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6話 不穏な手紙

 匿名の手紙が届いた日の夕方。


 悠人は、美咲からの攻撃が莉子に及ぶ前に手を打つべきだと判断した。


 仕事を終えるとすぐに莉子に連絡を取り、会社の近くにある静かなカフェに呼び出した。約束の時間、莉子は少し心配そうな顔で現れた。


「悠人さん、どうかしたんですか?」


 席に着くなり、莉子が尋ねる。


「顔が少し暗いですよ」


 悠人は一口コーヒーを飲み、意を決して話し始めた。


「莉子さん、突然呼び出してごめん」


 カップを置き、まっすぐ莉子の目を見る。


「先日、会社に俺宛に匿名の嫌がらせの手紙が届いたんだ。内容は——俺が莉子さんにつきまとっている、というデタラメなものだった」


 莉子の目が大きく見開かれた。


「えっ? そんな……誰が?」


「俺の元カノだ」


 悠人は淡々と答えた。


「事故の後、別れを告げたんだが、どうやら俺が幸せになるのが許せないらしい。特に、俺が莉子さんと親しくしているのが気に入らないようだ」


 莉子は静かに悠人の話を聞いていたが、次第に表情が変わっていった。眉を寄せ、唇を噛む。その瞳には、怒りの色が浮かんでいる。


「馬鹿げてる……」


 莉子は静かに、だが確かな怒りを込めて言った。


「私たちが親しくするのが、どうしてその人に邪魔されなきゃいけないんですか」


「本当に申し訳ない」


 悠人は深く頭を下げた。


「莉子さんにまで迷惑をかける前に、このことを伝えておきたかった。もちろん、莉子さんが嫌なら、もう会うのはやめる」


 一拍置いて、続ける。


「これ以上、君を巻き込みたくない」


 悠人は覚悟を持って伝えた。


 もし莉子が、面倒な元カノの存在に嫌気が差して離れていっても、それは仕方のないことだ。彼女を危険に晒すわけにはいかない。


 しかし——。


「いいえ、やめません」


 莉子の返答は、悠人の予想とは違っていた。


 彼女はまっすぐ悠人の目を見て言った。その瞳には、いつもの穏やかさだけでなく、芯の強い光が宿っていた。


「私は悠人さんを変な人だなんて思っていません。悠人さんがどれだけ真剣に人生をやり直そうとしているか、知っています」


 莉子は少し前のめりになった。


「それに、私が悠人さんと会うのをやめたら、その元カノの思うツボじゃないですか」


 そして、テーブル越しに優しく手を差し出した。


「私は、あなたの力になりたい。だから、遠慮しないでください。むしろ、もし会社で変な噂を流されたり、困ったことがあったら、すぐに私に相談してくださいね」


 悠人は、莉子の温かい優しさと強さに、胸が熱くなるのを感じた。


 美咲には決してなかった、無償の優しさ。打算のない、真っ直ぐな思いやり。


「莉子さん……」


 悠人の声が、わずかに震えた。


「ありがとう。本当に」


 美咲が与えた絶望の傷を、莉子の優しさが埋めていく。


 悠人は改めて誓った。この新しい出会いを、何があっても守り抜くと。



 莉子と別れ、悠人が家に戻ったのは夜の九時過ぎだった。


 マンションのエントランスを抜け、郵便受けを開けると——見慣れない封筒が入っていた。


 差出人の名前はない。


 嫌な予感が、背筋を這い上がる。


 部屋に入り、封筒を開ける。中には、手書きのメッセージカードと、数枚の写真が入っていた。


『あなたの新しい人生は、私が壊すわ。二度と逃げられないように、私が必ずあなたを取り戻す。あんな地味な女じゃ、あなたも幸せにはなれないでしょう?』


 美咲の筆跡だ。


 そして、写真——。


 それは、悠人が莉子とカフェで話している様子を、遠くから隠し撮りしたものだった。莉子が心配そうに身を乗り出しているカット。二人が親密そうに微笑んでいるカット。


 全て、今日撮られたものだ。


 悠人の背筋に、冷たいものが走った。


 美咲は、自分たちを監視していた。


 メッセージは続く。


『私を振ったことを、後悔させてあげるわ。あなたにとって最も大切なものが、失われていくのを見せてあげる』


 そして、最後の一枚。


 そこには、美咲が一人の男と親しげに腕を組んで歩いている姿が写っていた。高級そうなスーツを着た、三十代半ばと思しき男。


 その顔を見た瞬間、悠人の心臓が冷え切った。


 柏木——。


 タイムリープ前の世界で、美咲が悠人を裏切り、『保険』呼ばわりさせた、あの浮気相手だ。


 まだ彼とは出会っていないはずなのに……!


 悠人の手が震える。


 美咲は、悠人に振られたことでプライドを傷つけられ、自身の玉の輿の夢を加速させようと、過去よりも早く柏木に接触したのだろう。


 そして、美咲の真の狙いは——柏木を利用して、悠人を陥れることだ。


 柏木。M&Aコンサルタント。金に物を言わせた傲慢な態度。裏社会にも繋がりがありそうな、怪しい雰囲気。


 悠人は、一度の接触でその全てを鋭く記憶していた。


 写真を握りしめる。怒りで、拳が震えた。


「宣戦布告、というわけか……」


 悠人は低く呟いた。


「いいだろう、美咲。だが二度も同じ手は食わない。今度は、俺がお前たちの策略を先回りし、全てを打ち砕いてやる」


 胸の奥に、美咲への憎悪と、莉子を守りたいという強い決意が燃え上がった。


 深夜、悠人はパソコンに向かっていた。


 タイムリープ前の知識を総動員して、柏木についての情報を整理する。


 柏木の職業——M&Aコンサルタント。

 彼が関わった企業、手掛けた案件、人脈。全てを調べ上げ、メモに書き出していく。


 美咲は、柏木と組んで悠人を会社や世間から貶めるトラップを仕掛けてくるだろう。


 俺の昇進を邪魔し、莉子さんとの関係を壊そうとする。そして最終的には、柏木の力を利用して、俺を社会的に抹殺しようとするはずだ。


 悠人は検索エンジンを開き、柏木が関わる企業の財務状況や、過去のM&A案件の情報を集め始めた。


 画面の光が、暗い部屋に悠人の顔を浮かび上がらせる。


 美咲、お前が俺の人生二周目を汚そうとするなら——。


 悠人の瞳には、もう絶望の色はない。


 そこにあるのは、愛する女性を守り、真の幸せを掴むための、冷徹な戦略家の目だった。


 俺は逆に、お前たちの偽りの成功を、根底から崩壊させてやる。


 キーボードを叩く音だけが、静かな夜に響いていた。

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