14 白やぎさんと黒やぎさん
初めてフィリウスに手紙を出したら、翌日にきちんと返事が返ってきた。
朝食の時に「きのうはてがみをありがとう」という言葉と一緒にだ。
綺麗なブルーの便箋には、おそらく最初の時のように自動書記をしたのだろう文字で、リュカから手紙をもらって嬉しかった事。
そして言われてみると自分の事は最初の時以外にあまり話をしていなかった事。
文字の練習にもなるというのであれば、また手紙をくれると嬉しいという内容と共に、好きなものが書かれていてリュカは思わず笑ってしまった。
焼き菓子は領地にいたころから良く食べていて、ときどき無性に食べたくなるらしい。
そしてハンバーグとプリンは子供の身体になってから好きになったそうだ。
領地は酪農もやっているし、農業も盛んで、特に葡萄の収穫が多く、ワインの産地でもあるという。
こんな風に知らされる事が嬉しいという事実をリュカは初めて知った。
言葉にすれば簡単で、でもなんだか気恥ずかしいような事でも手紙になると「そうなんだ」と想像して笑ってしまったり、意外だなと驚いてしまったり、なによりも手元に残る物である事が嬉しい。
多分前の世界だったら煩わしいと思ってしまうような事でも、この世界だと受け入れられるのがリュカにとっては驚きでもあり、新鮮でもあった。
手紙の終わりには良かったらまた手紙を書いてほしいとあって、それもまた嬉しいと思った。
その言葉に励まされるようにリュカは二、三日に一度手紙を書いた。
リュカがフィリウスの好きなものを尋ねたように、フィリウスもまたリュカの好きなものを尋ねてきたので『なんでも食べるけれど、この前食べた○○はとても美味しかった』とか、『前の世界ではよく牛丼屋や蕎麦屋に世話になっていた』とか、『からあげも好きだった』などと書くと「どんなものなのか今度教えてほしい」と返ってくる。
それに応えて手紙を書くと、返事がきて、また書くと、また返事がくる…………
一度心配になって仕事の邪魔になっていないかと尋ねたら、ものすごく驚いた顔をして「むしろまいにちでもうれちいとおもう」と言われたので、毎日はさすがにどうかと思った。
だって朝食の時も夕食の時も、なんなら時々昼食やティータイムの時にも会うというのに、手紙のやりとりは続いているのだ。
(もうなんか、あっちの世界の白やぎと黒やぎの歌みたいだよね)
勿論リュカはフィリウスの手紙を食べてはいないし、フィリウスだってリュカの手紙を食べたりはしていない。きちんと読んで、返事を書く。返事をもらうと嬉しくて、また返事を書く。
(手紙のやり取りっていうよりは交換日記か……)
自分は絶対にそんな事をするような人間ではなかったと断言出来る。キャラではない、というやつだ。
けれど書いてしまうのだ。一日空いて、次の日になって、今日は届くかなというような視線が分かってしまうのだ。
なにしろ見た目が三歳児だ。キラキラしたような目で見られると、今度は何を聞こうかなと考えてしまう。これが本来の三十二歳の偉丈夫と称させる宰相閣下だったら、交換日記のような手紙は難しかったかもしれないなとリュカは胸の中で小さく笑った。
とにかく、元の世界の事やこの世界の事、そしてお互いが好きなものや苦手なものを知るのは楽しくて、新鮮で、一つを知ると次が知りたくなるような気がした。
自分の中に『好奇心』というか、誰かの事をもっと知りたいと思う気持ちがあったのかと信じられないような気もしたけれど、それはきっとフィリウスが聞き上手だからだ。
本当にそう思っていると感じさせるから気負いも、迷いも、罪悪感も、そして裏切られて傷つくような恐れも抱かずに済むのだ。
どうにも面倒くさい性格だなと自分でも思うけれど、長年の拗らせで出来上がったものを変えるのはなかなか難しい。それでもこの世界に来て、フィリウスに出会って変わったなと思えるくらいにはなった。
今日の手紙はリュカにしては珍しくお誘いだ。
自分の事でなく、フィリウスの事を尋ねるわけでもない。朝食の後、サーヴァントのスアヴィスが庭師から言付かってきた話を聞いてそうしたいと思ったのだ。
温室の青い薔薇はとても綺麗だった。でもコンコルディア家の色が青という事もあってか庭には結構青い花が植えられている。
なんとなく気になって植物の図鑑のようなものがあると知り、それを見せてもらったらなんと元の世界で気になっていた花がこの庭にも植えられているのが分かった。
ネモフィラ。こちらの世界ではネモフィレオというらしい。散歩道のようになって整備されていると聞いて一緒に見られたらいいなと思った。
「…………お誘いだから、直接渡すのはありだよね」
いつものように従者に持っていってもらうよりも直接渡したいなと思った。そこで講義が終わって昼食の後の時間、リュカはフィリウスの書斎を訪ねる事にしたのだ。もちろん執事のウィクトルにもきちんと話をしてある。してあったのだが…………
-◇-◇-◇-
「え? 会えない?」
「申し訳ございません。その……急ぎのお仕事が入ってしまいまして……」
フィリウスの専属である従者にそう言われてリュカは思わず呆然としてしまった。
フィリウスは時々突然会いに来る事はあったけれど、リュカから会いに行くのはこれが初めてだった。
もちろん彼は屋敷にいても仕事をしている筈なので、きちんと確認もとったのだ。
「……分かりました。お仕事中にすみませんでした」
目に見えてしょんぼりしてしまったのだろう。護衛も従者も、様子を聞いてやってきた執事にまで謝罪されて、なんだかいたたまれないような気持ちになってリュカは自室に戻った。
(やっぱり慣れない事はしないほうがいいな)
少し浮かれてしまっていたのかもしれない。
その日はティータイム前の散歩に出る気にもなれなくて、スアヴィス達にも気をつかわせてしまった。うまくいかない時はこんなものなのかもしれないと思っていると少し廊下が騒がしくなり、どうしたのかと思っていたらフィリウスが飛び込んできた。
「しゅまなかった!」
「え? フィル? 」
「やくしょくをたがえることになってわりゅかった!」
どうやら抱っこの移動ではなく走ってきたらしい彼に、リュカは慌てて駆け寄った。
「大丈夫です。お仕事ですから」
そう言うと幼い顔が困ったように歪んだ。そして。
「……ちがうのら」
「はい?」
「ちごとではなかったのら」
「え?」
ではどうして会ってもらえなかったのか。少し顔を強張らせてしまったリュカにフィリウスは顔を赤くして再び口を開いた。
「…………ひりゅねでおきらりぇなかったのら」
「ひりゅ……」
「このかりゃだになってから、どうちてもむりがきかにゃい。そにょままちゅくえでつっぷちていたこともあって、ゆらゆらゆれだちたらひりゅねをしゅるようにちていたんら。いちゅもはさんじゅっぷんくらいなのに、きょうは……。せっかくりゅかがたじゅねてくりぇたのにしゅまなかった」
必死に言葉を紡ぐ三歳児のフィリウスをリュカは思わず抱きしめていた。
「りゅ!」
「大丈夫です! 昼寝は大事です! こちらに来てからずっと働いていたから心配でした!」
「ちんぱい?」
「そうです!フィルが大人だったとしても心配でしたよ。それくらい忙しそうでした。屋敷で仕事ができるようになっても結局は仕事だし、身体が小さくなっているから余計に心配していましたよ」
「しょ……しょうか……」
腕の中から小さな声が聞こえてきて、リュカは慌ててフィリウスの身体を離した。
「すすすすすみません! いきなり……」
「いや……しょの……かっこわりゅいとおもっていた」
「え?」
「ひりゅねをちているなんて、かっこわりゅいだろう」
「……カッコ悪くなんてないですよ。妹がフィルと同じくらいの時はよくスイッチ切れたみたいに床で倒れてましたから」
そう。慣れるまではもしかして死んでいるのではないかと、あれは小学生の自分にとっては怖くて仕方がなかった。
「しゅいっち?」
「ああ……ええっと電池切れ……いや、それも分からないか。とにかく、昼寝は正しい休息方法です。恥ずかしい事ではありません。良かった。ああ、それとわざわざ来てくださってありがとうございました。はしってきてくださったのでしょう? せっかく昼寝をしたのに疲れさせてしまいましたね。でも、嬉しかったです」
フィリウスはリュカの言葉を聞きながらじっとその顔を見つめていた。そして視線を合わせるようにして話しているリュカにギュッとしがみついた。
「フィ、フィル⁉」
「りゅかと、こんいんをむちゅぶことができりゅわたちはしあわしぇものら」
「…………あ、ありがとうございます」
従者や護衛達が見守る中でのやりとりは、我に返るとものすごく恥ずかしかったけれど、それでもやっぱり嬉しさの方が勝っていて、もうこの際だとリュカは手紙をフィリウスに手渡した。
「以前は温室にフィルが誘ってくれたので、今度は私から誘ってみようと思いました。後で読んでくださいね」
「わかった。ありがとう、りゅか」
-◇-◇-◇-
いつもは翌日に届く返信はその日の夕食前に届いた。
『お誘いありがとう。とても嬉しい。ぜひネモフィレオの花を一緒に見ましょう』
いつ行くかの予定はその日の夕食時に決まった。
そして、リュカはずいぶん経ってからこの世界にも花言葉があり、ネモフィレオのそれが『愛する心』である事を知り、顔から火が出そうになるのだった。
お昼寝も書きたかったシーンの一つなんです♪
じわじわ甘みを入れつつ…………
ちなみにネモフィラの花言葉は『愛する心』ではありません。
でもほらネモフィレオだから。閣下の世界の花言葉だからという事で!