ブルボン朝フランス王国の場合
毎度おなじみ、流浪のヒロインでございます。
今日訪れた世界では、とても信じられない光景が拡がっていた。
私はその光に目が眩むばかりだった……。
そこに在ったのは、目が眩むほどの金箔、鏡の回廊、そして天井一面に描かれた神々の饗宴。
窓の外には幾何学模様に整えられた広大な庭園が広がる。
空気には最高級の白粉と、百合の香水が混じり合っている。
そして私はこの時代の私の記憶を思い出す。
(……ベルサイユ、ここはベルサイユ宮殿よ!
ついに来たわ!
これよ、これこそが乙女ゲームの、少女漫画の聖地!)
この時代に来る前、私は「天の声」と対話した。
「正直、今までの王って弱いし、宮殿もなんか質素だったよね?
乙女ゲームって、もっとキラキラした世界でしょ?
確かに婚約破棄の後がどうなるか、知りたいとは思ったけど、中世の面倒臭さまで知りたいわけじゃなかったのよね。
豪華絢爛な世界が、私の望みよ!」
天の声は事務的に
『では、そのような世界を味わわせてあげましょう』
とだけ言う。
私は内心ほくそ笑んだ。
(いくら世界史の勉強サボってたといっても、絶対王政くらいはテストで出たし、覚えているわ。
王が他に比べて圧倒的に強い社会。
そこでなら、王子の寵愛を受ける貴族の娘が、悲惨な目に遭う事もないだろう。
なんて言ったって、王家の者には逆らえないんですから!)
私はそんな事を思いながら、謎の浮遊感に囚われ、意識を飛ばした。
そして目覚めた、鏡を見てみる。
鏡の中の私は、ふわりと膨らんだパニエの上に、繊細なレースとリボンを幾重にも重ねたドレスを纏っている。
この世界の私は、「子爵令嬢マリー」。
「どうしたんだい?
ご機嫌だね」
そう微笑み掛けて来るのは、国王ルイ14世の孫のルイ。
彼はこれまでの武骨な騎士や狂信的な公爵とは違い、絹のタイを優雅に結び、詩を愛する、まさに理想の王子様だった。
「マリー、僕は決めたよ。
公爵令嬢との婚約を白紙に戻し、君を私の正妃に迎えるとね。
お祖父様も、きっとこの美しさを認めれば許してくださる」
いや、ちょっと待て。
この世界では、これからゲームのクライマックス、婚約破棄と自分への求婚か?
マズいでしょ!
今までのパターンからいって、酷い目に遭わされる。
私は必死にそれを止めた。
しかし、流れには逆らえない。
ゲームが進むかのように、事態は進展していく。
「マリー、君は優しいね。
僕はそんな所に惹かれたんだ」
とか言って来る。
現代フランス語に限りなく近いせいか、愛の囁きが実に甘い感じだ。
そして、この婚約破棄劇は、なんと万雷の拍手の元で成功してしまった。
これまでの転生というか夢の中では、婚約破棄した後から修羅場が訪れた。
それは直後だったり、数日経ってからだったり、バラバラだが、比較的早くやって来る。
家族も祝福してはくれなかった。
何か起こるものと直感し、恐れていたのだ。
しかし、ここは絶対王政絶頂期のフランス王国。
国王の決定は絶対であり、王家の者の威光も強い。
宮廷人たちは「まあ、なんてロマンチック!」と祝福した後、扇で口元を隠し微笑ながら何かを囁くだけだった。
婚約破棄は異例中の異例ではある。
しかし、ここフランスではロマンスは頻繁に起こる事。
公式に愛人である存在が、宮廷を闊歩しているのだ。
そのせいか、私の父である子爵も鼻高々に胸を張っている。
「よくやったぞ、マリー!
よくぞ王太孫殿下の心を射止めた。
これで我が家は王家の覚えめでたく、次は伯爵……いや、侯爵家への陞爵も夢ではない!」
(いやいや、そんなわけあるかい!?)
私は今までの経験から、反動を警戒する。
絶対何かある。
私は乙女ゲームの設定通り、貴族の中では下位の子爵家の娘。
ザクセン公とかブルゴーニュ公とかワラキア公とか、ああいう物騒な公爵はいないようだけど、注意しないと。
早くても1ヶ月以内のリアクションが起こる!!
しかし、何も起きない。
2ヶ月目に入った。
何も起きない。
3ヶ月、4ヶ月と過ぎていく。
私の身には何の危険も降りかからない。
(……良かった。
今度こそ、ゲームの正解のルートと同じ、ハッピーエンドへの道に入ったんだわ!
計画通り!)
きっと私は、新世界の神の如く、悪い笑顔だったと思う。
そんな平穏な日々が続き、私はベルサイユの魔法に酔いしれた。
毎日が舞踏会、芸術鑑賞の場、時に恋の駆け引きの場。
王太子というか王太孫が私を婚約者にしたからって、それが最終勝者とは限らない。
同じように奪う事も可能だ。
私はそういったライバル令嬢たちとの駆け引きだったり、教養の披露し合いといった「ゲーム」に興じていた。
こんな展開なら、ゲームマニアを甘く見るな。
私は華麗に立ち回り、社交界の花となっていった。
(警戒していたのが、嘘みたい)
そう思い
(今まで悪い夢を見ていたんだ。
ここが私の本当の世界、だったら良いなあ)
と、すっかり警戒を解いてしまう。
大分子爵令嬢マリーの意識に寄って来たように思う。
私は、太陽王ルイ14世の圧倒的な権威の下で守られ、甘やかされているのだと信じて疑わなかった。
ある時までは……。
華やかな宮殿の舞台裏で、静かに、だが抗いようのない「決定」が下されていたことに、私は全く気づいていなかった。
そして、その時は唐突に訪れる。
ある日の朝、ルイ王子の寝室に、顔を隠した黒衣の衛兵たちが音もなく現れた。
「ルイ殿下。
国王陛下の命により、貴殿をピニェロールの要塞へと護送いたします」
「な、何を言う!
私は王孫だぞ! お祖父様に会わせろ!」
ルイが叫ぶが、衛兵たちは一言も発しない。
彼らは王子の顔に、冷たい「鉄の仮面」を被せた。
王子の声は、もごもごと鉄の口覆いによって届かなくなる。
仮面には鍵がかけられ、外れる事がないように固定される。
ルイ14世は、頭の中が花畑の甘い王ではない。
各地で戦争を繰り広げる、武断派の王だ。
王は、王家の支流にあたるコンデ公爵を大事にしている。
「大コンデ」ことコンデ公ルイ2世は、フランス史上屈指の天才戦術家としても知られていた。
こうしたコンデ公との縁を大事にする為、ルイ14世は孫とコンデ公の係累のエリザベトとの婚約を進めていたのだが、どこぞの子爵家の娘のせいで台無しになった。
激怒した王だったが、すぐには動かない。
公や官僚たちと語らい、どう処遇するかを決めたのだ。
王子やマリーが、宮殿で華やかなゲームを繰り広げている裏側で……。
絶対王政において、王の意思は神の宣告と同じである。
理由を問うことも、抵抗することも許されない。
王子ルイは、その瞬間から「仮面を被せられた囚人13号」とされ、「存在しなかった人間」に変わった。
彼についての全ては公式記録から抹消される。
消しようがない事績については、同じ名前の弟、奇しくもブルゴーニュ公の爵位を与えられた王子ルイのものとされた。
「ルイ様!
待って!」
追いかけようとした私の前に、王の使者が立ちはだかる。
「安心されよ。
子爵家には悪いようにはしない。
間も無く朗報が届くであろう」
そして父は、望み通り伯爵へと陞爵した。
その代わりとして
「ブルゴーニュ公ルイ殿下の兄に、ルイという名のもう一人の王子が居た事などない。
そういう事だ。
令嬢にはやがて、素晴らしい縁談が陛下より紹介される」
という意を飲まされる。
今までの時代には無かったやり方だと感じた。
それから1年、私は無為の暮らしをしていた。
宮殿に顔を出さなければならない事もある。
かつてのライバルたちは同情し、私によく菓子を進めてくる。
現代日本の洋菓子と遜色ない。
この時代に、洋菓子の基本が完成したみたい。
まあ、日本のに比べたら甘さが強過ぎる気もするけどね。
ある日、父が国王陛下に呼ばれて出仕した。
戻って来た父のその顔に喜びの色はない。
青白い顔で、彼は一枚の書簡を握りしめていた。
「皆の者、陛下より沙汰があった。
伯爵となった私は、国に対する責任を果たす為、ネーデルラントへ将軍として赴くよう命じられたのだ。
……私には軍才などまるで無いのにな」
父は伯爵としての「責任」を背負わされた。
欲をかかずに子爵でいれば良かったと嘆いても、もう遅い。
王は
「1年もあったのだ、将軍として兵を指揮する心得くらい学んでおったな?」
と言ったという。
この世の終わりのような表情で出征した父の消息を聞いたのは、それから半年程してからだ。
私はルイ王子が囚われた事と、父が戦場に行った事で気鬱となったのか、病気がちとなり、しばしばベッドの住人となっていた。
そして聞かされたのは、神聖ローマ帝国の捕虜となったという事。
その不始末の責任を取らされ、再び子爵への降格となる事だ。
度重なる不幸に、私の心は削られていった。
大分、子爵令嬢としての生活も馴染んでいる。
慢性的な疲労感、食欲不振で、私はどんどん痩せていく。
「お嬢様の肌は白くて、お綺麗でいらっしゃいます」
女中たちがそう褒めているが、それはどこかよそよそしい。
倦怠感の中、
(私って、本当に日本という国の庶民だったかしら?
今の人生が本当で、あの人生が夢だったんじゃなかった?
そして、あの人生は華やかではないけど、幸せだったよね)
と思う事が増える。
たまにお見舞いに来るライバルの令嬢たちが、最新のスイーツを差し入れするが、
(日本では毎週のように新作が出ていたっけ?)
と、遠い遥かな未来を思う日々が増えていく。
そんなある日、私のまぶたが開かなくなる。
息も苦しい。
だけど、苦しいと喚く程の元気も出ない。
ただ命が消えていくように感じられた。
そんな中、憎たらしい懐かしい声が脳に響く。
『そろそろゲームオーバーですよ。
もちろん、ハッピーエンドではありません』
天の声だ。
「ああ、懐かしいわね。
貴女、一体今まで何していたの?」
返事は残酷なものだった。
『ヒ素で弱っていく貴女を観察していたのです』
ヒ素という名に、力が入らなくなっていた私だったが、カッと目を見開く。
天の声は語る。
「この世界では、物事は優雅に進行するのです。
貴女の死は、既にルイ王子が追放される辺りで決まっていました。
貴女は、妙にお菓子を進めて来る令嬢たちに、何の疑問も持たなかったのですか?」
そうだ、言われた通りだ。
この世界で目覚めた直後だったら、私は食事にも警戒をしていた。
いつしかこの世界の住人になり切ってしまい、心までスイーツな生活に浸っていた。
私は豪勢な生活というもう一つの毒で、警戒心をすっかり失ってしまったようだ。
令嬢たちは、自分が毒殺しているという意識は無いだろう。
彼女たちは
「父からよろしくと言われました。
ちょっと……あの方の事は……お気の毒でしたね」
と心から気遣い、親から渡された手土産を勧めただけなのだから。
そうしている内に、私の生命の火をともした蝋燭は燃え尽きたようである。
母や弟の呼ぶ声が遠くなっていく。
一度は見開いた目だったが、次第に瞼が垂れ下がって来たのが分かる。
もう、何も見えない……。
バチっと目が開く。
ここは現代日本だ。
手足をグーパー、グーパーと動かしてみる。
麻痺しているような感覚はもう無い。
ムクっと跳ね起きる。
あの気怠い感じは全くない。
「絶対王政……、それは自分の預かり知らぬ中で世界が動いていく時代。
貴族は王が許す範囲の箱庭で、そうと知らずに生きていくだけの存在だった。
そこに不和を生じさせたなら、そりゃ管理人である王は対策バッチを組み込むよね……」
そう呟きながら、私は生クリームのコンビニスイーツを何となく避け、みたらし団子を食するのだった。
次回最終話。




