27話 同棲
両親からの祝福を受け、悠人と莉子は、結婚に向けた第一歩として同棲を始めることを決めた。
悠人の部屋は既に広く、莉子の家具を迎え入れる準備は整っていた。しかし、物を動かし、二人の生活用品を混ぜ合わせていく過程で、彼らは愛だけでは乗り越えられない、小さな価値観の違いに直面した。
悠人は、タイムリープ前の人生で美咲の浪費に苦しんだ経験から、極度の節約志向になっていた。一方、莉子は、合理的な消費を心がけてはいるものの、生活を豊かにするための投資を惜しまないタイプだった。
同棲初日の夜、悠人は電気を点けようとする莉子に言った。
「莉子さん、そこはまだそんなに暗くないから、この間接照明だけで十分だ。電気代を節約しよう」
莉子は少しムッとした。
「でも、悠人さん、この書類を読むのに、間接照明だけだと目が疲れるわ。健康を害して医療費がかかる方が、よっぽど不経済よ」
また別の日は、日用品の購入で意見が対立した。
「このトイレットペーパーは、肌触りが良くて少し高いけど、QOLへの投資よ」と莉子。
「QOL...…わかっているが、品質に大きな差がないなら、安い方を選ぶのがリスク管理だ」と悠人。
悠人は、未来の知識があった頃は、全てを正しい解として導き出すことができた。しかし、未来の知識も、組織の脅威もなくなった今、目の前にあるのは、愛する人の価値観という、予測不能で繊細な問題だった。
その夜、悠人は莉子と向き合って話し合った。
「莉子さん、ごめん。俺は、美咲との一件でお金に対する考え方が極端にシビアになってしまっているんだ。無駄を恐れ、常に最悪の事態を想定してしまう」
莉子は、悠人の過去の苦しみを理解していたからこそ、優しく彼の両手を握った。
「わかっているわ、悠人さん。でも、私は美咲さんじゃない。私は、二人で豊かに幸せになることを望んでいるの」
莉子は、悠人がリスク管理の専門家であることを逆手に取り、ロジカルに提案した。
「あなたはいつも、『投資』はリスクを分散し、『リターン』を得るために必要だと教えたわ。私たちの生活だって同じよ。少し高いトイレットペーパーや、明るい電気は、私たちの快適さ、つまり心の幸福度というリターンを得るための、最小限の投資なのよ」
莉子の言葉は、悠人の凝り固まった思考を溶かした。
「心の幸福度というリターン……そうか。俺は、感情をリスクとしてしか見ていなかった。だが、愛する君の幸福度は、投資する価値のある、最大のリターンだ」
悠人は、莉子の知性と愛情に改めて感銘を受けた。
二人は、お互いの価値観を尊重するため、同棲のルールブックを一緒に作成した。
業務時間中は必要な照明を点けることを容認する。ただし、使わない部屋の電気は必ず消す。
意見が対立した際は、相手の過去の経験を批判するのではなく、今、どうすることが二人にとって最善かを話し合う。などなど。
ルールブックを完成させた後、二人は笑い合った。
「これって、私たちだけの未来の取扱説明書みたいね」
と莉子が言う。
「ああ。俺の未来の知識はもうない。だから、このルールブックと君への愛だけが、俺たちの新しい指針だ」
悠人は、過去の知識がなくても、愛があれば、どんな些細な価値観の違いも乗り越えられることを学んだ。同棲は、二人の愛を、より現実的で強固なものへと育てていった。




