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死と復元を繰り返した私たち  作者: 御影のたぬき


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同期なし

 カノ・リツコが異常を検知したのは、午前9時17分だった。


 監査端末の画面に赤いフラグが立っていた。対象ID:YSMR-K-7749。ヤマシロ・コウ、三十七歳、バックアップ技師、第三クラウド施設所属。


 フラグの種別は《同期ログ欠損》。


 カノは二十三年間この仕事をしている。異常ログはほぼ毎日上がってくる。停電による一時中断、ネットワーク遅延による同期ずれ、機器故障によるデータ破損。それらのほとんどは四十八時間以内に修復され、クローズされる。《同期ログ欠損》のフラグも珍しくない。送信側の端末が物理破損したとか、通信ラグで断絶が生じたとか、理由はだいたい決まっている。


 だがこのフラグには、通常と異なる点があった。


 欠損しているのは一つではなく、全てだった。


 ヤマシロ・コウのバックアップデータが、存在しない。


 カノは三回確認した。検索条件を変え、IDを手入力し、施設コードを直接指定。全て同じ結果が返ってきた。バックアップそのものが存在しない。最新の同期記録が残っているのは今から十一日前。そこから先はゼロだった。


 そして対象者の生体モニタリングは、昨夜の23時42分に停止していた。


 カノはコーヒーを置いた。


 窓の外では、市街地の通常業務が始まっていた。高架道路を自動輸送車が流れ、公園の噴水が白い水を上げ、通勤者たちが横断歩道を渡っていた。

 歩道に面したカフェのテラスでは、スーツを着た男が相手の胸に銃口を向けている。契約交渉か、境界紛争か。あるいは個人的な貸し借りか。周囲の人間は視線を向けず、通り過ぎていった。銃声が一発。男が前のめりに崩れる。相手は立ったまま電話をかける。翌朝には復元されて出勤する。それだけのことだった。


 カノは画面に向き直った。


 ヤマシロ・コウ。バックアップ技師。第三クラウド施設、同期管理部門所属。


 七年勤務。停止記録:四百三十一回。


 四百三十一。


 カノは数字を見直した。誤植ではなかった。


 三十七年の生涯で、四百三十一回停止している。統計上の上位0.3パーセントに入る値だった。デュエル経済の参加率が高い職種や地域では三桁に達する個人も存在するが、クラウド施設の技師という職種でこの数は異常だった。



 第三クラウド施設は、地下十二階まで掘り下げられた要塞型建築物だった。外壁はEMP遮断素材で覆われ、四方に感知センサーが張り巡らされ、地上部分は無窓で、唯一の出入口は生体認証と量子鍵の二重ロックで守られている。ここが焼け落ちれば、一万七千人が消える。真の意味で、二度と戻らない消え方で。


 施設長のオオタが出迎えた。五十代半ば、白髪交じりの短髪で、目だけが若かった。カノの身分証を確認し、サブ端末でデータベースを照合し、それでも二秒ほど間を置いてから施設内に招き入れた。


「ヤマシロ技師について、詳細を確認したい」


「もちろんです」

 オオタは歩きながら話した。

「ただ、我々も把握できていないことが多くて。昨夜、施設内の端末から本人の生体ログへの最終アクセスがあったのは確認しています。その後、施設を退去した記録がある。帰宅後に停止した、ということになるのでしょうが」


「バックアップが存在しない理由は」


「それが」


 オオタの歩調が少し落ちた。


「内部での消去が行われた可能性があります」


 廊下の照明が白く、静かだった。空調の音がした。地下に降りるほどに、外の世界の音は完全に消えた。


「可能なのか」


「理論上は。バックアップの物理的な消去は不可能です。データは三か所の独立したサーバーに分散保存されており、単一点からのアクセスでは書き換えも削除も不可能に設計されています。しかし同期ログの偽装を重ねることで、実質的に『存在しないことにする』ことは——技師レベルの権限があれば、やれないことはない」


「ヤマシロはその権限を持っていたか」


「同期管理部門は全員が持ちます。業務上、必要ですから」


 エレベーターが地下三階で止まった。扉が開くと、広いサーバールームが広がっている。天井まで届くラックが整然と並び、青白いLEDがリズムを刻んでいた。人間の人格は、冷却された金属の列の中に眠っていた。


 カノはその光景を二十三年見てきた。見るたびに、何かが胃の底に沈んでいく感覚があった。名前をつける前に消えるので、感情とは呼べなかった。



 ヤマシロの直属上司は、ソリカワという三十代の女性技師だった。事情を聞いた時、彼女は長い間黙っていた。


「おかしいとは思っていました」


「いつ頃から」


「三か月ほど前から。ただ、何がおかしいのか上手く言えなかった。仕事の精度は落ちていませんでしたし、むしろ、以前より丁寧になっていました。でも」


「でも」


「目が変わっていました。笑う時に、一拍ずれていた。周りが笑い始めてから一拍後に笑うんです。反応が遅いとかじゃない。感じ取ってから、確認してから、笑っているみたいな。そういう感じでした」


 カノはメモを取った。


「停止記録が四百三十一回ある」


 ソリカワが息を吸った。


「それは、知っています。彼は隠していなかった。話したこともあります。デュエル経済に巻き込まれていた時期があって、と。若い頃の話だと言っていた。私はあまり突っ込みませんでした」


「デュエルに参加していたのか」


「強制的に、だったと思います。詳しくは話してくれなかった。ただ、一度だけ、言っていたことがあって。停止って、怖くないんです、と。でも復元が、と言ったところで止まりました」


「続きは」


「教えてくれなかった。笑って、変な話ですよね、と言って話題を変えました」


 カノはメモを閉じた。


 廊下に出ると、サーバーの冷気がまとわりついた。

 この建物の中には、一万七千人の「連続性」が保管されている。ここが壊れれば、一万七千人の昨日までが消える。今ここにいる肉体は残っても、それは別人として生き続けることになる。そう法律は定義している。だから施設の破壊は、最重大の犯罪だった。


 だが、ヤマシロは施設を壊さなかった。


 自分だけを消した。



 技術ログの解析は六時間かかった。


 ヤマシロが行った操作の痕跡は、極めて巧妙に隠されていた。単純な削除ではない。同期ログを正常値に見せかけながら、実体データを少しずつ分割消去する手法が使われていた。それが気づかれなかったのは、ヤマシロが同期管理部門の技師だったからだけではない。この施設の監査アルゴリズムを熟知していたからだった。


 消去が始まったのは十一日前。最後の同期記録が残っている日と一致する。


 それ以降、ヤマシロは毎日少しずつ自分を消し続けていた。


 勤務しながら。上司と話しながら。昼食を取りながら。


 自分のバックアップが日々薄くなっていくのを確認しながら、通常業務を続けていた。


 カノは技術ログを閉じ、端末の画面を見つめた。


 なぜ十一日かけたのか。


 一日でできたはずだった。権限があれば、深夜に一度だけ端末を操作すれば、数時間で終わる。なぜ十一日間、毎日少しずつ消す必要があったのか。


(なぜ、あんなやり方をした)


 カノは立ち上がり、記録室の窓から施設の外を見た。夕暮れが始まっていた。街灯が点灯し始め、高架道路の流れが変わっていた。帰宅する人々。夕食の準備をする人々。デュエルの場所を押さえようとしている人々。


 全員、バックアップされている。


 全員、明日も続きから始められる。


 カノは端末に戻った。ヤマシロのファイルを再度開き、今度は個人情報欄ではなく、業務記録の付記欄を開いた。技師は日常的に小さなメモを残す。設備の状態、異常値の傾向、改善提案。ヤマシロも例外ではなかった。


 ひとつひとつを読んでいくうちに、カノは動きを止めた。


 最新の付記から遡って七十二件目のメモ。日付は約八か月前。


 *施設内サーバー棟B、冷却効率が0.3パーセント低下。原因調査のこと。また、私信になるが——


 そこで文章が途切れていた。


 カノは画面を拡大した。文章の後ろに、見えないはずのタグが埋め込まれていた。システムには表示されない、フラットな空白として扱われるはずの領域に。


 暗号化ファイルへのリンクだった。


 パスフレーズの要求が来た。


 カノは手を止めた。


 なぜ自分の端末から開けるのか。施設の監査権限IDでアクセスしたから、という理由だけでは説明がつかない。このタグが自分のIDだけに反応するよう設定されているとすれば、ヤマシロは特定の誰かのためにこれを残したことになる。


 カノは監査IDのコードをパスフレーズに入力した。


 ファイルが開いた。



「停止と復元の記録──個人観察ノート」


 書き出しの日付は、六年前だった。


 最初の停止は、二十四歳の時だった。強制仲裁のデュエルに指定された。当時の職場で、上司との契約上の争議が発生し、組合から「物理決着を推奨する」と告知された。訓練を受けたことはなかった。上司は三桁の停止歴を持つベテランだった。結果は言うまでもない。


 翌朝復元された時、自分が「負けた」という認識はあったが、痛みの記憶はなかった。


 最初はそれだけだった。


 ──(第1回)復元後の変化:特になし。負けた悔しさあり。食欲に変化なし。利き手の感覚に変化なし。以下同様の確認を各回行う。


 几帳面な箇条書きだった。カノは読みながら、この人間のことを少しずつ理解し始めていた。


 ヤマシロは技師だった。職業上の習性なのか、あるいは性格なのか、何かが気になり始めたら記録せずにはいられない人間だったようだった。


 ──(第5回)2年後。今度は路上での強制停止。理由不明。報告後、相手は罰金処理。5回目にして初めて、復元後に「自分が少し違う」感覚を持った。具体的にはまだ言語化できない。以後、各回後に詳細なチェックをつける。


 チェックリストが続いていた。


 味覚の変化。音の聞こえ方。利き手の精度。感情の反応速度。夢の有無。親しい人間との会話時の「距離感」。


 ほとんどの項目に、最初の数十回は「変化なし」と記録されていた。


 ──(第47回)左手の字が、わずかに震えるようになった。利き手ではないため業務への影響はないが、以前は震えなかった。施設の医師に相談したが「個体差の範囲内」とのこと。


 ──(第89回)好きだった音楽のジャンルが変わった。以前はリズム系を好んでいたが、最近は弦楽器を好む。これが復元の影響なのか、単なる嗜好の変化なのかは判別できない。記録するのみ。


 ──(第132回)職場の同僚との会話で、以前は自然に出てきたはずの冗談が出てこなくなった。出てこない、というより、冗談を「しようとする」工程が意識的になった。以前は無意識だった。


 ──(第200回)節目として記録する。二百回。この数が多いのか少ないのかの基準が、自分にはない。ただ言えることは、二百回前の自分が何を考えていたか、もうほとんど覚えていない、ということだ。記憶は引き継がれているはずだが、それは「記憶データ」であって、体験した感覚ではない。本を読んで覚えた知識と、自分が経験した記憶の差が、少しずつ広がっている気がする。


 カノは画面から目を上げた。


 部屋の照明が、夜の色に変わっていた。時刻は22時を過ぎていた。


 画面を戻す。


 ──(第300回)三百回。この記録を誰かに渡すべきか、ずっと迷っている。渡せば、自分が異常を申告したことになる。施設の技師が「復元によって人格が変化している」と告白することの意味は、業務上の責任問題に直結する。だから渡せない。だが記録することはやめられない。やめたら、自分が変化していることに気づいた「自分」が消える。


 ──(第350回)三十六歳になった。復元のたびに、自分という人間のどこかが少しずつ置き換わっているという確信がある。確信があっても証明できない。証明できなくても変化は続く。ここ数か月、笑うタイミングが遅れる。感じてから確認してから反応する、という手順が必要になった。以前はそんな手順は要らなかった。


 ──(第401回)バックアップデータを分析したことがある。技師の権限で、自分のデータを取り出して比較した。三十回前と現在では、神経パターンの接続重みに0.0003パーセントの差異がある。誤差の範囲内だ。施設の規定では、0.01パーセント未満は「同一個体」と定義される。だから自分は、法的には同じヤマシロ・コウだ。技術的には、正しい。でも、0.0003パーセントの差異が四百回積み重なったら、どれだけ違う人間になるのか。それを計算する方法が、今の自分にはない。


 ──(第431回)最終記録。


 この記録を読む人が誰であれ、監査部門の人間だと思う。もし個人を特定してここまで辿り着いたなら、相当に丁寧な人間のはずだ。だから伝える。


 自分は消える。それを決めた。


 誰かを傷つけたいからではない。制度に抗議したいからでもない。ただ、もう自分が自分である根拠を、自分の中に見つけられない。


 四百三十一回停止した。四百三十一回復元された。


 記録を見れば、自分が変わり続けていることがわかる。でもその変化を体験した「自分」が、今ここにいる自分と同じかどうかを確認する方法がない。昨日のヤマシロ・コウと今日のヤマシロ・コウの連続性を、誰も証明できない。


 証明できなくても社会は機能する。証明できなくても人は生きていける。


 ただ自分には、それが耐えられなかった。


 なぜ十一日間かけて消したかを書いておく。


 最後の十一日間、自分がどれだけ「以前の自分」の記憶を持ち続けていられるかを確認したかった。消えかけているバックアップに、どこまで記憶が依存しているかを知りたかった。


 答えは出なかった。そして今夜がその答えを出す必要のなくなる夜だ。


 この記録を読んだ人間は、自分のバックアップを確認してみてほしい。できれば、昨日の自分のデータと比較して。どこかに0.0001パーセントの差異がある。それは誤差の範囲内だ。でも誤差は積み重なる。


 ──ヤマシロ・コウ



 カノは端末を閉じた。


 部屋が静かだった。サーバールームの冷気は、もうここまで届かない。遠くで、施設の空調が低く唸っていた。


 報告書のひな形は画面の右側で待っていた。


 氏名。対象ID。停止日時。原因。詳細。処理方針。


「原因」の欄に、カーソルが点滅している。


 選択肢は二つしかない。


 一つは「自発的バックアップ消去」。最重大の犯罪行為の記録として、施設の当局に提出され、捜査が入り、関係者の記録が精査され、ヤマシロ・コウという名前は「制度破壊者」として永久記録に残る。


 もう一つは「原因不明」。この世界で、本当に謎の、原因を特定できない死が発生した、という記録として残る。


 カノは六時間前に読んだ技術ログを思い出した。十一日間の操作。毎日少しずつ。丁寧に、静かに、確実に。


 報告書の「原因」欄に、カーソルが待っていた。


 カノは入力した。


 原因不明。


 保存ボタンを押した。施設内の時刻は23時11分を示していた。ヤマシロ・コウが停止してから、二十三時間と二十九分が過ぎていた。


 廊下に出ると、オオタが立っていた。報告書の提出を待っていたわけではなく、ただそこにいた、という様子だった。


「終わりましたか」


「終わりました」


「原因は」


「不明です」


 オオタが、短く息を吐いた。安堵なのか、落胆なのか、カノには判断できなかった。判断する必要もなかった。


 施設の外に出ると、夜の街があった。


 一月ほど前に改装されたばかりのガラス張りのカフェが、煌々と明るかった。テラス席には三人の客がいた。一人は読書をし、一人はタブレット端末を見ていた。一人は立ったまま電話をしながら、正面の男の胸部を指差していた。交渉の最終通告か、条件の提示か。


 銃声が響いた。


 男が倒れた。立っていた方が電話を続けた。通行人は立ち止まらなかった。救急の自動車が来て、停止した肉体を収容した。明日の朝には復元センターから連絡が来て、本人が出勤する。


 カノは歩き始めた。


 自宅までの道のりは、徒歩で十七分だった。


 自動同期の通知が、端末のバイブレーションで届いた。今夜の同期が完了した、という通知だった。今日のカノ・リツコが、バックアップに刻まれた。この四十二年と、今日の二十三時十一分の記録が、三か所の独立したサーバーに分散保存された。


 カノは通知を閉じた。


 歩きながら、右手を見た。


 この手は、二十三年前と同じ手だった。記録上は。


 左手を見た。利き手ではない方。


 ヤマシロは「第47回、左手の字がわずかに震えるようになった」と書いていた。


 カノは左手を軽く握り、開いた。震えはない。震えはない、が、それが以前と同じかどうかを確認する方法を、カノは持っていない。


 施設が遠くなった。夜風が街路樹の葉を揺らした。


 自分のバックアップの、最新の同期時刻を確認してみようと思った。


 それだけだ。



 翌朝、カノ・リツコは定時に出勤した。


 端末を開き、監査ログの確認を始めた。異常フラグは今日も三件上がっていた。一件は通信遅延による一時中断、一件は機器の軽微な誤動作、一件は——


 カノは三件目のフラグを開く前に、一秒間、止まる。


 開く。


 同期エラー、自動修復済み。原因:経路上のノイズ。処理時間17秒。


 クローズした。


 窓の外で、街が動いている。誰かが停止し、誰かが復元され、誰かが契約を結び、誰かが交渉を始める。全員のバックアップが、地下の施設で静かに更新され続けている。


 カノは次のフラグを開く。


 仕事がある。

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