2 知らされた事実
もしかしてこのまま外に放り出されてしまうか、あるいは周りを囲んでいる騎士達に殺されてしまうのではないか。
そんな事を考えながら聡は床の上に座り込んでいた。石の床は正直言って冷たいけれど、敵意むき出しのような男達に囲まれてずっと立っているのは無理だったのだ。
なにしろ仕事帰りだったし、残業続きだったし、お腹は空いているし…………
(いつまで待たされるのかな~……)
聡は本気で泣きたくなっていた。スマホを出して時間でも確認しようとすると「動くな」と睨まれて怒鳴られる。あの聖女だという少女のように崇めるような事はされたくもないけれど、こんな扱いを受ける謂れもない。
もっともスマホがここできちんと動くのか分からないし、考えてみればインターネットに同期している時間が表示されるのかも分からない。少なくともウェブには繋がらないだろう。もちろん電話も出来ないだろうし、一人暮らしの聡にはこの状況を伝えたいと思う人もいない。
「はぁぁぁぁ」
思わず落ちた何度目かの溜息に、ギロリと睨まれたけれど、こちらは聖女召喚とやらに巻き込まれたのだ。被害者である。不審者扱いや邪魔者扱いされるのはムカつく。威圧するくらいなら謝れ。そして帰せ。
明日も仕事があるのだ。新米サラリーマンが任されるものなど大きなものではなく雑用に近いものばかりだが、それでも予定はぎっしり詰まっている。元の世界に未練があるのかと尋ねられたら首をかしげてしまうけれど、この待遇よりはずっとマシだ。
そうしてどれくらい経ってからか、ザワザワした気配が近づいてくるのを感じて、聡はゆっくりと立ち上がった。
「待たせたな」
「ええ、本当に」
先程の白髭神官がちっともそう思っていないように偉そうに言うので思わずそう返して睨まれた。だが、大人しいままでいても仕方がない。ここはきちんとそちらの間違いを認めてもらい、元の所に返してもらわなければならないのだ。そのためにはいいようにあしらわれては困る。
だって自分はライトノベルの主人公達のように神様に会ったわけでも、特別な力を持っているわけでもない。ただ単純に召喚の儀とやらに巻き込まれて、聖女のおこぼれみたいにこの世界の言葉は分かるけれど、多分きっとそれだけだ。
「ニコラウス、先程私が話した事を忘れたか」
「…………申し訳ございません」
後ろにいた大きな男にそう言われて白髭神官は深く頭を下げた。
「まずはこの度の聖女召喚の儀に貴殿を巻き込んでしまった事を申し訳なく思う」
「陛下!」
神官や一緒にやってきた者達が慌てたように上げた声を制した、明らかに高位の男というか、『陛下』という事はもしかしてこの国の王様なのだろうか。
聡は思ってもみなかった展開に呆然としてしまった。そんな聡に白髭神官、もといニコラウスと呼ばれた男はコホンと一つ咳ばらいをしてから話し出した。
「マグナシルヴァ王国の国王陛下、ラディスラウス・アルウム・ソル・マグナシルヴァ様です。お控えください」
「良い。貴殿はこの国の者ではない。そのままで」
「…………」
そう言われてもさすがに周囲の視線にいたたまれなくなって聡は片膝をついて頭を下げた。
「日本から来ました流川聡です」
「うむ。顔を上げられよ。とにかく、貴殿が我が国が行った聖女召喚の儀に巻き込まれた事は神官達より聞いている。聖女アヤカからもくれぐれも扱いに気を付けてほしいと言われた。元より聖女と共に召喚された貴殿を軽んじてはならない」
そう言って国王ラディスラウスは少しだけこの世界の話をした。
この世界には大国と呼ばれる国が十一あり、その中の十国が輪番で聖女召喚を行っている。今回の召喚はこのマグナシルヴァ王国が行う事になり、無事に大聖女となるべき聖女を召喚出来た事を告げた。
「これは召喚国の王家にのみ伝わっている事なので、詳しい話は出来ないが、過去にも貴殿のように召喚に巻き込まれた者がいた」
「—————!」
聡は大きく目を見開いた。けれど次に告げられた言葉は聡の望むものではなかった。
「聖女と同郷の者は使徒と呼ばれ、召喚国で保護をされてその国の宰相と婚姻を結んだという」
「………………は?」
「我が国もそれに倣う事にした」
ニコニコととても良い事を言っている体のダンディな王様に聡は「婚姻……」と呟いた。
「そうだ。我が国の宰相は文武両道の強者で未婚だ。これも神の思し召しであろう」
いやいやいやいや、それは単なる厄介払いみたいなものだよね。というか文武両道の強者ってもしかして男じゃないのか? いや男だろう? だってこの部屋には女性の姿はない。
そういう国なのか? 元の世界だって同性同士で結婚できる国もあった。だけど異世界で同性婚。無理が過ぎるだろう。聡は頭を下げてゆっくりと口を開いた。
「俺、いえ、私は召喚に巻き込まれた人間です。聖女様のような力もありません。宰相様との婚姻は恐れ多い事です。どうぞ、元の世界に戻してください。召喚の事もこの世界の事も決して喋りません」
「出来ぬのじゃ」
「え? あの本当に誰にも話しませんから。本当に返してもらえるだけでいいんです。それだけで十分ですから」
聡の言葉に本来謝ってはいけないのだろう国王は小さく「すまぬ」と口にして、周囲の者達が顔を顰めた。
「異世界の使徒よ、召喚は膨大な魔力を使って行われる。この陣も呼び寄せるためだけのもの。古来より元の世界に帰った者はおらん」
聞いてはいけない事を聞いた気がした。帰れない? 帰った者はいない? ちょっと待ってくれ。聡は焦ったように声を出していた。
「…………お、俺、帰れないんですか⁉ 間違って連れて来られただけなのに、戻れない? 嘘だろう? だって俺は、俺は聖女でもなんでもないのに! 嫌だ! 勝手に連れてきて帰り道を用意していないなんてありえないだろう! 俺にだって、俺の生活が……やりたい事だって……」
今は出来なくてもいつかはやってみたいと思う事だってあったのだ。けれど国王はこれ以上の話はないと聡から視線を外した。
「使徒様は混乱をしておる。休ませてやるがよい。決して手出しをしてはならん。早急にコンコルディア公に迎えに来させよ」
用は済んだとばかりにやってきた一団は部屋を出て行き、白髭神官ニコラウスは振り返って「部屋へ案内を」とだけ言った。
こうして聡は控えていた騎士達に引きずられるようにして召喚の部屋を出た。