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東フランク王国の場合

 鼻を突くのは、獣の脂と古びた麦の匂い。

 そして、肌を刺すような湿った石造りの冷気。


「お目覚めになりましたか?」

 侍女が声をかけたが、正直好意を全く感じない。

 えーっと、一応私、王太子の婚約者……だったよね? 設定だと?


「皆様は朝からお仕事をされています。

 お嬢様も顔を出されて下さい」

 やはり態度が冷たい。

 愛想が無い。

 まあ、現在のドイツ人もこんな感じではある……と思うけど……どうだろう?


 支度を整え石造りの通路を通っていくと、耳に飛び込んできたのは、怒号に似た男たちの低い声だった。


「……ルートヴィヒ殿下、これはもはや痴気の沙汰では済まされぬ。

 神の御前で交わした聖なる盟約を、泥にまみれた下級貴族(エデル)の娘一人のために反故にされたとおっしゃるか!」


 ここはいつの頃かは分からないけど、フランク王国。

 本人たちが東とも西とも言ってないから、どっちだか分からない。

 天の声が

『ザクセン公と関係があるのだから、東フランク王国ですよ。

 そして彼等は、自分たちが正統だと思っているので、自分で東のとは言わないのです』

 と溜息混じりに教えてくれた。

 天の声の癖に……。


 でも、そう。

 私がいたのは、乙女ゲームのきらびやかな夜会会場ではないの。

 煤けた松明が揺れる、殺風景な大広間。

 そこに立つ初老の男は、豪華な刺繍の司教服を纏いながらも、その双眸には聖職者とは思えぬ猛々しい野心を宿している。

 

(……誰? この人。

 えーっと、この子の記憶によると……マインツ大司教……だっけ?

 なんで教会の人が、王子の恋愛に首を突っ込んで怒鳴ってるの?

 結婚式の予約キャンセル??)


 混乱する私の脳内に、また天の声が冷淡に響いた。

 

『不思議はありません?

 フランク王国の司教とは、祈るだけの聖職者ではないのです。

 フランク族の有力家系が、教会という皮を被って「教区」という広大な領土を支配している、身内の有力大名のようなものです。

 王家の婚姻は彼らにとっても利権の配分。

 そして彼等は神の名の元に、王子の婚約を祝福した身。

 それを勝手に壊されれば、彼らのメンツは丸潰れなのです』


 そんな神の声を押しのけるように、王子の声が響いて来る。


「ですが、私は……イザボー様ではなく、このマリエを愛しているのです!」

 私に近寄り肩を抱きながら、ルートヴィヒ王子が叫んだ。

 ゲーム画面では感動的だったはずの「真実の愛」の告白。

 だが、この空間では、それはただの「愚か者の戯言」として虚しく響いている。

 政治に無頓着な私にも伝わって来る。

 空気読めてないよ、この王子様。


 大広間の隅には、一人の少女が立っていた。

 プラチナブロンドの髪を厳格に結い上げた、ザクセン公の娘・イザボー。

 ゲームで私の恋路を邪魔していた「性悪な悪役令嬢」同様だった彼女は、今、憐れむような瞳で私を見据えている。

 そして溜息を吐いた。

「身分を弁えなさい、マリエって、私言いましたよね。

 あなたの浅はかな振る舞いが、どれほどの血を流すか分かっていましたの?

 もう遅きに失していますが……」


『身分を弁えなさい!』


 ゲームでよく聞いたあの台詞。

 ゲームの中では「嫌な女!」としか思わなかった。

 けれど、今の彼女の背後には、抜き身の剣を帯びた屈強な騎士たちが、殺気をみなぎらせて控えている。

 そして、全てを見透かしたような目で、こちらを憐れんでいる。

 彼女のあの言葉は、意地悪ではなく、こちらを救う為の言葉だったのかもしれない。

 今はそう感じられる。


 それにしても、イザボー嬢の背後の騎士は、フランク王国の装束と少し違うような?

 フランク王国の貴族だよね?


 天の声が告げる。

『彼女の父、ザクセン公はフランク族とは出自の違う「ザクセン族」の長です。

 力で服属させた代わりに公爵の称号を与えられた外部勢力。

 そうですね、日本史で例えるなら、豊臣秀吉に対する徳川家康とか伊達政宗とか島津義弘のような存在です。

 力で負け、宗教を受け容れて屈服はしていますが、面子を潰されたら、封建契約の違反として、躊躇なく実力行使に踏み切る「猛獣」の如き存在です。

 貴女は気づいたようですね。

 イザボーの言葉は嫌がらせではなく、貴女に向けられた、最後の「警告」だったのです』


 天の声の説明に、私は愕然とした。

 私がボタン一つでスキップしていた「説明セリフ」は、あれには「この先、国を吹っ飛ばす地雷原」って書いてあったようだ。


 王の横に立つ諸侯……フランケン公やロタリンギア公って言ったかな、あの人たちも一様に険しい顔で囁き合っている。

「我等は王に仕える代わりに、名誉を守られる筈でしたな?」

「神の前で交わした約束を違える者は、封地を預かる契約も守らぬやもしれぬ」

「盟約を守れぬ国に、従う義理はないのですぞ」

 

 その後も王子は必死に「愛」を説いていた。

 だが司教たちが呼びかけ、ザクセン公たちも応じて開かれた「帝国議会」。

 議会という名の、族長やその代理人、身内聖職者の集まりから返ってきたのは冷酷な宣告だった。


「神と教会が公認した婚約を破棄した男に、王としての資格はない。

 ルートヴィヒ殿は公人失格であり、国を継ぐ資格なし!」


 王子様はまだ粘っている。

 現代日本で例えるなら、自主退職を促されているのに、必死に辞表を拒否しているサラリーマンかな?

 いや、もっと偉いから、辞任勧告を拒否しまくっている、どこぞの議員さんってとこかな?


 結局議会でも、我がまま王子(もうこう言っちゃいます)をどうにも出来なかった。

 乙女ゲームでの攻略対象とでも言うべき、王子派の騎士ってのもいて、それらが王子を必死に守っている。

……ゲームと違って、ヒロインを見る目に愛情がこれっぽっちも無いんだけどさ……。


 嫌な目と言えば、議会が終わった後で見たザクセン公の目。

 なんというか、凄い嫌な感じだった。

 どう表現したら良いのか、分からない。


 その表現を思い出したのは、しばらく経っても事だった。

「安心しな、私が傍にいる限り、君は命に代えても守る」

 そんな歯が浮くような台詞を言っている王子の元に伝令が飛び込んできた。


「報告!

 ザクセンの騎士団が、マリエ様の生家を襲い……族滅しました!

 マリエ様の父母、兄弟、執事まで一人残らず殺され……遺骸は市場に捨てられました!」


「……っ!?」

 胃の底からせり上がるような吐き気を覚えた。

 一体どこの蛮族の所業なのか。


 急に脳内に甦った「ゲーム内のマリエ」の記憶。

 優しかった父、厳格だった母、共に遊んだ弟。

 彼らが、私の「恋愛フラグ」一本の為に一族皆殺しにされた。

 あまりの野蛮さ、あまりの非情。

 これが「悪役令嬢を追放した」後の、現実の報復なのか。

 王子は私の肩を抱き、「大丈夫だ、私が守る」と夢見るような声で囁いている。

 だが、その声はもはや、弱者の戯言にしか聞こえない。

 そんな中で、我ながら度し難い事に、ザクセン公の目付きについて思い出しちゃった。


『かわいそうだけど、明日の朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね』

 と豚を見るような眼差しだったのだ。

 この王子の台詞より、あの視線が語った言葉の方が、何十倍も信憑性がある。


 一月後。

 事態はまた思わぬ形……いや、この時代なら当然の動きをした。。

 天の声によると、この時期の教皇権はまだ、少し後の絶対的なものに比べれば弱いのだけど、それでも「神の代理人」としての権威は重い。

 そんなローマ教皇から「神に誓った婚約破棄の説明をせよ」との呼び出しがかかったのだ。


「行かなければ破門。

 破門されれば、このヨーロッパに王子の居場所はなくなる。

 誰も彼を保護せず、誰が彼を殺しても罪にならなくなる。

……いわば、大陸全体からの公式な絶縁状」


 乏しい世界史の知識だけど、それくらいは分かる。

 これには脳内お花畑の王子も顔を真っ青にしている。

 王子は私を城に残し、渋々ローマへと旅立っていったわ。


 そして、彼が視界から消えた瞬間――すべてが終わった。

 残された諸侯たちは、瞬く間に「王位継承者の資格剥奪」を決定し、王子の代理人はそれに署名をした。


 私は

「王をたぶらかし、秩序を乱した卑賤の女」

 として、修道院送りの判決を受けた。


(修道院……。

 ゲームなら、そこで反省して終わりだよね?

 それなら、まだ……)


 私はゲーム感覚だった。

 修道院送りの悪役令嬢が、いくらでも「ざまあ」される事はある。

 それなのに、穏便に済んだと思った。

 思いたかった。

 思ったっていいじゃない、この世界は異常なんだから!


 数人の王子派の騎士に護送され、深い森の中を進んでいた時だった。


 不意に、先頭の騎士が馬を止める。

「……マリエ嬢。

 あなたは生きて修道院に届いてはならない。

 それが、国王陛下の、諸侯たちの、そして我々の総意です。

 ザクセン公の怒りを鎮めるには、あなたの『死』という供物が必要なのです」

「え……待って、そんなの……っ!」

 叫ぶ暇もなかった。

 冷たい鉄の感触。

 鋭い槍の先が、私の細い喉を貫いた。

 溢れ出す熱い血。視界が急速に色を失い、泥の地面が迫ってくる。

 

 遠のく意識の中で、天の声が最後に囁いてくる。


『乙女ゲームの「追放」なんて、慈悲深いお伽噺に過ぎないのです。

 これが本物の追放です、地上世界からの、天国か地獄への片道切符の……』







「ひっ……!」

 跳ね起きると、そこは自分の部屋のベッドの上だった。

 首を震える手で触ってみる。

 傷はない。

 血も一滴も流れていない。

 窓の外には、いつもの街灯の光と、静かな日本の夜がある。


「な、なんて……なんて悪夢なの……。

 東フランク王国?

 族滅?

 私は槍で喉を……」


 心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほど鳴っている。


「夢……だったよね?

 私、本当に行ってた……って事はないよね?

 やけにリアルだった……」


 私は酷い目覚めをし、寝不足を感じながら、平和な日本の一日を過ごした。

 いいねえ、殺される事がない世界って。

 アスファルトの無機質さも、あの時代の石造りより暖かく感じられるのは何故だろう?

 その日、私はゲームをする事もなく、ベッドに直行した。


「散々な夢だったし、さっさと寝るわよ。

 ネットで言うファッキンクソバードによる強制輪廻転生。

 あれってあんな感じなのかしらね」


 そう言うと不意に、視界がぐにゃりと歪む。

 再び襲って来た、あの吸い込まれるような浮遊感。


『ファッキンクソバードとは酷い言いようですね。

 よろしい、一回で終わりにはしませんよ、真里。

 次はまた違った時代、さらに違った後始末を味わわせてあげましょう』


 口は禍の元。

 無慈悲過ぎる天の声が頭に響く。

 そう、これは始まりに過ぎなかったのだ……嗚呼……。

1話作中でも書きましたが、

「ここは東フランク王国後期を舞台とした、架空歴史世界」

です。

ルイに相当するルートヴィヒという王族は何人もいましたが、婚約破棄してザクセン公怒らすなんて事はしていませんので。

「もし、ルートヴィヒというアホな王子がカロリング家にいて、婚約破棄を仕出かしたなら?」

を再現したものとなります。

なお、東フランク王国については拙作:

「脳筋王子と肥満王~仏独伊が出来た頃の物語〜」

https://ncode.syosetu.com/n8282jn/

も読んでいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
>「我等は王に仕える代わりに、名誉を守られる筈でした?」 これだと凄く頭の悪い人みたいに見えるので、 "名誉を守られる筈でしたが?"が妥当じゃないでしょうか?
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