受け継いだのは
テキサスの荒野を大型単車が疾走する。荒野に敷かれたアスファルトは砂と風の浸食で黒というよりも灰色に見えた。
「そろそろ到着だな…」
ゴーグル越しに俺の視界に飛び込んできたのは強固なる灰褐色の城壁。第三基地と呼ばれる建造物だの外殻だ。感染者で世界が覆いつくされる前に幾つかの企業が総力を上げて作り上げた避難用の大規模なコロニーで、その大きさといえば内部での自給自足も可能なほどである。
そして、当然の如く人の集合する地点には必ず奴らも現れる。鮮度の高い肉を求める感染者の――――――なれの果て。
――――――大喰者。複数の感染者が如何なる経路をたどったのか、癒着した怪奇な元人間達。閉じた世界に住まう人々の安寧を唯一脅かす可能性のある存在だろう。今回の大喰者は人の頭を持つ蜥蜴―――体長は恐らく十五メートル程度と中々に大物だった。
大物。
そう、奴らを狩る者達がいる。
腐肉を漁るハイエナのように。やつらの現れる場所には必ず傭兵が呼ばれる。
「では、始めますか」
呟いて、俺は背中の得物に右手を伸ばした。指の伸縮の後、掌に熱された木の温度が触れる。全長二,五メートル、総重量九,七キログラム。柄の先端に取り付けられたCS社製の三日月刃は全長〇,八メートル重さ二,七キログラム。この世界では俺にしか扱えないであろう重量武器。
そうあの日、桜花さんから受け渡されてから俺の身体は変貌を遂げた。
といっても身長は変わらない。
まず気が付いたのが身体能力の向上だった。
周りくどい話は抜きにして具体的にいこう。
例えば蠅がビールの周りをうろついている時、蠅の翅を空中で毟り取れる。
例えば片手の腕力だけでも、ダンボールをひっくり返す気安さで自動車をひっくり返せる。
その上、体格が変わらないと思ったら密度が上昇したのか体重が一五〇キロを超えていた。
お蔭で力の調整に苦労したことは古い記憶の片隅に大切に仕舞い込まれている。少し力を込めようものなら簡単に皿が割れ橋が折れ、同僚の肩を叩けば骨折する。そんな愚かな過去を繰り返さないように。
アクセルを全開にしたエンジンが俺の下で唸りを上げた。テキサスの熱風に暖められたエンジンはタンクの液体燃料を喰らい、ピストン運動を変換して車輪の回転運動として伝達える。左手一本でハンドルを切って直線から徐々に左へと車体を変更する。俺は城壁付近を跋扈する人頭蜥蜴に頭を定めた。気分は源氏の坂東武者といったところか。いや、由緒正しい家系という訳でもないから「ヒャッハー!」等の奇声を上げた方がそれらしく見えるかもしれない。
瞬く間に間合いは消えていく。相対距離二〇〇。感知に優れた大喰者ならそろそろ気付いてもいい頃合いだろう。
距離一五〇。人頭蜥蜴は鈍かった。いや、単に気づいていても無視しているだけなのかもしれない。この場合は妥当な推察だろう。奴らを傷つけるには最低でも戦車の主砲が必要だ。たった一人の人間如き警戒するに値しないと判断したのも判らないでもない。
距離七十五。これならば先制攻撃は俺のものだ。このままいけばあと二秒で目標に接敵することになる。
ハンドルから放した右手―――斧の柄を掴む利き手は筋肉を撓めた猛獣に等しい。狙うのは大樹の如き左側のの後ろ脚。人頭蜥蜴の後方右四十五度から侵入する。俺の攻撃軌道はは第二次世界大戦の急降下爆撃の水平軌道版。
相対距離一メートルを残して俺は車体を大きく左に切った。同時に掌を短く握っていた柄を右掌で滑らせる。
ここで俺のやるべきことは、全力でバルディッシュを振り回すこと、ではまさか無い。車体の突進力と斧の変動的な遠心力を一回の力の流れとして伝える管に徹することである。この単車の上で俺が全力を出せば反動で体勢崩すことは明白だった。
手に衝撃。
後方で人頭蜥蜴が鈍い悲鳴を上げた。流れていく景色を刹那振り返ると右後ろ脚を浅く裂かれた大喰者が双眸に憤怒の色を宿して咆哮する。
砂煙が巻き上がるほどの咆哮に、俺は単車を止め大地に降り立った。四脚の機動力は驚異的で、敵の殺害を目的とした場合は単車に乗ったままでは致命傷を与えることは難しい。もちろん徒歩による逃走行為も論外だ。強化された俺であっても歩幅の差で絶対に逃れられない。
さあ、
ここから先は血みどろの格闘戦だ。瞬発力にかんしては俺とあいつの間に差は無いが、厄介なのは四足歩行の持つ圧倒的な機動力である。考え見て欲しい。二本しか地面に接点を持たない人間と、四本の接点を持つ獣どちらが機敏に方向転換するかを。
試してみるまでもない。
密室において日本刀を持つことで、人は初めて猫と互角である。ならば俺と目の前の怪物の差はどの程度か。
咆哮し、砂煙を撒き散らしながら人頭蜥蜴が突進する。地下鉄の走行に等しいそれを前に俺は至って冷静だった。頭のなかはともかく、冷静に行動していた。
――――――閃光弾。音と光に蜥蜴の足が停止する。
それも一瞬の事だろう。一呼吸後には狂ったように暴れ出す。
故に、この機を逃さない。
十メートルの助走から跳躍し、バルディッシュを鼻梁に叩きこむ。低く突起したそこは三日月の一閃で叩き潰された。鼻が弱点という哺乳類的な鉄則はこの怪物にも通じたらしい。大きくのけぞった喉元にもう一閃。抉られた傷から鮮血が蒸気をあげて落下、砂を赤く湿らせる。
もう一撃。右から横に薙ぐ蜥蜴の前脚はまるで巨樹の幹のよう。大地の隙間にかがみこみ、全身の剛力を束ねてバルディッシュを縦に振り抜く。ぶつん、という手応え。人で言う手首の部分から先の蜥蜴の前脚が彼方にすっ飛んで行った。
もう一撃いれる余裕はない。
追撃が来る前に俺は後方に跳んで間合いを外した。支援火器があれば随分と楽になるに違いない戦況だった。そうすれば止めに首を落としに行くだけで良い。
練習ではあり得ない事だが、たった三合の太刀打ちで俺の呼吸は大きく乱れ、全身から滝のような汗が滲み出る。
「……来いよ。あとどれだけ戦うんだ?一時間か?半日か?」
折れそうな心を言葉で鼓舞し、斧を振りかぶる。
視線と視線が絡み合い、殺気が衝突して空気が揺れた。
このまま消耗戦というのは奴も遠慮したいに違いない。俺一人を喰っても傷口が回復するわけでもないし、右脚が無ければ城壁を超えるなんて真似は不可能だ。逆に考えれば奴は俺の一人でも喰っておきたいのかもしれないが、しかしそうすると最低でもあと一撃は大怪我を負う可能性を考慮に入れなければならない。
照り付ける太陽が汗を蒸発させる。
隙あらば相手を喰らう。蜥蜴と俺は互いに睨み合ったまま、いつの間にか間合いを外していく。
「フぅウゥウウゥウゥ………」
「……………、………………」
三十分が経過しただろうか。ようやく大喰者は俺に背を向け荒野の彼方へと去って行った。
果たして、あれは人間と呼べるのだろうか。一〇メートル級の超生物を、人間が白兵戦で圧倒するなどと言うことが可能なことなのか。その是非は問うまい。歩哨が監視窓の強化ガラスを通してみた光景は、文明崩壊前の記録映像に残る創作のものとしか思えなかった。
テキサスの日差しに赤いバンダナと極大の三日月斧が蜃気楼のように漂っている。
ひう、と歩哨は咽喉の奥で空気を吸った。
悪魔だ。
男の言語は、眼下の人物をそのように分類した。
近付いてくる。悪夢のような怪物を追い払った人間、果たして人間と呼べるかも怪しいそいつは砦に続く道を何となく真っ直ぐに進んできた。
受け継いだのはこんなものじゃない