38 今代の大聖女と次代の大聖女
入ってきたのは六十代後半、もしかしたら七十になるだろうか。白髪を綺麗に結い上げ、派手ではないが一目で良いものであると分かるドレスを身にまとい、凛とした印象の女性だった。
シルウェスが大聖女様と呼んだので、彼女が今の大聖女なのだろう。
確かによく見れば日本人だと分かる。というか、召喚先は日本と限定されているのだろうか?
そんな事を思っていると彼女はそのままリュカの方にやってきた。
すかさずフィリウスとガスパルがリュカを守るように前に立った。
「使徒様がいらしていると聞いてきたのよ。少し話がしたいの。私はルーチェアット神聖国の王妃であり大聖女のマリコ・キサラギ・ルーチェアットです」
「ごあいさちゅありがとうございましゅ。まぐなしりゅばおうこくさいしょうのふぃりうしゅ・えばん・こんこりゅでぃあです。このようなしゅがたでしちゅれいいたしましゅ」
「コンコルディア公爵の事は我がルーチェアットにも伝わってきております。そして、今回の召喚の件も使徒様の事も。同郷の者として感謝しております」
「もったいないおことば、ありがとうございましゅ」
頭を下げたフィリウスに会釈をして、彼女はリュカの方を向いてそっと微笑んだ。
「貴方は?」
「…………リュカ・ワシュトゥール・レティティアンでございます」
「リュカ・ワシュトゥール……」
「はい。この世界で生きていく事を決めた時にこの名前になりました」
「そうでしたか。リュカ様。とても良いお名前ですね」
「ありがとうございます」
リュカはそう言ってもう一度頭を下げた。その瞬間、先程と同じように何かが頭の中に触れたような感覚が起きてリュカは僅かに目を眇める。
「やはり感じますか?」
「…………え?」
「私はもう何度もここにきています。ですが何も掴めません。今回彼女の召喚に巻き込まれた使徒様がいらっしゃると聞いて、こうしていきなりやってきてしまいました。許してくださいね」
「あ、いえ、あの……」
何をどう答えていいのか分からないリュカに彼女は「座りましょうか」と部屋の端に寄せられていた椅子を指さした。それに神官達が慌てて椅子を運び始める。
「ああ、大丈夫よ。そのままで。急に来た方が悪いの」
軽い口調でそう言って彼女は急遽用意された椅子に腰を下ろし、リュカ達もそれに倣った。
「まずはあの日の事をお話するわ。私達はこの部屋で次代の大聖女、アヤカさんに会いました。と言っても入ってきた彼女を迎え、陛下が挨拶をして、私が挨拶をして、彼女が挨拶をする番だったけど、彼女はそのまま消えてしまったの。何が起きたのか誰も分からなかった。でも私は彼女が何かに驚いているように見えたのよ。何に驚いたのかは分からないけれど、でも確かに驚いていたのだと思う。そしてね、「うそ」って言ったように思えたの」
「……うそ……ですか?」
「そう。この部屋の中に、嘘だと思うような事が、思いたくなるような事があったのかもしれないわ。でも私にはそれがなんとなく分かるような気がしたの」
「え?」
リュカは思わず呆然としたような声を出していた。
「召喚された者はどうにもしようがない事があるわね。私は五十二年前に召喚をされたわ。面白い事に元の世界の時間軸は関係ないの。前の大聖女様は私がいた時代と十五年くらいしか変わらなかった。それなのに私と六十歳近い差があった。私は二十四歳のOLだった。それがいきなり漫画の中のお城みたいなところで聖女様って。嘘でしょう? っと思う反面、それを受け入れていた。私は私でない私になれるんだみたいに。でも時間が経つうちに怖くなった。神様の事や政治の事、それぞれの国の事、魔法の事も色々詰め込まれて、今度は一度も会った事のない国王の元に嫁ぐという。怖くないわけないわ。どんな時代の話だって思ったもの。だから私と陛下を見て、現実を見せられたみたいに余計に怖くなっちゃったのかなって。それは貴方も同じよね。私、召喚なんて本当は大嫌い。でもそうしてこの世界を守ろうとする人々がいる事ももう分かっているから」
「………………」
「それにね、多分。彼女は勘違いをしたんじゃないかって思ったのよ」
「勘違い……ですか?」
「そう。そうだといいな。そうじゃないかな……だからちゃんとお話がしたいの。今すぐどうこうというわけではないけれど、それでも私のこれからの時間は何十年もあるわけではないから。その時が来る前に知っておいてほしい事があるの。だからリュカさん、手伝ってくださらないかしら」
「手伝う……ですか?」
「そう。今日、貴方がいらしてから何かが違うって思っているの。だから彼女を呼んで? 彼女の名前を、出ておいでって。そうしたらきっと私もお手伝い出来ると思うの」
そう言ってにっこりと笑った顔は、彼女がここで生きてきた時間が、彼女にとって良いもので会ったのだろうと思えて、リュカはなんだか嬉しくなった。
-◇-◇-◇-
部屋の真ん中でリュカはフィリウスと一緒に立っていた。そうしてどこにというわけでもなく、何もない空間に向かって彩夏の名前を呼んだ。
「彩夏ちゃん、心配しているよ。どこにいるの? どうしているの? 俺に出来る事があるなら話を聞くよ。ううん。多分俺は、あの時みたいに話を聞いてあげる事しか出来ないと思うけど、それでも一人で悩んでいるのなら、一緒に考えよう? 彩夏ちゃん、この声が届くといいな」
頭の中がざわざわとする。よく分からないけれど、ものすごく遠くから話しかけられているような感覚だ。どうしたらいいんだろう。何が出来るだろう。彼女はどうしているのだろう。無事でいてほしい。あの日のように彼女らしく自分の声をあげてほしい。
『おにー……ん』
「! 彩夏ちゃん⁉」
『わかんない……でられな……ねむ……』
「眠らないで! どこなの? 彩夏ちゃん! 一緒に考えよう! 大丈夫だよ。彩夏ちゃん!』
どこにいるのか分からないまま声を上げるリュカにフィリウスは呆然として、それからその手を取った。
「フィル?」
「だいじょうぶら、わたちもかんがえりゅ」
するとリュカのもう一方の手を大聖女が握った。
「え!」
「失礼。私も考えるわ。同郷人だもの。それに多分、貴女勘違いしているわ。陛下の後ろにいたのは次期国王じゃないわ。この国の王は世襲制ではないのよ。だって男の子が産まれなかったら大聖女がプレッシャーでしょう? それに召喚はあくまでも今代の大聖女の健康状態に合わせるから、大体五十年から六十年の感覚なの。だからそれに合わせると王太子が四十とか五十とかになっちゃうし。ないわ。それはない。とにかく、咄嗟の事で多分狭間に落ちてしまったのではないかと思うのだけど、貴女が出ようと思わないと出られないわ。今後の事は私もきちんとフォローします。元OLだし。日本人だし、多少世代のギャップもあるかもしれないけど、信じて。悪いようにはしないから。だから手を伸ばして、リュカ君の手を掴みなさい!」
そうして大聖女、マリコ・キサラギ・ルーチェアットは繋いでいたリュカの手を離し、そのまま手首を掴んで上に向かって突き上げた。
「うわぁぁ!」
「りゅか!」
その動きに体勢を崩したリュカをフィリウスとガスパルが慌てて支える。
カオスだ……とリュカは思った。
「イメージよ! リュカ君の事を考えて手を掴む! ここよ! 私もサポートするから自分の存在をしっかり持ちなさい! ラノベであったでしょう? イメージが大事なの、イメージよ! この手を掴む!」
「……………………」
なんだかよく分からないけれど、今代の聖女はOLというよりもスポコンの主人公のようだとリュカは思った。でもそれも悪くはないなと笑いたくなった。ちょっと手首が痛いけれど……。
『イメージ……おにーさん、おにーさん、おにーさん! 出たいよ。怖いよ、お兄さ~~~~~ん!』
頭の中に今度こそはっきりと彩夏の声が響いて、何もない空間からいきなり彼女が現れた。
「うわ~~~ん! 戻れたよ~~~。ごめんなさい~。嫌って思ったらどこかに落ちちゃったんだよ~~。助けてくれてありがとう~」
しがみつかれてバランスを崩したリュカは、フィリウスが咄嗟に使った風の魔法で倒れる事はなく、引きつった顔で苦笑しながら「おかえり」と言った。
「…………なんだかよくわかりゃないが、とりあえずみちゅかってよかった」
「はい。そうですね」
「あとでてくびにひーるをかけよう」
「ふふふ、よろしくお願いします」
ものすごく追い詰められていた筈の事態は、こうして一気に解決に向かったのだった。
威勢の良い大聖女マリコ様(笑)