめるしかなかったような感じでな」
「おっと、そりゃ悪かった……」
会話が途切れたところで向こう側に視線をやれば、散らばっていた者たちが集まり始めていた。
「アイゼン、行かなくていいのか?」
「おおっともうこんな時間か、じゃあなクロード」
アイゼンが離れていき、他からの視線もないことを確認するとエクリアがクロードの隣に並んだ。
敵ではないにしろ警戒は解いていない。
「元山賊って言ってなかったっけ?」
「軍属だが似たようなもんだよ。俺のところ規則もすごい緩かったし……って」
前方、人が集まっている場所の中央に黒い球体が発生した。
マイクロブラックホールのようなそれは、周囲の空間を捻じ曲げ、空気を吸い込み始めたのか緩い追い風を感じる。
「まさか……!」
クロードが急に駆け出し、エクリアがそれに続く。
黒い穴は急速に膨れ上がり、大きな卵状の形を作る。
その中に、周りに集まっていた人が次々と飛び込んで消えていく。
間違いない、これは別世界行のゲートだ。
「ちょっと待てぇぇぇぇぇっ!!」
最後の一人、スコールが入る前に呼び止める。
こんなところで元の世界に帰るための手段を逃してはならない。
「どうした?」
とても落ち着いた声で、クロードのことなど、どうでもいいことのように返事をしてくる。
「どうしたじゃねえよ。俺は元の世界に帰りたい! だから連れて行ってくれ」
「あっそう。いいぞ、キャパに余裕はあるから入れ」
ようやく帰ることができる、そう期待でいっぱいになった思考状態で穴に飛び込もうとするが、なぜか弾かれる。
まるで磁石の同極同士を近づけた時のように、見えない力に弾き飛ばされるのだ。
何度やっても、何度やっても結果は同じ。
まるでオープンワールド型のゲームでよくある、例の『見えない壁』とやらが配置されているようだ。
なにをやったところで通り抜けることは叶わない壁だ。
「え、あっ、なんで……」
「残念だったな。変な魔法でもかかってるんじゃないか?」
変な魔法。
そう言われて心当たりは二つしかない。
「な、おぃ、待てよ、あの勇者召喚とかいうふざけたアレか!」
「ほんとに残念だったな。まあ、なんだ、この世界で生きろ」
「え……」
「不安か? だったらいいものをやる」
そう言って手渡されたものは黒い珠だった。
真珠程度の大きさながら、それに見合わないほど強大な何かを感じ取れる。
「……、」
「卵だ。肌身離さず持っていればそのうち孵化するだろう」
「なんの卵だよ」
「正確には卵じゃない、水子の魂だ。魔力を吸わせていけば大きくなるだろう。それじゃ」
言うだけ言って、渡すだけ渡して穴の中へ。
「おい!」
呼び止めようにも、穴は一瞬で消え去り、そこに残ったのは一枚の紙切れと床の魔法陣。
拾い上げてみればただ一言『迷宮管理エリア直送』とだけ。
衝動的に紙切れをビリッビリに破り捨てた。
「……、」
かなり苛立った様子のクロードに、エクリアは恐る恐る話しかけた。
「ク、クロード……?」
「大丈夫だ、ちょっとキレかかってるくらいだからあまり話しかけんな」
不自然なくらいに明るい笑顔? で、表情とはまるっきり違う怖い内容だったため、どう反応していいか分からずにフリーズ。
誰であれ予想外、体験したことのないパターンに出くわした場合、すぐに解決策を考えるが、どうしようもない場合は固まってしまうものである。
「……、」
何かとぎこちない空気なる。
クロードは卵? をポケットにしまい込み、ナイフの位置を確認していく。
転送された先がいきなりモンスターハウスのド真ん中という可能性だってあるのだ。
それに加えて重力操作が完全に戻るかどうかも定かではない。
自身の決定的な攻撃手段が封じられた状態で先ほどのようなオークの群れと戦闘に突入しようものなら……。
考えたくもないが、食料にされてしまう可能性が……残念ながら少なくない。
おまけにあの分厚い脂肪、ナイフ程度ではどうしようもないほどの防刃性を誇る。
万が一、本当に万が一、碌な抵抗もできずにやられてしまうのだけは、変なプライド? が許さない。
「行くとしようか、すぐに剣を取れるように構えておけよ」
「そこは大丈夫、あたしだって」
「戦える、だろ? 敵がいた場合、後ろは任せるからな」
「うん!」
なんだか非常に怖い悪魔ではあるが、それに頼られるという事が嬉しいのかエクリアは強くうなずき、返事をした。
そして二人は魔法陣を踏んだ。
身体にかかる重力が一瞬で消え去る。
床からほんの数センチ浮かび上がり、身体の感覚が消失する。
末端から青く光る粒子に変わり、転移が始まる。
一瞬のできごと、それでも当事者にはやけにゆっくりと感じられる転移。
そして、ふっ、と完全に五感全てが消失した瞬間、クロードとエクリアは獣臭い部屋に降り立った。




