竜を狩る赤帽鬼(レッドキャップ)
「あんたが赤帽鬼か」
門を開けて俺を出迎えてくれた警備主任ジョンの言葉に俺は頷く。白人は中年を超えればぶくぶくと太るものだと思っていたが、ジョンはトレーニングしているのだろう。引き締まった逆三角形の体格に俺の胴ぐらいある太い腕、背中には連射式の散弾銃―――他の傭兵たちが良く使うドラム弾倉のものを背負っていた。
「まあ二、三日ゆっくりしていってくれ。その後に依頼をお願いしたい」
「ああ、判った。部屋まで案内してくれ」
オーケー、ついて来い。
俺の性急な言葉に何か言うでもなく、ジョンは筋肉で膨れ上がった背中を見せて前中庭を先導する。この手の要塞には中庭は二つ存在するものだ。外殻と呼ばれる外壁を抜けると前中庭。その後、もう一つの強化コンクリートでできた高い門が行く手を阻む。これは虎口と呼ばれる敵の侵入を阻むための工夫で、敵の突入の勢いを和らげると同時に、足踏みする敵を正面と左右の訪問から飽和射撃を与えて殲滅するためのものだ。左右と正面の銃眼からはブローニング機銃の銃身がこちらを射程に収めていた。
「結構いい所だな」
俺の感想にジョンはスキンヘッドを掻いて、
「まあまあさ。でも、資源には限りがあるからな」
俺もバンダナと額の接点を掻く。やはり、ここは少し暑い。
「そうかい。あの蜥蜴ぐらいだったら殺れそうだが、」
「冗談だろレッドキャップ。あのクラスの皮膚を貫くには12、7ミリじゃダメさ。基地には成形炸薬弾が六発しかなくてね。できれば大事にしたい」
つまり、今回の蜥蜴の件は、たまたま俺との依頼が重なったということなのだろう。
既に開いている虎口門をくぐると、そこが本当の中庭で裏口に大型の装甲車が7台ぐらい並んでいた。駐車場ということで押してきた単車を端っこの方に停めて、荷台からトランクと小さめの荷物入れを下ろす。
「…持とうか?武器も重いだろう」
「大丈夫だ」
アメリカ人の気遣いに俺は首を横に振って応えた。
本拠地はどうやら中庭を中心にしたコの字型建造物で、マンションのような各部屋のベランダには、色とりどりの洗濯ものが揺れていた。屋上には風力発電の風車が恐ろしいほどゆっくりとした速度で回転している。あの分だと太陽光発電の黒板もあるだろう。屋上は発電機に3割、作物のために7割といったところだろうか。
「しかし、アメリカ人は洗濯物を干さないって聞いたけれど変わるものだな」
「どこも厳しい、だろ?無駄な電気は使えないんだよ」
大柄な言葉には僅かに不機嫌の色。俺は―――
「その通りだな、すまなかった」
謝罪して沈黙。話題も尽きたのかジョンも話しかけてこなくなった。
やがて、五〇歩ぐらい歩いたところで本棟への入り口に到着する。
「それじゃ、武器は預かるから。おとなしくしてろよ」
へいへいと承諾して、俺はバルディッシュを放り渡す。近接武器としてはイカれた重量だが重量挙げの棒としては失格なほど軽いだろう。ジョンも平然とそれを受け取って入り口に立て掛けた。
「後で片付けるのか?」
「そうだな、」
短い答えが返ってくる。
「後で持っていくときに武器庫に案内するよ」
流石に幾分の付け足しがあった。そのおかげで俺も咽喉から出かかった質問の内容を飲み込むことが出来る。
そして、それ以降特に会話はないことも予想できる。
退屈だナ、と振り返ると前中庭を阻む虎口門の屋上は吊り橋式の渡廊下で外壁と繋がっているようだった。
俺の部屋は最上階の角部屋だと伝えられた。
景色がいいぞ、との仰せではあるが居住区の高さと外壁の高さを考慮すれば、どう考えても悪趣味な冗談にしか聞こえない。また、この建物の最上階=六階は、俺の武器がある武器庫=一階から遠く離れていて、もやもやと不安になってくる。
「なーんかなー。釈然としない」
消毒するとのことで衣服をはぎ取られ、冷水のシャワーを浴びる。浴びながら、ぶつぶつ独り言に文句を混ぜる。体中の埃を流して、最後にNASAが宇宙飛行士向けに開発した水の要らないシャンプーで頭を洗った。ゾンビ菌(笑)は空気中では弱く、かつ血液が乾燥するとすぐに死ぬのだが、念には念をとのことだ。
用意された黒いTシャツと、迷彩柄のズボンを履く。更衣室の外では退屈で死にそうな顔をしたジョンが背中を壁に預けて煙草を吸って待っていた。
「待たせたな」
「ああ、じゃあ行こうか」
煙を吐きながら再びジョンが先導する。廊下は外の方がマシなくらい暑い。
最後に来客用のタグを渡されてようやく辿り着いた部屋もまた空気の性質上の理由で熱帯だった。けれども、安直に汗がでたと考えるのは早合点というものだ。暑い事は暑いが、湿度も低いので、日本の夏のようにやたらと汗を掻くということは無いのだ。
――――――その代わりに酷く咽喉が渇いた。無い物ねだりをしてもしょうがない。俺は我慢してベッドに寝転がる。噛みしめた歯がミチミチと顔の奥の筋肉を刺激するが、全身を包む疲労感に俺は素直に目を閉じ、寝床が柔らかいという幸福を味わう。
こつん、こつん。
記憶の回廊を裸足で歩いていた。踵の骨は大理石の床とぶつかって軽快な音を立てた。
十年前の六畳一間にもう顔を忘れてしまった大切な人が鮮明に微笑んでいる。食卓には二人分というには多すぎる食事が並び、丼に盛られたご飯と響く笑い声。
静かな時間。ちゃぶ台の上にはニュースキャスターの声が他人事みたいに漂っていた。
暗闇に電球の淡い明かり。その下の少しだけ片付けられたちゃぶ台。上には冷えたビールの管がプルタブを開けられて放置されたまま。きっと炭酸は抜けきってしまったに違いない。
やがて訪れるその時に電球を消して眠りにつく。
不確定な明日に備えて。
混在、混乱。飛び起きるように目を覚ました。一寝入りして、テキサスは暑いというより暖かいのかもしれないと感想を改める。とはいえシーツ一枚でぐっすり眠れるのは無理があったのか、粘っこい汗が肌にTシャツを張り付けていた。
嫌な夢というのは鮮明な形を残さずに漠然とした不快感を置いていく。荒れた呼吸は心の変化と同時に深く静まってき、聴覚の向きがが体内から外へと変わる。
こんこん、と遠慮がちに木を叩く音はノックで間違いないだろう。だとしたら扉の向こう人は怒っている可能性が高いから早く出よう、という程度の判断は寝起きの脳にも可能だったらしい。俺の足は考えるよりも早くベッドから飛び降りて
「済まない。眠っていたんだ」
扉の向こうにいたのは、一二歳ぐらいの女の子だった。瓶とグラスを載せたお盆を両手で支えている。
「気にしないで。疲れていたんでしょ」
そう言って、扉の向こうの少女は微笑んだ。同時に俺の目尻も何故だか下がっていた。どうやら笑顔には笑顔を呼ぶ効果があるらしい。
「その中身は水?」
「そう、ジョンがもって行けって。入るわよ」
部外者の部屋だからと言って、特に少女は遠慮しなかった。
「渡してくれ。疲れただろ?」
「あら、ありがとう」
力を入れ過ぎないように少女からお盆を受け取って部屋の端にもうしわけ程度に置かれたテーブルの上に置いた。
「座って」
少女に椅子を進め、俺はベッドに腰掛ける。改めて見ると中々愛らしいお嬢さんだなと勝手に判断。水を注ごうとしたらコップが一つしかない。
「なんでだろう。君の分がないんだが?」
「あなたの分よ」
俺の言葉に少女は苦笑する。まだ全然成熟しきっていない体を覆う、だぼついた大人用シャツが揺れた。
「水は、…貴重なのか?」
「少しね。他のところよりはましだと思う。ここは地下水があるから」
なるほどと頷きながら俺は水を飲んだ。アメリカによくあるタイプの水で、飲みなれた感じと少し違うのは。蒸留したもだからかもしれない。少しだけ温かった。
「……温いね」
「ほんとはよく冷えた水だったんだけれど、」
そう言って少女は避難の視線を俺に向ける。はい、自爆。そうですか。まあ、俺のせいだこれは。
「名前は何て言うんだ?」
安直かつ基本的な俺の質問に少女は胸を張って答えた。きっと思い入れがあるに違いない。
「ナンシーよ」
ありきたりな名前だね、と素直な感想を言ったらぶち殺されそうな気がしたので、妖精みたいな名前だねと珈琲を濁す。いや、コーヒーはもともと濁っているけれど。いや、あれは濁ったようなような色というだけで決して濁っているわけではなく。でも緑茶に濁り的な単語がつく物も存在したような、しないような。
「あなたはレッドキャップって言うんでしょ」
「ウンソウダヨ」
珈琲にミルクを混ぜたかのように混乱した頭に、シュガーを混ぜるがごとき甘い声が入り込んでくる。
「変な名前って思ったわ」
やはりこの珈琲は苦かったようだ。最終的にカップは砕けコーヒーは床の養分になった。しかし面と向かって言うほど変な名前だろうか。
「処刑人より可愛いだろ?」
「まあね。でも意外、」
少女の顔には愉快そうな皴が刻まれる。俺は毎度毎度、初対面の人間に言われるセリフに返答用の言葉を脳内選択肢として用意。
「あの凶悪なレッドキャップが、こんなに綺麗な女の人だったなんて」
そうか……、
全く同意したくなる告白だった。俺だって君のそう言いたくなる気持ちは判る。というか、変化した当初はまったく似たようなことを鏡に向かって唱えていた。
あれ?俺って女だっけ?男だったよな、と。確認するように何度も。何度も。
何時から主人公が女だと錯覚していた的な回です。多分、お話自体はあと四話で終わり。笑いなし。涙なし。の無味乾燥な戦闘描写で埋め尽くせたら幸せだなぁと思います(笑)。