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死と復元を繰り返した私たち  作者: 御影のたぬき


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照合

【一】カノ・リツコ



 二件目の異常を検知したのは、最初の案件を閉じた三週間後だった。


 ヤマシロ・コウの件は「原因不明」として処理した。報告書はすでに上位部門に送られ、受理され、記録になった。カノの判断を問う声は、今のところ上がっていない。あの夜、帰り道に自分の左手を見てから、三週間が過ぎた。左手は震えていない。震えていないが、以前と同じかどうかは確認できない。


 確認できないまま、仕事を続けている。


 二件目のフラグは、午前の定期チェックで上がってきた。対象IDはSSMT-R-2281。シモムラ・ケイジ、四十一歳、物流会社の管理職。フラグの種別は《同期ログ異常》で、ヤマシロの《同期ログ欠損》とは種別が違った。


 欠損ではなく、異常。


 具体的には、同一IDに対して同期ログが二重に記録されている状態だった。同じ時刻に、同じIDから、わずかに異なる神経パターンのデータが二つ、バックアップサーバーに送信されていた。


 通常、一人の人間から一つのデータが来る。


 二つ来るはずがなかった。


 カノはデータを拡大した。二つのログの差異は微小だった。神経パターンの接続重みに0.04パーセントの差がある。測定誤差と言い切れない数値ではないが、明らかに異常とも言い切れない。


 だがカノが引っかかったのは、数値の差ではなかった。


 ログの発信元が、二か所から来ていた。一つは対象者本人の生体チップ。もう一つは、第二復元センターのサーバーだった。


(復元センターから同期ログが送られてくる理由がない)


 バックアップデータは本人の生体チップから直接クラウドに送信される。復元センターはそのデータを「読む」機関であり、「書く」機関ではない。復元センターからバックアップサーバーに何かが送信されるとすれば、それは通常業務の範囲外だった。


 カノはシモムラ・ケイジのファイルを開いた。


 最近の停止記録を確認した。


 十八日前、デュエルによる停止。復元センターは——第二復元センター。


 担当技師の名前を見た。


 モリ・シンジ。


 カノはその名前をメモした。次に、第二復元センターの最近の処理記録を照会した。バックアップ監査部門には、全復元センターの業務記録へのアクセス権限がある。


 記録を開いた時、別のフラグが目に入った。


《E-441処理記録》。一件。


 E-441という番号に、カノは見覚えがなかった。検索した。


《E-441:複数体再生検知》。


 複数体。


 カノはシモムラの二重ログと、E-441の処理記録を、同じ画面に並べた。


 日付が一致していた。



 E-441の処理記録は公開されていたが、詳細は内部文書だった。カノは開示申請を出した。同日の夕方には承認が来た。


 文書を開いた。


 対象者:カワムラ・ケイイチ、三十九歳。

 発生日時:十八日前。

 担当技師:モリ・シンジ。

 処理結果:手順通り。照合精度の低い体(99.74パーセント)を処理、高い体(99.81パーセント)を復元。問題なし。


「問題なし」という基準委員会の評価が末尾に付いていた。


 カノはファイルを閉じた。


 画面に二つのデータが並んでいる。シモムラ・ケイジの二重ログと、カワムラ・ケイイチのE-441処理記録。


 二人の名前は違う。案件は別々だ。だが共通点が三つある。


 第二復元センター。担当技師モリ・シンジ。そして、どちらも十八日前の同じ日付だった。


(シモムラの二重ログは、E-441の一歩手前の状態ではないか)


 E-441は複数体が実際に生成された段階の記録だ。シモムラの場合は二重のデータが送信された段階で止まっている。処理は発生していない。


 だとすれば。


 二重のデータが送信された時点で、センター側が何らかの介入をしたことになる。介入によって、複数体の生成が止まったか、あるいはE-441に至る前に処理されたか。


 カノは第二復元センターの処理記録を、過去半年分さかのぼって確認した。


 E-441の記録は、一件だった。


 だが、シモムラのような「二重ログ」の形跡が残っている案件が、さらに三件あった。


 五件。半年で五件。


 うち四件は、ログの段階で痕跡が残っている。一件だけが、実際のE-441処理まで進んでいる。


 全件、担当技師はモリ・シンジだった。



 その夜、カノは資料を持ち帰った。


 自宅の机に資料を並べ、五件のデータを時系列に置いた。


 最初の一件は半年前。二件目が四か月前。三件目が三か月前。四件目が二か月前。五件目がカワムラの件で、十八日前。


 頻度が上がっていた。


 最初は二か月に一件だったのが、直近二件は一か月以内だった。


 カノはモリ・シンジのプロフィールを開いた。


 第二復元センター所属、十六年勤務、四十四歳。停止記録ゼロ。評価は全期間にわたって「優秀」。懲戒歴なし。業務上の問題報告なし。


 二十年近く問題のない技師だった。


(ならば、なぜ)


 なぜモリが担当する案件だけに、この異常が集中しているのか。


 二つの可能性がある。


 一つは、モリが意図的にこの異常を引き起こしている。


 もう一つは、誰かがモリを使って引き起こしている。


 どちらの可能性が高いかを、今のカノには判断できなかった。


 判断するための情報が足りなかった。


 カノは五件の対象者名を書き出した。


 カワムラ・ケイイチ。シモムラ・ケイジ。その他三名。


 五人に共通点があるかどうかを、次の段階で調べる必要があった。



 翌朝、出勤してすぐに五件の対象者を横断検索した。


 名前、年齢、職業、停止歴、所在地。


 最初は何も見えなかった。五人に表面上の共通点はなかった。年齢も職業もばらばらで、居住区域も異なり、所得水準も一致しなかった。


 カノは検索を続けた。


 停止の理由を確認した。


 五人全員、デュエルによる停止だった。それだけでは珍しくない。停止の大多数はデュエルによるものだ。


 だが、デュエルの種別を確認すると、全員が「個人間調停」だった。


 個人間調停は、企業や組織を介さない、二個人間の直接デュエルだった。理由は個人間の紛争、貸借トラブル、テリトリー争い、その他。記録に残るが、詳細は当事者以外には開示されないことが多い。


 相手の名前は公開情報に出ていない。


 カノは開示申請を出した。個人間調停のデュエル相手の情報は、監査部門からでも取得に時間がかかる。返答は早くて翌日になる。


 午後の通常業務をこなしながら、返答を待った。


 夕方に五件分の回答が来た。


 カノは画面を開いた。


 五件の「相手側」の名前を確認した。


 五件とも、代理デュエリストを立てていた。


 代理の名前を確認した。


 全件一致だった。


 ナガセ・ユイ。



【二】ナガセ・ユイ



 その依頼が来たのは、アサノ・タロウの件から二週間後だった。


 ハラダが珍しく、先に話をしたいと言った。事務所の小部屋で向き合った。ハラダは端末を置かず、手を組んで話し始めた。


「依頼が五件入っています」


「五件まとめて?」


「そうです。依頼主は同一、個人名義で、対象は五人別々。金額は各件、標準報酬の二倍。ただし条件があります」


「条件」


「五件全て受けること。一件でも断ると、残りも全てキャンセルになります」


 ナガセは少し考えた。五件まとめての依頼は珍しくはないが、「全件セット」の条件は聞いたことがなかった。


「依頼主は」


「ミズノ・サトシ、五十八歳。企業経営者です。詳細なプロフィールは——」


「会える?」


「明日にでも」


「会ってから決める」



 ミズノは大柄な男だった。


 五十八歳だが、体格のせいか若く見えた。停止記録を見ると三桁だった。デュエルに慣れた身体の持ち方をしていた。


「依頼内容を確認させてください」


「五人を停止させてほしい。順番は問わない。ただし一か月以内に全件終わらせること」


「理由は」


「それぞれに個人的な理由がある」


「具体的には」


「それは開示する必要があるか」


 法的には、開示義務はない。個人間調停のデュエルにおいて、依頼主が理由を説明する義務は存在しない。


「義務はないですが、判断材料にしたい」


 ミズノが少し間を置いた。


「五人全員、私の会社の元従業員だ。それぞれが退職時に問題を起こした。詳細は言えない。ただ、落とし前をつける必要がある」


「落とし前を停止でつける」


「この社会では、それが合理的な解決だ。あなたもそれを仕事にしている」


 ナガセはミズノの目を見た。


 何かが引っかかった。「落とし前」という言葉が、説明として成立しているかどうかが、引っかかった。


 元従業員を五人、一か月以内にまとめて停止させる理由が「退職時の問題」だとすれば、それは企業の法務部門を使って調停できる案件のはずだった。それをしない理由がある。


「考える時間をください」


「三日で返答を」


「わかりました」



 三日間、ナガセはミズノの調査を続けた。


 公開情報の範囲でわかることを全て集めた。


 ミズノ・サトシ、五十八歳。医療機器関連会社の代表取締役。創業二十二年。売上規模は中堅。問題の記録はなし。デュエル記録は多いが、全て正規の記録として残っていた。


 五人の対象者の経歴を調べた。


 五人とも、ミズノの会社に在籍していたことは確認できた。退職理由は「一身上の都合」が全員の記録に残っていた。


 退職時期を確認した。


 全員、一年以内に退職していた。しかも全員、退職前に第二復元センターで復元を受けていた。停止してから復元されて、その後すぐに退職している。


(停止→復元→退職)


 この流れが五人全員に共通していた。


 ナガセは手を止めた。


 何かが噛み合わない感覚があった。


 五人が一年以内に退職し、全員が退職前に停止を経験している。それをミズノが「落とし前をつける必要がある」と言って再び停止させようとしている。


 五人が退職した理由が、停止・復元と関係しているとしたら。


 復元後に何かが変わって、退職した。


 あるいは、変わらされて、退職した。


 ナガセは深呼吸した。


「確認する方法がない」という感覚は、アサノ・タロウの依頼の時にも持った。バックアップが消去されているかどうかが確認できないまま、戦った。結果的にタロウのバックアップは残っていた。


 だが今回は、確認できないものが別にある。


 五人が「同じ人間」かどうかが、確認できない。


(E-441は一人の人間が二体になる)


(どちらが本物かは、測定上でしか判断できない)


 ナガセの知識の範囲で、E-441は理論的な話として知っていた。技術的な詳細はわからない。ただ、五人全員が停止して復元センターを通過して、退職している、という事実がある。


「停止→復元→退職」の間に、何かが起きた可能性がある。


 ナガセはハラダを呼んだ。


「この五人の、復元を担当した技師の名前を調べてほしい」


「それは開示申請が必要です。時間がかかるかもしれません」


「急いで」


「わかりました」


 翌日、ハラダから返答が来た。


 五人全員の担当技師は、同じ名前だった。


 モリ・シンジ。第二復元センター。



 ナガセはミズノへの返答を一日延ばした。


 電話をすると、ミズノは静かに「わかった」と言った。声に苛立ちはなかった。それがかえって、ナガセには引っかかった。


 苛立たない理由がある。


 余裕がある。


 あるいは、ナガセが断っても別の手段があると思っている。


 ナガセは考えた。


 受けるべき依頼かどうかを判断するための情報が、足りていた。足りていた上で、判断できない状態だった。五人を停止させることが正しいかどうかを決める根拠が、ナガセにはない。


 ただ。


 受けなければ、ミズノは別のデュエリストを雇う。それは確実だった。


 別のデュエリストが五人を停止させる。それが何を意味するかを、ナガセは考えた。


 もし五人が「本物」ではない側だとしたら。


 停止させることで、何かが終わる。


 もし五人が「本物」の側だとしたら。


 停止させることは、彼らにとって別の問題だ。


 どちらかわからない。


 わからないまま、受けるか断るか。


 ナガセはミズノに電話した。


「依頼は保留にします」


「保留」


「確認したいことがある。確認してから返答する」


 ミズノが少し間を置いた。


「いつまでに確認できる」


「一週間」


「……わかった」


 電話が切れた。


 ナガセは端末を閉じた。


 確認しなければならないことが、あった。


 モリ・シンジと話す必要があった。



【三】モリ・シンジ



 カワムラ・ケイイチの最後の経過確認が終わった翌週、モリは自分の記録を確認した。


 仕事の記録ではなく、個人的な記録だった。


 モリは習慣的に、担当した案件を自分のノートに記録していた。施設の公式記録とは別の、個人的なメモだった。日付、対象者の名前、復元の状況、気になった点。二十年分のメモが、手書きのノートに残っていた。


 カワムラの件から一か月が経って、ふと過去のノートを見返したのは、特に理由がなかった。強いて言えば、最初の確認項目を始める前の「一秒」が、まだ続いていたからだった。


 何を確認しているのかわからない一秒が、毎日続いていた。


 ノートを一年前から読み始めた。


 途中、気になる記述を見つけた。


《8か月前、〇月×日。案件番号IKMR-T-4892。対象者イケガミ・ツヨシ、三十三歳。復元完了。照合精度99.83パーセント。特記なし。ただし復元直前に端末がわずかなラグを示した。原因不明、翌日には正常に戻った。》


 端末のラグ。そういうことは時々ある。珍しくはない。


 だが次のページをめくると、翌月にも同様の記録があった。


《7か月前。案件番号NTWR-S-6641。対象者ナカムラ・ソウイチ、四十五歳。復元完了。照合精度99.79パーセント。端末の同期送信に短いラグ。前回と同様、翌日には正常》


 二件。どちらも「ラグ」として記録されていた。


 モリは続きを読んだ。


 三件目は六か月前。四件目は四か月前。五件目がカワムラだった。


 五件。全てに「端末のラグ」の記録があった。


 モリは施設の公式記録を確認した。


 五件の案件番号を検索した。


 四件は通常の復元として記録されていた。


 五件目、カワムラだけがE-441として記録されていた。


(四件はE-441に至らなかったのか)


 それとも、至ったが記録されていないのか。


 モリは四件の対象者ファイルを開いた。復元後の照合精度を確認した。


 全員、99.7パーセント以上だった。通常通りだった。問題はなかった。


 だが「端末のラグ」がある時に、何かが起きている可能性がある。


 ラグの間に、何が起きているのか。


 技術的な詳細はモリの専門外だった。端末のシステム部分は、ITの担当者が管理している。モリは技師として復元の手順を踏む。端末の動作そのものを解析する権限も知識もなかった。


 モリはノートを閉じた。


 五件の「ラグ」。五件の中の一件がE-441になった。


「ラグ」とE-441の間に関係があるのかどうかが、モリには判断できなかった。



 翌日の昼休み、食堂で食事をしていると、見知らぬ女性が向かいに座った。


「モリ技師ですか」


 三十代前半。小柄で、姿勢が良かった。目に、何かを測定している時の静けさがあった。


「そうですが」


「少し話をしてもいいですか。お仕事に関することで」


「どなたですか」


「ナガセ・ユイと申します」


 名前に聞き覚えはなかった。


「どういったご用件で」


 ナガセが周囲を確認してから、小さく言った。


「E-441について確認したいことがあります」


 モリは箸を置いた。


「どこからその情報を」


「仕事で調べていました。詳しい話をさせてもらえますか。ここではなく、場所を変えて」



 施設の近くに小さな喫茶店があった。昼時を少し過ぎていて、客は少なかった。窓際の席に向かい合って座った。


「あなたは何者ですか」


「プロデュエリストです」


「なぜ私のE-441を知っているのか」


「ある依頼を受けるかどうかを判断するために調べていました。依頼の対象者五人が、全員あなたが担当した復元を経験している」


「誰からの依頼か」


「ミズノ・サトシ。五十八歳、医療機器系の企業経営者です」


 モリは聞き覚えのない名前だった。


「その人間が、私が担当した対象者を停止させたいと」


「はい。依頼を受けるかどうか判断するために、あなたに会いたかった。五人の復元に、何かあったかどうか」


 モリは少しの間、ナガセを見た。


 この人間が何を求めているのかを確認した。


 利益を求めているようには見えなかった。情報を売るつもりがあるようにも見えなかった。依頼を受けるかどうかを本当に判断したくて、ここにいるように見えた。


「ラグがあった」モリは言った。


「ラグ」


「五件全て、復元直前に端末がわずかなラグを示した。原因はわからなかった。一件だけ、E-441が発生した。残り四件は通常の復元として記録されている」


「ラグの間に、何かが起きていると思いますか」


「思う。ただ、何かがわからない」


 ナガセが手元のメモに何かを書いた。


「E-441は意図的に引き起こせると思いますか」


 モリは窓の外を見た。


「……技術的には、可能性はある。プラナリア幹細胞の活性を特定の条件下で増幅させれば、複数体の生成は理論上起きうる。それをシステム外から誘発できるかどうかは、私の専門外だ」


「誰かがあなたの端末に外部から介入して、E-441を引き起こしたとしたら」


「その場合、私は知らないまま処理したことになる」


「知らないまま処理した」


「手順書通りに。照合精度の低い方を。それがエラー体だと、そう記録されているから」


 ナガセが少しの間、何かを考えた。


「処理した側が、エラー体ではなかった可能性がありますか」


 モリは答えるまでに時間がかかった。


「……確認する方法が、今の私にはない」


「わかりました」


 ナガセが立ち上がった。


「一つだけ教えてもらえますか。E-441の五件の対象者の中に、イケガミ・ツヨシという名前はありましたか」


「私のノートにはその名前がある。ただ、施設の公式記録にはE-441として残っていない」


「では処理は記録されていない」


「記録にはない」


「わかりました」ナガセが小さく頭を下げた。「ありがとうございました」


「あなたは依頼を受けますか」


 ナガセが出口の方を向いたまま、少し止まった。


「まだわかりません」


 そう言って、出て行った。



【四】カノ・リツコ



 ナガセ・ユイの名前を確認してから、カノはさらに二日間調査を続けた。


 ナガセについての情報は、比較的集めやすかった。プロデュエリストは公開情報が多い。戦績、所属事務所、担当マネージャーの連絡先。


 だがカノが必要なのは、ナガセがミズノの依頼を受けたかどうかではなかった。


 必要だったのは、五件の「二重ログ」の発生源だった。


 第二復元センターのサーバーから、バックアップのデータが送信されていた。


 なぜ復元センターがバックアップデータを送信するのか。


 この疑問を解くためには、第二復元センターの内部システムを調べる必要があった。監査部門の権限でも、センターの内部システムへの直接アクセスは通常手続きでは難しかった。


 カノは正式な調査申請を出した。


 理由:複数のバックアップ異常案件における発信元の特定。


 申請は翌日に受理された。



 センターの内部システムを外部から閲覧できるのは、ITセキュリティの専門チームの協力が必要だった。カノはチームの担当者と三時間かけてデータを精査した。


 端末のログを確認した。


 モリ・シンジの使用端末に、外部からの定期的なアクセスが記録されていた。


 アクセスは五件の案件の直前、いずれも復元作業の数分前に発生していた。送信元のIPは毎回異なり、匿名化されていた。


「何が送られてきているのか確認できますか」


 ITの担当者が首を振った。


「暗号化されています。ただ、データのサイズから推測すると——小さいですね。コマンドの実行命令に近い。何かの動作を指示するための短いコードだと思われます」


「端末に届いて、どう動作するか」


「それが確認できていなくて。ただ、このコードが届くタイミングと、案件中に技師が報告しているラグのタイミングが一致しています」


 カノはメモを取った。


 外部からのコマンドが、復元中の端末に送信された。ラグが発生した。その間に、何かが起きた。


 E-441が発生した。


 あるいは、E-441の一歩手前まで進んで、止まった。


「このコマンドを、どこから送れますか」


「医療機器系の企業であれば、この暗号化技術を持っている可能性があります。民間でも、特定の分野では使われています」


 医療機器系の企業。


 カノは手を止めた。


 ミズノ・サトシ。医療機器関連会社の代表取締役。


 カノはその日の夕方に、ナガセ・ユイに連絡を取った。



 連絡先は事務所の公開番号を経由した。マネージャーのハラダという人物が出て、事情を説明すると翌日に折り返しが来た。


 ナガセが電話に出た。


「バックアップ監査部門のカノ・リツコです。あなたが現在関わっている依頼案件について、確認したいことがある」


「私に連絡が来るとは思っていませんでした」ナガセが言った。「あなたも調べていたんですね」


「ミズノ・サトシの件です」


「そうです」


「依頼は受けましたか」


「まだ保留中です。確認が終わっていないので」


「何を確認していますか」


「五人が誰なのかです」


 カノはその言葉の意味を一瞬考えた。


「復元後に何かが変わったかどうか、という意味ですか」


「それを確認する方法があれば、したい」


「モリ・シンジとは話しましたか」


 少し間があった。


「話しました。三日前に」


「彼が知っていることと、私が調べたことを合わせたい。三人で話せますか」


 今度は長い間があった。


「……わかりました」



 第二復元センターからほど近い場所に、会議室を借りた。


 三人が顔を合わせたのは、翌日の夕方だった。


 カノが持参した資料を机に並べた。五件の案件一覧、二重ログの記録、外部コマンドのアクセスログ、ミズノの企業情報。


 モリが資料を見た。


「端末への外部アクセスが記録されていたのか」


「はい。送信タイミングとラグの発生タイミングが一致している」


「私の端末に、私が知らないままコマンドが送られていたということか」


「そう見えます」


 モリが黙った。


「つまり私は、E-441を引き起こされたうえで、処理を実行したということか」


「可能性としては、そうなります」


「処理した側が、エラー体ではなかった可能性があると」


「確認する方法が今のところない」


「私が言ったことと同じだ」


 ナガセが資料を見ていた。


「ミズノが外部コマンドを送っていたとして、目的は何か」


「五人を復元センターで処理することで、記録上は合法的な処理として残る。バックアップなしの消去より痕跡が残りにくい。処理されたのがエラー体なのか本体なのかを、外部から確認する手段がない」


「つまり、E-441を使った消去が、合法的な消去として記録される」


「手順書通りの処理として」


 部屋が静かになった。


 三人が資料を見た。資料は静かにそこにあった。


「五人は今も生きています」ナガセが言った。「停止後に復元されて、退職している。ミズノはその五人を再び停止させたい。今度は直接デュエルで。復元センターは経由しない」


「再び処理するためではなく」カノが言った。「口を封じるためかもしれない。五人が気づいていれば」


「気づいているかどうか」


「わかりません。ただ、一件目のカワムラが経過確認で何かに言及していた」モリが言った。「何かが少し違う、と。そこで話が終わりました。具体的には言えないと言っていた」


「その後は」


「一か月後の確認では、違和感は消えた、と言っていました」


 三人が沈黙した。


「違和感が消えたのか」カノが言った。「それとも、言わないことにしたのか」


「わからない」



【五】三人



 その夜、三人は同じ部屋に残った。


 資料が机の上にあった。答えを出すための材料として並べていたが、答えは出ていなかった。


「監査部門として、どう動くか」とナガセがカノに聞いた。


「正式な調査を申請できます。ただ——」


「ただ」


「ミズノが実際に送ったことを証明するためには、暗号化されたコマンドの解読が必要です。それには時間がかかる。その間に、ミズノが別の手段で五人に接触する可能性がある」


「私が依頼を受けなければ、別のデュエリストを雇う」ナガセが言った。「それは確実だと思っている」


「なぜ確実だと思うのか」


「電話でわかった。私が断っても、ミズノは焦っていなかった。代わりがいると思っているか、別の手段があると思っているかのどちらかだ」


 モリが資料の一枚を手に取った。


「E-441の処理記録は、私の署名が入っています。私は確認書に署名した。手順通りに処理した、という確認書に」


「それは法的には問題ない」


「問題ない、ということはわかっています。ただ——私は知らないまま処理させられたかもしれない。知らなかったからといって、処理した事実は変わらない」


 誰も何も言わなかった。


「証明できますか」とナガセが言った。「ミズノが引き起こしたということを」


「時間がかかります」カノが言った。「確実に証明するためには」


「その時間の間に、五人が別のデュエリストに停止させられる可能性がある」


「はい」


「別のデュエリストが停止させた後でも、証明は続けられる。しかし——」


「しかし」


 カノが少し止まった。


「もしミズノが、今度は復元センターを経由せずに五人を消そうとしているなら」


「本当に消える」


「そうなったら、証言を得る機会が消える」


 三人が資料を見た。


 答えはなかった。あるべき手順はあった。正規の調査ルートがあった。報告書の書式があった。申請のフォームがあった。


 だが手順が追いつく前に、何かが起きるかもしれない。


「私は」ナガセが言った。「依頼を受けます」


 モリがナガセを見た。


「止めるためか」


「停止させるためです。デュエルとして。記録として残る形で。ただし——」


「ただし」


「停止させた五人が翌日に復元されるかどうかを、事前に確認する。バックアップの状態を確認してから戦う。確認できた案件だけ受ける」


「それはミズノには言わないのか」


「言いません」


 カノが資料をまとめた。


「私は調査を進めます。証明には時間がかかる。その間も記録は残し続ける。いつか証明できる状態になった時のための記録を」


「間に合わないかもしれない」


「間に合わないかもしれない。それでも記録する」


 モリが手元のノートを見た。二十年分のメモが書かれたノートだった。


「私は——」


 言いかけて、止まった。


「私は、自分が処理した五件について、記録を確認します。施設の公式記録ではなく、私のノートに残っているものを。何かが引き出せるかどうかわからないが」


「協力してもらえますか」カノが言った。「調査の一部として」


「できる範囲で」


 三人が資料を片付け始めた。



 会議室を出た。


 建物の外は夜だった。


 三人は同じ方向には帰らなかった。カノは地下鉄の駅へ、ナガセは事務所へ、モリはセンターに残った機材を片付けるために戻った。


 別れる前に、ナガセがカノに言った。


「監査部門として、私の動きを記録することになりますか」


「なります」


「問題ありますか」


「今の段階では、あなたは合法的な依頼を検討しているだけです。問題はない」


「そうですか」


「ただ、何かわかったら連絡をください」


「わかりました」


 ナガセが歩き出した。


 モリがセンターへの道を歩き始めた。


 カノは地下鉄の入口で立ち止まった。


 端末を開いた。ミズノ・サトシの名前を検索した。公開されている情報が並んだ。企業の概要、代表者のプロフィール、業績の概略。


 医療機器関連会社。


 この会社が、復元センターの端末に外部コマンドを送れる技術を持っているとすれば、それはどういう経路で使われているのか。


 医療機器と復元システムは、技術的に連続性がある。プラナリア幹細胞の管理、神経パターンの記録、同期システムの設計。これらは医療技術と復元技術が重複する領域だった。


 ミズノの会社がその領域を扱っているとすれば。


 カノは申請書を書き始めた。


 地下鉄の入口で、端末に向かって文字を打った。


 正式な調査申請。理由:バックアップシステムへの外部介入の疑い。


 送信した。


 地下鉄に乗った。



 帰りの車内で、カノはヤマシロの件を思い出した。


 三週間前に閉じた案件だった。原因不明として処理した。


 ヤマシロは自分でバックアップを消して、誰かに停止してもらうことを選んだ。その理由は、四百三十一回の停止と復元を経て、自分が自分であるかどうかを確認する方法がなくなったからだった。


 今回の五人は、ヤマシロとは違う。


 五人は自分でバックアップを消していない。消されたかもしれない側にいる。


 ヤマシロは消えることを選んだ。


 五人は消えることを選んでいない。あるいは、知らないまま消されかけた。


 カノは窓の外を見た。地下鉄が走っていた。暗いトンネルが続いていた。


(記録する。間に合わないかもしれなくても)


 それだけが、今カノにできることだった。



 センターに戻ったモリは、残った機材を片付けながら、ノートを開いた。


 五件。半年分のメモ。


 端末のラグ。照合精度の数値。復元後の対象者の状態。


 外部からコマンドが送られていたとすれば、ラグはその実行中に生じた時間だ。


 その時間に何が起きたのかを、モリは見ていなかった。見える位置にいなかった。技師として、数値を確認し、手順を踏み、送り出した。


 処理したカワムラが、エラー体だったかどうか。


 確認する方法がないという事実は変わらない。


 ただ、変わったことが一つあった。


 ラグが外部からのコマンドによるものだとすれば、自分は知らないままだったという事実が確認された。


 それが自分への免責になるかどうかを、モリは考えなかった。


 免責より先に、知りたいことがあった。


 処理した側が誰だったのか。


 確認する方法がない。だが、五人が今も生きているなら、その中に何かを知っている人間がいるかもしれない。


 カワムラが「何かが少し違う」と言った。


 その言葉が何を意味していたのかを、モリはまだ理解できていない。


 ノートを閉じた。


 明日の午前の案件が、七件入っていた。


 確認項目は十七。


 最初の項目を始める前の一秒が、明日もある。


 その一秒が何なのかを、言語化できるまでに、どれだけ時間がかかるかわからなかった。



 ナガセは事務所に戻った。


 ハラダがまだいた。


「決まりましたか」


「受けます。ただし条件をつけます」


「どんな条件を」


「試合前に対象者のバックアップ状態を確認します。確認できない案件は受けない。それをミズノに伝えてください」


「ミズノが了承するかどうか」


「了承しなければ断ります」


 ハラダが少し間を置いた。


「それを条件にする理由を、聞いてもいいですか」


「バックアップが確認できない相手は戦わない。それだけです」


 ハラダが端末を操作し始めた。


「わかりました。ミズノに連絡します」


 ナガセは窓の外を見た。


 夜の街が、いつも通りに動いていた。どこかで停止があり、どこかで復元があり、どこかで誰かがデュエルの場所を押さえていた。


 五人を停止させる。


 記録として残る形で。


 翌日に復元センターへ行き、戻ってくる形で。


 それが今のナガセにできることだった。


 バックアップなしの停止が起きた場合のことは、考えなかった。考えても仕方がないからではなく、今はまだその段階ではないからだった。


 ミズノへの連絡が返ってくるまで、準備を始めた。


 準備は仕事だった。



【六】



 一週間後、三つのことが同時に進んでいた。


 カノは調査を続けていた。申請は受理されたが、外部コマンドの解読には専門チームが必要で、その手配に時間がかかっていた。記録は毎日更新された。進んでいるが、遅かった。


 モリは五件の対象者のうち、連絡先が確認できる三人に手紙を書いた。復元センターの技師として、経過確認のための任意のアンケートという形式で。内容は「復元後に感じた違和感や変化について、記録させてほしい」という依頼だった。


 返答が来たのは二人だった。


 一人は「特に問題なかった」と一行だけ書いて返信した。


 もう一人は、電話をかけてきた。イケガミ・ツヨシだった。


「手紙を読みました。直接話せますか」


「いつでも構いません」


「復元後に、夢を見なくなりました。以前は毎晩見ていたのに。それだけです。それだけなんですけど、ずっと気になっていた」


 モリはメモを取った。


「それを誰かに話したことはありますか」


「ないです。言っても仕方ないと思って」


「言っても仕方ないと思った理由は」


「証明できないから。夢を見なくなったという事実は自分にわかる。でも、それが復元と関係しているかどうかは証明できない。だから言わなかった」


 モリは電話を切った後、その言葉を何度か確認した。


 証明できないから言わなかった。


 確認する方法がないから、感じていることを持ち続けた。


 ヤマシロが記録したことと、構造が似ていた。


 証明できなくても変化は続く。



 ナガセはミズノからの返答を待っていた。


 三日目に連絡が来た。


「バックアップの確認という条件は承諾します。ただし、確認の手続きはこちらで手配する」


 ナガせはハラダと相談した。


「ミズノ側が手配する確認、というのが引っかかります」


「私も引っかかる」


「確認を偽装できる可能性がある、ということですか」


「そうではなく——確認の手続きをミズノが握ることで、何かを操作できる可能性がある」


「断りますか」


「もう少し待ちます」


 カノに連絡を取った。


「ミズノが、バックアップ確認の手続きをミズノ側で行うと言っています。これはどういうことが考えられますか」


「確認を偽装するためか、あるいは確認のプロセスを使って何かをするためか」


「確認のプロセスを使って何かをする、というのは」


「バックアップにアクセスするタイミングを利用して、外部コマンドを送る可能性があります。試合前に五人のバックアップを操作することで——E-441を再び引き起こすための準備をする、あるいは消去をする、あるいは別の何かをする」


「つまり、確認そのものが罠になる可能性がある」


「可能性としては」


 ナガセはミズノへの返答を保留した。


 カノに聞いた。


「この状況で、監査部門として動ける範囲はどこまでですか」


「今の段階では、疑いがあるということは言えます。証拠はまだありません」


「証拠が揃う前に、五人が消える可能性がある」


「あります」


「その場合、どうなりますか」


 カノが少しの間、答えなかった。


「記録が残ります。いつか証明できる状態になった時のための記録が。ただし——五人が証言できる状態にあるかどうかは、その時点によります」


 ナガセは電話を切った。


 机の上に、五人の資料があった。


 カワムラ・ケイイチ。イケガミ・ツヨシ。残り三人。


 この五人が今日と同じ状態で来週もいるかどうかが、今は確実ではなかった。



 ナガセはミズノに電話した。


「バックアップの確認は、私が監査部門を通じて行います。ミズノさんの手配は不要です」


「そういう条件は出していない」


「私の条件です。それが受け入れられなければ、依頼は断ります」


 長い間があった。


「……わかった」


 ミズノが電話を切った。


 ハラダが「本当に大丈夫ですか」と言った。


「わからない」


「わからないのに」


「わからないまま動いた方がいいと思う時がある」


 ハラダが何か言いかけて、やめた。


「カノさんに連絡してください。五人のバックアップ状態の確認を正式に依頼したい」


「わかりました」



 カノは確認の依頼を受けた。


 五人のバックアップ状態を公式に照会した。


 全員、バックアップは正常に維持されていた。


 最新の同期から今日まで、異常なし。


 カノはその結果をナガセに送った。


「五人全員、現時点では正常です」


「試合の直前にも確認できますか」


「できます」


「お願いします」



 五件の試合は、一週間かけて行われた。


 ナガセは一件ずつ、試合の前日にカノに確認を依頼した。カノは毎回、バックアップの状態を照会して返答した。


 全五件、全対象者のバックアップは試合直前まで正常だった。


 試合は、ナガセが全件勝った。


 五人は翌日それぞれ復元センターで復元された。


 ミズノへの報酬の支払いと、試合記録の処理が完了した。



 五件の試合が終わった翌日、カノのもとに調査の中間報告が来た。


 外部コマンドの解読が一部進んだ、という内容だった。


 コマンドの構造が判明した。


 医療機器の制御システムに使われる、一般に流通している暗号化プロトコルが使われていた。ミズノの会社が扱っている医療機器の一部に、このプロトコルを使ったものがある。


「証明できますか」


「完全な証明にはさらに時間が必要です。ただ、ミズノの会社のシステムからコマンドが発信されていた可能性が高いという段階まで来ました」


「送信元を特定できますか」


「現在作業中です」


 カノは報告書を閉じた。


 進んでいる。遅いが、進んでいる。


 五人は今のところ、全員が今日も生きている。



 モリには、もう一人から連絡が来た。


 ナカムラ・ソウイチ、四十五歳だった。手紙には返信しなかったが、一週間後に直接センターに来た。


 応接室で向かい合った。


「手紙を読んで、一度来てみようと思いました。違和感について書いてありましたよね」


「はい」


「あります。なくなっていないです」


「どんな違和感ですか」


「妻の顔を見る時に、一瞬だけ、知らない顔を見ているような気がします。すぐ消えます。一瞬だけです。妻は何も変わっていない。私の方が変わったんだと思います」


「いつ頃からですか」


「復元の後からです」


「それを妻には話しましたか」


「話せないです。話したら、怖がらせる」


 モリはメモを取りながら聞いた。


「そのことを、誰かに話したことはありますか」


「あなたが初めてです」


「なぜ私に話せたのか」


 ナカムラが少し考えた。


「あなたが技師だからです。私の復元を担当した人間だから。何かを知っているかもしれないと思った」


「私が知らないことの方が多いです」


「そうですか」


「ただ、聞かせてもらえてよかった」


 ナカムラが帰った後、モリはノートに記録した。


 夢を見なくなった。妻の顔を一瞬知らない顔と感じる。


 二人が体験していることは違う。ただどちらも、以前との差異を感じている。


 その差異が、E-441の処理によるものかどうかは、まだわからない。


 わからないが、記録する。


 それがモリに今できることだった。



【七】



 三週間後、カノから二人に連絡が入った。


「ミズノの会社のシステムからコマンドが発信されていたことを、ほぼ確認できました。正式な起訴には至っていませんが、監査部門から捜査機関への報告が完了しました」


「ほぼ確認できた、というのは」


「完全な証明ではない、という意味です。裁判で争えば時間がかかる。ただ、調査が続くことは確実です」


「ミズノは」


「現在、任意聴取の段階です」


 ナガセが電話の向こうで少し間を置いた。


「五人は」


「今日も全員、バックアップは正常です。私が定期的に確認しています」


「わかりました」


「一つ確認させてください」


「なんですか」


「あなたは今回の依頼を受けて、正解だったと思いますか」


 今度はナガセが長い間を置いた。


「わかりません」


「なぜわからないのか」


「五人が今日も生きているのは事実です。私が戦ったことで、その五人に何かが起きるリスクが低くなった可能性がある。ただ——それが正解だったかどうかを決める基準を、私は持っていない」


「私も同じです」


「監査部門でも」


「監査部門でも。記録を残すことが仕事です。記録が正しい判断のための材料になることを前提にしている。でも、正しい判断とは何かは、記録には書かれていない」


 電話が切れた。


 カノは端末を閉じた。


 申請書の残りを書き始めた。



 モリは午後の最初の案件に入る前に、手元のノートを開いた。


 今日の日付を書いた。


「三週間後。カワムラの件の調査が進んでいる。五人全員が現在も生存。私のノートには、今のところ六人分の記録がある。五件の案件の対象者と、カノ・リツコとナガセ・ユイ。この二人についても記録しておく」


 ペンを置いた。


 端末を開いた。


 最初の確認項目を開く前の一秒があった。


 その一秒に何を確認しているのかが、少しだけ近づいた気がした。


 外部からコマンドが来ていないことを、確認しているのだと思った。


 確認できる方法は今のところない。ラグが出ていないかどうかを見るしかない。ラグが出ていなくても来ている可能性はある。


 それでも一秒間、見る。


 確認できなくても、見る。


 それだけが、今のモリに可能なことだった。



 ナガセは次の依頼の資料を開いた。


 製薬系企業の商標紛争。対象者のランキングは二十一位。標準的な依頼だった。


 受けるかどうかを検討する前に、一つだけ確認した。


 対象者の担当復元センターを調べた。


 第一復元センター所属だった。第二ではなかった。


 ハラダに声をかけた。


「この依頼、受けます」


「わかりました。では日程の調整を」


「それと——今後の依頼で、第二復元センター担当の案件が来た時は教えてください」


「特別に確認が必要な案件として、ということですか」


「そういうことです」


 ハラダが端末に何かを入力した。


「承知しました」


 窓の外で、街が動いていた。


 どこかで誰かが停止し、どこかで誰かが復元されていた。


 ナガセは次の資料を開いた。


 仕事が続いていた。



 カノは報告書を送信した。


 受信確認が来た。


 次の監視対象のリストを開いた。新しいフラグが三件上がっていた。通常案件だった。一件ずつ確認を始めた。


 三件目を確認し終えた時、端末が新しいフラグを返してきた。


 種別を確認した。


《同期ログ異常》。


 発信元を確認した。


 第一復元センター。


 カノは手を止めた。


 担当技師名を確認した。


 知らない名前だった。


(また始まるかもしれない)


 そうかもしれなかった。そうではないかもしれなかった。


 カノはフラグを開いた。


 確認を始めた。


 記録を続けていた。

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