(最終話)ロシア帝国の場合
「さて真里、どういう世界を望みます?」
天の声が聞こえた。
答えないと、勝手な解釈をして酷い世界に飛ばすから、実にタチが悪い。
だから私は、答えを決めていた。
「王子の婚約破棄が、国の一大事になるから問題なのよね?」
天の声の回答は
『王子でなく一般人でも大迷惑です』
というもの。
そんな事は分かっている。
でも、とんでもない苦痛を与えられるのは、影響が大きい王族だからだろう。
だから頼んだ。
「婚約破棄ごときが大事にならない社会が良い。
多分、近代ね。
中世とか絶対王政時代は、貴族との問題で面倒になるから。
いい?
婚約破棄が大事にならない世界。
それが無理なら、もう私の意識を勝手にあちこちに飛ばすのはやめてね」
だが天の声は非情だ。
『その願い、かなえましょう』
私をまたも、嫌な浮遊感が襲った。
私は随分と寒いと感じる中で覚醒した。
肺の奥まで凍りつかせるような極寒の空気と、微かに漂う蜜蝋の香り。
私は、毛皮の襟巻を纏っている。
(思い出した)
相変わらず、突然流れ込んで来る「この世界の私」の記憶の奔流。
私の名前マリア、低級貴族ではなく公爵令嬢だった。
(ここはサンクトペテルブルク。
ロマノフ朝ロシア帝国。
記憶の中に、日露戦争で負けた、欧州大戦進行中ってあるから、随分と現代に近い時代ね。
まあ、そんな事はどうでも良い。
今回の私のミッションは生き残る!
婚約破棄のイベントは、まだ発生していないようだから、これを阻止する。
最悪、婚約破棄のイベントが発生しても、逃げる。
そうすれば、貴族令嬢としてぬくぬくと生きていける。
今から向かう宮殿で、婚約破棄の前に皇子をどうにかしないと!)
私が固く決意したその瞬間、脳内にあの天の声が響いた。
それは残念そうというか、皮肉っぽいというか、溜息混じりといった感じの口調だ。
『生存戦略、それも良いでしょう。
ですがマリア、一つ大事な事を教えてあげます。
具体的に今は西暦1916年12月のクリスマス前です。
あと3ヶ月もしたら、ロシア革命が発生します。
婚約破棄とか、どうでも良い事になります。
そんな砂上の楼閣ともいえるロシアの宮中で足掻いても、時代のうねりの前にはどうにもなりませんよ』
なにそれ、最初から詰んでるじゃない!
私は「王子の婚約破棄が大事にならない世界」を希望したの!
誰が「王子の婚約破棄なんて、もっと重大な事の前には大した事ではない」状態を望んだと言うの!?
「……まあ見てなさい。
詰んでいるなら、盤面ごとひっくり返してやるわ」
革命が間近とあらば、やる事は一つ。
革命を起こさせない!
他にもやれる事はあるかもしれないけど、貴族令嬢という立場では、皇帝一家を説得するのが一番。
歴史が変わる?
どうせここは、史実をベースに架空の人物が動き回る「似て非なる世界」。
さっさと第一次世界大戦から足を抜いて、民の貧困対策に回し、ぬくぬくとした貴族社会を維持しましょう!
私は動いた。
攻略対象である皇族(皇帝の従弟)や、皇后アレクサンドラを必死に説得した。
「飢えた民にパンを配りましょう」
「この戦争は悲惨なだけです。
ただちの遠征を中止し、兵士を国に返しましょう」
「時世は民主主義に動いています。
ここはあの日本のように、自ら議会に権力を委譲すべきです。
そうすれば、ロシア皇帝は後世まで生き残る事が出来ます」
等等。
だがその必死の訴えは、ラスプーチンという祈祷師によって遮られる。
「皇后陛下、この娘の言葉を聞いてはなりませぬぞ。
ロシアは神が祝福する国です。
なのに彼の令嬢は不吉な予言を吐いている。
その口には、悪魔が棲みついているようです。
ロシアに仇なし、ドイツを利する悪魔が。
私の言葉を信じ、彼の令嬢の言など信じてはなりません」
どうやら私はラスプーチンに同業者とみなされたようだ。
ラスプーチンは皇后の信頼篤い。
その一言で、私は「悪魔に魅入られた不吉な女」として宮廷から遠ざけられた。
乙女ゲーム的に進んでいれば、別の公爵との婚約を破棄した「攻略対象」の皇子も私を拒絶する。
私はその視線を何度か見て来た。
魔女を見る目、異端を見る目、異教徒を見る目……。
(もう近代なのに、この時代もこうなんだ……)
私は絶望に囚われる。
やがて父である公爵も
「お前の言動は、国を挙げて戦争に勝とうとする宮廷を邪魔している」
と言って、しばらく夏の別荘に住むよう命じられた。
体の良い隠遁生活である。
私は権力中枢からの離脱を余儀なくされた。
(あれ?
もしかして、これ正解コースなのでは?)
私の予感は当たる。
この拒絶が、私を救った。
1917年3月ロシア革命が勃発した。
専制を憎む民衆が宮殿を囲み、帝政は停止させられた。
その際私は「皇帝に疎まれ、進歩的な進言をして退けられた良識派の貴族」として英雄視される。
臨時政府の閣僚たちは私を歓迎し、助言を求めて来た。
私は戦争の即時終結と、兵士たちの帰国、そして貧民救済を説く。
だが、臨時政府は良い顔をしなかった。
彼等も戦争継続を望んでいる。
また、彼等は資金不足であった。
「ならば、私は私の出来る事をするまでです」
私は私財を投じて貧民救済を行う。
民衆だって、よく知らない新政府よりも教会を信じている。
だから私は、教会に寄付をし、困っている人には食糧を無償で提供させた。
「あなたは聖女です」
私は教会でそのように称えられた。
(リセマラ、何回目だと思ってるの?
こういう時は教会を使えば角が立たない。
異端だの魔女だの異教徒だのと言われないよう、貴族も民も信仰する教会が一番良い。
ラスプーチンには嫌われたけど、今となってはラスプーチンに嫌われた事で、教会ウケが良くなっている。
キリスト教に支持される私、生存確定!
あとは、この政府から嫌われないように、上手くやっていきましょう)
なんか天の声が黙っているのが不気味だ。
でも、そんな事を気にしていられない。
今出来る事を全力ですれば生き残れる!
その希望は、1917年11月に冷たく霧散した。
私は世界史は「面白そうなところ」を漫画的につまみ食いした程度の知識しかない。
ロシア革命は知ってた。
そしてソ連が誕生した事も。
だから、今回は上手く「ソ連政府」と協調出来たと思っていたの。
底意地の悪い天の声が、二度目の革命が起きてから教えて来た。
『貴女は、ロシア革命は1回だけだと思っていたようですね?
ロシア革命とは3回あったのです。
2月革命は第二次ロシア革命。
そして今回の10月革命が第三次ロシア革命、ソヴィエト連邦成立に直結する別名「ボリシェヴィキ」革命なのです』
……第一次はいつ起きたの?
現実逃避している私の頭は、しょうもない事が気になってしまった……。
「市民マリア。
貴女の行為は全て偽善だ。
善なる貴族や富裕層が存在すると錯覚させ、民衆の目を曇らせる行為に他ならない」
革命委員会とやらが邸宅に踏み込んできた。
私がやって来たパンを配ったり、教会に寄付をした行為。
これらは全て悪意をもって受け止められた。
彼らにとって私は、「革命を遅らせるための偽善者」でしかなかった。
……正解なんだけどね。
つーか、世界史じゃなく時事ニュースの分野の話だけど、共産革命に行くと地獄だからね!
とは口に出す事が出来ない。
私は「反革命の寄生虫」として拘束され、凍てつくエカテリンブルクの地下牢へと送られた。
廊下を引きずられていく途中、一瞬だけ、隣の独房の扉が開いた。
そこにいたのは、かつて私が説得しようとして私を拒んだ、攻略対象だった皇子レフだった。
彼はやつれ切っていたが、一瞬生気を取り戻したようで、大声で私に言う。
「……マリア!
君のような民の為に尽くそうとした者も、ここに送られて来たのか?」
「被告レフ・ロマノフ、私語を慎め!」
そう言って、下級兵士から殴打を食らっていた。
そうして取り調べか何かで、連れて行かれる。
その夜、遅く、彼は独房に戻って来たようだ。
私の房の隣から声がする。
「なあ、まだ起きているか?」
「寒くて眠れないからね」
「そうだね。
ここは酷く冷えるね」
小声での壁越しの会話。
「マリア……教えてくれ。
僕たちが帝室に生まれ、君が貴族であることは、ここまでの事をされねばならぬほどの罪なのか?
私たちは、ただこの国の上位に生まれただけなのに」
おそらく、革命戦士にとってはそうなのだろう。
そのように生まれた事自体が罪。
だが、天の声のように、事実をそのまま伝えるのは残酷な事だ。
私は精一杯の慈愛を込めて伝える。
「……そんなことはありません、レフィ。
私は知っています。
血筋や身分で人が裁かれない、そんな世界があることを」
本来の意味は逆である。
身分低き者が、生まれだけで虐げられない世界なのだが、この場合は貴族ゆえに殺されないと変換をかける。
「……それは過去の世界の話ではありません。
未来にも、また必ず訪れる現実なのです」
(ロシアにそんな時代、来た事あったっけ?)
とも思ったが、事実を伝えるような残酷な事はしない。
数日後、私も独房から引き出され、どこかに連れて行かれる。
そこで待っていたのは、天の声が教えるところでは、ボリシェヴィキの指導者の一人スヴェルドロフだという。
この彼は眼鏡の奥の細い目で、事務的に書類を眺めている。
「『階級の敵』マリア。
貴女の記録は読んだ。
実に見事な偽装であり、欺瞞であり、偽善である。
民衆をパンで飼い慣らそうとした罪は、皇帝の無能よりも重いと、革命委員会は判断した」
嘘である。
革命委員会の決定ではなく、彼の独断である。
が、それを指摘しても意味はない。
彼は興味なさげに手を振った。
それが、処刑の合図だった。
私は目隠しをされる。
スヴェルドロフと思われる男が、耳元でこう囁いた。
「貴族や帝室は、全員民の搾取者、暴君、無能者でなければならない。
何も出来ない無能者は収監だけで許す事も出来るが、貴族の善人や有能な者は、存在してはならない。
分かったかね、元公爵令嬢」
(……もう、貴族であるのもウンザリだ!)
私は処刑前、さっさと終わって現代日本のベッドから、一庶民として目覚めたい、そればかりを考えていた。
そして私は殺された……。
「…………っ!!!」
自室のベッドで、私は跳ね起きた。
心臓には悪いが、この世界に戻って来られるのが幸せでならない。
「本当、もう貴族になるとか、ウンザリ」
天の声が返って来る。
『まあ散々悲惨な運命ばかり体験させましたからね。
で、次はどうします?』
「もう貴族とかは十分だ。
ゲームの中だけで良い。
婚約破棄とか、実際にやったらどうなるか、十分分かった。
最後は、婚約破棄なんてどっかに行っちゃったし。
というか、あれは乙女ゲームの世界ではないし。
そのゲームと似た世界を疑似体験させるのなら、今回は約束違反ですよね!」
『…………』
「というわけで、乙女ゲームと似た社会もネタが尽きたようだし、もうこの体験はおしまいね!
そろそろ本当に熟睡させて!
私をこっちの世界でも殺す気?」
天の声が答えた。
『分かりました。
当分、このような事はしません』
「いや、もう二度としなく良いよ」
『貴族とか嫌だと言っていましたが、公爵とか伯爵という概念が出来る前なら良いでしょう?
私の上位概念が、アッシリアとかプトレマイオス朝を研究していて、そっちの世界はどうかと言ってます』
「いーやーだ!」
『それは残念です。
またいつかお会いするまで、お元気で』
「もう二度と来ないで良いよ!」
こうして連夜の「本当に王子が婚約破棄をしたら?」とリセットマラソンは終了した……と思う。
私は、終わったと安心していないで、またいつか奴がやって来ると想定して、世界史をもう一回勉強する事にした。
とりあえず、居眠りのよだれの痕が残る教科書を、もう一回読み直そうか。
(終了)
あとがき:
作者は煩悩の塊です。
読者増やしたくて、流行りの小説も読んでいます。
流行りからはちょっと遅れているのはご愛敬。
そして「婚約破棄、悪役令嬢は……」というのを読んでいまして。
普通は「奪った相手(聖女?)や王子がろくでもなし」だったり「悪役令嬢が実は正しい、あるいは超有能」だった展開で面白いのですが、自分の場合
「これ、実際の世界史でやったら、どうなる?」
という発想に行き着きました。
……つくづく王道な思考が出来ない人間だなあ、自分は……。
それで、このような小説(?)を書いたのですが、一応
・蛮族公爵による族滅
・教会の破門による破滅
・魔女とみなされての火炙り
・議会による幽閉死
・異端審問で心身ともに殺される
・異教徒だから串刺し
・優雅な毒殺
・革命による道理の通らない処刑
となるべくパターンがかぶらないようにしました。
てなわけで、作中言ってたように「ネタギレ」ではあります。
同じような展開で良ければ、まだ舞台のネタは有りましてね。
10世紀ローマ教皇領とか
テューダー朝イングランドとか
ブルゴーニュ公国と金羊毛騎士団とか
三十年戦争時の各国とか
フランス革命の前のブルボン朝とか
現在のイギリスのウィンz(この文章は、MI6により削除されました)
あと、一夫多妻の世界でも、ハッピーエンドがバッドへの入り口ってのは有りまして……。
気が向いたら、番外編書こう。
主人公の性格についてです。
主人公は、いじめってのは性に合わないので、途中から何となくこの状況を楽しんでいる風にもしてます。
メンタルはクソ強にしました。
あと、主人公の暴言がなければ、天の声もここまでリセマラしなかった……かも、なので。
とりあえず要望があれば再開します。
無い場合(多分こちらでしょう)、調べていて「実際に似たような事が起こった」ポルトガルの史実でも書こうかな、と思ってます。
闇深くて面白く、オムニバスで書くにはもったいない歴史でしたんで。
書きたい時代は他にあるので、気が向いたら、になりますが。
とりあえず、このリセマラ小説は一旦ここまでです。
ご愛読ありがとうございました。




