指咲く梅の残り香
「この神社も、もうすっかりボロボロだ」
「なに言ってるの!ここは、もともとおんぼろ神社!」
「……そうだっけ」
小突く冬に、軽く首をひねってみせた。
夕日が差し込む境内。神社に続く階段に冬と並んで座り、町を見おろす。
眼下の道路がひび割れて歪んでいた。団地は封鎖され、壊れかけた家が遠くに点々と続く。建設現場が放置され、薄汚れたブルーシートが風になびいていた。
目を伏せると、ため息をつく。
「この景色とも今日でお別れだ」
「……寂しいね」
冬が眉を寄せた。
冷えた風が足の隙間を通り抜けていく。枯れ木が乾いた音を立てて揺れていた。
数年前の大災害で、この世界は一変した。立て続けに起きる災害に、異常気象。止まらない崩壊に、人類はこの世界で生きる事を放棄した。
数年後、移住可能な惑星を発見。新たに設定された地区ごとに、着々と移住が進められてきていたのだった。
今晩、このNO.34/134地区の住民は、新しい惑星に移住する。この惑星ともお別れだと、景色を見納めに思い出の神社へ来ていた。
ここは、2人が初めて出会った場所。震災後、避難所であるこの神社に避難してきていた私に、巫女姿の冬が声をかけてきたのだった。その後、大きな災害が何度も続いた。そのたびに、壊れそうになる心を繋ぎとめてくれたのが、冬。
彼女の笑顔に、どれだけ救われただろうか。
「……あのね、皐月ちゃん」
冬が、私の服の袖を掴む。冷え切った指先の感触に、息をのんだ。
「わたしは、行かないよ」
「……なんで」
「いいの。わたしには、ここしかないから」
ここの、ほんとの主だからかなぁ……と、唇を歪ませて冬が笑った。
漏れ出た白い息が、灰色の空に溶けてゆく。輪郭がぼやけた瞳の奥で、強い光が見え隠れしていた。ふわりと膨らんだ巫女服の裾が、視界の端でぼやける。
震災後、参拝されなくなった神社。震災後も崩れないこの神社を、いつしか人々は災害の原因ではないかと恐れ始めていた。この誰もいない神社には、貧乏神が住んでいる。そう言われ、ゴミが投げ捨てられても、冬はこの神社を守る巫女として、揺るがぬ姿で務めていた。
スカートの裾を握りしめる。
「冬は、巫女だもんね」
「……うん。だから、今日で」
冬と、視線が絡む。真っ黒な瞳の奥が、微かに震えていた。
息が詰まった。スカートにきつく爪が食い込む。薄らと開いた口を結ぶと、さっと目を逸らした。
隣で、冬が息をのむ音がした。
「皐月ちゃん」
冬の手が伸びた。握り込んだ私の手を解くと、ゆっくりと引き寄せる。そのまま小指同士を絡ませると、きつく締めあげた。
「皐月ちゃん。わたしのこと、忘れちゃだめだよ」
「……冬こそ、忘れないでよね」
「わたしは、絶対忘れないよ」
そっと離される指先。
眉を寄せて、冬が笑っていた。
冬の手をそっと取り、手のひらを重ねる。雪のように冷えた手だった。触れた指先から溢れた熱が、ゆっくりと温めてゆく。
こつんと当てられた額。ほのかに甘い梅の匂いが、鼻をくすぐった。
「わたし、そろそろ行かないと!」
お見送りに行くんだ、と冬がぱっと立ち上がる。するりと手のひらが離れていった。
ぱたぱたと階段を駆け下りる冬に、手を伸ばした。かじかむ指先が、大きな三日月を掠める。紺色に染まった空にため息をつく。ぎゅっと手のひらを握りしめると、ゆっくりと立ち上がった。
ふいに足元から、生ぬるい風が髪を揺らした。静まり返った階段に、ふわりと梅の匂いが広がる。はためく髪を手で押さえると、視界の端で何かが煌いた。数段下がった階段の端に、薄桃色の何かが転がっている。神社に向かう時には、何も落ちていなかった。
軽く首をかしげると、ゆっくりと足を進めていく。
「冬の……御守り?」
そっと拾い上げた。梅の香りが、指先に広がる。冬特製の、縁結びの御守りだった。
貰う人が全くおらず、悲しそうに倉庫にしまい込んでいた御守り。完成した日、手作りにこだわったと力説していた冬に、小さく笑みを漏らす。しかし、いくら欲しいとねだっても、なぜか冬はくれなかった。
偶然得られた宝物を、ぎゅっと握りしめる。薄桃色の紐が、手の甲を優しく撫でた。
ほんのり熱を帯びた御守りを、丁寧にポケットにしまう。
軽やかに駆け下りた階段の向こうには、まばゆい夜空が広がっていた。
ロケットの窓から見下ろした、惑星は小さく、そして青かった。
小さくため息を漏らす。
結局、冬は見送りに来なかった。お守りを握りしめると、ぎゅっと目をつむる。微睡の向こうで、冬の笑顔が揺らめいていた。
聞きなれない鳥の声で、今日も目を覚ます。
この新しい惑星で過ごし始めて、数か月が経過していた。新しい惑星で、かつての災害などなかったように、人類は異常な速度で文明を築き上げている。
朝のニュースが、リビングでゆったりと流れだす。母が小さくため息をついていた。
横目でテレビに目を向けると、真っ赤な文字が目に留まった。
「空気の新成分判明?呼吸によって、かつての惑星の記憶をなくす人が続出か?」
「ですって!怖いわねえ……」
お母さんも全然思い出せないもの、と母が頬に手を当てる。
前の惑星に思いをはせる。白い霧の向こうで何かが蠢いたが、ふっと消えてしまった。
「そういえば皐月、鞄に付けていたお守りはどうしたの?」
「なにそれ」
「大切にしていたじゃない。薄桃色の……」
「そうだっけ」
首をかしげる。心配そうに眉を寄せる母の姿が、どこかおかしく感じた。
軽く笑い飛ばすと、ソファに放り出した鞄を肩にかける。踵に引っかけたローファーが、きらりと輝いた。
手を振る母に見送られ、玄関のドアを開く。庭の桜の木が柔らく揺れていた。
木の陰から漏れる光に目を細め、透き通る空気を胸いっぱいに吸い込む。甘ったるい花の蜜の香りが、胸の奥を軽くくすぐった。
ふいに日が蔭った。
ざわざわと、木が大きな音を立てて蠢く。影が異様に伸びていた。
足元を撫でた生ぬるい風に、足が止まる。
仄かに香る梅の匂い。
「なんだこれ」
コンクリートの道路の上に、視線を落とす。
薄桃色の薄汚れた何かが、じっとこちらを見上げていた。くたびれた紐が、手を伸ばすように揺れている。軽くつまみ上げると、かすれた文字に目を細めた。
__御守り。
ぽたり。
御守りの紐に、ゆっくりと雫が滲んでゆく。
どこか見覚えのある字。微かに残るぬくもり。
ぎゅっと握りしめると、瞼の裏で巫女服がはためく。
古びた場所で、少女が笑っていた。口からこぼれた名前は、輪郭を持たずに解けていく。眉がぎゅっと歪んだ。
吐き出した息が、真っ青な空に溶けてゆく。苦しくて息が出来なかった。縋るように口を開けると、甘ったるい空気が流れ込む。
いつの間にか、溢れた熱は、青空に飲まれてしまっていた。行き先を無くした指先が、太陽を引っ掻く。
「あれ……まあ、いいか」
薄桃色のそれを、地面に置いた。
冷えた空気が、指先に絡む。振り払うように手をこすると、鞄を背負いなおして空を仰ぐ。澄み切った青空に、微かに残った残像が溶け始めていた。足を進める度に、温かなぬくもりが肌の隙間から抜けてゆく。
ふと、鼻に広がった梅の香り。
はっと息をのんだ。
いつの間にか、小指に巻き付いた薄桃色の紐。
生温かい感触が、じっとりと指を締め上げた。
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