唇から、愛してる。
「ねぇ」
拙いような、甘ったれた声を出して強請ってみる。
けれど、相手はいつも気付かないふり。ムカついて、その腕のひとつでも引っ掻いてやろうと思うのに上手くはいかない。
夜の薄暗さに溶け込むような溜め息をひとつ零して、立ち上がる。
肩に掛かっていたシーツがするりと解けて落ちたけど気にしない。
こちらに背中を向けて壁に向かって横になっている男が一人。
全裸で歩き回るのに、今更恥ずかしがる程付き合いが浅い訳でもない。
けれど、少しは興味を持って欲しい。
ほんの十数分前までは快感に燃え上がっていた体も、残り火をちろちろさせるだけでそれが酷く味気ない。
「…………ねぇ」
もう一度、呼び掛けてみた。
「…………」
返って来るのは沈黙。
寝息じゃないから、起きているんだろうな……って事くらい解ってる。
気付かれていると知っていて、それでも向けて来る背中に「何だかな……」と思って、また溜め息が漏れた。
別にいいけど──なんて強く言えたら一番いいのに、それが言えない。
それでも、こっちから背中を向ける事くらい出来るって知っているのかしら?
まぁいいわ────そう零して、シャワーを浴びて、胸の谷間に落ちている赤い印に少しだけ笑ってしまった。
「バカね」
嬉しいのか悲しいのか解らなくて、けれど何だか可笑しくて。
五分も掛けずに身支度を整えた。
ひっそりとした室内に、けれどやっぱり寝息の微かさえなくて、だから尚更笑えて来た。
「ねぇ」
「…………」
猫なで声は出したくない。
けれど、甘えてみたい。
そんなあたしを嘲笑うようにして、何も返して来ない。
肌蹴たシーツを取り戻しもせずに、逞しい背中を晒しているその皮膚に幾つかの爪痕。
バカみたいな独占欲。
愛しているって言いたいけど、でも求められていないから代わりに残すもの。
それも、そんなに時間を掛けずにいずれは消えていく。
あたしは、放り出していたバッグを手に取った。
寝室を出て、狭いリビングのテーブルに置き去りにするのは、銀色の塊。
それに微かなくちづけをひとつ。
「バイバイ」
あたしは、ドアを閉めた。
オートロックはこんな時に便利だと思う。
マンションを出て見上げた空に、半分掛けた月。
好きだけど、愛してるけど、返って来ないものにいつまでも寄り添いたくはない。
だって、いつまでも若いままじゃいられないもの。
冷たい風に頬を撫でられて、あたしは歩いた。
唇が戦慄いてしまったのも、目尻が熱いと思ったのも、きっと今だけの事だから。
そう自分に言い聞かせて。
あなたは、いつ気付くのかしら。
置き去りにされた銀の塊に。
悔しいから携帯電話のメモリーも全て消してみる。
すっきりはしないけど、こんなものよね───なんて、呆気なさを感じて。
明日も晴れたらいいな。
あたしは、そんな事を思った。