カスティーリャ・アラゴン両王国の場合
「ルイス殿下、この女は我が国に伝わる聖なる紋章を汚し、夜な夜な悪魔と交わる呪文を唱えているのです!」
乙女ゲーム『薔薇と王冠のセレナーデ』の断罪イベント。
豪華絢爛な王宮の広間で、悪役令嬢イザベラが勝ち誇ったように私を指差す。
だが、王子ルイスは私の肩を抱き、凛として言い放つのだ。
「黙れ、イザベラ!
マリアの清らかな心は、お前のような嫉妬に狂った女には理解できまい。
彼女が手にしたのは異教の呪文などではない!
失われた古代の祝詞なのだ。
お前は知らなかったのか?
それでも私の婚約者にして『聖女』の候補なのか?」
「嘘……、古代の祝詞。
なんであんたなんかが知ってるのよ!」
イザベラは醜く喚き叫ぶ。
これには共に悪だくみをして来た彼女の伯父もドン引きである。
「マリー、お前さえ、お前さえいなければ!!!」
悪魔のような形相のイザベラが歯噛みする。
ここまで黙っていた国王が、溜息を吐きながら言い放つ。
「見苦しい。
この女にこそ悪魔が憑いているようだ。
衛兵、この浅ましい女を連れて行け!」
イザベラは「そんな、嘘よ!」と叫びながら引きずられていく。
主人公マリーは王子の胸で涙を流し、ゲームはハッピーエンド、そしてエンドロールへ……。
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……正直、ゲームの「断罪」なんて甘いものだったんだなあ。
今、本物の断罪をされようとしている私は、現実逃避から戻って来た。
今回の私の名前はマリア。
時代と舞台は、領土奪還を終えた直後のカトリック両王統治下のスペイン。
私の立場は、新キリスト教徒、つまりユダヤ教から改宗した富豪の娘だ。
私がカスティーリャ王族の一員ルイスを奪った形になる相手は、アラゴン王国の名門貴族の娘イサベル。
レコンキスタ初期から王と共に戦い続けた家系に属する女性で、この国では「純血」「神の騎士」を象徴する存在である。
更に、カスティーリャ・アラゴン両国の和合も絡んだ婚約がなされていたのだ。
そんな相手に恥をかかせる形になった私は……。
ああ、もうNPCのマリア、ろくでもない事をしてしまって……。
重い鉄の扉が、地響きを立てて閉まる。
窓一つない石造りの地下室。湿った空気には、古い血と、焦げた肉の、そして絶望の臭いが染み付いている。
私の前には、黒い頭巾で顔を隠した男たちと、机に座り、羽根ペンを走らせる書記、そして無表情な審問官が座っていた。
「……マリア。
汝に問う。
汝の家では、金曜の夜に蝋燭を灯し、特別なパンを食べているとの告発があったが、真実か?」
そう、ここは異端審問の場。
代々のキリスト教の家系を侮辱し、カトリック両王国の和を崩そうとしたとされ、私は異端の疑い有りとして訴えられたのだ。
審問官は、異端をいたぶる事に喜びを感じているわけではい。
その声はあくまでも厳格で、職務に邁進するだけのもの、そこに感情はなかった。
(……え?
何を聞いているの?
金曜日の食事?
そんな些細な事、一々覚えて無いよ。
なんか、これまでに食ったパンの枚数とか聞いて来そうだけど。
で、この質問に何の意味が?)
「答えよ。
その行為は、汝が棄てたというユダヤの安息日を祝う儀式ではないか?
身に覚えがあろう?
汝の沈黙は、神への反逆と見なされる」
「違います。
特に覚えていませんが、食べたのは普通のパンです。
そこに意図はありません」
「覚えていない、か。
便利な言葉よな。
では、お前はユダヤ教を棄てて、真の神の教えに帰依した事も覚えていないのだな?」
「いや、覚えていますけど」
「おかしいではないか?
お前が洗礼を受けたのは十年以上前。
それを覚えているのに、つい先日の事を覚えておらぬのか?
お前は神前にて嘘を吐いたな」
「象徴的な事は覚えています。
しかし、日常的な事は忘れるものです。
貴方たちだって、これまでに食ったパンの枚数を覚えていないでしょう?」
「……詭弁を弄し、審問官に食ってかかる。
まさにユダヤ教徒の所業だ」
審問官は後ろを振り返る。
皆が頷いていた。
(あ、これは反論すればする程、難癖をつけて来るやり方だ)
彼等は私を詭弁だと言ったが、彼等こそ詭弁の典型的なやり方をしている。
詭弁でもって相手を騙すのがユダヤ教なら、あんたたちの方がユダヤ教徒じゃないのか?
そこに天の声が割って入る。
『かつてドストエフスキーが小説「カラマーゾフの兄弟」で言っていました。
「異端審問官にかかれば、イエス・キリストさえ異端にされる」と……』
その小説の一節「大審問官」ではこう描かれていたそうだ。
スペインに再臨したイエスが、大審問官によって捕らえられた。
「あなたは我々の邪魔をした」
そう言われ、異端者扱いで死刑を宣告された……。
となると、情に縋るしかないか?
そう計算していると、審問官が糾弾を続ける。
「覚えていたり、忘れたりと便利な女よ。
では、汝は神の使徒であるルイス王子を誑かした事を覚えているか?
それとも忘れたと申すか?」
私は演技を始める。
「忘れるなんて、そんな事はありません。
私はあの方と愛し合っていました。
その心を忘れる事などありません!」
私がそう言うと、審問官はゆっくりと首を振った。
「愛か。
その『愛』こそが、彼の者の高貴な血を汚すための、悪魔の誘惑ではないのか?
汝のような『汚れた血(不純な改宗者)』が、王位継承者に近づくこと自体が、この王国に対する大逆罪である」
『気づいていますか、マリア』
暗闇の中から、またあの天の声が低く響く。
『ゲームの断罪は、所詮ゲームのレベルです。
ですがこの異端審問官の断罪は、宗教を使って国家を「浄化」するためのシステムなのです。
目をつけられた、それが国や教会の為となる、そう判断されたら、もう何の希望もありません。
……ここには、理屈も、愛といった情も、一切が入り込む隙間なんて無いのです』
この日の審問は終わる。
だが、これは序章に過ぎなかった。
次の日からは、嘘で固めた余裕を剥いで、真の言葉を聞く為と称し、拷問が始まった。
苦痛を与えた後に、決定的な証言を引き出そうと質問を浴びせて来る。
私も最初は必死に弁明していた。
だが、彼らは私の言葉を聞いてなんかいない。
「マリア。
汝の肩の関節が外れる音が聞こえるか?
それは汝の頑なな心が砕ける音だ。
……さあ、言いなさい。
ルイス殿との褥で、汝はどのような異端の教えを囁いた?
彼が聖なる婚姻を否定したのは、汝の異端への誘いのせいだろう?」
激痛の中で、私は理解している。
彼らが欲しいのは真実ではない。
「王族が狂ったのは女が説いた異端の教えのせいだ」
そういう、宗教的に都合の良い物語である事を。
今、彼らと言った。
これは呂后という個人の悪意とは違う。
社会が求めている事を、国や教会がシステムとしてやっている。
だから、彼らは悪意で痛めつけていない。
神の意思と信じ、社会正義の為、彼らの善意で悪を凝らしめているのだ。
その社会の外にいる人はこう言うだろう。
狂信、と。
だから人豚以上にタチが悪い。
一週間が過ぎた。
一ヶ月が過ぎたのか。
睡眠を奪われ、暗闇に閉じ込められ、繰り返し同じ問いを投げかけられるうちに、私の精神は摩耗し、砂のように崩れていった。
この頃になると、段々
(私は異端だったのかもしれない)
(私が悪かったんだろう)
(異端だったって認めてしまおうかな)
そう思うようになって来た。
拷問の合間に投げかけられる説教。
いかに自分が悪なのかを、順々と説く、洗脳にも似た言葉の数々。
これで、マリアの中の人こと、真里が未来の日本人でなければ、挫けていただろう。
私が何故挫けなかったって?
それは「異端」が何なのか分からないから、何を言ったと言われても答えようがなかったから。
無知過ぎて、どう白状したら良いか分からないのだ。
意外に私もしぶとい。
いっそ、異端の呪文として
「カンジーザイゼン、ボーサーツギョージン、
マーカーハンニャー、ハーラーミーター」
と言ってやろうかと思ったけど、絶対責め苦がキツくなるだけだから止めた。
そんな余裕を見てか、拷問や精神的な追い込みが続く。
「誰か……助けて……」
ついには、口を動かすことさえ苦痛になった。
心の中でのみ、そう悲鳴を上げる。
沈黙。
それが、私の選んだ最後の防衛だった。
だが、審問官は冷たく告げた。
「……マリアは沈黙を以て、自らの異端を認めた。
ここに神の裁きは下された」
引きずり出された先は、照りつける太陽が眩しい広場だった。
そこには、異端を認めた証である恥辱の衣服「サンベニト」を着せられた私の家族が並んでいた。
父も、母も、まだ幼い妹も。
皆、生きた屍のような目で虚空を見つめている。
「マリア……お前、の……せいで……」
父の乾いた声が、私の耳を刺す。
異端を出した一族は、その存在自体が「罪」となる。
家財は没収され、名は歴史から消され、残るは火だけ。
私の実家は裕福だった。
そこから資産を没収するのは、国や教会にとっても嬉しい事だろう。
群衆の向こう側、高い桟敷席に一人の男が座っていた。
ルイス様だ。
だが、かつての華やかな衣装はない。
彼は王族の地位を完全に剥奪され、異端と通じた「汚名」を着せられ、一生を修道院で奉仕活動する判決を受けていた。
彼は私を見ようともしなかった。
ただ、自らの破滅を招いた私を、底知れぬ憎悪の色で睨みつけていた。
そして、自分の行いを心底悔やんでいるようだった。
天の声が、告げる。
『この時代、愛なんて虚しいものです。。
愛した男は身分を失い、愛する家族は連座して火炙り。
愛を貫いた代償としては随分と重い……。
でも、ここでは愛よりも、立場に応じた役目を演じて生きていく方が正しいのです。
……さあ、最後です。
情熱の国スペインにふさわしい、熱い熱い最期になりますよ』
杭に縛り付けられた私の足元に、火が放たれた。
熱い! 熱い! 熱い!
私、火刑はこれで2回目。
でもヴァロア朝で味わった火よりも、この「神の正義」を騙る火は、より深く私の魂を焼き尽くしていく。
それは、焼かれたのが私一人ではなかったから。
家族の悲鳴が重なり合っている。
(ごめんなさい……もう、嫌……誰か、止めて……!)
私の意識は、炎の中に溶け落ちていった……。
「ひっ、はぁっ、はぁあああああ!!」
自室の床で、私は自分の体を抱きしめてのたうち回った。
熱せられた空気を吸ったようで、喉が焼けるように痛い。
全身が、まだ焼かれているような錯覚に襲われる。
次第に全ての感覚が現代のものに戻って来た。
「異端審問……。
ゲームの断罪はおままごとだけど、あの断罪も正直言って『断罪』では断じてない!
難癖つけて、精神的に追い込んで、沈黙も悪、認めても悪、否定し続けても反省してないって悪……。
どうしろって言うの?」
天の声が聞いて来た。
『人豚とどっちがマシだった?』
「どっちも嫌だった!
どっちがマシとか、無い!
今回の精神的に追い込まれていくのも、十分にしんどいわ」
『分かったならばよろしいです。
では、次はどこに行きたいか、考えておいて下さい。
私は貴女の望みを叶えますから』
願いを叶えるなら、もうこんなしんどい体験させるのをやめて欲しい。
が、それを言ってもどうにもならないんでしょうね。
本当、天の声も十分な詭弁家よね!
多分、本物の異端審問はもっとずっと辛くて、陰湿なはず……。
作者の文章力と性格の悪さでは、この辺で留めておきたい。




