30 星空の下の話①
月の出ていない夜はもっと漆黒の闇に沈んでいるのだろうと思っていた。けれど実際は信じられないほどの数の星が瞬き、確かに月に比べればその光は弱いけれど、強い光がないからこそ浮かび上がる輝きもあるのだとリュカは改めて思っていた。
奥庭の中には目印のように小さく、淡い灯りがポツリポツリとあったけれど、ガゼボには何の明かりもなく、ただただ星が零れ落ちてくるような、そんなどこか現実離れをした空間の中でフィリウスは「まずは……驚かせてすまなかった」と言って頭を下げた。
それを見て、リュカは一瞬だけ驚いたように固まると、次にふわりと微笑んだ。こういうところがフィリウスの素敵なところだ。どうしてこんな所にいるのだとか、どうやってきたのだとか、余計な事は言わずにただリュカの気持ちを優先させる。
「いいえ。俺の方こそ後をつけるような事をしてごめんなさい。でも気になって……」
「……ああ、そうだな。まずはこの姿か……」
「うん……」
銀色の髪がキラキラと輝いている。
小さな姿の時とは違って肩甲骨の辺りまで延ばされている髪一つにまとめられているのは、どこかストイックな印象を受けた。
三十二歳。そう言っていた通りに、目の前のフィリウスは確かにその年齢なのだと納得できる美丈夫だった。
「先日も話した通り、私は呪いを受けた時から三歳児となっている。けれど、月のない新月の夜、こうして元の姿を取り戻す事が出来る。それを知る者は屋敷の中でも僅かな者だけだ」
「……う、うん」
「限られた時間とはいえ元の姿に戻る事が出来る。それが分かれば色々と画策してくる者が出てくるだろう。だからこそ婚約も破棄した。元に戻れる事を隠すのならば当然の事だ。もし万が一の事があった時、相手が不義を働いたと思われるかもしれないしね」
「え……あ……そ……」
どう答えたらいいのか分からずにいると、フィリウスはクスリと笑って言葉を続けた。
「もっともこの状況がいつまで続くのか分からない。ある日突然、二度と元に戻れなくなるかもしれないし、反対に止まっていた時間が急に動き出すかもしれない。呪いは他者には移らない事は分かっているけれど、私に起きる事で他者が巻き込まれる事はどうにもしようがない。だから宰相も辞めたかったんだが……」
そう言って一つ息をついて星空を眺めるフィリウスの横顔を見つめながら、リュカはそうだったのかと今更ながら思った。
だからフィリウスは新月の夜に姿が戻るという事を隠したのか。それはどうなるのか分からない自身の為だけでなく、婚約者であった彼の為でもあったのだ。そう考えた途端なぜか胸の辺りが痛んだような気がしたけれど、リュカはそのままフィリウスの次の言葉を待った。
「ああ、ごめんよ。どうしてそのような呪いを受けたのか、リュカにはきちんと話さなければならないね。聞いてもらえるかな?」
「はい」
コクリと頷きながら返事をしたリュカに、フィリウスは僅かに顔を綻ばせて「この世界の事は学んでいるね?」と問いかけてきた。
「はい。メリトゥムから教えてもらいました」
そう。この世界はマグナシルヴァ王国を含む十一の国が大国と呼ばれ、大聖女が暮らす事になる神聖国ルーチェアット以外の十大国が聖女召喚を輪番で行っている。それがリュカが最初に教えてもらった事だった。
そして、大国以外の国も沢山ある事も教わった。小さな国や大国に次ぐ中くらいの国、それぞれに独立はしているけれど、それらは全て十一国いずれかの配下となっている。
その中には領土争いをしている国もあるけれど、大きな戦にはならず大国は基本的にはそれに関与をしない。ただし、行き過ぎているような国があればそれぞれの大国が『注意』をする。そうしてバランスが保たれているとメリトゥムは言っていた。そう告げるとフィリウスは大きく頷いた。
「そうだ。小競り合いのようなものがあっても大国の抑えがあった。聖女がいる事で世界の秩序が保たれ、大きな厄災がない。だからこそ大聖女を召喚して保護をする十一国の存在は大きく、その輪の中で生きていくのがこの世界の理なのだ。まぁ大国同士がぶつかれば世界が成り立たなくなるのは分かっているからね。大国はそれぞれの配下の国を御する手腕も必要だ。もっともその大国に成り代わりたい野心を持つ国がないわけではない。だが足を引っ張るような国々を制するのもまた大国の務めだ」
そこでフィリウスは一度言葉を切って、一つ息をついてから再び話し始めた。
「五年前、陛下の即位十年を祝う式典に配下の小国から贈り物が届いた。古代の遺跡が発見されたのでその宝物を祝いの品として献上したいという。勿論献上品は事前に調べられていた。見事な剣と宝箱で、中に入っていた装飾品も素晴らしいものだった。だが、その装飾品の一つが呪具だった。魔力も持たない筈のそれは陛下の御前でいきなり発動したのだ」
その時の事を思い出したのか、フィリウスは眉根を寄せて苦しそうな表情を浮かべた。
「フィル……無理に話さなくても」
「ああ、いや、大丈夫だ。呪具はすぐさま結界が張られ押さえ込める筈だった。だが、それを持ち込んだ使者自体が依り代となった」
「え?」
どういう事なのか。リュカの小さな声と訝しげな表情にフィリウスは言葉を続けた。
「呪具を発動させるだけでなく、それを持ち込んだ使者自身がその呪いを受けて自らを呪いの道具としたんだ」
「………………」
「彼に触れると、あるいは切り殺そうとすると呪いが降りかかる。どうやったらあれほどの呪いを抱え込み、放出出来るのか恐ろしかった。それでも陛下を守らねばならなかった。なんとしても呪いを封じなければならなかった」
「…………それでフィルが受けたの……?」
子供のような問いかけにフィリウスは小さく笑って言葉を繋ぐ。
「筆頭公爵家だからね、呪いを防ぐための術式は色々と備えていたんだ。それに私は魔力量も多かった。だから他の者達のように命を奪われる事も、理性を失い獣のようになる事もなかったが、どうやら様々な呪いが複合されていたようでね。その一つに時戻しのようなものもあったらしい。だがあまりにも複雑で、しかも依り代が高位の魔術師だったと後で分かった」
フィルはなんでもない事のように淡々とそう言った。
長くなったので一度切ります。