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指咲く梅の残り香

掲載日:2026/02/11

 「この神社も、もうすっかりボロボロだ」

 「なに言ってるの!ここは、もともとおんぼろ神社!」

 「……そうだっけ」

 小突く(ふゆ)に、軽く首をひねってみせた。

 

 夕日が差し込む境内。神社に続く階段に冬と並んで座り、町を見おろす。

 眼下の道路がひび割れて歪んでいた。団地は封鎖され、壊れかけた家が遠くに点々と続く。建設現場が放置され、薄汚れたブルーシートが風になびいていた。

 

 目を伏せると、ため息をつく。

 「この景色とも今日でお別れだ」

 「……寂しいね」

 冬が眉を寄せた。

 冷えた風が足の隙間を通り抜けていく。枯れ木が乾いた音を立てて揺れていた。


 数年前の大災害で、この世界は一変した。立て続けに起きる災害に、異常気象。止まらない崩壊に、人類はこの世界で生きる事を放棄した。

 数年後、移住可能な惑星を発見。新たに設定された地区ごとに、着々と移住が進められてきていたのだった。

 

 今晩、このNO.34/134地区の住民は、新しい惑星に移住する。この惑星ともお別れだと、景色を見納めに思い出の神社へ来ていた。


 ここは、2人が初めて出会った場所。震災後、避難所であるこの神社に避難してきていた私に、巫女姿の冬が声をかけてきたのだった。その後、大きな災害が何度も続いた。そのたびに、壊れそうになる心を繋ぎとめてくれたのが、冬。

 彼女の笑顔に、どれだけ救われただろうか。

 

 「……あのね、皐月(さつき)ちゃん」

 冬が、私の服の袖を掴む。冷え切った指先の感触に、息をのんだ。

 「わたしは、行かないよ」

 「……なんで」

 「いいの。わたしには、ここしかないから」

 ここの、ほんとの主だからかなぁ……と、唇を歪ませて冬が笑った。

漏れ出た白い息が、灰色の空に溶けてゆく。輪郭がぼやけた瞳の奥で、強い光が見え隠れしていた。ふわりと膨らんだ巫女服の裾が、視界の端でぼやける。

 

 震災後、参拝されなくなった神社。震災後も崩れないこの神社を、いつしか人々は災害の原因ではないかと恐れ始めていた。この誰もいない神社には、貧乏神が住んでいる。そう言われ、ゴミが投げ捨てられても、冬はこの神社を守る巫女として、揺るがぬ姿で務めていた。

 

 スカートの裾を握りしめる。

 「冬は、巫女だもんね」

 「……うん。だから、今日で」

 冬と、視線が絡む。真っ黒な瞳の奥が、微かに震えていた。


 息が詰まった。スカートにきつく爪が食い込む。薄らと開いた口を結ぶと、さっと目を逸らした。

 隣で、冬が息をのむ音がした。

 「皐月ちゃん」

 冬の手が伸びた。握り込んだ私の手を解くと、ゆっくりと引き寄せる。そのまま小指同士を絡ませると、きつく締めあげた。


 「皐月ちゃん。わたしのこと、忘れちゃだめだよ」

 「……冬こそ、忘れないでよね」

 「わたしは、絶対忘れないよ」

 そっと離される指先。

 眉を寄せて、冬が笑っていた。

 

 冬の手をそっと取り、手のひらを重ねる。雪のように冷えた手だった。触れた指先から溢れた熱が、ゆっくりと温めてゆく。

こつんと当てられた額。ほのかに甘い梅の匂いが、鼻をくすぐった。

 

 「わたし、そろそろ行かないと!」

 お見送りに行くんだ、と冬がぱっと立ち上がる。するりと手のひらが離れていった。

 ぱたぱたと階段を駆け下りる冬に、手を伸ばした。かじかむ指先が、大きな三日月を掠める。紺色に染まった空にため息をつく。ぎゅっと手のひらを握りしめると、ゆっくりと立ち上がった。


 ふいに足元から、生ぬるい風が髪を揺らした。静まり返った階段に、ふわりと梅の匂いが広がる。はためく髪を手で押さえると、視界の端で何かが煌いた。数段下がった階段の端に、薄桃色の何かが転がっている。神社に向かう時には、何も落ちていなかった。

 

 軽く首をかしげると、ゆっくりと足を進めていく。

 「冬の……御守り?」

 そっと拾い上げた。梅の香りが、指先に広がる。冬特製の、縁結びの御守りだった。

 

 貰う人が全くおらず、悲しそうに倉庫にしまい込んでいた御守り。完成した日、手作りにこだわったと力説していた冬に、小さく笑みを漏らす。しかし、いくら欲しいとねだっても、なぜか冬はくれなかった。

 

 偶然得られた宝物を、ぎゅっと握りしめる。薄桃色の紐が、手の甲を優しく撫でた。

 ほんのり熱を帯びた御守りを、丁寧にポケットにしまう。

 軽やかに駆け下りた階段の向こうには、まばゆい夜空が広がっていた。

 

 ロケットの窓から見下ろした、惑星は小さく、そして青かった。

 小さくため息を漏らす。

 結局、冬は見送りに来なかった。お守りを握りしめると、ぎゅっと目をつむる。微睡の向こうで、冬の笑顔が揺らめいていた。


 


 聞きなれない鳥の声で、今日も目を覚ます。

 この新しい惑星で過ごし始めて、数か月が経過していた。新しい惑星で、かつての災害などなかったように、人類は異常な速度で文明を築き上げている。

 

 朝のニュースが、リビングでゆったりと流れだす。母が小さくため息をついていた。

 横目でテレビに目を向けると、真っ赤な文字が目に留まった。

 「空気の新成分判明?呼吸によって、かつての惑星の記憶をなくす人が続出か?」

 「ですって!怖いわねえ……」

 お母さんも全然思い出せないもの、と母が頬に手を当てる。

 前の惑星に思いをはせる。白い霧の向こうで何かが蠢いたが、ふっと消えてしまった。

 

 「そういえば皐月、鞄に付けていたお守りはどうしたの?」

 「なにそれ」

 「大切にしていたじゃない。薄桃色の……」

 「そうだっけ」

 首をかしげる。心配そうに眉を寄せる母の姿が、どこかおかしく感じた。

軽く笑い飛ばすと、ソファに放り出した鞄を肩にかける。踵に引っかけたローファーが、きらりと輝いた。

 

 手を振る母に見送られ、玄関のドアを開く。庭の桜の木が柔らく揺れていた。

 木の陰から漏れる光に目を細め、透き通る空気を胸いっぱいに吸い込む。甘ったるい花の蜜の香りが、胸の奥を軽くくすぐった。

 

 ふいに日が蔭った。

 ざわざわと、木が大きな音を立てて蠢く。影が異様に伸びていた。

 足元を撫でた生ぬるい風に、足が止まる。

 

 仄かに香る梅の匂い。

 「なんだこれ」

 コンクリートの道路の上に、視線を落とす。

 薄桃色の薄汚れた何かが、じっとこちらを見上げていた。くたびれた紐が、手を伸ばすように揺れている。軽くつまみ上げると、かすれた文字に目を細めた。


 __御守り。


 ぽたり。

 御守りの紐に、ゆっくりと雫が滲んでゆく。

 どこか見覚えのある字。微かに残るぬくもり。

 ぎゅっと握りしめると、瞼の裏で巫女服がはためく。


 古びた場所で、少女が笑っていた。口からこぼれた名前は、輪郭を持たずに解けていく。眉がぎゅっと歪んだ。

 吐き出した息が、真っ青な空に溶けてゆく。苦しくて息が出来なかった。縋るように口を開けると、甘ったるい空気が流れ込む。


 いつの間にか、溢れた熱は、青空に飲まれてしまっていた。行き先を無くした指先が、太陽を引っ掻く。


 「あれ……まあ、いいか」

 薄桃色のそれを、地面に置いた。

 冷えた空気が、指先に絡む。振り払うように手をこすると、鞄を背負いなおして空を仰ぐ。澄み切った青空に、微かに残った残像が溶け始めていた。足を進める度に、温かなぬくもりが肌の隙間から抜けてゆく。


 ふと、鼻に広がった梅の香り。

 はっと息をのんだ。

 いつの間にか、小指に巻き付いた薄桃色の紐。

 生温かい感触が、じっとりと指を締め上げた。



ここまで読んでくださりありがとうございます。

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