勇者戦闘・勇者一名御帰りでーす
「よお、千夏」
通路を通り抜けた先で、背の低い勇者に話しかけた。
格好は相変わらずだが、武器が変わっている。
片手に青緑色の盾、中心に赤い宝石が填め込まれたもの。
片手になんの装飾もないが、まがまがしいドス黒いオーラを放つ剣。
「おま、えのせぇでっ!」
先に仕掛けてきたのは千夏の方だ。
あまりの速さにクロード以外は反応すらできなかった。
だが狙いはクロード、反応できずとも被害はない。
「はっ」
足に照準を合わせ、重力操作で固定……したつもりがそのまま斬りかかってきた。
一歩後ろに下がりながら身を捻る。
それで回避できるはずだった。
だというのに、不自然に千夏のストライドが伸びた。石の床の上を滑るように。
剣先が届かない距離だったはずなのに、黒い刃が伸びた。まるですべてを撥ね除けるかのように。
ザシュッ! と水っぽい音が、骨ごと肉を斬る音が響いた。
「おおう……」
肩から先の感覚が消失する。
「あんたが裏切ったから! そのせいで俺はこんなとこにいんだよ! 返せ、俺の異世界のチートな冒険を返せぇぇ!」
「やつあたりかよ」
「姫さん連れてったのあんただろ!」
落ちた腕をくっつけながら距離を取る。
よほど切れ味がいいのか、切断面は綺麗だ。
お蔭で再生も瞬間で終わる。
「なんだ、帰ったらお姫様がいなくて探しに行けとでも言われたか?」
「ああそうだよ!」
千夏が盾を掲げる。
赤い宝石が輝き、床の隙間から火炎が上がり、一瞬で引っ込んだ。
「剣は重力操作、盾は燃焼促進か」
盾から放たれた魔力をクロードは重力操作で掻き乱す。
すると魔術は即座に形を失うのだ。
魔力という未確認物質も重力の影響は受けるらしい。
「天城に騙されて変なとこに迷い込むし! エロイベントもないし!」
「知ったことかバカが」
袈裟がけに振り下ろされる剣に、斥力の剣を真っ向からぶつける。
それは光すら跳ね除け、真っ黒な魔剣のように見えた。
「千夏、その剣どこで拾った」
「あんたこそ」
ギリギリと鍔迫り合いを続けるうちに、千夏の剣にヒビが入った。
クロードのは単なる力、対して千夏のは物理的な剣。
疲労の影響は明白だ。
「くっ」
千夏は剣を引きながら盾で床を叩いた。
宝石から魔力が迸り、
「てめっ、まさか」
「終わりだ!」
自分もろともクロードを囲むように床に線が入る。
そこからじわじわと床が沈み始める。
「クロード!」
「来るなエクリア!」
それでも、いきなり止まることなんてできるわけない。
細い糸で焼き切ったかのように、綺麗にスポッと床が抜けた。
エクリアはそのぎりぎり手前で踏みとどまるが、
「あっ、落ちっ!」
不安定な姿勢では耐え切れずに落ちた。
1
落下する中、クロードと千夏はしっかりと相手の姿を捉え続けていた。
千夏の目は赤く光り、クロードはピンポイントの重力操作で瞳孔を強引に広げている。
「お前セカンドか。仮想世界にダイブするために、脳にナノマシン埋め込んで、あちこち弄くり回したとかいう」
「そういうあんたもだろ!」
落下速度は景色が流れるほどに早い。
だが下はまだまだ地面につきそうも無い真っ暗闇だ。
これはもしかすると大空洞に落ちたのかもしれない。
地形変動か、それとも火山活動の影響か。
どちらにせよ落ちたら死ぬ高さだ。
「残念、俺はサードだ。お前らセカンドよりも仮想には適応してるさ」
「サード?」
「知らなくて当然だ、まだまだ実験段階だからな、それも東南アジア州のサーバー限定だしな」
「州って?」
訳の分からないことに困惑しながらも、いまやるべきことを決める。
それは目の前にいる敵を倒すこと。
剣を振り、衝撃波を飛ばそうとした千夏だったがヒュンと風を切っただけ。
盾から炎を飛ばそうと構えてみれば……何も起こらない。
「なにをした!」
「何もしてねえ。魔力がなくなってるだけだ」
相対速度はほとんどゼロ。
言いながらクロードは殴った。
受け止めた盾はぼろぼろと崩れ、景色に消える。
身体を捻り、続けて放たれた蹴りで剣が折れ、手から弾け飛ぶ。
「一般的な倫理観のねえやつぁ、ほっとくとなにするか分かったもんじゃねえからな」
それはクロードもだ。
「放っておけばその割りを受けるのは無関係な誰かかも知れない」
例を挙げるならば、唐突に壊滅状態に陥れられた魔王軍などだ。
「だからここで死ねよ、勇者」
「あんただってゆうし――――」
言い終えるまえにバコッと拳が叩き込まれた。
一切の魔術が使えない千夏、こんな状況下でも重力操作を行えるクロード。
どちらが有利かと言えば、その答えはもう出ているだろう。
「勇者が」
右ストレート、左フック。
「そん、なこと」
膝蹴り、頭突き。
「していいのか!」
落ちながら、殴られながら千夏は言った。
だがそんなことは一切クロードの心には響かない。
「勇者だあ? そんな消耗品にはなりたかないね」
空中で一回転、その勢いも合わせて千夏の腹を蹴った。
すでに落下は終端速度まで達している。
凄まじい速度で大空洞の底に激突した。
……千夏だけが。
2
土煙が舞う中で。
「げほっ、げほっ、うえほっ」
「まーだ生きてるか。化け物クラスだな……いや、勇者だからこその原因不明の力か?」
クロードはナイフを抜きながら、トドメを刺すために近づいてゆく。それも闇夜から舞い降りる死神のように。
「けほっ、うぅ……なんだよここ……」
だが千夏はクロードを見ていなかった。
むしろまわりの、暗闇の中を見ていた。
クロードも一瞬だけそちらに目をやったが、信じられないものがあった。
「なんで……こんなところにビルがあるんだ?」
ガラスは完全になくなり、外壁も黒く変色しているが、その形は日常生活の中で見慣れた高層ビル。
それがこんな地下深くに。
「なあ、これさ、もしかして……」
「いや、まさかな……未来の地球とかそんなバカげたことは……」
二人ともが戦いを忘れて黙り込んだ。
周囲を見れば見るほどに、ありえないという思いが薄れる。
もはやフレームだけになった自動車。
倒れた信号機。
欠片がわずかに残っているアスファルト。
さすがに原油がここで揮発したとは考えにくい。
そして、ところどころに散らばる人骨。
魔族や獣人のではない、純粋に人間の骨だけ。
風化の度合いから最低でも数千年経っているようにも感じられる。
「は、ははっ、なあおい、異世界転移とか思ってたけどこれまさかさあ」
気がふれたのか、若干笑いながら千夏が言う。
「遥か未来にぶっ飛んだんじゃね」
「そうかもな」
対してクロードはどうでもいいといった様子だ。
ここまで荒廃したとなれば何か生物がいるとは思えないが、念のため警戒しながら歩く。
「一時休戦、意見は?」
「ない……」
クロードに武装を破壊されたうえに魔術も使えない。
これではちょっと頑丈すぎる一般人となんら変わりがないので足手まといとしてクロードについていく。
しかし、勇者として召喚されておきながら、クロードにはこれと言って、特に目立った能力はなにも付与されていない。
千夏と天城は付与された能力に加えて、異常なまでの耐久性、持続力、魔術、筋力増加、エトセトラだというのに。
「しっかし、ここはどこだよ? 文字なり形のわかるものでも残ってればいいのに」
「ここまでぼろぼろだとどこの国か分からないだろ」
散策しても文字の媒体となり得る紙などある訳はなく、標識なども表面が完全に風化し、さび付いて穴だらけだ。
建物の建築方式から判断しようにも、先ほどのビル以外はRC構造の骨だけしか残っていなかったりだ。
だがビルなどではどこの国か判断できるほどの知識は、どちらも持っていない。
「……そうだ、AIが生きてるんじゃないかな」
ふと千夏が呟いた。
「AIが……。そうか、あれはどこの国のも同一規格だから……自己修復機能で生き残ってるかもな」
思いつけばすぐに実行する。
二人は目を閉じた。
クロードは磁場を展開して地中の通信線を走査した。
地上にあったものがここまで風化していても、地中ならば心線くらい残っているだろうと思ってのことだ。
「ダメか……つながらない」
「千夏、頭ん中に無線モジュールぶち込んだセカンドだからって、アクセスポイント経由せずにAIに接続できるわけないだろ」
目を閉じたまま言い、クロードは地中に通信線を検知した。
絶縁物は完全になくなり、心線自体もぼろぼろで断線しているが大まかな方向は分かる。
走査の方向を限定してより長距離を探ると、やがて心線の先にまだ生きている機械の反応があった。
「まずい、気づかれた」
「何に?」
「アレだよ!」
直後に破壊音が轟いた。
遠くで砂煙が立ち昇り、その中からナニかが飛び出た。
「磁気に反応……まさかな?」
眺めることわずか四秒。
それは十メートルほど前方に着地した。
逆関節、片腕、全身を鋼鉄のプレートで覆ったぼろぼろのロボット。
装甲の色は黒と緑を混ぜたような色だ。
「機械兵かよ!」
「な、なんだよそれ!?」
頭部のカメラアイが赤く明滅し、片腕が開いて銃身が姿を現す。
隙間から見えるのはリンクで接続された7.62ミリの弾。
「――っ! 伏せろ!」
クロードが駆けだすのと同時、フルオートの銃撃が始まった。
強烈な反動を機械フレームが抑え込み、五発毎に飛んでくる曳光弾と三角形に配置された照準用のレーザーがクロードを追う。
大量の空薬莢が煙とともに排出され、カランカランと音を立てる。
「セントラ軍の機械兵……!」
弾丸はかすりもしない。
重力操作で生み出された壁がその弾道を捻じ曲げている。
「久々にあえて嬉しいよ、このポンコツが!」
五歩で間合いを詰める。
懐に入ってしまえば銃撃を受ける心配はない。
クロードは手に持ったナイフを、装甲のわずかな隙間から叩き込んで内部の回路をぶち壊した。
バチバチと火花と粘ついた黒いオイルを漏らしながら機械兵が崩れ落ちる。
(まさかな……空に月が二つ……ここに知っている兵器……)
ナイフを軽く拭ってしまい込む。
ファンタジーな世界で思い切りSFの産物に襲われたが、これはこれで知っているもの。かなり昔に結構な数を破壊したことがあるので慌てることはない。
これを解体したところで内部のデータは専用の端末がなければサルベージもできない。
だから放っておく。
振り返って後ろの惨状を眺めれば、抉られた地面と飛び散った赤色。
「流れ弾で死んだか……まあこれはほんとにどうでもいいな」
そう言って立ち去ろうとした途端、千夏の身体が浮かび上がった。
「?」
飛び散った血液が、映像の逆再生のように戻っていき、傷が塞がる。
「まさか勇者特権で死なないとかもあるのか?」
警戒しながらゆっくりと近づく。
浮かんだままという状態が、魔術を使えるのではないかという懸念を誘発させる。
「おい?」
「う、ぅあ……あれ、なにが……?」
意識を取り戻すと、千夏の真下に真っ黒な穴が開いた。
それにゆっくりと引き込まれ始める。
「な、なんだよ、なんだよこれ!?」
それは見覚えがあるものだ。
この世界に引きずり寄せられたときの”ゲート”だ。
「帰還用のゲートか。これで帰れるな」
「嫌だ、俺はまだ帰りたくない! まだハーレムだって作れてないのに!」
「バカが……」
穴の縁にしっかり掴まってもがく千夏を蹴り落として、クロードも穴に入ろうとした。
「は?」
が、磁石でN極とN極を近づけたときのように、S極とS極を近づけたときのように、どうやっても入れずに弾きかえされる。
重力操作で無理に入ろうとすればするほど弾く力も正比例して増大する。
「なんで入れないんだよ」
思い切り、身体のどこかが潰れる覚悟で加重をかけるが、それでも弾かれた。
そしてそうこうしているうちにゲートが閉じてしまう。
「……………………」
その場に胡坐をかいて座り込んだ。
そして目を閉じた。
(今のだけで考えると、帰るためには死ぬ必要性あり、というのが条件だろう。しかしだ、俺ってどうやっても死なないわけじゃないか! 無意識に重力操作で常に障壁張ってるし、不意の事故で死にましたとかいうこともアレのおかげでないじゃないか! 即ち老衰で死ぬまでこの世界に永住かよ!)
と、心の中で叫び叫ぶこと数分。
3
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああっ!!」
最初の落下地点に戻ってきていたクロードは叫び声を聞いた。
それは真上から。
見上げれば、夜空に輝く星のように小さな穴と、落ちてくるエクリアが見える。
腕を真上に、段階的にかかる負の加重を発生させる領域を形成。
落下速度が終端速度から徐々に減速したエクリアを横抱きでキャッチ。
即ち、俗に言うお姫様抱っこ。
落下中の風圧で息が絶え絶えになっていたエクリアの顔が、カァッと赤く染まった。
「あっ、あた、わたた、あたしっ」
「落ち着け。ほら、深呼吸しろ、深呼吸」
「う、う、すぅぅーーはぁーー」
それなりに落ち着いたところでそっと下ろした。
エクリアはきょろきょろとあたりを見回しているようだが、
「真っ暗で何も見えない……クロード? そこにいる……よね?」
「ああ。この暗闇じゃどうやっても見えないだろうな。まあ俺は見えるけど」
「それも魔術?」
「だから俺は魔術は使えないんだって」
言いながらエクリアの手を握った。
「きゃっ」
「音と臭いだけでついてくるのは無茶だろ?」
「う、うん……」
妙にエクリアの体温が上がっている。
暗闇で脈拍が上がっている……というよりは、クロードに手を握られているから、という意味の方が強い。
(確か狼犬族ってそのまんま”犬”だったような……。なら夜目が効いてもいいはずなんだがな)
そんなどうでもいいことを思いながら、エクリアの手を引いて歩き始めた。
光源は遥か上にある穴のみ。
当然それだけの光量では、遠ざかるほどにクロードでも見えなくなってくる。
自身の能力を応用した周辺走査だけでもとりあえずは歩ける。だが、それだけだと不意の出来事には対応しづらくなるだろう。
それでも歩き始めた。
地上を目指して。




